3月18日は、すごく眠らされた半日でした。
18日夜にも勉強会で少しシェアしましたが
眠らされた夢うつつの中で、
聖霊があらゆる象徴を見せながら私に教えてくれたことがありました。
その中の一つが、膣という天国の門、膣の奥へと入ってゆくと
そこは真の我が家である子宮、神の愛に包まれた広大無辺の天国なんだということ。
※これは、そういう幻想の象徴を使って、方便として教えてくれているだけで
「だから女性性を解放して云々。。」
というメッセージでは、決してありません。
女性も男性も、ありません。体も膣も子宮もありません。
単に、「私」は、神に創造していただいた「神の子」以外の何かになろうと決断したため
真の我が家である、神の中から出てしまった。
神の子ではない、何者かになってゆかねばならない。
という悪夢を見ている状態にすぎないのだ。
ということなんですね。
神の中へと還るには、「神の子」ではない何者かになろうとした
願望・欲望・自立のために必要と思って来たすべてを、
例外なく一切を捨て去らなければ、その門をくぐることは不可能だ。
ということなんです。
何もしなければ、その門はそこにあるのだと気がつきます。
何もしなければ、その門をくぐることができます。
(「何かをする。」とは、自我を意味します。)
その時、私たちは世界を放棄します。
すべての夢をあとにします。
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18日夜にも勉強会で少しシェアしましたが
眠らされた夢うつつの中で、
聖霊があらゆる象徴を見せながら私に教えてくれたことがありました。
その中の一つが、膣という天国の門、膣の奥へと入ってゆくと
そこは真の我が家である子宮、神の愛に包まれた広大無辺の天国なんだということ。
※これは、そういう幻想の象徴を使って、方便として教えてくれているだけで
「だから女性性を解放して云々。。」
というメッセージでは、決してありません。
女性も男性も、ありません。体も膣も子宮もありません。
単に、「私」は、神に創造していただいた「神の子」以外の何かになろうと決断したため
真の我が家である、神の中から出てしまった。
神の子ではない、何者かになってゆかねばならない。
という悪夢を見ている状態にすぎないのだ。
ということなんですね。
神の中へと還るには、「神の子」ではない何者かになろうとした
願望・欲望・自立のために必要と思って来たすべてを、
例外なく一切を捨て去らなければ、その門をくぐることは不可能だ。
ということなんです。
何もしなければ、その門はそこにあるのだと気がつきます。
何もしなければ、その門をくぐることができます。
(「何かをする。」とは、自我を意味します。)
その時、私たちは世界を放棄します。
すべての夢をあとにします。
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