被災地の状況は刻一刻と変化している。
ゴールロード(南西海岸を走るメインの道路)沿いの景色も明らかに変わってきた。
以前は、ただ瓦礫の山であったが、少しずつ瓦礫は片付けられ、その場所にテントを張る人が増えてきた。
また小さな掘っ立て小屋も増えているようにみえた。
この掘っ立て小屋は不思議な事にとても小さく当然寝る事なんて出来ない、
一畳分もあるか分からない掘っ立て小屋を何故人々は作るのか?少し考えないと答えが出なかった・・・。
掘っ立て小屋には細長い椅子がありそこに何人かの人が座っている。
車が少し速度を落とそうものなら、すかさずそばによって来る。
要するに掘っ立て小屋は、『救援物資』が来ないかどうかの『見張り台』であったのだ。
マータラ(コロンボから160キロ南の街)を訪れてNGOのスタッフと少し話をした。
臨時のオフィスという事で、出してくれた紅茶もプラスチックのカップに入っている。
しょうが入りの紅茶を飲みながらスタッフの話に耳を傾けた。
その時3人のスタッフがいたのだが、みんなが次から次へと話をしてくる。
時には3人が同時に話をする。
この短期間の間に彼らは本当に様々な事を見聞きし、感じて、
それを誰かに伝えたいと言う思いが非常に感じられる。
当然私には語学の壁があるため、彼らの言っている言葉を全て理解するのは難しいが、
残りの部分は感覚で感じ取るしかない。
普段であれば、「その単語の意味は何?」という質問をするのだが、
彼らがあまりにも懸命に話すのでその迫力に押されてその質問は出来ないのが現状である。
そんな話の中で、本当に驚く事を聞いた。
ある被災地域に行ったとき、被災者の一人が彼らにあびせた言葉が「ある物おいて帰れ!」であったそうだ。
はじめ私は自分の耳を疑った。再度聞きなおしても同じ言葉であった。
帰り我々の前を一台のワゴンが走っていた。
時折彼らの車の窓から何かが投げられているのに気がついた。
投げていたものは小さなノート。子ども達を見つけてはそのノートを窓から投げているのである。
時には車の速度を落とし、近くにいる子どもたちにノートを見せて子どもを集めたからノートを投げる。
子どもたちにノートが必要か現段階では必要ないのか全く聞く事もなく、
一方的に与えているのである。
「動物に餌をやっているのではない・・・。」
3つばかり例を出させてもらったが、援助する方、される方双方に問題があるのであろう。
現場にほとんど行かない私にもこれだけの事が見えてくるのだから、
実際の現場ではこれよりはるかに多い『事実』があるのであろう・・・。
『援助依存症候群』に陥ったら一体どうやって復興なんてするのだろうか?
我々の支援が『援助依存症候群』患者を増やしているとしたら、我々はどうすべきなのか?
『援助中毒』になる前に何とか手を打たなくてはならない・・・。