臍曲がりの独り言

行動記録と私見

懐かしい写真

2006年02月22日 | 日記
級友”K”さんが今月18日から、名古屋発金沢経由で白川郷見物に行かれた彼のブログに、私にとっては懐かしい「金沢」の写真が載っておりました。
最初の写真は、彼がバスガイドが「よんこう」と紹介してたのを「しこう」と言うように注意して頂いた、旧第四高等学校の本館です。明治19年創立の四高は一クラス30人でしたが、昭和16年私が入学した時は40人定員に4人の留年者を加え44人でしたが、2年になる時4人落第して8人上から下がってきて、48人という理科乙類(文甲2組、文乙1組、理甲3組、理乙1組)の組が出来たため、所定の教室が使えず、この写真の本館1階の端の会議室を使う羽目となり、べらぼうに広い部屋だったので濡れた傘などを広げたまま授業した事もあり、2年、3年の二年間を過ごした思い出の建物です。この赤煉瓦の建物以外は全て木造平屋であって、3年生になって初めてこの2階が教室になるしきたりでした。
この写真は「兼六園」内に建てられてある「日本武尊」の銅像で、面白い話があります。
この銅像の頭のてっぺんに穴が明いていて、前の小さな石橋のある場所に立つと、鼻の穴を通して空が見える位置があり、それを見つけたら「四高合格」間違いないという伝説があり、当時私も見つける事が出来無事合格しました。
この噴水は園内にある「霞ケ池」(石川城築城の際「手取川」の遙か上流から導かれ作られた池)からサイホンの理で作られた物で絶えず3m位の高さで噴出してる物で、同様の理で「城内」と城の隣に造営されている「尾山神社」に旧四高の運動場の地下を通って導入されてます。
パイプは石で作られた物をつないで作られてます。
この二枚の写真は「霞ケ池」の中にある「徽軫灯篭(ことじとうろう)」ですが、今年1月8日の大雪の写真と比べて観賞して下さい。
雪吊りが毎年造られる必要なわけがご理解頂けると思います。