能勢謙三の鹿児島まち案内日記

思い出の店7

北京亭

その店は、天文館の場末、二官橋通りの甲東中学校正門向かいあたりにありました。古いビルの1階。座敷に質素な4卓だけの、小さくて殺風景な店でした。こってりしたラーメンが売りでした。
「場末」にも「質素」にも、わけがありました。店を営む夫婦に、要するにお金がなかったのです。

奥さんは先の大戦後も中国に残された、いわゆる残留孤児でした。
中国人の夫婦に育てられて、中国人の主人と結婚し、親の故郷・鹿児島を頼って家族4人で帰ってきました。そして生活を維持するために、やっと店を開いたのでした。

中国で学校の先生をしていたという主人の方が、どちらかといえば日本語が上手でした。料理も主人が一手に引き受けていました。夫婦とも言葉少なで、黙々と調理する主人、人懐こい笑顔を見せて接客する奥さんの姿に好感を覚えました。

主に飲み屋帰りの客が三々五々立ち寄る店。午前3時ごろまでやっていたようです。
ある夜、注文したラーメンをほとんど残して中年サラリーマンが店を出ようとしました。そのときでした。主人が「どうして残す?」と珍しく大声を上げたのです。「ちょっと脂っぽいので」と男性。主人はそれ以上何も言いませんでしたが、居合わせた自分は、胸を締め付けられる思いがしました。自分はラーメンを頼まずに、いつも焼きそばを注文していました。

夫婦には息子さんと娘さんがいました。2人ともまじめで学業も優秀な様子。夫婦は時々うれしげに子供たちのことを話してくれました。
やがて2人とも結婚。孫も生まれました。店で、この三世代家族と出会ったこともあります。笑顔があふれて、自分まで幸せな気分になったものです。

そのうち閉店。奥さんが病気で亡くなったと知りました。しばらくして、武岡の市営住宅にお悔やみに行きました。主人は喜んでくれ、涙を流しました。奥さんを失った悲しみもこみ上げてきたのでしょう。

その後、主人と家族がどうなったか…。ふいに思い出して気になります。





ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「思い出の店」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事