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木が面になる時/能面の絵[蛇]

2011-09-08 09:11:28 | 能面の絵 作品集
私は言葉だけで物語を作る事はできません。やはり木と向かい合ってそこに言葉を入れてはじめて物語を作る人なのだと思います。

最近は本当にいろいろと忙しく作品を作る暇がありません。
そうすると頭の中は空白でなにも考えが浮かんできません。

制作をしている時はその作品の事はほとんど考えずに制作しています。
頭と心の中は別のことにフル回転します。そうしているうちに心の声が浮かびあがってますます作品に向かう手が進みます。
社会のあの事、この事に、ついての自分なりの考えや、とらえ方がまとまって来るのですが、作品を作らない日々が続くと頭の中も回転しません。

頭の中も心の中も本当に波風一つ立たず、静寂の世界に入ってしまいます。
世間の事でどれほど煩わしいとおもわれることにも何も感じないのです。心が反応しないのです。まるで社会や世間とは別世界にいるようにおもわれるのです。

制作欲に突き動かされている時には、作品が笑ったり泣いたりしてくれるのです。私はただそこにいるだけなのですが、どうも今は、私の頭と心はどのような言葉もどこか現実味を帯びてきません。

私の作品は「言葉と能面」と云う2つが重なり合って構成しているのにです。切実な、作品からの呼びかけがないのです。作品の形は相変わらずに目の前に、そこにあるかのように、存在するかのように、はっきりと目に見えるのですが、制作意欲が全く沸き起こらないのです。
ときどきですが、ある時を境に水がしみ込むように、ことばの洪水を受け止められる時もあれば、今は言葉がことばとして入ってきません。まるで外国語が聞こかるかのようです。

半年間に16面も制作するとやはりどこかに反動が来るのでしょうか?心も頭も勝手に働き勝手に充電しているような気持ちがします。

充電がフルになったら、また言葉は言葉として生き生きと動き出し、制作意欲が沸き起こってくるでしょう。今までもこのような充電を繰り返しています。9月の全てのイベントが終わったら全速力で駆けていくのかなぁ?自分の事なのにたぶん?としか言えないのがおかしいです。

この頃は少し涼ししくなったせいで朝晩に気温が下がると指先が痛みます。痛みを感じるとほんの少し作品が呼んでいる、とおもえたりするのですが、指のためには呼びかけにこたえるより手袋をはめて来たるべき冬に備えて指をいたわった方がいいと思うのです。

時間は私の上を滑るように流れていきます。見たもの、聞いたこと、知った事、理解したような気がすること、などはかなりの時間を立たなければわたしにはわからないのです。

私の内部で自然発酵するまでそれは何なのか全く分かりません。自然発酵して熟成するにはかなりの時間がかかるのです。そして発酵した事は「木が面になる」事でわかります。



新作の絵です。

ほんの2カ月前は絵を描くことに夢中でした。
[般若]よりも恨みの心を強く持った[蛇]サンのような発酵熟成した心もちょっと困るかなぁ。



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