タダで効率良く良い情報を得る事なんて、結局は出来ないのですよ。
ネットが日常生活の大半を占める様になった昨今、情報はタダで仕入れられるのが一般的だ。確かに、音楽に関しては、フルアルバムがYouTubeで聴ける時代だ。
先程、DeNAの謝罪会見を観た。デタラメ情報や他人の記事をコピぺして情報として掲載していたというのだ。
FBなどSNSでも、やたらとニュース的な感じでこういう情報が垂れ流されている。僕はそれらを、読むに値しない「クソ情報」と呼んで来た。実際、その情報を元にカテゴライズされ、「あなたはこういう人」とレッテルを貼られて大変迷惑した事も有る。
実は、僕もDTMやブログなど副業や趣味でやってる物でお小遣い稼ぎが出来ないものか…と、求人サイトなど観てたのだが、DeNAを始め多くの「在宅ライター」求人を目にして来た。文章を書くのはとても好きだし、「余暇を使って自宅でのお仕事。未経験でも簡単。」などの甘〜い言葉に釣られてアプライしてみたものの、多くの人に読んでもらう為にキーワードの挿入や雛形通りに書かなきゃならない自由の無さ、ゼロから取材し執筆しなきゃならない労力と、何千字も書かなきゃならない時間の無駄と、それに対してあまりのギャラの安さ(一記事がたった数百円)に馬鹿らしくてすぐに撤退。
ただ、あの「クソ情報」達は、素人による、こういう底辺の情報収集によって成立していたというのが分かっただけでも良かったと思う。一記事で稼げるのが数百円だとすれば、それを纏った金額にする為には、相当数の記事を書く必要が有る。つまり、当然流れ作業になる訳で、それぞれの記事に割いてる時間は限られ、中身の全く無い、まさに「クソ情報」にしかならないのが至極当たり前なのだ。
もう一つ、自分のアルバム制作で培ったDTMの技術を何とか仕事に出来ないかと探してるうちに、DTM講師の仕事もよく目にする様になった。まぁ、この業種では僕も新参者になるだろうし、ギャラ云々より、まずは経験を積もうと思っているのだが、こと講師のギャラとなると、やはり、今のサックス講師としてのギャラと比較もしてしまう。ある学校のHPでDTM科の他にサックス科も有ったので覗いてみた。
や…安過ぎる。僕が都内で講師を始めた20年ほど前、色んな学校を調べたけど、こんなにギャラは安くなかった。これもデフレのせいなのか。でも、普通のバイトなら、そこに居た時間がそのまま時給で計算されるけど、講師は教えた時間のみの歩合制が殆どだ。なのに、普通のバイトに毛が生えたくらいのギャラしか貰えないなんて…。こういとこで教えてる人達はいったいどうやって生活してるのだろう?
しかも、生徒の都合にばかり合わせ、無条件で補講を何度でも出来るシステムがあったり、先生らしい服装(…って何だ一体⁇)を要求したり、レッスンが「講師の時間の切り売りではない」と訴えてる所が有ったり。(あ、申し訳ないですが、僕は正直に「時間の切り売り」だと生徒さんには言ってます。だから、よっぽどの事でない限り、約束した日時にきちんと来て貰わないと困るのです。) 何だか、僕の仕事振りを全否定されてる様な気になる。(笑)
考えてみて頂きたいのだが、莫大なお金を使ってバークリーに留学し、犯罪都市ニューヨークで、時には危険な目に遭いながらも様々な経験を積んで勉強させて貰ったものを、安い賃金で、しかも最悪の労働条件で惜しみなく生徒に公開出来るか?と問われれば、答えはNOである。
まぁ、そういった学校には、そういうディープな情報なども必要無いのだろうし、僕のスキルも必要無いのだろう。元々、低いレベルの講師を雇ってるのかも知れないし、仮にとても優秀な人材がその中に居たとしても、ステップアップを望んで現状に我慢してるだけだろうし、僕と同様に「こんな条件でやってられるか!」と考えて、そこそこの事しか教えない…なんて事は容易に想像できる。まぁ、そういう所に来る生徒の大多数の向上心レベルも想像が付く。それに伴って講師のモチベーションだって駄々下がりになるのが人情というものである。
レッスンは決してサービス業ではなく、ドクターの様な仕事だ。生徒自身の向上心と情熱が無ければ成立しない。「身体が悪い。治したい。」と同じなのだ。医者だって、自ら治したいと思ってない人に手助けなど出来ないのだ。患者も助かりたいと思うなら、自分にとっての最良の医者を必死で探す筈だ。
しかし、それをただのサービス業として売っている学校が最近多いというのが僕の感想だ。それに比べりゃ、ちゃんと対価も支払ってくれて、しかも、僕の演奏活動を尊重し、自由にやらせてくれているヤマハを始め、僕が勤めるスクールは有難いと改めて思った。
僕のレッスンには、長年そういうスクールに通ったのに一向に効果が上がらず悩んでいたら、たまたま僕のサイトを見付けて…という生徒さんが多い。そういう受け皿的な役割を長年担ってると自負している。
安かろう悪かろうは世の常。無料、もしくは安価で仕入れた情報なんてたかが知れてる。僕はきちんとそれ相応の対価を頂けないなら全ての情報は開示しないし、逆に、頑張って通い続ける生徒さんには信頼や親の様な愛情も感じる訳で、対価以上の情報を提供する事も多い。それも人情なのだ。
まぁ、安くそこそこの情報が仕入れられて満足したいって人も多いだろうから、そういう学校はそのニーズには応えているワケで否定まではしないけど、そこでもしクソ情報しか手に入れられず、本来得たい情報が得られないままお金を払ってるとしたら、それこそ時間とお金の無駄遣いという事になるわけだ。「もっと早く先生に出逢えてたら良かったのに…」と僕に言ってくれる生徒さんも多い。そう言って貰えるのは本当に有難い事だし、真面目にやって来て良かったと思う。だから、そういう人に少しでも多く出逢える様に今も生徒募集を掛け続けている。
まぁ、こういうのが時代の流れ…って言うなら仕方ない。でも、本来の自分のやるべき事を頑張っても、安かろう悪かろうの方が良い…と世間全体が言うのなら、とても悲しく寂しい事だ。これは、演奏の方でも言える事だけど。。
ネットが日常生活の大半を占める様になった昨今、情報はタダで仕入れられるのが一般的だ。確かに、音楽に関しては、フルアルバムがYouTubeで聴ける時代だ。
先程、DeNAの謝罪会見を観た。デタラメ情報や他人の記事をコピぺして情報として掲載していたというのだ。
FBなどSNSでも、やたらとニュース的な感じでこういう情報が垂れ流されている。僕はそれらを、読むに値しない「クソ情報」と呼んで来た。実際、その情報を元にカテゴライズされ、「あなたはこういう人」とレッテルを貼られて大変迷惑した事も有る。
実は、僕もDTMやブログなど副業や趣味でやってる物でお小遣い稼ぎが出来ないものか…と、求人サイトなど観てたのだが、DeNAを始め多くの「在宅ライター」求人を目にして来た。文章を書くのはとても好きだし、「余暇を使って自宅でのお仕事。未経験でも簡単。」などの甘〜い言葉に釣られてアプライしてみたものの、多くの人に読んでもらう為にキーワードの挿入や雛形通りに書かなきゃならない自由の無さ、ゼロから取材し執筆しなきゃならない労力と、何千字も書かなきゃならない時間の無駄と、それに対してあまりのギャラの安さ(一記事がたった数百円)に馬鹿らしくてすぐに撤退。
ただ、あの「クソ情報」達は、素人による、こういう底辺の情報収集によって成立していたというのが分かっただけでも良かったと思う。一記事で稼げるのが数百円だとすれば、それを纏った金額にする為には、相当数の記事を書く必要が有る。つまり、当然流れ作業になる訳で、それぞれの記事に割いてる時間は限られ、中身の全く無い、まさに「クソ情報」にしかならないのが至極当たり前なのだ。
もう一つ、自分のアルバム制作で培ったDTMの技術を何とか仕事に出来ないかと探してるうちに、DTM講師の仕事もよく目にする様になった。まぁ、この業種では僕も新参者になるだろうし、ギャラ云々より、まずは経験を積もうと思っているのだが、こと講師のギャラとなると、やはり、今のサックス講師としてのギャラと比較もしてしまう。ある学校のHPでDTM科の他にサックス科も有ったので覗いてみた。
や…安過ぎる。僕が都内で講師を始めた20年ほど前、色んな学校を調べたけど、こんなにギャラは安くなかった。これもデフレのせいなのか。でも、普通のバイトなら、そこに居た時間がそのまま時給で計算されるけど、講師は教えた時間のみの歩合制が殆どだ。なのに、普通のバイトに毛が生えたくらいのギャラしか貰えないなんて…。こういとこで教えてる人達はいったいどうやって生活してるのだろう?
しかも、生徒の都合にばかり合わせ、無条件で補講を何度でも出来るシステムがあったり、先生らしい服装(…って何だ一体⁇)を要求したり、レッスンが「講師の時間の切り売りではない」と訴えてる所が有ったり。(あ、申し訳ないですが、僕は正直に「時間の切り売り」だと生徒さんには言ってます。だから、よっぽどの事でない限り、約束した日時にきちんと来て貰わないと困るのです。) 何だか、僕の仕事振りを全否定されてる様な気になる。(笑)
考えてみて頂きたいのだが、莫大なお金を使ってバークリーに留学し、犯罪都市ニューヨークで、時には危険な目に遭いながらも様々な経験を積んで勉強させて貰ったものを、安い賃金で、しかも最悪の労働条件で惜しみなく生徒に公開出来るか?と問われれば、答えはNOである。
まぁ、そういった学校には、そういうディープな情報なども必要無いのだろうし、僕のスキルも必要無いのだろう。元々、低いレベルの講師を雇ってるのかも知れないし、仮にとても優秀な人材がその中に居たとしても、ステップアップを望んで現状に我慢してるだけだろうし、僕と同様に「こんな条件でやってられるか!」と考えて、そこそこの事しか教えない…なんて事は容易に想像できる。まぁ、そういう所に来る生徒の大多数の向上心レベルも想像が付く。それに伴って講師のモチベーションだって駄々下がりになるのが人情というものである。
レッスンは決してサービス業ではなく、ドクターの様な仕事だ。生徒自身の向上心と情熱が無ければ成立しない。「身体が悪い。治したい。」と同じなのだ。医者だって、自ら治したいと思ってない人に手助けなど出来ないのだ。患者も助かりたいと思うなら、自分にとっての最良の医者を必死で探す筈だ。
しかし、それをただのサービス業として売っている学校が最近多いというのが僕の感想だ。それに比べりゃ、ちゃんと対価も支払ってくれて、しかも、僕の演奏活動を尊重し、自由にやらせてくれているヤマハを始め、僕が勤めるスクールは有難いと改めて思った。
僕のレッスンには、長年そういうスクールに通ったのに一向に効果が上がらず悩んでいたら、たまたま僕のサイトを見付けて…という生徒さんが多い。そういう受け皿的な役割を長年担ってると自負している。
安かろう悪かろうは世の常。無料、もしくは安価で仕入れた情報なんてたかが知れてる。僕はきちんとそれ相応の対価を頂けないなら全ての情報は開示しないし、逆に、頑張って通い続ける生徒さんには信頼や親の様な愛情も感じる訳で、対価以上の情報を提供する事も多い。それも人情なのだ。
まぁ、安くそこそこの情報が仕入れられて満足したいって人も多いだろうから、そういう学校はそのニーズには応えているワケで否定まではしないけど、そこでもしクソ情報しか手に入れられず、本来得たい情報が得られないままお金を払ってるとしたら、それこそ時間とお金の無駄遣いという事になるわけだ。「もっと早く先生に出逢えてたら良かったのに…」と僕に言ってくれる生徒さんも多い。そう言って貰えるのは本当に有難い事だし、真面目にやって来て良かったと思う。だから、そういう人に少しでも多く出逢える様に今も生徒募集を掛け続けている。
まぁ、こういうのが時代の流れ…って言うなら仕方ない。でも、本来の自分のやるべき事を頑張っても、安かろう悪かろうの方が良い…と世間全体が言うのなら、とても悲しく寂しい事だ。これは、演奏の方でも言える事だけど。。
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