分離を信じるエゴという思考システムは「欠乏」「減ってゆく」「不足」をひたすらに訴える。
たとえ大金持ちであっても、無意識で足りなさを感じるから もっともっと増やそうとする。
たとえ大金持ちであっても、減ってゆくことを信じるから貯めておこうとする。
たとえ大金持ちであっても、欠乏を感じるから モノやステータスで自身を満たそうとする。
自分以外のどこかにお金が流れていくという状況を見れば、まるで自分が損をするかのような体験が起きたりしちゃう。
思考の中のストーリーが展開してゆく。。。
エゴの思考システムの支配下では、一時的な満ち感を得るものの またすぐに欠乏という考えが追いかけてくる。
特に、無意識で 罪悪感をピッタリとくっつけている「お金」にはエゴの思考・判断がまとわりつき続ける。
「わたしは分離している身体を持った人間だ。」
それをありありと体験するための、お金というツール。
そのツールについての知覚・考えこそ、絶好なる赦しのレッスンの対象だ。
(わたしが以前 うつ病になったキッカケも、お金・成功にくっつけた自分の中の罪悪感をリアルにしたことだったなあ)
欠乏という幻想。
減ってゆくという幻想。
不足という幻想。
「・・・果たして、本当にそうなのだろうか?」
常にMAXで満たされている真の自己に「欠乏・減ってゆく・不足」という言葉は、あまりに あまりに似合わない(笑)
「わたしたちは、無限から受け取っていて、無限へと与えている。」
「無限の愛の循環しかない。」
それが、真の知覚なのではないかな~って、数ヶ月前から感じている。
疑うべきは、エゴの思考。
わたしという自我には何もわかりはしない。
聖霊に聞いてゆこう!!
たとえ大金持ちであっても、無意識で足りなさを感じるから もっともっと増やそうとする。
たとえ大金持ちであっても、減ってゆくことを信じるから貯めておこうとする。
たとえ大金持ちであっても、欠乏を感じるから モノやステータスで自身を満たそうとする。
自分以外のどこかにお金が流れていくという状況を見れば、まるで自分が損をするかのような体験が起きたりしちゃう。
思考の中のストーリーが展開してゆく。。。
エゴの思考システムの支配下では、一時的な満ち感を得るものの またすぐに欠乏という考えが追いかけてくる。
特に、無意識で 罪悪感をピッタリとくっつけている「お金」にはエゴの思考・判断がまとわりつき続ける。
「わたしは分離している身体を持った人間だ。」
それをありありと体験するための、お金というツール。
そのツールについての知覚・考えこそ、絶好なる赦しのレッスンの対象だ。
(わたしが以前 うつ病になったキッカケも、お金・成功にくっつけた自分の中の罪悪感をリアルにしたことだったなあ)
欠乏という幻想。
減ってゆくという幻想。
不足という幻想。
「・・・果たして、本当にそうなのだろうか?」
常にMAXで満たされている真の自己に「欠乏・減ってゆく・不足」という言葉は、あまりに あまりに似合わない(笑)
「わたしたちは、無限から受け取っていて、無限へと与えている。」
「無限の愛の循環しかない。」
それが、真の知覚なのではないかな~って、数ヶ月前から感じている。
疑うべきは、エゴの思考。
わたしという自我には何もわかりはしない。
聖霊に聞いてゆこう!!
「無限から受け取って、無限へと与えている」
疑うべきは「エゴの思考」 とってもわかりやすい。