写真はピアニストJimmie Rowlesの名作「The Peacocks」。'77年の作品で、プロデュースはStan Getzで、勿論サックスでも参加している。昨夜、Wayne Shorterの「Adam's Apple」('66)を聴いて、ロウルズ作曲の「502 Blues」を聴いて、聴きたくなったアルバムだ。
僕のアルバムのレビューはこちらを読んで戴くとして、聴いているうちに色んなものが去来したので、それを書いてみようと思う。
最近、レコードを一日に何枚も聴くのが日課になっているが、それはこのコロナ禍での自粛も手伝っての事だが、これまでに書いて来た通り、クール・ジャズの良さに目覚めた事や、それに伴い「温故知新」の考えがより一層強くなったのが大きな理由だ。
僕('65年生まれ)の世代はフュージョンがブームで、シンセを中心に楽器の進化もめざましく、常に新しいサウンドと供に新しい音楽も次々と生まれては消えを繰り返していた。ジャズは古い音楽…という印象だ。だから、その当時のトップ・ミュージシャン、例えばMiles Davis等の新譜を買ってから、遡って行く様に古いレコードを買い漁って行く…という方式を取らざるを得なかった。当時はサブスクもスマホも無く、便利なものと言えば、ジャズ喫茶か貸しレコード屋くらいなもんだ。
時代と逆行して聴いて行く…というのは、勉強にはなるが、それなりに弊害も有る。それぞれの時代に新しく巻き起こったムーブメントというものに、あまり驚かないという点だ。何故なら、未来人である僕らにとって、それは既に当たり前の事であったり、或いは古臭いものであったりするからである。
しかしながら、ここ最近、徹底して50年代のクール・ジャズを聴く事によって、如何にCharlie Parkerが当時斬新で影響力が有ったかとか、如何にマイルスの編み出したモード奏法がショッキングだったかとか、如何にコルトレーンがジャズのそれまでの価値観をぶっ壊してひっくり返したか…ってのを、改めて強く感じる事が出来た。要はその当時の人間の気持ちに同化しなければ、決して、新たなムーブメントの産みの苦しみなど理解出来ないのだ。
当時のゲッツはと言うと、’61年にスウェーデンから帰国したのだが、それはコルトレーンが母国で圧倒的な人気を博しているとの噂を耳にしての慌てての帰国であり、その後、ウェインの登場と台頭により、更にジャズは進化を続け、ゲッツもスタイルの変更を余儀なくされた。そのムーブメントについて行けないミュージシャン達はどんどん淘汰されて行ったからだ。(ゲッツ自身は上手いことボサノバ・ブームの火付け役となり大成功を収めたけど。)
冒頭のアルバムの話に戻ると、そんなゲッツが'70年代に好んで取り上げていたのがショーターの曲であり、このアルバムでも2曲挿入している。ま、これはロウルズのアルバムなんだけど、強引にゲッツがやりたい曲をやったって感じかな(笑)
ゲッツもムーブメントに乗り遅れまいと、フュージョンに手を出したり、自分のバンドの若いメンバーの斬新なオリジナル曲を取り上げたりしたけど、結局は自分のルーツであるスタンダードを演奏する方向に戻って行った。
僕はかつてコルトレーン・フリークだったので、コルトレーン目線でしか音楽を追えなかったのだけど、ゲッツ目線でジャズ界を覗き見るとまた違って見える。それによって、新しいムーブメントに対する驚きや焦燥感などが活き活きと目の前に広がるのだ。
ジャズに「正しい学び方」など存在しないと思うけど、敢えて言えば時代に沿って聴いて行く事は重要だと思う。それこそサッチモ辺りから聴いて行けば、間違いなく、それぞれの時代のムーブメントに驚きを持って遭遇出来るだろう。けど、かなりそれは難しい事だし、ある意味不自然だとも思う。現代の音楽に完全に耳を塞がなければならないので。よって、僕の様に時代と逆行して遡って聴くしか無いのだろう。
現在、最も影響力の有るテナー奏者、Mark Turnerに直接インタビュー出来た事は本当にラッキーだったと思う。どうしても彼に聞いてみたかったのは、「世界中の若者達が貴方のモノマネをする事についてどう思うか?」だった。彼の答えは、「僕ではなく、過去のレジェンド達の演奏をもっと聴くべきだ。僕が今このスタイルになったのも過去のレジェンド達を学んだ事によるし、そこから自分のスタイルを見つけ出したのだから。」だった。まさに「温故知新」のアドバイス。直接その言葉を聞けた事で誰よりもその言いつけを守っているという自負が僕にはある(笑)
あくまでリスナーとしてだが、現在の国内外の若手の演奏はYouTubeなどでかなりチェックしている。自分の若い頃と比べて「その歳でそんな事出来るの⁉︎ 凄い‼︎ そしてめっちゃ上手い‼︎ 」っていう驚きは常に有るけど、音楽や演奏そのものに関して「そんな音楽聴いた事無いよ!」的な驚きは滅多に無い。いくら奇を衒ったとしても、僕は世界を旅して現地の民族音楽まで聴いて来てるので、これは仕方の無い事だと思う。決して若手を批判しているのではなく、もう大概の事は過去にやり尽くされているのだから仕方無い事なのだ。ジャズで言えば、20年程前のそれこそマーク・ターナーの頃に進化は止まっているのが現状だと思う。そして、まだそちらにしか向いてない若手を散見してしまうと、その想いは更に強くなる。ま、僕も若い頃はMichael Brecker以外に興味無かったからシンパシーは感じるけど(笑)
僕もかつては「ジャズの進化を止めてはいけない!」と声高に叫んでいたクチである。でも、遡ってジャズを聴けば聴くほど、やり尽くされた感を強烈に感じるばかりだ。だから、ニューリリースのCDではなく、古いレコードを毎月沢山買ってしまうのだろう。そっちの方がまだ僕にとって手薄で聴いた事の無いものの方が多いから。
僕は、もうジャズ界、いや音楽業界全体に新しいムーブメントは生まれないと思っている。それはサブスクの発達により、チョイスされる音楽が完全に個人的になり、ビッグ・ヒットが生まれにくくなっている事と、マスメディアの崩壊によるものだ。
その代わりに、若手もベテランも関係無く、吸収した膨大な量の音楽をアウトプット出来るプレイヤーにはチャンスが有ると思う。若手に新しいムーブメントを作ってくれる事を期待するという従来のやり方とは徐々に変わって行く様に思える。
自分の話で恐縮だが、若い頃フュージョンにしか興味が無かった為、ストレートなジャズの演奏がかなりぎこちなかったが、一方で、当時のアイドルだったブレッカーなんかは、スタンダードやらせてもバッチリ。何故なら、彼はリアルタイムでジャズの歴史を経験して来たからだ。僕も遡る事でその歴史から多くを学び、最近になって漸くジャズの土俵に立てる様になった気がする。ゲッツやArt PepperやSonny Stittだって、ボサやロックでも、自分のスタイルを変える事なくフィットさせる事が出来る。その幅の広さや懐の深さの方が、今後の音楽ではムーブメント以上に大切な気がする。特にジャズは流行りではなく、「個体差」を愉しむ音楽なのだから。
そう考えると、スタンダードで個体差を発揮するというジャズのシステムって優れてるよなぁ…と今更ながら改めて思う。「いつまで古臭いスタンダード演らせる気だよ!」って若い頃吠えてたのが嘘みたいだけど(笑)
でも、音楽業界や多くのリスナーはまだその準備が出来てない様な気がするのだ。相変わらず、ムーブメントを必死で生み出そうとしてる雰囲気が有る。それは、僕にとっては時代遅れで無駄な作業に思える。音楽にはクラシックから民族音楽に至るまで、膨大なビッグデータが有り、それをそれぞれのミュージシャンがピックアップしてブレンドする事によって個体差が生まれ、それを愉しむのが本来のジャズの楽しみ方の様な気がするからだ。
このアルバムでショーターの曲をあたかも自分の曲の様に吹き切るゲッツを聴きながら、そんな思いが去来したのだった。
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