僕がバークリーを選んだのは、正直なところ知名度である。ここに行けば何とかなる・・という非常に浅はかな考え方であり、現在は自分の生徒にはこういう考えを持たない様に厳しく指導している。
ジャズを学びたいと思う時、確かに最初は何から始めたらいいのか分からないワケだけど、少なくともサックスならサックスで、最初何処かで演奏を聴いて「カッコいい!」とか思うから始めるというのが正当なキッカケだと思う。まぁ、僕の場合の様に本当はギターをやりたかったのに、人数オーバーで仕方なくサックス・パートに回されたというケースも少なくは無いと思うけれど。。そういう例外はさて置き、やはり演奏を聞いてカッコいいと思ったプロの人に弟子入りして教えてもらうというのが最も良いと思うのだ。まぁ、これはあくまで理想論であり、これが必ずしも上手くは行かないという話は後で話そう。でも、大昔はレッスンもバークリーも無いわけで、巨匠の巧みな技を真似して盗むしか無かった訳である。若きチャーリー・パーカーが金が無いので店の外でレスター・ヤングの演奏を聴いて技を盗んだというのは有名な話である。
自分の話をすると、順序はまるでデタラメだったのだけど、知名度で選んだバークリーに入った後、アート・ブレーキーのバンドでの演奏をレコードなどで聴いていた憧れのテナー奏者、ビル・ピアースのレッスンを取った。でも、一番僕にフィットした師匠はバークリーで教えていなくて、しかも演奏も聴いたことの無かったジェリー・バーガンジである。順序は間違っているのだけれど、ジェリーのコンセプトを知れば知るほど彼の演奏が聞きたくて、それこそボストンでのライブは全て聴きに行ったし、NYに住んでた頃はジェリーが遠征してきたら必ず聴きに行ったもんだ。これが当たり前だと思う。今、ジャズの現場で活躍しているプロミュージシャンの殆どが熱心なリスナーである。他人の演奏を聴く事が嫌いなヤツの演奏なんて薄っぺらで聴くに値しない。
自分の生徒にはそれを強く訴えている。「まず、聴きなさい」と。好き嫌いは有るだろうけど、それでも貪欲に何でも聴きなさいと。その後でその音楽を改めて評価するべきだし。そして生演奏を聴く機会を無理にでも作りなさいと。本当は僕に習ってるのだからコンセプトを学ぶには僕のライブに来れば良いのだけれど、それは強要しないようにしている。とにかく仕事の合間を見つけて行けるライブが有れば何処へでも行って欲しいと思うから。家に籠って宿題をこなすだけの生徒も過去には居たけれど、僕の経験上、彼等が上達したとは思えない。それを僕のせいにされた事も有ったけれど、それはいくら何でもムチャクチャというもんだ。僕はレッスンでは情報や知識や知恵を与える事しか出来ない。その他に生徒がやるべき事は、演奏を聴いて疑問を持つ事やジャムセッションに行ってマナーを学ぶ事などたくさん有る。それらの相乗効果によってはじめて上達があるのである。家に籠ってるだけでは、上手くなりたい!というモチベーションを保つのも不可能だ。
僕は今までたくさんのスクールを渡り歩いてレッスンをしてきたのだけれど、僕の生徒には聴きに行く事を徹底して指導してきたので、皆ライブには通っている様ではある。しかし、どのスクールでも全体としての生徒数が相当数居るにも拘らず、ライブハウスに閑古鳥が鳴いているって現状を考えると、楽器はやってみたいけれど、聴きに行くのはどうも・・って生徒が殆どという事だ。彼等がスクールに求めているのは「とりあえず人前でカッコつけるために形を教えて欲しい」と言う事であり、音楽そのものでは無い様な気がしてならない。
ここでハッキリ言おう。日本人は音楽が嫌いな人種なのである。僕は海外生活の中で色んな人種の人達と友達になれる事が出来たけれど、彼等に一致しているのは、音楽家でなくとも、音楽が無ければ生きて行けないという事である。これは文化の違いなのであろう。でも、西洋文化が入って来てかなりの歴史が有るというのにこのザマってのは、明らかに教育機関のミスであり、その場凌ぎの金儲けしか考えない音楽業界の愚行のせいである。僕のアタマの中ではこれらの問題は少子化問題とも結び付いてはいるんだけれど、まぁ、話を広げすぎるのもなんなので。。少なくとも美空ひばり等を国民全員が口ずさんでいた昭和の頃の方が現在よりは音楽好きが多かっただろうね。
これから誰かのレッスンを取ろうとお考えの方に言って置きたいのは、まずはその人の演奏を必ず聴いて欲しいと言う事。それが自分の学びたい事にフィットするか?と言う事も演奏を通して感じて欲しい。例えば僕の演奏を聴いて「僕はケニーGが好きなのですが、彼の奏法を教えて下さい。」とはならないはずである。僕は正直なところ彼の演奏が好きではないし、それは演奏にも表れている。もしそれが学びたいのであれば、彼の影響を受けているサックス奏者の門を叩くのが、そのスタイルを習得するための近道なのである。決して他人から得た情報だけでレッスンを取らない方が良いと思う。冒頭でお話した僕の様に。(苦笑)
ただ、例外も有る。僕はジョージ・ガゾーンの演奏が好きで彼のレッスンを何度も取ったんだけど、彼は所謂天才型であまり理論的な事を深く考えてやってないと思う。説明を受けても理論的ではなく分かり辛いし、間違ってることも多かった。「理論」とは演奏形態や作編曲法を他人に伝えるためのツールである。天才は自分では出来るけれど、そのツールを持っていないことが多い。フィーリングで彼の言ってる事を理解できる、同様の天才型には彼のレッスンはフィットしただろうけど、僕のような凡人には理解できない事も多かった。レッスンには講師と生徒との間の「相性」というものも存在すると言う事をお忘れなく。
ジャズを学びたいと思う時、確かに最初は何から始めたらいいのか分からないワケだけど、少なくともサックスならサックスで、最初何処かで演奏を聴いて「カッコいい!」とか思うから始めるというのが正当なキッカケだと思う。まぁ、僕の場合の様に本当はギターをやりたかったのに、人数オーバーで仕方なくサックス・パートに回されたというケースも少なくは無いと思うけれど。。そういう例外はさて置き、やはり演奏を聞いてカッコいいと思ったプロの人に弟子入りして教えてもらうというのが最も良いと思うのだ。まぁ、これはあくまで理想論であり、これが必ずしも上手くは行かないという話は後で話そう。でも、大昔はレッスンもバークリーも無いわけで、巨匠の巧みな技を真似して盗むしか無かった訳である。若きチャーリー・パーカーが金が無いので店の外でレスター・ヤングの演奏を聴いて技を盗んだというのは有名な話である。
自分の話をすると、順序はまるでデタラメだったのだけど、知名度で選んだバークリーに入った後、アート・ブレーキーのバンドでの演奏をレコードなどで聴いていた憧れのテナー奏者、ビル・ピアースのレッスンを取った。でも、一番僕にフィットした師匠はバークリーで教えていなくて、しかも演奏も聴いたことの無かったジェリー・バーガンジである。順序は間違っているのだけれど、ジェリーのコンセプトを知れば知るほど彼の演奏が聞きたくて、それこそボストンでのライブは全て聴きに行ったし、NYに住んでた頃はジェリーが遠征してきたら必ず聴きに行ったもんだ。これが当たり前だと思う。今、ジャズの現場で活躍しているプロミュージシャンの殆どが熱心なリスナーである。他人の演奏を聴く事が嫌いなヤツの演奏なんて薄っぺらで聴くに値しない。
自分の生徒にはそれを強く訴えている。「まず、聴きなさい」と。好き嫌いは有るだろうけど、それでも貪欲に何でも聴きなさいと。その後でその音楽を改めて評価するべきだし。そして生演奏を聴く機会を無理にでも作りなさいと。本当は僕に習ってるのだからコンセプトを学ぶには僕のライブに来れば良いのだけれど、それは強要しないようにしている。とにかく仕事の合間を見つけて行けるライブが有れば何処へでも行って欲しいと思うから。家に籠って宿題をこなすだけの生徒も過去には居たけれど、僕の経験上、彼等が上達したとは思えない。それを僕のせいにされた事も有ったけれど、それはいくら何でもムチャクチャというもんだ。僕はレッスンでは情報や知識や知恵を与える事しか出来ない。その他に生徒がやるべき事は、演奏を聴いて疑問を持つ事やジャムセッションに行ってマナーを学ぶ事などたくさん有る。それらの相乗効果によってはじめて上達があるのである。家に籠ってるだけでは、上手くなりたい!というモチベーションを保つのも不可能だ。
僕は今までたくさんのスクールを渡り歩いてレッスンをしてきたのだけれど、僕の生徒には聴きに行く事を徹底して指導してきたので、皆ライブには通っている様ではある。しかし、どのスクールでも全体としての生徒数が相当数居るにも拘らず、ライブハウスに閑古鳥が鳴いているって現状を考えると、楽器はやってみたいけれど、聴きに行くのはどうも・・って生徒が殆どという事だ。彼等がスクールに求めているのは「とりあえず人前でカッコつけるために形を教えて欲しい」と言う事であり、音楽そのものでは無い様な気がしてならない。
ここでハッキリ言おう。日本人は音楽が嫌いな人種なのである。僕は海外生活の中で色んな人種の人達と友達になれる事が出来たけれど、彼等に一致しているのは、音楽家でなくとも、音楽が無ければ生きて行けないという事である。これは文化の違いなのであろう。でも、西洋文化が入って来てかなりの歴史が有るというのにこのザマってのは、明らかに教育機関のミスであり、その場凌ぎの金儲けしか考えない音楽業界の愚行のせいである。僕のアタマの中ではこれらの問題は少子化問題とも結び付いてはいるんだけれど、まぁ、話を広げすぎるのもなんなので。。少なくとも美空ひばり等を国民全員が口ずさんでいた昭和の頃の方が現在よりは音楽好きが多かっただろうね。
これから誰かのレッスンを取ろうとお考えの方に言って置きたいのは、まずはその人の演奏を必ず聴いて欲しいと言う事。それが自分の学びたい事にフィットするか?と言う事も演奏を通して感じて欲しい。例えば僕の演奏を聴いて「僕はケニーGが好きなのですが、彼の奏法を教えて下さい。」とはならないはずである。僕は正直なところ彼の演奏が好きではないし、それは演奏にも表れている。もしそれが学びたいのであれば、彼の影響を受けているサックス奏者の門を叩くのが、そのスタイルを習得するための近道なのである。決して他人から得た情報だけでレッスンを取らない方が良いと思う。冒頭でお話した僕の様に。(苦笑)
ただ、例外も有る。僕はジョージ・ガゾーンの演奏が好きで彼のレッスンを何度も取ったんだけど、彼は所謂天才型であまり理論的な事を深く考えてやってないと思う。説明を受けても理論的ではなく分かり辛いし、間違ってることも多かった。「理論」とは演奏形態や作編曲法を他人に伝えるためのツールである。天才は自分では出来るけれど、そのツールを持っていないことが多い。フィーリングで彼の言ってる事を理解できる、同様の天才型には彼のレッスンはフィットしただろうけど、僕のような凡人には理解できない事も多かった。レッスンには講師と生徒との間の「相性」というものも存在すると言う事をお忘れなく。
じゃ、どうぞ、と言うと、弾かない。
別に審査するわけではない、楽しんでください、と言っているのに。
英語を習っているけど、しゃべれない、というのとすごく似ているように思います。
最近、宮地さんしてないわたしが言えませんが(すすすすみません)、音楽好きです、という人たちがたくさんいて、なんでこんなに音楽の場は寂しいんだろう??
外人って、よく、ホームパーティするじゃないですか。で、楽器やってます、と言うと、じゃ弾いて!となる。ピアニカでもなんでも持ってって、ぱらぱらっと弾くと、上手い下手の評定の前にすごく喜ばれるし、他の人も集まってきて、アンサンブルになる。
それがふつーのことだけれど、日本はいつもかしこまってて、「好き」の前に「上手いか」で人を聴いてるように思います。
レッスンも「教えてもらう」という立場の人は絶対上手くなりませんよね。
「誰々さんに習いたかったけど、その人の家が遠かったから、、」なんて言う人は、それまでと思います。
よく聴いて聴いて、自分はどんな演奏がしたいのか、があれば、
誰に習いたいのか、がみえると思うんですが。
そして先生を聴いて聴いて、自分の先生にとことん惚れてないと、、、。
たんなるルーチンで、うまくはなりませんよね。
私もあまり大それたことはいえませんが、、。
同じ職業柄、気持ちは同じですよね。(笑) 書いてらっしゃる事に全く同意です。「好き」の前に「上手いか」で人を聴いてる・・の辺りは激しすぎる同意です。(笑)
楽器を始める最初のキッカケなんて、結構サイテーだったりします。男なら「女にモテたい!」が理由のトップに来るでしょう。僕もそうです。(笑) 女性ならどうでしょう・・楽器習ってる事自体がオシャレだとかかな?まぁ、キッカケはともかく、他人にカッコいい!とかオシャレだとか思わせるには「表現力」が伴っていない限り説得力が無いわけで、そこまで行くには並大抵では無いっちゅう事を、教える側は既に分かっちゃってる。
趣味で習うのにそこまで要求されても困る・・てな事をよく言われますが、僕は音楽を楽しむためのメソッドを教えているわけで、楽しむまでに通過するべき苦労を避けては通れないと思っています。趣味だろうがそんなの関係ネェ!!(ここ、例のお笑い風です。笑)です。僕自身も自分に課題を与え続け、それがクリア出来た時にまた音楽が楽しいと思える経験を何度もして来ましたからね。
まぁ、いずれにせよウソは教えられませんから、出来無い事は出来ないって言うし、それならよそで習った方がいいよってな事も平気で言います。亀田風ならぬ宮地風レッスンは今後も続きそうです。(笑)
「技術力」「集中力」「想像(創造)力」と師匠に言われました。
殆どの人が最後の要素が欠如してるから
よい演奏ができないんでしょうね。
ま、他人の事は言えませんが(汗)
俺はよく集中力が切れることが有るけど。(苦笑)
創造力ってのは、パーカーやジャコもそうだけど、誰もやった事の無い事をやってやろう!という気概に有ると思うんだよね。プロフェッショナルには絶対必要だと思うけれど、これこそ趣味の人に要求するのは酷だと思うなぁ。寝ても醒めてもずっとそんな事考えてる本職にそれは任せて欲しいな。
寝てもさめても、危うく仕事中でも、プロの人ほどではなくとも、音楽のことでいっぱいの暮らしです。違いは技術、それからあまり音楽ではお金をもらっていないことですが、やはり趣味の人も小さな想像力を創り出すことが楽しくて、すこしでも技術を磨きたい、集中して打ち込みたいと思うのではないかと言う気がしました。
私には耐え切れない世界かもしれませんが、プロの人がうらやましいのです。
仕事で使う最低で週35時間を、音楽に当てられるなら、もう若いとは言えなくなってきたけれど、どれほど多くのことを積み上げて演奏に活かせるか・・・
簡単なことではないけれど、時には身を削る思いをしても、やはり音楽は命なのだという人間にとってはプロでないから想像力がなくてもよい・・・はさびしいですね。
親からの押し付けでピアノを習い始めましたが、病気等の後、現役生活はできなくなりましたが、音楽ほどの親友はないのです。
いつもレッスンで教えていて、クリエイティヴになりなさいとは言っているし、オリジナルのメロディーを生徒に書かせたりしているのだけれど、コピーなど「模倣」をした事のない生徒にオリジナリティーを求めても、結局はイビツなメロディーになってしまったりで難しいなと感じるのです。僕のバークリーで使用された教科書の最初のページに「模倣こそクリエイティヴィティーだ」と書いてあって、若かった僕には納得は行かなかったんだけど、ここ最近身に染みます。でも、やはり圧倒的に生徒には時間が足りない。仕事で忙しい人達が殆どです。。でも、やはり音楽や音そのものを楽しんで欲しいという気持ちが僕には強いのです。
朝、目覚めて一発目に思った事が「あ、昨日の俺の書き込みじゃまずいな・・」でした。申し訳ありません。
補足した事で分かって頂ければ幸いです。
プロと趣味の違いは本来は有りません。趣味の方でもプロ以上の演奏能力をお持ちの方はたくさんいらっしゃいます。ただ、クリエイティヴで居るにはかなりの時間を音楽に費やす必要が有ると、自分の経験上伝えたかったのが第一で、教えていて演奏能力が非常に高い生徒にでさえ自分と同じ時間を創造にあてる様に指導するのは酷だと言う事が伝えたかったのが2点目です。
「音楽が命」だと仰るだむちゃんさんにとっては僕の発言は不適切でした。お詫びいたします。
そうですね、趣味でやってらっしゃる方がクリエイティヴで無くて良いはずがありません。そこはお詫びして訂正いたします。ただ、それを求める前に楽しんでもらいたいってのが第一です。
SGURUさんの雰囲気からすると、たくさんの音楽を聴いて、感じて・・・ということを、いろいろな方に広めているというのは、深く感じるところですよ
話の本題からずれるかもしれませんが、模倣をすれば、良くも悪くも、全く同じなんてありえないですからね
こんな風にやってみれば、もっとこの感じが出るはず・・・とトライするうちに、必ずその人のオリジナルになってしまうのだと思います
だって、全く同じ感性のひとなんて、どこにもいないのですから
個性は奇をてらったものではなく、内面からあふれてくるものだと思います
とにかく、SGURUさんの生徒さんは、まずSGURUさんのコピーを技術、オリジナリティともできるのですから、幸せだと思いますよ。。。
すみません、お詫びなんて
そんなつもりではありません。。。
私は、外国に少しいたことがあって、外では有名無名のものすごいプレーヤーの演奏がある中、パーティーで日本式キチントピアノを弾かされる羽目にあったことがあります
息が詰まって音は間違えていないという程度の演奏でしたが、本当の音楽好きの人とは、そんな演奏でさえ楽しんでしまうのです
その後は、演奏の話題ではなく、作曲家論議になっていましたけれど(笑)
音楽が命は、気分ですが、思い切り言いすぎました
健康上の理由ができたら、音楽は基本的にやめたのですから(笑)