午前7時に起床する
納豆を良く掻き醤油を垂らし辛子を加える
いただいた戸隠十割蕎麦を茹でて器に装い汁を張り大根おろしをたっぷり乗せて納豆を垂らす
納豆の天辺を少し窪ませて玉子の黄身を落とし長ねぎを添える
蕎麦つゆの出汁は鯖節と宗田鰹の削り節 味付けは醤油と味醂と黄ザラでやや甘めにした
四国出身と知ると「納豆は食べられますか?」と聞かれることがままある
食べられるけれど積極的に買って喰うことはないのでそう答えると
嫌いなのだと勘違いされることが多い
嫌いだとはひと言も言っていないのに・・・
私の前に納豆が突然現われたのは中学2年の秋の朝だった
それは祖父が亡くなり祖母を横浜から引き取ったからではあったけれど
ちょうどその頃西日本でも納豆が売られるようになったからというのが正しいかもしれない
それまでは納豆といえば「甘納豆」のことだった だから・・・
子供の頃は甘納豆のことを甘納豆とは呼ばずただ納豆と呼んでいたし
少年サンデーだったか少年マガジンだったかは忘れたが巻末にクイズが付いていて
小坊主いっぱい皆で綱引きな〜んだ?というのが解けずに答えを見たら
そこに「納豆」と書いてあったのでさらに解らなくなったのは忘れられない
下は大火事上は大水なぁ〜んだ?っていうのもあった 答えは火事
話を戻して・・・祖母が朝ご飯に納豆が欲しいと言うので母が買ってきたのが
赤い包装紙に「東京納豆」と印刷してあって経木に包まれたものだった
眉間に皺を立てながら母が掻くと鉢の中で納豆が白い糸を吐き始めた
喰ってみれば不味いということもなくてむしろ美味いものだったが
食わず嫌いの多い母はほんの少ししか食べなかったし
言い出しっぺの祖母もわずかしか食べなかったので父と兄と私で皆喰ったのは思い出しても笑える
考えてみれば高知で生まれて大阪で育った祖母もそれほど納豆が好きだったというわけではなかったようで
それは「私は東京のほうから来ましたよ」というご挨拶だったようにも思える
それで思い出したのはやはり祖母が「蕎麦を食べたい」と言い出して
蕎麦つゆは「私が作る」と胸を張り祖母が作ったのはどう見てもうどんのつゆだったのも面白かったし
しゃべるとチャキチャキの大阪弁だった祖母がご近所の人と話した後に
不思議そうに「大阪のご出身ですか?」と聞かれたと首を傾げていたのにも大笑いした
本人は東京言葉を使っているつもりだったのだ
祖母は99歳まで生きて最後は認知症になったけれど大阪なまりはそのままだった
身体に染み込んだものはどんなに長い時間を経てもけっして消えないものだ
だから田舎で生まれて田舎で育った私が人ごみを恐れて
都心に出向けないのをお許しいただきますように方々に申し上げます
子供の頃に観たディズニーの短編映画を思い出す朝だ チュ〜チュ〜
京都の姉の家で朝 納豆を丼に入れてネギを入れて混ぜているのが初めてでした
今は大好きになりましたが相変わらず夫は食べません
コメントありがとうございます
納豆が食べられるか?出来ないか?はまるで踏み絵のようですね
でも踏んだらネバネバになるし臭いし・・・
美味しいと思うし健康に良いと知っていても未だに積極的には食べない派です