奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

「恐れとは何か?」...愛と助けを求める懇請、愛ある想念☆2015.11.25より

2018年01月09日 23時16分46秒 | 「動画&音声」
私たちは、とんでもない恐れを常に抑圧しながら生きていることにほぼ、気が付いていない。

万が一気が付いたとしても、それをなるべく回避したり直面しないようにする方法・テクニックを探そうとする。

しかし、それは無駄であると悟らなければならない。

回避しようとすればするほど、恐れを、恐れとして実在のものにしていることに

気が付かなければならない。

いつからだったか、2013年のどこかの段階でとんでもない恐れに何度か直面した。

超絶至福も感じるけど、超絶恐れも感じた。

常に、至福は受け入れ、恐れは取り除こうと必死だった。


けど、恐れを恐れとして認識し、その認識のうえで削除しようとしても無駄だった。


淡い期待なのだろうけど

「目を覚ましてゆく途中で、恐れを回避できる手法があるのではないか?」と

考えている人は少なくないと思う。

けど、ほぼほぼそれは無理な期待だと言えると思う。


恐れ(愛でないすべて)は、見つめられてゆく必要がある。

どの目覚め方の経由も、そうだろう。


だからこそ、恐れを抑圧するでもなく、除外するでもなく

聖霊とともに覚悟をして見つめてゆく段階が、どうしても必要となってくる。


沢山の障壁が消え去って、イエスが奇跡講座を通して何を言いたがっていたのか?

私たちに、どんな見方を教えたがっていたのか?

冷静に、信頼しながら、損失が無いところから、聞くことが

だんだんとできはじめている。。。


恐れにまみれていたから、分離を信じていたから、

私は理解できなかったのだと、いまは理解できる。


我々は、恐れているとき、自分が恐れていることになかなか気が付くことができない。

その恐れから何段階も抜けていったとき

ああ、あの頃は相当恐れていたのだということが認識される。


ただただ、強がっていただけだったことを

ちゃんと受け止められるなら、わたしは幸せな道を歩めているんだなと思う。


だから、自分の泣き叫びに敏感になってあげたい。

兄弟の演技を通して、自分の泣き叫びを認識させてもらうことも多い。


巨大な恐れは、自分自身の「愛と助けを求める叫び声」だった。

はい。私は助けを求めて泣き叫んでいます。


その私の心の状態を、静かに、優しく認めてゆきたい。

大切に、大切に、丁寧に見てゆきたいな。

兄弟たちと一緒に。


心から、そう思う。



もしも、この記事を読んで胸が締め付けられるような何かを感じたなら

それは、いままでの抑圧が弱まっていて

「自分の助けを求める声を認識している」と自覚して間違いないと思う。

助けてあげるしか、選択肢は無い。


「恐れとは何か?」...愛と助けを求める懇請、愛ある想念☆2015.11.25より






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