奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

ロールプレイングゲーム

2015年08月27日 23時48分21秒 | 日記
8/5の体験以降、日常はなにも変わらないけれど

それに対する見方が、相当変わってしまいました。

比喩ではなくて、私たちそれぞれの人生が

完全に(自我の)ロールプレイングゲームだ。

ということです。(自我を選択しないと夢は見れない)


意識の深い深いところでの決断の結果として

好きこのんで、この人生というロールプレイングゲームを行う。

という夢を見ている。


世の中のスピリチュアルの多くが、「このロールプレイングゲームをワクワクと

本当の自分につながって楽しむ。」

という観点から概念が発信されているけれども


人生で、たくさんの成功を掴んで、有言実行して

なぜに、挙句の果てには肉体の死という結末で

強制終了してしまうのだろうか?


そして、その先は輪廻という形で、また今迄と同じような

もしくは全く違う、もしくは、今迄の立場とは真逆のゲームを行うことになるわけですが…

そのグルグル回転の不思議には、なるべく疑問を持たないように

意識は、自分で自分にマインドコントロールしています。

何かしらの、言い訳の概念を作っています。


高い次元の意識体として、ゲームをする惑星もあるでしょう。

けど、なぜに分離は生じていないことを知りながら意識体として分離を体験したいのか?


そう、分離という意識体としての体験を望んでいるからなんですね。

「源から分離させた!かのような体験」を望んでいる。


しかし、完全なる一体性からしたら、分離は狂気の沙汰なのだけれども。。。


「分離を終了させること自体が、実はとても恐ろしいのだ。」

ということから

意識は、目をそらせようとしています。


分離を体験する世界自体が、神からの逃げ場所なんですね。

その事実からは、目をそらせ続けようという働きが意識のシステム内にあります。

断固として、終わらせない働きなんだなぁ。


そのシステム(形而上レベルの象徴としての構造物)と、日常の視界とが重なって見えることがあります。

一言で言うと「やめるだけ」なのですが。。


今の体感が、、

「あらゆる概念」の 年末総決算大売出し

なんだか、そんな感じです(⌒-⌒; )

終わってゆく~ーーー。






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