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のっつぃのぼやき日記

不定期更新。
開店休業中的。

夢の軌跡  ――高校編③――

2008-01-11 | ルーツ
演劇部で、一番最初に教わる事…それは、発声。
腹式呼吸による発声が必要なので、腹式呼吸の仕方から…。

で、ま、とりあえず声、出してみてということで、出してみる。

なぜか、難なく腹式の発声はクリア。

先輩達は驚いていたので、どうやらすごいことらしい。
そういえば、周りで苦戦している子がけっこういる。

その後、一通りの発声メニューを教わる。
あ・え・い・う・え・お・あ・お
…というやつなどである。

本格的な練習に入る前に、適当にグループ分けして、部室にある脚本の読み合わせ。
役も割り振って、一冊を数名で囲んで読む。
私の役が回ってきて、何気なくそのセリフを発する。
またしても驚く先輩。
その人は、上手いと思ってくれたらしい。

入部間もなくのこれらの出来事は、私を天狗にするのにおおいに役立った。

夢の軌跡 ――高校編②――

2007-10-29 | ルーツ
しぶしぶながらに進学したY高校だったが、たまたま学区の中で一番演劇部の活動が活発な高校だった。
この点で、私は恵まれていたと思う。

私達の学年はなぜか20名ほどもが演劇部に入部した。
一つ上は5人しかいなかった。

もちろん、キャストではなく、大道具や衣装の担当がしたくて入部した子も少なくなかった。

それでも、発声練習なんかは、みんなやる。

芝居をする時は、裏方希望の子もキャスト候補になるから。
つまり、キャスト希望でも、裏方になったり、裏方希望でもキャストになったりするのだ。

競争率の高い学年だった。
マイペースな私は、あまり気にしてなかったけど…。

そんな環境で演劇に触れることになり、最初は、声優になるための足がかりとして考えていた演劇部だったが、次第に、声優にこだわらずに、芝居というものの魅力に取り憑かれていくようになる―――。

夢の軌跡 ――高校編①――

2007-10-27 | ルーツ
親からの条件をクリアし、高校へ入学した私。

希望通り、演劇部に入部し、やっと一歩声優に近づけたと思った。

だがしかし、親は高校卒業後に声優学校へ行かせるつもりはなかった。
約束を果たした私は、もう、高校生活をすっ飛ばして、その先に目が向いており、卒業後の進路について話をしていた。


いくらY高校出たゆーても、きょうび普通科出ただけの子なんて雇ってくれるとこないわ

………何を言っているんだ?この人…?……
私との約束、忘れたのか?



なんと、親は大学進学を目論んでいたのだ。

だって、進学校だもの…。


入学して間もなくの進路希望調査。
釈然としないまま、とりあえず分からないなりに、適当に近畿圏内の大学を記入して提出。
高校もそれなりの進学校であるので、進学率は高くしたいし、進学先は偏差値の高い所であるほうがいいのだ。

本当は大学なんて、行きたくないんだけどな…。

本当に、大学進学なんて、かけらも考えていなかったのだ。

それでも「えっ、話が違う」と思いつつも、「いい子」だった私は、しぶしぶではあったが、親の言うまま素直に大学へ目を向けることになる。

気持ちはあさっての方向を向いたまま―――。

夢の軌跡 ――高校受験編――

2007-10-26 | ルーツ
元々お勉強嫌いの私…。
高校進学に際しても、志望校なんてなかった。
ただ、商業科や工業科へは、あまり行きたくなかった。
そんな消去法で、普通科が無難らしい…と結論付ける。

さて、本来の目標である声優になるための学校…だが、高校卒業後に行くにしても、自力で学費などを工面することはできない。
いや、どうにかして行こうと思えば行けたのだろうけど、当時の私は親のすねかじる気満々。
そんなわけで、高校にも行かない内から、高校卒業後の援助体制について確認と念押し。

すると、親は交換条件を出してきた。

その条件とは、学区内(滋賀県は普通科のみ学区があった)で上位2位以内の高校へ合格する事。
…って、H高校とY高校しかない!

親としては、真面目に勉強してほしかったんだよね。
本当に目指すなら、こっちの条件を満たす為の努力もしなさい。…と。

私は2番目のY高校に決めた。
母が高校生時代だった頃から変わらぬ制服で、母の憧れの高校だったから。
公立の割に制服が可愛いという評判。私は興味なかった。
それよりも、私には、母が憧れていても入れなかった高校へ入るという事に意義があった。
それに、このレベルなら、労せず入れるとも思っていたから。


そして、思惑通り勉強せずに合格。なぜか、中学までは、特に努力しなくても成績優秀だったのだ。
それでも、条件は結果的に満たした。

そんな訳で、単純な私は、これで、高校卒業後、声優学校へ行けると確信。


しかし、そう上手く思い通りに事が運ぶわけがなかった…。

夢の軌跡 ――中学編②――

2007-10-25 | ルーツ
―――第三次声優ブーム―――というブームがあったという事は、随分後になってから知ったのだが、私がその一波であった…とは思っていない。
たまたま時代がそうだっただけだと。
私にしてみれば、母の一言がマイ声優ブームの始まりだったのだから。

しかし、そんな時代のおかげで、恵まれていたと思う。

なぜなら、情報が集め易かったからだ。
アニメ雑誌の特集や広告から、どうやら声優になるための学校があるらしいということがわかった。

はい、進路決定。

私は、声優養成コースのある専門学校へ行く。


しかし、たいていどこも高卒以上という資格があったので、とりあえず、高校は行かねばならないらしい…。
親の希望もあり、しぶしぶ高校進学。


―――高校では、希望通り演劇部へ入部する―――

夢の軌跡 ――中学編①――

2007-10-24 | ルーツ
中学にあがると、部活というものがあり、全員必ずどこかの部に所属しなければならなかった。

声優には、演技だろう…と考えていた私は、単純に演劇部に入ろうとしていた。
…が、しかし、せめて中学のあいだは運動部にしなさいという母からの指令。
体育の成績はあまりよくなく、運動は嫌いだった。

しかし、内心反発しつつも、親の言う事は絶対だと思っていた私はいわゆる「いい子」であったために、運動部へ。

それでも、類は友を呼ぶわけで、部活内で、声優を目指すでないにしても、アニメやらマンガやらが好きな人が自然と集まった。

これ、今思えば、オタク集団を結成していた事になるかも…。

時期を同じくして、「アニメージュ」や「アニメディア」といった、アニメ専門の雑誌が出てきて、そこに声優特集なんかも組まれたりした。
セーラームーンや、エヴァンゲリオンといったアニメが人気だった頃。
社会現象まで引き起こしたアニメの声を当てる人がどんな人かとスポットがあたり、また、アニメに影響され、そこから声優になりたいと思う人も増えてきた。

'90年代の第三次声優ブームだった。

夢の軌跡 ――序章――

2007-10-23 | ルーツ
昨日荒れたついでに、私と芝居の話をしてみよう。
…今回は超大作になる予定。
なので、連載ものにしてみる。





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子供の頃、アニメがすごく好きだった。
小学校高学年になっても、中学校へあがっても、アニメが好きだった。

母親は、いつまでも、そんなしょーもないもん見るな!って怒ってた。



11歳の冬、2月頃だったと思う。

「あんた、結構声きれいやから、声優にでもなれば?」

そう言ったのは、アンチアニメの母である。
この時、声優という仕事があることを初めて知った。
そして、母がその一言を放った事を以後長年にわたって後悔したのは言うまでもない。

―――声優―――
 大好きなアニメのキャラクターになれる仕事。


アニメ好きだった私は、漠然とアニメに関わりたいと思っていたのだ。
そんな訳で、当時の私にしてみれば、母の一言は、神の啓示のようなものだった。

私、将来声優になりたい!