昔から「若くて上手い」プレーヤーに注目が行くのは洋の東西を問わないけれど、長年ジャズを聴いてきた僕も最近40を越えてつくづく思うのだけれど、「若くて上手い」にはそれ自体あまり意味が無かったんだねぇって事。確かにジャズの様な渋い音楽を10代や20代そこそこの人が雰囲気たっぷりにテクニックバリバリで演奏出来る事は驚愕に値する。でも結局、この歳になって聴きたいものって、音楽の向こう側に見えてくるものである。それに自分の人生を重ね合わせられた時に初めて感動が生まれる。その人が人生で経験してきたもの、感じた事、それって殆どのケースで若いうちには表現するほどたくさんは無いと思うし、表現する技量も持ち合わせている人も中々少ないと思う。昔大好きで買いあさっていた「新伝承派」と呼ばれる80年代NYの若手ミュージシャン達の音楽も先日聞いたら、すごく時代を感じさせるし、上手いんだけどなぁ・・って感想になってしまう。その当時、新しい事や難しい事を成し遂げようとしているのはよく分かるんだけど、「音楽の向こう側」があまり見えてこない。(キース・ジャレットも「天才と言われる子供の演奏で感動したことが無い。」と語っている)
逆に、若い頃にテクニックでブイブイ言わせてたプレーヤーが、年齢を重ねてテクニックに頼る事無く「歌」を聴かせようとすると、歓迎する人もいれば、ダメになったと思う人もいる。僕もかつては、「あ、この人もテクが無くなってダメになったんだ・・」とすぐ判断してしまう輩だったのだが、最近ようやく大人になったようで(笑)、歓迎する側に立場が変わった。でも、これって今のこの年齢に達したり、様々な辛い事や悲しい事を経験したから初めて分かることで、20代の頃のガキだった自分には想像も出来なかったことだ。
どうしても、音楽業界ってのは大量消費世代の20代~30代前半にターゲットを絞ってお手軽なジャズを提供しようとして、「ジャズではないもの」をたくさん世に送り出しているような気がしてならない。なにも「何がジャズか?」という定義付けをしようとしているのではなく、単に、非常に薄っぺらい音楽がジャズと呼ばれてFM等で流れているのを聴くと非常に悲しくなるのである。勿論、若い人でも真摯にジャズに向き合い素晴らしい演奏を聞かせてくれる人も大勢居るので悲観は全くしていないのだが、そういう人達は結局一部のマニアにしか知られない存在となってしまう。
で、やっぱ思うのだ。ジャズは精神的ガキ(年齢には関係ない)には絶対わからねぇ!と。(笑)
人間、迷ったり、躊躇したり、ヤケになったり、恥ずかしくなったり、自分が嫌になったり・・。でも結局、自分は自分でしかなく、それをドバ~っと出すしかないのだ。ロリンズやデクスターを聞いてると、まさにドバ~っと出してるって感じ。しかも、それを他人に無理矢理押し付ける事無く「俺って、こんな奴なんだけどさぁ~」って告白してる様な感じがして、それでいて決してカッコ悪くない。上手いだけのプレーヤーからはこう言う事を感じ取ることは不可能だ。こういうのを「いい」と言えるのは、やはり大人にならないと無理なんだろうなぁ。
逆に、若い頃にテクニックでブイブイ言わせてたプレーヤーが、年齢を重ねてテクニックに頼る事無く「歌」を聴かせようとすると、歓迎する人もいれば、ダメになったと思う人もいる。僕もかつては、「あ、この人もテクが無くなってダメになったんだ・・」とすぐ判断してしまう輩だったのだが、最近ようやく大人になったようで(笑)、歓迎する側に立場が変わった。でも、これって今のこの年齢に達したり、様々な辛い事や悲しい事を経験したから初めて分かることで、20代の頃のガキだった自分には想像も出来なかったことだ。
どうしても、音楽業界ってのは大量消費世代の20代~30代前半にターゲットを絞ってお手軽なジャズを提供しようとして、「ジャズではないもの」をたくさん世に送り出しているような気がしてならない。なにも「何がジャズか?」という定義付けをしようとしているのではなく、単に、非常に薄っぺらい音楽がジャズと呼ばれてFM等で流れているのを聴くと非常に悲しくなるのである。勿論、若い人でも真摯にジャズに向き合い素晴らしい演奏を聞かせてくれる人も大勢居るので悲観は全くしていないのだが、そういう人達は結局一部のマニアにしか知られない存在となってしまう。
で、やっぱ思うのだ。ジャズは精神的ガキ(年齢には関係ない)には絶対わからねぇ!と。(笑)
人間、迷ったり、躊躇したり、ヤケになったり、恥ずかしくなったり、自分が嫌になったり・・。でも結局、自分は自分でしかなく、それをドバ~っと出すしかないのだ。ロリンズやデクスターを聞いてると、まさにドバ~っと出してるって感じ。しかも、それを他人に無理矢理押し付ける事無く「俺って、こんな奴なんだけどさぁ~」って告白してる様な感じがして、それでいて決してカッコ悪くない。上手いだけのプレーヤーからはこう言う事を感じ取ることは不可能だ。こういうのを「いい」と言えるのは、やはり大人にならないと無理なんだろうなぁ。
思う思う思う思う。
わかんねぇよ! と思う。
ぜっっったいに思う。
めちゃくちゃ思う。
あなたみたいな子供に言われたくないわよ!と思う私もまた子供か?
でも少なくとも今までの自分の経験は無駄じゃなかったと思う。
今まで見えてなかったことが少しずつ見えるときがありますね。私は今、そうです。
それを自分の演奏に反映できないのが、ただはがゆい。
そんなこと無いと思いますよ。
僕も演奏家としては、ここ2年ほどもがき苦しんでいる状態が続いていますが、上手くいかない自分も自分として受け止めています。ただ、プレーバックを聞いて、自分のサックスがあまりにも酷い演奏で「ミュージシャンを辞めよう!」と思う事はほぼ毎日あります。(笑)
でも、辞めちゃったら他に表現する方法も無いし、他人様からの批評を真摯に受け止めて頑張るしかないんですよね。
「自分に満足してはいけない」「満足した時点で終わってしまう」と人生の先輩方のお言葉の中でよく聞かれますが、最近、もがいている中でようやくその意味が分かってきたような気がします。
最近では高樹レイさんから全く同じ事を言われました。その通りですね。
私は最近、やっと、アンサンブルがどういうことか、わかってきました。
コール&レスポンスも、相手と自分との関係の持ち方がわかって初めて成り立つもので、
それこそ、心が子供じゃあできないことだなあと
思います。
こういう人は多いと思いますが、他の人のソロの時、私は自分ではいい感じでバッキングしていても、後で聴くと、全体のサウンドとして音が多い、うるさい、、、。
もっと少ない音数で、、、などと思っていたら、
'「手を抜く」のは作為的でしょう。ゼロ(何も弾かない)から初めて、相手を聴いて聴いて、コーラスを重ねていくうちに、ココで弾きたいと思ったら入れるんだ。'
と、ある人からアドバイスを受けて、目からウロコでした。
相手がそこに居ること、その人との距離感、みんなで作るという事、、理解できるのは、心が大人の人だけだと思います。
サックスの彼は、芸暦20年とは言えSUGURU様より若いのですが、20年の積み重ねみたいな物を感じでいた。but最近、20代そこそこの子供たちを率いてリ-ダ-バンドを結成!う~ん音が 薄っぺらくなった。幅?厚み?色気?全く感じない。多分、お金を払って聴く事はもう無いと思う。残念!(同じ事をアルトのちやほやされている女の子の演奏に感じた。何も感じない。「何がジャズの女神じゃい!」)
40歳これからが、味の出る年齢だと思う。一から始めるには、時間が足りないと思いますが…。
名前を忘れてしまったが、もうすぐ演奏は引退すると宣言したオ-ボエ奏者の叔父様「自分がベストの演奏ができるうちに引退したい」それはそれで解る気はするが…
ちなみに、僕は若手演奏家に否定的なわけでは有りません。素晴らしいプレーヤーもたくさんいることを知っていますし、彼等から多く学んでいる事も事実です。ただ、メディアが「若くて美しい」事にしか興味を示さない事に異論を唱えているだけです。演奏側は勿論、リスナーも「大人」になって欲しいと思うのです。
>>一から始めるには、時間が足りないと思いますが…。
これは言いすぎだと思います。
私は、一人一人与えられた時間は同じでも、どう使うか、使える時間はその人次第だと思っています。
少々眠い頭で書いておりますので、オカシな文章になっていたが、ごめんくださいませ。
『40歳これからが、味の出る年齢だと思う。一から始めるには、時間が足りないと思いますが…。』
さて、どう言っていいんでしょうか。
40歳ではじめて、時間が足りないと?分野は違いますけれど、アタクシの母は、50を目の前に、油画をまっさらの状態からはじめ、60をいくらか過ぎた現在は、日本全国から応募作品が集まる大きな展覧会で、入選するまでになっております。
これでも、時間が足りないと言われますか?
時間とは、なんでしょうか?
アタクシも、30をいくらか過ぎてからフルートを始めております。何歳まで生きられるかは、わかりませんけれど、死ぬまで吹く事のできる時間を頂きました。死ぬまでの時間に、己がどれだけのことができるか、やろうとするかです。
「こんな年齢になってから始めたから、たいしたことになんないし」
って、時間はたっぷりあるのに、時間作れば作れるのに、やらない人もいれば、
「こんな年齢になってから始めたけれど、ちょっと頑張って、これぐらいにはなれるかな」
「このぐらいには、なりたいな」
って、自分のペースを守りつつも、時間を作って頑張る人もいる。
早く始めようが、遅く始めようが、時間は、使う人によって、足りたり足りなかったり。
己の現在というものに、満足をしない人にとっては、早く始めても、時間なんて、足りるもんぢゃない。
遅く始めても、目標が低ければ、時間は足りる。
日々の小さい進歩。そして、日々の心がけ。モノゴトに対する、考え方・感じ方。その積み重ねが、時間の使い方の差になってくる。
どうですかね?
生徒が先生に言う言葉では無い。
ご自分の言葉には責任を持つべきで、もし、私が違うようにとっているのでしたら、そう指摘して欲しいし、しっかりご意見を聞きたいし、話し合いたい。本心。
別のところでも、同じようなことで、takaさんが言ったことは宮地さんに対して失礼と思われ、私がコメントした事に対して、未だレスポンスが無いですよね?
どうでしょう?
書きっぱなしは良くないですヨ。^^