鶴岡八幡神社(福岡県香春町)を掲載しました。
鶴岡八幡神社(つるおかはちまんじんじゃ)
【鎮座地】〒822-1405 福岡県田川郡香春町大字中津原421 旧豊前国 田川郡
【御祭神】應神天皇 神功皇后 玉依姫命
【例祭】4月24日近い日曜日 例祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
鶴岡八幡神社
(旧郷社)福岡県田川郡香春町大字中津原404番地に鎮座
御祭神 三柱の大神様御鎮座されてをられます。
一座、 応神天皇
二座、 神功皇后
三座、 玉依姫命
(玉依姫命は豊玉彦の女、葺木合命の皇后にて、御容姿の美称なり、神武天皇の母君に坐す)
事蹟 応永五年(1398)正月十七日、大内盛美、田川郡鶴岡八幡官有 杜参事神宮寺ノ別当行璃披 縁起 (応永戦記より)
人王七十六代近衛院の御字、仁平三年(1153)春、鎮西八郎この地を領するに及んで、相模国鎌倉の鶴岡八幡宮に勧請して、鶴岡と号す。
続いて五寺一院の大伽藍四十八ケの堂舎を建てる、久寿元年宸筆の額を賜る。その額「鎮西鶴岡」と号す。
(当社の縁起より)
由来
仁平二年(1152)十月鎮西八郎為朝公が豊後国臼杵から勾金庄南大原、(現田川農林高等学校地域)の館に移りて、源氏の氏神である鎌倉の鶴ケ岡八幡宮の御分霊を御勧請して奉斎するため、家臣尾張権守家任を新造の八幡宮造営の奉行と定め、阿蘇判官忠国に命じ先ず京都に上し近衛天皇の御許を受けて、鎌倉由井の郷に下り鶴ケ岡宮に参詣し幣帛、神楽を献じ神法に従い御心霊を請けて、時の本宮の宮司の次男 津守源盛義、御心霊を捧持し同年師走二十五日瀬戸の尾山(現高野岩丸健次氏屋敷内と言い伝う)に安着す。
この時新造の御社殿完成せず、やむなく尾山に留まりて翌年正月十一日、社殿を初め五寺一院四十八堂舎ことごとく竣功せしにより同月十六日新宮に奉斎す。
この日為朝公は九州の諸大名高家、家臣を率いて参入し為朝公は拝殿に、その他は回廊、釣殿にいずれも衣冠束帯で仕候す。
総ての修法が終わって神霊を鎮め神楽を奏し舞楽の青海原と太平楽を修理大夫に奉納せしむ、(此の時修理大夫が用いし翁面、鈴、為朝公の烏帽子、鏃、と共に当神社の宝物として現存しています)一同拝賀の後、馬場にて、流鏑馬、競馬を奉仕す又、社僧群座して終日大般若経を勤行する。
鎌倉本宮の信法により毎年十月新嘗の大祭、即ちホウハン祭を執行せしむ。(ホウハン祭は現在全く滅びてをります)
久寿元年(1154)三月勅使徳大寺中納言良房は命により、近衛天皇の御震筆の「鎮西鶴岡若八幡宮」の勅額を持参して下伺される。為朝公これを拝受し掲げしむる。勅使神前に拝賀して太刀三振を奉納して同年四月二日京都に帰られる。
為朝公は当社を九州の源氏の氏神として甚だ篤く崇拝したが、其の後、保元の乱起りて東国に去る。
後嫡子、鶴王丸に阿蘇忠国を後見として付随させ、当社を宇護せしも平治の頃、天下乱れて当社も殆ど傾廃する。
文治二年(1186)春、源義経公が平家追討の時、梶原源太景季を代参させ社殿を再建す。後、源為朝公は九州守護職に命じて社殿を修理せしむ。
建武二年(1335)、足利尊氏公、文中三年(1374)秋、代弊便細川武蔵守等は、社殿に修造を加え神宝金銀を奉納す。
永禄四年(1561)六月、大友義統が香春岳城攻略の時、兵火にて社殿焼失、これを毛利元就公が直ちに復興す。
天正十五年(1587)夏、豊臣秀吉の九州討伐の時、再び炎上、慶長十年(1605)九月藩主細川中務大輔藤高これを再興す。
其後貞亨二年(1685)八月、藩主小笠原遠江守忠雄公、社殿を造営して深く崇拝する。其後その時々、幾度となく補修を繰り返しつつ御鎮座七百五十年式年大祭以来、戦前、戦後の難を逃れ来るも、昭和四十一年不審火により焼失せるも、四十四年御氏子の浄財により復興造営がなされる。
当神社縁起より
昭和五十九年 境内地、石段、石垣、鳥居等改修事業終わる。
平成元年 御大典記念事業にて、御神輿三体改修事業終わる。
平成五年 御社殿屋根改修事業終わる。
平成十二年 鶴岡八幡神社御鎮座八百五十年式年大祭斎行す。
平成十四年 神輿会結成
平成十五年 奉納流鏑馬保存会結成
春季例大祭 (神幸祭) 四月二十四日、二十五日
秋季例大祭 (宮日祭) 十月 十四日、 十五日
奉納流鏑馬神事 十月 第四 日曜日 十三時~十六時
鶴岡八幡神社 宮司 鶴 我 盛 恒
社務所電話番号0947-32-4435
(神社パンフレットより、(西暦年)は追記)
筑豊地区の交通の要、かつて朝鮮半島との交流も深くゆかりの地名もある歴史の町、香春町にあります。
今年1月から放映されたフジテレビ系列のドラマ『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』筑豊と東京を舞台にしたこのドラマのロケ地にもなりました。
二の鳥居
一の鳥居から香春一の岳を左前方に見ながら真っ直ぐにのびた参道の突き当たりの小山に鎮座。
二の鳥居そばの狛犬一対の狛犬が迎えてくれます。大正7年の奉納です。
境内入口の鳥居
三の鳥居になります、右に社号碑、くぐると石段の参道が続きます。
750年祭記念碑と石祠石段の参道脇にあります。
拝殿 本殿
向かって左手前に手水舎があります。
仁平三年(1153)、鎮西八郎為朝公が鶴岡八幡宮を勧請して創建。
社殿全景
昭和44年復興造営され、平成五年改修されています。
境内社
境内から参道
鶴岡八幡神社(つるおかはちまんじんじゃ)
【鎮座地】〒822-1405 福岡県田川郡香春町大字中津原421 旧豊前国 田川郡
【御祭神】應神天皇 神功皇后 玉依姫命
【例祭】4月24日近い日曜日 例祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
鶴岡八幡神社
(旧郷社)福岡県田川郡香春町大字中津原404番地に鎮座
御祭神 三柱の大神様御鎮座されてをられます。
一座、 応神天皇
二座、 神功皇后
三座、 玉依姫命
(玉依姫命は豊玉彦の女、葺木合命の皇后にて、御容姿の美称なり、神武天皇の母君に坐す)
事蹟 応永五年(1398)正月十七日、大内盛美、田川郡鶴岡八幡官有 杜参事神宮寺ノ別当行璃披 縁起 (応永戦記より)
人王七十六代近衛院の御字、仁平三年(1153)春、鎮西八郎この地を領するに及んで、相模国鎌倉の鶴岡八幡宮に勧請して、鶴岡と号す。
続いて五寺一院の大伽藍四十八ケの堂舎を建てる、久寿元年宸筆の額を賜る。その額「鎮西鶴岡」と号す。
(当社の縁起より)
由来
仁平二年(1152)十月鎮西八郎為朝公が豊後国臼杵から勾金庄南大原、(現田川農林高等学校地域)の館に移りて、源氏の氏神である鎌倉の鶴ケ岡八幡宮の御分霊を御勧請して奉斎するため、家臣尾張権守家任を新造の八幡宮造営の奉行と定め、阿蘇判官忠国に命じ先ず京都に上し近衛天皇の御許を受けて、鎌倉由井の郷に下り鶴ケ岡宮に参詣し幣帛、神楽を献じ神法に従い御心霊を請けて、時の本宮の宮司の次男 津守源盛義、御心霊を捧持し同年師走二十五日瀬戸の尾山(現高野岩丸健次氏屋敷内と言い伝う)に安着す。
この時新造の御社殿完成せず、やむなく尾山に留まりて翌年正月十一日、社殿を初め五寺一院四十八堂舎ことごとく竣功せしにより同月十六日新宮に奉斎す。
この日為朝公は九州の諸大名高家、家臣を率いて参入し為朝公は拝殿に、その他は回廊、釣殿にいずれも衣冠束帯で仕候す。
総ての修法が終わって神霊を鎮め神楽を奏し舞楽の青海原と太平楽を修理大夫に奉納せしむ、(此の時修理大夫が用いし翁面、鈴、為朝公の烏帽子、鏃、と共に当神社の宝物として現存しています)一同拝賀の後、馬場にて、流鏑馬、競馬を奉仕す又、社僧群座して終日大般若経を勤行する。
鎌倉本宮の信法により毎年十月新嘗の大祭、即ちホウハン祭を執行せしむ。(ホウハン祭は現在全く滅びてをります)
久寿元年(1154)三月勅使徳大寺中納言良房は命により、近衛天皇の御震筆の「鎮西鶴岡若八幡宮」の勅額を持参して下伺される。為朝公これを拝受し掲げしむる。勅使神前に拝賀して太刀三振を奉納して同年四月二日京都に帰られる。
為朝公は当社を九州の源氏の氏神として甚だ篤く崇拝したが、其の後、保元の乱起りて東国に去る。
後嫡子、鶴王丸に阿蘇忠国を後見として付随させ、当社を宇護せしも平治の頃、天下乱れて当社も殆ど傾廃する。
文治二年(1186)春、源義経公が平家追討の時、梶原源太景季を代参させ社殿を再建す。後、源為朝公は九州守護職に命じて社殿を修理せしむ。
建武二年(1335)、足利尊氏公、文中三年(1374)秋、代弊便細川武蔵守等は、社殿に修造を加え神宝金銀を奉納す。
永禄四年(1561)六月、大友義統が香春岳城攻略の時、兵火にて社殿焼失、これを毛利元就公が直ちに復興す。
天正十五年(1587)夏、豊臣秀吉の九州討伐の時、再び炎上、慶長十年(1605)九月藩主細川中務大輔藤高これを再興す。
其後貞亨二年(1685)八月、藩主小笠原遠江守忠雄公、社殿を造営して深く崇拝する。其後その時々、幾度となく補修を繰り返しつつ御鎮座七百五十年式年大祭以来、戦前、戦後の難を逃れ来るも、昭和四十一年不審火により焼失せるも、四十四年御氏子の浄財により復興造営がなされる。
当神社縁起より
昭和五十九年 境内地、石段、石垣、鳥居等改修事業終わる。
平成元年 御大典記念事業にて、御神輿三体改修事業終わる。
平成五年 御社殿屋根改修事業終わる。
平成十二年 鶴岡八幡神社御鎮座八百五十年式年大祭斎行す。
平成十四年 神輿会結成
平成十五年 奉納流鏑馬保存会結成
春季例大祭 (神幸祭) 四月二十四日、二十五日
秋季例大祭 (宮日祭) 十月 十四日、 十五日
奉納流鏑馬神事 十月 第四 日曜日 十三時~十六時
鶴岡八幡神社 宮司 鶴 我 盛 恒
社務所電話番号0947-32-4435
(神社パンフレットより、(西暦年)は追記)
筑豊地区の交通の要、かつて朝鮮半島との交流も深くゆかりの地名もある歴史の町、香春町にあります。
今年1月から放映されたフジテレビ系列のドラマ『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』筑豊と東京を舞台にしたこのドラマのロケ地にもなりました。
二の鳥居
一の鳥居から香春一の岳を左前方に見ながら真っ直ぐにのびた参道の突き当たりの小山に鎮座。
二の鳥居そばの狛犬一対の狛犬が迎えてくれます。大正7年の奉納です。
境内入口の鳥居
三の鳥居になります、右に社号碑、くぐると石段の参道が続きます。
750年祭記念碑と石祠石段の参道脇にあります。
拝殿 本殿
向かって左手前に手水舎があります。
仁平三年(1153)、鎮西八郎為朝公が鶴岡八幡宮を勧請して創建。
社殿全景
昭和44年復興造営され、平成五年改修されています。
境内社
境内から参道
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