望の富士山22

背中にデジイチ、ポケットにコンデジで富士を追いかけています。

R3.3.7 田代博先生の訃報

2021-03-07 14:56:39 | 一言

昨日知人から田代博先生の訃報を教えて貰った。

早速検索した。

【訃報】一般財団法人日本地図センター 田代 博相談役の逝去について
当地図センター 田代 博 相談役(70 歳)におかれましては、病気療養中のとこ
 ろ令和3年2月19日(金)に逝去されました。
田代相談役は、地図の伝道師として地形図をはじめ地図教育においての活用や普及
啓発に多大な貢献をしていただきました。
また、富士山展望の第一者としてもダイヤモンド富士などの写真でメディアなどの
話題にもなりました。
ここに、本人に代わり関係各位にはこれまでのご厚情に感謝申し上げるとともに
田代相談役のご冥福を心からお祈りいたします。

先生のHPのTOP画面には「お知らせ」として

8月18日より最後の入院です。9月末に完治・退院予定です
お手紙等をくださった方へ:家族の面会も禁止のため、当分ご返事ができません。また、病院から手紙を出すことも難しいため、ご無礼をいたしております。何卒ご容赦ください。メールは可能です。

と載っている。

闘病記の最後には

お知らせ 9月4日
振り返ってみれば、あそこが最後の難所だった、と言うことになる場所を通過しています。もうしばらく更新できません。悪しからず。無事です。ご安心ください。

と書かれていた。先生ご自身も辛い闘病がもうすぐ終わると信じておられた様子だし、私も退院されることを願っていた。しかし、その後は更新が無く、心配していたが、これが最後になってしまった。

先生の著書は私の本棚にあり、久しぶりに引っ張り出してみた。

これらを読んだのはほぼ10年前、私がダイヤモンド富士にハマったのは田代先生の影響も大きい。

※ HP時代のレポは広告が出て見づらくなっています。また、リンクをクリックしても見られないものが多く有りますm(_ _)m

HP時代のダイヤレポを探してみると、先生の名前はH22年1月の日暮里富士見坂2月の丸ビル、翌日のキャロットタワー23年2月の成城学園に出てくる。

そして、同年10月には横浜市山田まで出かけて、その名も山田富士で、先生に会うことが出来た。

一部抜粋

年配男性が到着し、腰掛けて撮影を始めた。デジイチを3台持ち、スゴイ勢いで撮っている。ビビッと来た。撮影の邪魔にならないように注意しながら話しかけてみた。
N「ブログやホームページをやっておられますか?」
「ええ、幾つかやっています。」
N「え、幾つか心当たりがあります。お名前を伺ってもよろしいですか?」
田代博と言います。」←大声ではありません。念のため。
N「うわ~、やっぱりそうですか~。今日は先生ホームページ(上のページはその中にある。念のため)を見てきました。先生の本も読みました~

☆この方は『富士山先生』として有名で、『今日はなんの日、富士山の日』など著書多数。昨年2月にはこの本を読んで、同僚と日暮里富士見坂にダイヤを狙いに行った。詳しくは→Wiki
これ以上話しかけるのは迷惑なので、これ位にした。

著名人に会えたことが嬉しく、記念写真もお願いした。

さらに今年に入り、元日の笹目橋1月31日の永福町も先生のレポをかなり意識して、いや真似をしてレポも作っている。先月の幡ヶ谷跨線橋はもともと先生のレポから始まっている。そして11日の目黒富士見坂など、田代先生は私をダイヤモンド富士マニアへ導いてくれた方だと思っている。

改めて感謝の言葉を申し上げ、ご冥福を祈りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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ご冥福をお祈りします (ピッケル君)
2021-03-07 17:46:31
とっても残念ですネ
HPを拝見して、お病気なのは存じ上げておりましたが、とても残念です。

私も、富士山「発見」入門 で そもそも ダイヤモンド富士なるものを知りました。

私的には 「富士山学」 の バイブルとも云える本だと思っています
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ピッケル君 (のぞむ)
2021-03-07 20:02:19
>「富士山学」 の バイブル
そうですね。まさにその通りですね。
最近はメガネを掛けるのが億劫で文庫本は避けていましたが、もう一度読み直してみようと思います。
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