奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

あまりに深すぎ、、葉山での交流会☆

2016年03月16日 02時15分31秒 | 奇跡講座.奇跡のコース.ACIM勉強会/学習会
お昼前にスタートした交流会、17:30くらいまでビッチリ

シェア・交流・質疑応答など満載のまま終了しました。

お互いに教え合い、学び合い、赦しと愛を分かち合うために

一つの部屋で交流してくださいました。

ご参加くださいました皆さま、心から感謝申し上げます!!!


前日ご連絡をいただき、Rさんが愛知から来てくださることになり

「そういうことになっていたのですね?」と、イエスとニッコリしました。


関東のあちこちからも、7名様がいらしてくださり私を含めて9名での交流☆

約6時間近い時間を共有しましたし、シェアや質疑も深いものばかりで

時間は足りないと思えるくらいでした。



奇跡講座マニュアル編P98(中央アート出版社)
M-14.1:1~5
始まってもいないものに、真に終わりがあり得るだろうか。
世界は、それが始まったときと同じく、幻想の中で終わる。
だが、その結末は慈悲という幻想である。
誰も除外せず、限りなく優しい完全な赦しという幻想が、それを包み込み、
すべての悪を隠し、すべての罪を覆い、罪悪を永遠に終わらせるだろう。

そのようにして、罪悪が作りだした世界は終わる。
なぜなら、そのときそれには目的がなくなり、それは消え去っているからである。



↑終盤に、ここを読みました。
赦しは、聖霊が完成させてくれているのですが、この太文字の部分を読み上げて言葉につまってしまいました。
「この赦しそのものこそが、愛からのものだ。」という真実が、心の内奥深いところに沁み込んでいったからなんですね。




終わってから感じましたが、やはり「聖霊への信頼」というところ、

その信頼の上での「『私』の降参」というところ、

そして、その「降参の結果」とは、形のレベルの何かではなくて

心のレベルの圧倒的な変化「映像がどうあれ、知覚がどうあれ、赦しを選んでゆくのみの揺らがない心」

をもたらしてゆきます。


形のレベルでの変化も生じてゆくことは、ある場合も、ない場合も、あり得るのですが

そこ(形のレベルの変化)に焦点を合わせると、だんだんと実践の軌道は ずれてゆきます。


私たちは無意識レベルで、そこ(形のレベルに焦点を合わせないこと)に「損失を見る」のですが

損失どころか、心の内奥で「神の平安」が復活されるんです。



このあたりですね。

もう少し皆さんの体験をシェアし合っていったり、私からもお話しができたら良かったな。

という部分でした。


しかしながら、すでに受け取りあっていったものが、かなり飽和状態に近かったですから(笑)

今回は、このあたりまでで良かったのかも知れませんね。




終了後、私自身も「湯あたり状態」というかな。「光酔い」というかな。

自分と思ってきたすべてが、こっぱみじんになってジュッと消滅してしまいそうな

世界という映像が、粒子のつながり合いがバラバラに解けて

ブチッと途切れて消えてしまいそうな、そんな状態が続きました。


しかし、それも問題にはなりません。

そうであれ、どうであれ、もう本当に神さまにお任せいたします。

あなたがなさってください。どうぞよろしくお願いします。ありがとうございます。


今も、その祈りの中にいます。

そして瞬間瞬間の投影の決断を監視しています。




神の御心のままに。あなたがなさってください。

私はあなたに従います。私は退いています。

どうぞよろしくお願いします。ありがとうございます。




追伸、メールご連絡くださっている皆さま
16日中にはご返信させていただけると思います!よろしくお願いします。

この写真、交流会とは全然関係ありませんが^^;
子産石ライスコロッケ付きスープカレー

★交流会では、自家製の豆乳プリンを召し上がっていただきました^^






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