臍曲がりの独り言

行動記録と私見

午餐会 / 蛙と雪と柿

2006年02月20日 | 日記
今日の講演者の金子兜太(とうた)という人を恥ずかしながら超有名な俳人である事を知りませんでした。参列の方が360人以上も来られ、食事の会場からはみ出て別室が用意されたそうです。
ご母堂さんが104歳まで生きられ、母親似の当人は八十六歳の芸術院会員で、十年ほど前に「二度生きる」という本を出され、今は「三度生きる」と百歳を目指されておられるそうです。
本日の演題「蛙と雪と柿」というのは
先ず 松尾芭蕉の句「古池や 蛙とびこむ 水の音」
   中村草田男の句「降る雪や 明治は遠く なりにけり」
   正岡子規の句「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
の三者の句についての講話でしたが、大半は最初の蛙に関するお話で、時代とともに解釈の仕方、現代の世相から映像に結びつくような取り方の変化についての解説でした。
例えば歌の中にある蛙は、いったい一匹か複数か? 調査によれば 99 パーセント一匹だそうですが、小泉八雲の英訳文では何故か「frogs」と複数になっているとか、また古池の水は「澄んだ透明の水」か或いは「青々とみどりいろの澱んだ水」か? これも感じ取る人々によって変わる(大半は「澄んだ水」だそうですが)、というような話。
又子規は肺結核であったため、微熱があって柿のような冷たい果物を非常に好んで食べたとか。
お話のおしまいに、演者のお父上も変わった方らしく
虚子の句に「こぞことし(去年今年) つらぬく棒の ごとくなり」の句をもじって「元日や 餅で押し出す こぞのくそ」と読まれたとか。