Saxophonist 宮地スグル公式ブログ

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入院日誌

2011年09月22日 16時11分20秒 | 健康
9/15(木)
前日までに持ち物・書類をすべて用意して、10時の入院に向け出発。この辺は、ツアーとほぼ同じ作業だし、楽器や楽譜を持たなくて済むから、忘れ物チェックも少なくて済む。いつもは、車で10分の道のりだけど、今回は入院なので、電車とバスで向かう。有楽町線で千川まで行き、そこからバスで10分ほど。バスを待つ間、夏の日差しが容赦なく照りつける。

入院の手続き。ベッド差額のない8人部屋を希望していたが、4人部屋しか空いておらず、差額は不要だという。ラッキー。部屋に案内されると、僕のベッドは窓際で広い空と都会の景色が一望できる大変良い部屋。これまたラッキー。明日は全身麻酔で手術なので、今日のうちに高額医療補助の申請と入院手術証明書の請求手続きをしなければならない。その後、執刀医のN先生とカンファレンス・ルームでMRIの画像を見ながら改めて手術の説明を受ける。今回、膿胞が涙腺や様々な神経が交差する難しいところに出来たらしく、少し難しい手術になるとのこと。そのため、唇をめくり、歯茎を切って中を観察して切除しなければならないという説明を受けた。

ちなみに執刀医の先生以外は20代のまだ学生の様な先生ばかり。入院後の病室近くでの診察には二十歳そこそこの研修医の先生も混ざってて、僕を診てくれた可愛らしい女医さんの卵の額にはピンクの額帯鏡が・・。カワイイからその色にしたんだと思うけど、オジサンはそこはかとなくエッチなお店に来た気分になる。(笑) 看護師さんもモー娘かAKBって感じで光が丘に続いてレベル高し。N大、Yeah! 

一方、同室の方々は人生の大先輩ばかり。図らずも僕が一番年下となり、「あんちゃん、あんちゃん」と呼ばれ、えらく可愛がられることになる。なにかっていうと余った食べ物を分けてもらい、遠慮すると怒られる。なんか、長屋に越してきた気分だ。


手術前最後の晩餐。明日は一日食事なし。美味しくいただきます。成功しますように・・・。

9/16(金)
手術当日。朝から何も食べず、手術着に着替える。前開きのブルーの手術着にT字帯というふんどしの様なものを股間に巻き、血圧を安定させるためとかで両足にセクシーな白ストッキングを穿く。これで表に出たら、ただの変態である。7時45分にストレッチャーに乗り麻酔が効くようにと飲み薬を服用した後、殆ど記憶がない。

「宮地さん、終わりましたよ~!」という女性の声で次の記憶が始まる。「今から、喉の管を抜きますね。」その瞬間、ゴボッという音と共に喉に強烈な痛みが。それから強力な尿意。最初の言葉が「喉痛い、おしっこ行きたい」だったのはかろうじて覚えている。後で分かったのは、喉の痛みが手術で喉に流れ出た血液のせいだという事と、尿意は尿道に管が入っていたという事だ。あと覚えてるのは「今年って正看って何人入ったの?」っていう若い先生の看護師さんへの質問。「へ?もしや、これって合コンの相談?」と勝手に妙にワクワクしたりして。(笑)

余裕もつかの間。午後に部屋に帰ってきたと思うのだけど、いつも手術後に襲ってくるヤツが来た。腰痛である。その後、身体の不自由を一つ一つ認識して行く事になる。あまりの腰痛の酷さに寝返りを打ちたいと思うのだが、尿道には管、口には酸素マスク、腕には点滴と小規模なガリバーと化してて動けない。この頃にはまだ、手術した顔の方には神経が行ってないので、その苦しみには気づいていない。兎に角、寝返りさえ打てれば天国だ・・という祈りに似た思いしかない。夕方にまず酸素マスクが外されるのだが、お日様は一向に傾く様子がない。その間も容赦なく腰の鈍痛はズキズキと攻めてくる。マスクが外された後も決して寝返りが許される状況ではない。少しでも動こうものなら、尿道の管が邪魔して動きをねじ伏せてしまう。そして、その管のお蔭で、四六時中おしっこに行きたい、もしくはお漏らししてしまうかも知れない・・・という恥ずかしい妄想に襲われ続けるのだ。腰の痛みさえなければどうって事ないに違いない。兎に角、寝返りを打つことが唯一の願いだ。熱は38度を超え、体を動かそうとすると、若干痙攣するのがわかる。立ったり歩行するのが無理だから、尿道に管入ってるって事だ。

9/17(土)
夜中に、尿道を傷めず、尚且つ腰の痛みを少し和らげるポジションを見つけ、少し睡眠をとる。しかし、喉の痛みは治まらず、鼻腔から流れ出す血痰を吐き出す作業に追われる。一晩でティッシュを一箱使い切るという出血の量・・。寝ては咳込んで血痰を吐き出すの繰り返し。

しかし、何と言っても今日は念願の尿道の管を抜く日。夜が明ければ、若い看護師さんに情けないあられもない姿を披露する事になるが、そんな恥を語っている場合ではない。「恥より寝返り」なのだ。スポッと抜かれる瞬間、「あ、おしっこ出ます。」と言いそうになるのを必死でこらえる。ちなみに、隠すという役割を殆ど果たしていないT字帯の下にはセクシーストッキングがまだ穿かれたまま。この女性に一生「カッコいい!」って言われる日が無いことを、その瞬間察知したのであった。

なんか、こんな草食動物いたよねぇ。(笑) これでも二十歳の時のノミとハンマーによるハードな蓄膿手術に比べりゃマシな方です。文明の利器「内視鏡」と先生の凄腕に感謝。

ともあれ、その日は念願の「寝返り記念日」。
食事制限もあり、朝食は3分粥。昼食は5分粥の予定だったが「宮地さん、なんか、ラーメンみたいのが来ちゃったけど食べれる~?」とちょいと姐さんの看護師さん。開けてみると、肉うどん。僕の胃は「行ける!」と言っている。しかし、段階食の定義をここまでぶち壊してくれる病院は僕にぴったり。(笑)

9/18(日)

宮地スグルの「病床六尺」。

朝起きたら口の中が乾燥して痛い。口呼吸の辛いとこだ。唇もボロボロで感覚が無いところもある。退院したら、すぐ演奏の仕事が有り、フルートも吹かなきゃいけないのに、これはまずい。1Fの売店でマスクとリップクリームを慌てて買いに行く。解放された尿道はというと、おしっこする度に激痛が走る。以前の手術でも経験したはずのこういう細かいこと、すっかり忘れてた。

考えたら昨日から3連休なんだよね。外はずっと良い天気。きっとドライブや旅行なんかしたら楽しいだろうな。自由になったら、いきなりそんな事ばかり考えてしまう。PC開けて仕事(作曲やアレンジ)をやろうと思うけど、鼻腔いっぱいにガーゼが詰められていて、何も考えられない。音楽を聴いていても集中できない。思えば、10歳で慢性副鼻腔炎と診断され、20歳で手荒な手術を受けたけど完治せず、40前で手術を再び受けて初めて鼻がすっきりしたわけだけど、よくこの状態で人生の殆どを過ごして来れたなと思う。慣れとは恐ろしい。今は、ワインを鼻腔で楽しむ・・なんて粋な事も出来る様になった。でも、現状では、お茶を飲むのでさえ一苦労である。飲む時って鼻から息抜きながら飲んでるんだって、こういう時に初めて気が付いた。お茶飲む度に耳が飛びそうになって怖い。今日は何もできないから、外の景色をひたすら眺めたり、お爺ちゃんとの話に興じるしかないな。

9/19(月)

今日も良いお天気。

慣れとは怖いもので、昨日よりは現状に慣れている。鼻の中はジクジクしてるし頭も重いのだけど、音楽も聞けるし、仕事も少しは出来る。しかし、横になって眠ると、どうしても口呼吸による自分のいびきで目覚めてしまうし、息苦しいのか悪夢ばかり見てしまう。今夜は睡眠導入剤をお願いしよう。明日になれば、鼻腔内のガーゼは全て撤去されるのだ。


朝食。給食思い出すね。こんな食事にも鼻が詰まってると時間がかかる。

隣の病室の舌癌で入院している70のお爺ちゃんが温泉マニアだと知り、話し込む。全国の温泉を車で、しかも、関東圏内なら下道メインで攻めるというから、かなりの兵である。先日、僕が行った沼田エリアも勿論熟知している。


昼御飯には、入院初の「揚げ物」! これだけでも盛り上がれる。

9/20(火)
今日は鼻腔のガーゼが全て撤去され、すっきりする日。でも、先生の都合で夕方まで我慢なのだ。苦しい・・。


今日は台風15号も近く、あいにくの雨降りだけど、外からの光を浴びながらの作曲ははかどる。

お爺ちゃん達との会話にも慣れてきたけど、みんな、どうやったって自分の話に持ち込もうとするし、お爺ちゃんが二人以上居ると、別々の話題の短いループがデュアルで流れてくるので、それに上手いこと相槌を打つテクニックが必要とされる。同室の50代と思わしきオジサンの患者さんは、その辺り最高のパフォーマンスを毎回見せてくれる。病室で僕のようなヒヨっ子が話を聞いて貰おうなんて、とんだお門違いなのである。(笑)

そして、予定より少し早く午後2時過ぎ、僕を悩まし続けたガーゼの大群が鼻腔から消え去る。同室の患者さんから散々、「痛いぞぉ」と脅されたけど、子供の頃から鼻腔を医者にいじられ続けてきた僕には、それ程の痛みではなかった。場所が場所だけに涙の量は半端なかったけど。N先生に手術時間を聞くと2時間半ほどだったらしく、長い方ではなかったけど、やはり相当手こずったらしい。退院も明日と決まり、6泊7日の入院もいよいよ明日、大団円となる。


隣のベッドのIさん、向かいの部屋のKさんと退院決定の記念撮影。僕より二日早く入ったIさん、僕と同じ退院日となった。


ほんとうに最後の晩餐。

9/21(水)
いつもの様に6時起床。台風15号の影響で天気は悪い。退院の日に限ってこうだ。家に帰っても食料が無いので、買い物に行く必要が有るのだけど、病院を追い出された後は体力も落ちてるのに自力で全てをこなさなければならないのが心配だ。


一週間弱の職場。作曲など、結構はかどったな。病的な曲になったけど。(笑)

バランスの良い食事と日の当たる眺めの良い仕事環境(笑)とも今日でお別れ。10時半ごろ会計となりようやく退院となる。天気も悪いし、半袖に短パンにサンダルで入院してきたのでタクシーで帰るかな・・。(結局、タクシーは使えなかった) これからは暫く外来で通院しなければならない。術後の観察がとても重要だとのこと。あと少し闘病は続く。



今回、完全に一人で闘病し、入院自体も短期だったので特に誰からのお見舞いも無かったけど、来客に気を遣って話すには少ししんどかったし、寂しい時には周りの人と話せば良いので全く問題はなかった。でも、人生の先輩方の話を聞くと色々考えさせられる事も有り、今の生活に大きな不自由を感じてなくても、不十分であることくらいは分かる。これを機に少し人生変えてみますか。病室で家に帰ったら何をするかの様な小さな予定を考えつつ、もう少し大きな人生プランも考えてみる。

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5 コメント

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無事でよかった! (mihoko)
2011-09-22 19:13:45
調度入院していると思われる期間に、はからずも宮地さんが夢に出てきたので心配していました。
無事退院されたようで、なにより^^ 安心しました!
でも、まだ油断は禁物のようですね。お大事にしてくださ~い!
返信する
一安心ですね☆ (H☆H)
2011-09-23 01:25:55
無事に終了!お疲れさまでした!!
痛みの中にも微笑み溢れる日誌を夢中になって読ませていただきました(笑)

お仕事も無理のないように。
来月にはふっかーつ!!した宮地さんの音を楽しみにしていま~す♪
返信する
ご心配おかけしました。 (SGURU)
2011-09-23 07:24:06
今日も6時半頃目が覚めました。(笑)

>mihokoさん、
私、夢枕に立ちましたか。なんか言い残す事有ったのかなぁ。(笑) 一応、手術で何が起こるか分からないので(先生にも喘息の件で脅されてたので)、死亡時の保険金や、植物人間になった時の維持装置拒否を妹に託して入院しましたけど。僕はダンドリ君。(笑)

>H☆Hさん、
どんなシチュエーションでも楽しんで生きる・・をモットーにしております。(笑) ただ、お爺ちゃん達、自分の話ばかりで僕の話を聞いてくれないので、僕の話術を披露できなかったのが残念です。

今日は10時半頃から演奏してきます。鼻血が出ませんように。(多分出るけど。)
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早く良くなりりますように (ひろこ)
2011-09-23 19:19:52
本当に難儀でしたねお疲れ様です。

私の叔父は入院した時の看護婦さんと結婚しました。
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げっ! (SGURU)
2011-09-24 00:55:57
チャンス逃した!
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