九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

土佐神社(高知県高知市)

2024-01-25 14:58:29 | 神社参拝ー四国

 おことわり:掲載の写真は、参拝当日(09/25/2008)のものです、現在と異なっている場合があります。

土佐神社を掲載しました。

 「式内社」 土佐神社(とさじんじゃ) 
<通称>志奈祢様(しなねさま)
【鎮座地】 〒781-8131 高知県高知市一宮しなね2丁目16-1 旧土佐国 土佐郡
【電話】  088-845-1096
【旧社格等】 国幣中社 (現別表神社)
      土佐國一の宮
      式内社 土佐國土佐郡 都佐坐神社 大
【御祭神】 ・味耜高彦根神
      ・一言主神    
【例祭】 8月25日 志奈祢祭

【御由緒】 
  土佐神社参拝の栞
 大国主命の御子であらせらせ、御称名も数多く土佐にます神、土佐高加茂大社・高加茂大明神などとも称えまつり日本書記によれば、創建年代は遠く上古時代とも言われます。とくに皇室の御崇敬あつく勅使の参向もしばしば有り、平安時代、朱雀天皇の御代・天慶三年(世紀940年)には神階を正一位に進ませられ、土佐の国総鎮守一の宮として当時は武門の崇敬厚く室町時代、正親町天皇の御代・元亀元年(世紀1570年)には長宗我部元親が本殿・幣殿・拝殿を再興し安土桃山時代、後陽成天皇の御代・慶長六年(世紀1601年)には山内一豊、封をこの地に享けるとともに以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社・末社を始め、鳥居・桜門・鼓桜を増築して土佐の国、最上の祈願所としました。延喜の制が布告された平安時代、後醍醐天皇の御代(世紀901~923年)には大社に列せられ、明治四年(世紀1871年)土佐神社と称して格を国幣社に列し、戦後昭和二十一年(世紀1946年)には永年つづいた神社制度は終わりを告げて宗教法人になりました。
以上
    (平成祭りデータ)


  土佐神社由緒
御祭神
 味鉏高彦根神
 一言主神
御神德
 国土の開拓 農工商あらゆる産業繁栄 建設地鎮
 和合協調 家内安全 開拓開運 交通安全 航海安全 病気平癒
御由緒
ーー創祀ーー    
  年代未詳 古代と伝えられる(一説に五世紀後半雄略天皇四年と伝えられる) 都佐の国造が土左大神を奉斎したと伝えられる
七世紀 白鳳時代  文献に見える事柄
 「土左大神、神刀一口を以て 天皇に進る」 『日本書紀』天武天皇四(675)年の条
 「秦忌寸石勝を遣わして、幣を土左大神に奉る」「日本書紀』朱鳥元(686)年の条
八世紀 奈良時代 
  大和賀茂氏の祖先神である味鉏高彦根神、一言主神が祀られる(賀茂氏の勢力が及ぶ)
十世紀 平安時代
  醍醐天皇御代 延喜式内大社に列せられ、都佐坐神社と称す
十一世紀末~十二世紀初  
  土佐国総鎮守一宮とされ、土佐高賀茂大明神と称す
十六世紀室町時代後半 
  安土桃山時代 武門の崇敬あつく、長宗我部元親が元亀元(1570)年現存の本殿・幣殿・拝殿を再建
十七世紀 
  山内忠義が慶安二(1649)年摂社、末社、鳥居現存の楼門、鼓楼を増築、土佐国最上の祈願所とする
十九世紀 
  明治四年  神仏分離令(明治元年)により永年続いた神仏習合時代が終り土佐神社と改称、国幣中社に列せられる
二十世紀 
  昭和二十一年 官国幣社の制度が廃止され、神社本庁別表神社となる
昭和六十二年 
  本殿・幣殿・非殿・鼓楼・保存修理工事が行われる
 (社頭 由緒掲示板)
   
【参拝月日】 09/25/2008

大鳥居
 高知市の中心から、北東、南国市に通じる大坂越(逢坂越)の麓、一宮に鎮座しています。右に、橋本龍太郎氏揮毫の「土佐一ノ宮 土佐神社」とある社号標、西暦2000年12月吉日、地元の石材業者に寄進のようです。

鳥居の扁額
 シンプルに「土佐一ノ宮 侯爵近衛文麿 書」とあります。

参道から拝殿
 鳥居の左手前に手水舎があります。鳥居をくぐると玉砂利の参道の正面、一段高い位置に、社殿のある境内、正面に拝殿です。

拝殿(正面)
 現在の拝殿は、本殿、幣殿とともに、戦国時代、四国を統一した長宗我部元親による元亀元年(1570年)によって再建されたものです。国の重要文化財です。

拝殿 左(西側)
 建築様式は「入蜻蛉様式」とよばれ、本殿を最奥に、その前方の十字形をなす、幣殿、拝殿、左右の翼、拝の出からなります。幣殿を頭とし、尾に相当する拝の出を長くした十字形で、本殿に向かってトンボが飛び込む形に見立てており、凱旋を報告する社という意味があると言われています。

拝殿 左(西側)
 トンボの翅に見立てた、左の翼殿です。

拝殿 右(東側)
 正面はトンボの尾、拝殿の出、その前は拝所、右は翅に見立てた右翼殿です。左手前に「御井」と呼ばれる井戸があり、2枚の紙垂を木に挟んだ御幣が立てられています。

拝殿 右(東側)
 拝殿の出から拝殿、幣殿と続いています。
 
拝殿 右(東側
 十字形の交差した部分の屋根は重層切妻であり、他は単層切妻です。右奥に本殿が見られます。

本殿(西側面) 
 明治以前は、土佐高賀茂大明神と呼ばれていた。創始の時期は不詳だが、境内にある礫石という自然石を古代に磐座として祀ったことにはじまるといわれています。
 創建は、一説に五世紀後半雄略天皇四年と伝えられ、都佐の国造が土佐大神を奉斎したと伝えられています。

本殿(東側面) 
 味鉏高彦根神は、大国主神の御子であらせられ、国土の開拓、農工商あらゆる産業の繁栄の神様とされています。一言主神は、和合協調の神として一言で物事が解決されるという特殊な信仰のある神様です。
 御祭神の2柱とも大和葛城の賀茂氏が祀った神であり、当社も賀茂氏の一族により遷し祀られたものと考えられています。

境内摂社
 本殿の左(西)にあります。左から、事代主神社、西御前社、大国主神社と並んでいます。

西御前社 
 境内摂社3社の中央に位置し、拝殿も大きく奥に本殿が配置されています。
 案内に、御祭神:未詳、御神徳:家庭円満とあります。 

事代主神社
 案内に、御祭神:事代主神、御神徳:商売繁昌 諸行繁栄 古くは恵比須神社と称された。とあります。

大国主神社
 御祭神は、味鋤高彦根神の父神、大国主命が祀られています。御神徳:商売繁昌 諸行繁栄 

社叢(志那祢の森)入り口
 境内摂社の左奥から、本殿の裏手の鬱蒼とした志那祢の森と呼ばれる社叢に入ります。

御神木
 志那祢の森の入って、道なりに進むと、ほどなく御神木の大杉(幹回り、6.5mの若杉)が聳えています。

神明宮
 境内右奥(東)志那祢の森にあります。案内に、御祭神:天照皇大御神 豊受大御神、御神徳:家内安全 農業繁栄 元は伊勢神宮遙拝所であった。とあります。

礫石
 境内右奥(東北)神明宮への入り口にあります。往古、大和から土佐に遷った味鋤高彦根神は、まず加茂社(浦ノ内鳴無神社、当社から14里約55km)に鎮まった。場所がしっくりこず、礫石を投げて新しい鎮座地を定めたと伝えられています。幅2.5m、長さ3mほどの岩で、古代の磐座です。
  礫石(つぶていし)の謂
 古伝に土佐大神の土佐に移り給し時、御船を先づ高岡郡浦の内に寄せ給ひ宮を建て加茂の大神として崇奉る。
或時神体顕はさせ給ひ、此所は神慮に叶はすとて 石を取りて投げさせ給ひ此の石の 落止る所に宮を建てよと有りしが 十四里を距てたる此の地に落止れりと是即ちその石で所謂この社地を 決定せしめた大切な石で古来之を つぶて石と称す。
 浦の内と当神社との関係斯の如くで往時御神幸の行はれた所以である。この地は 蛇紋岩の地層なるにこのつぶて石は 珪石で全然その性質を異にしており 学界では此の石を転石と称し学問上 特殊の資料とされている。
    昭和四十九年八月
        宮司

輪抜祓所
 拝殿の右にあります。ご神木だった大杉の輪切りを奉斎したものです。くぐると心身が清められると云われています。案内に左・右・左とお抜けください」とあります。

絵馬殿
 境内右(東)にあります。奉納された多くの絵馬が掲げられています。

厳島神社
 境内右手(東側)の放生池の中央に鎮座しています、御祭神は宗像三女神(多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命)が祀られています。

鼓楼 
 拝殿の右(東)にあります。慶安2年(1649)、二代藩主 山内忠義 の建立。昭和61年11月 修復竣工されています。国の重要文化財。
  末広がりの袴腰になっている板張りの下階と、朱色の彩色や装飾彫刻が施された上階の二層構造です。時を告げる太鼓をかけるための建物です。

鼓楼
 軒下には、豪華な彫刻を施した、蟹股が設置されています、中央に山内氏の家紋・三つ葉柏の彫刻も見られます。

境内
 境内は割と広く感じます。右から、鼓楼、絵馬殿、その奥に輪抜祓所、左に拝殿です。

参道から大鳥居
 大鳥居から南に一直線に300mほど延びる参道の入り口には、寛永8年(1631年)二代土佐藩主・山内忠義の建立による楼門「神光門」国の重要文化財があります。大鳥居そばの駐車場に直行したため見逃していました。

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2 コメント

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お見舞いありがとうございます。 (noyama)
2024-02-02 06:28:22
蝶野さま
31日、手術は予定通り無事に終了しました。
 ただ、患部が大きく時間は1時間を超えましたが
院長先生のお話では、完全に除去できたとのことで
安心しました。
 心配していた術後の痛みもほとんどなく順調です。
 
 ありがとうございました。
返信する
Unknown (蝶野 みどり)
2024-01-31 18:38:33
取り急ぎお見舞い申し上げます。

今日が手術との事。きっと、今が心身共に一番辛い時だと思います。お大事になさってください 。

noyama さんの神社参拝の記事は、写真1枚1枚に詳しく丁寧な説明があり、体力がついたら神社巡りを始めたいなと思う夢の1つになりました。これからも記事の更新を楽しみにしております。

noyamaさんの1日も早い快復を心からお祈り申し上げます。
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