火葬場というものは、あまり聞こえの良い場所ではありません。
やはり「死」という言葉が連想されるからです。
しかし、その場所で働く方がおられるので、世の中が廻るんですよね。
こういう書き方をするのには「意味」がありまして
お骨上げの時に身内が「暴言を吐いた」んですよ・・・情けないです。
当時の火葬場の状況について
コロナ禍の影響なのかは不明ですが、当時、火葬場が混雑していました。
葬儀会社の担当者様によると、最短で5日後になるとのこと???
そして、その時間が16時であり「お骨上げ」が翌日になるので
翌日の13時に予約を入れて戴きました。
知識的には、2~3日後には火葬されると思っていたので、少し変な感じがしました。
火葬場が順番待ちだということが原因なのですが、
私の住む区域では火葬場が休止されている場所があります。
理由は「炉の老朽化」これは調べれば出てくる内容なので「あぁ~納得」って感じです。
しかし、火葬場に着いて気づいたのですが、炉はフル稼働状態でした。
亡くなられる方がとても多いというのが本当の原因です。
葬儀会場から火葬場に向かう
「会場でのお別れ」
父の棺は男性が手伝い、霊柩車に載せます。
これには私の息子も手伝ってくれて、嬉しかったです。
ただ、怖いこと思い出さないかなと複雑な気持ち
火葬場にはマイクロバスで向かうのですが、最初、私が霊柩車に乗る予定が変わり
母が乗車しました。
マイクロバスには私たち兄弟と叔父さんが乗車しました。
叔父さんからは私の妻が乗らないの?と聞かれたのですが、
コロナ禍で入場制限があるのでとやんわりと断りました。
本当の理由は「精進落とし(式場任せでは申し訳ない)」の段取りをして欲しいとお願いしていたからです。
火葬場は車で10分位の距離です、私は事前に来ているので場所はしています。
これは、お骨上げの時はマイカーで来る契約を取ったためです。
火葬場は「えぇ~」という場所にあるのですが、後からマンションとかが建ったのでしょう。
そう思わないとビックリする場所にあります。
車が到着後に棺は直ぐに下され、炉の前まで台車で移動します。
聞いていたので問題は無かったのですが、火葬場では「父の顔」を見れませんでした。
私の記憶では、火葬場(市町村が違います)で一度焼香をあげていたと思うのですが、
現在は違うようです。
そして、炉の前で最後のお別れをします。
といっても形式的に行われるので、炉内に棺が納まるのを見守るだけです。
ここで、
何気に母が私の手を握ってきました。母と手を繋いだのは何十年ぶりだろう・・・・
母も「死」を感じた瞬間で、思い巡るものがあったと想像します。
私は、気が張っていたのか涙は出ませんでした。
父が亡くなって泣いたのは、その日の晩だけです。
知らない人が聞くと薄情と思うかな?でも、私はそうでした・・・
最後!
最後に「火葬のスイッチ」を私たち家族が押すつもりでした。
が、ここでは職員が押す?
場所によって違うんですよね・・・少し拍子抜けしました。
でも、あの「ごぉ~」という音は恐怖でしかありません。
聞いた話では、あれは「ダミー音」らしく、実際は親族の方が離れてから
スイッチが入るそうです。
私はここで、炉の方を振り返った記憶はありません。
おそらく、親族全員がマイクロバスに向かっていたと思います。
私は、職員の方に「父を宜しくお願い致します」と一礼しました。
ハッと思ったのだと思います。
その時に3箇所ある「炉」がすべて使用されていることに気づきました。
本当に大変なお仕事だと思います。
マイクロバスに乗車して、式場に戻りました。
妻に伝えていなかったので、座る場所で一悶着あります。
これは、書かないですが「準備」したつもりアルアルと思ってください。
精進落とし
私と母が「挨拶」することになっていて
私は「浄土真宗の教え、死すと直ぐに極楽浄土へ」という話をしました。
これには、父は天国(極楽浄土)に行きましたので、安心してね!
という意味のほかに
死後に色々感謝を述べても届かないんだよ!という兄弟たちへの「嫌味」でもあります。
実際、私が棺に入れようとした「紫の花」を「い〇うと」が顔に刺さると文句を言った!?
そんなん解ってるわ、このアホがと心の中で叫んだのは妻しか知らない。
そんな兄弟と今後も付き合わないと思うと頭が痛いです。
また、横道に逸れましたが、私は「精進落とし」は必要なのかと思いました。
高いお金を払って食事して、だべって終わり・・・・
でも、こうやって親戚の方と話が出来るのが、このような機会でしかないのか
と思うと必要なのでしょう。
お骨上げ
今回のメイン
火葬場には「母と兄弟と叔父さん夫婦と従妹の姉さん」が向かいます。
ここの記憶が曖昧なのですが
最初に「炉」の前で「合掌」がありました。
疲労激しい母が代表だった事に対して、兄が「辛い時にさせるな!」と暴言を吐いた・・・・
確かにそうかも知れない、ただ、口に出して「いうものではない」これが私の意見です。
そして、台は「お骨上げ」の場所に移送されます。
かなりの高温で焼くので「素手では触れない」と感じました。実際、そうだと思う。
職員の方から、骨の説明と喉仏の話があり、続けて、脚の方から骨壺に納めます。
脚の方から収納して「座った状態」になって骨壺に納まるのは、どこでも同じなのかな?
私の住む地域では、骨壺が大きく、おおよその骨を収納出来ます。
しかし、全てとはいかず、少なからず「火葬場の収骨堂」に入ることになります。
最終的には「お墓に入る」ので、あまり、深く考える必要はないと思いますが、
一人寂しくお墓に入るよりは、色々な方と接するのも良いのかなと思いますね。
ちなみに、父をお墓には入れません
私は「自宅の床の間」に安置しています。私が亡くなるまでは変えるつもりはないです。
これは私の考えなので、子供たちに強制するつもりはありません。
火葬場を後にする時に、再度、職員の方にお礼を申し上げました。
その時は母が横にいたと思います。
そして、自宅に帰るのですが、自宅がトンデモないことになっていた。
叔父さん夫婦には自宅前で降りてもらうので、駐車場を空けておくようにと伝えていたのですが・・・
私は叔父さん夫婦を下した後、車を別の場所に移動させる羽目になりました。
当然、仕切る人が居ないので待ちぼうけ状態・・・・
これぐらいは、想像できると思うのですが、出来なかったようです。
「父が自宅に帰った」という事で、解散となるのですが、
私は叔父さん夫婦を家まで送る仕事が残っています。
このつながりを考えて、自宅前に車を置きたかったのですが、解らない人には解らないのでしょう・・・
私はこの日に「祖父母に父がそちらに行きました」と報告しています。
死装束を祖父母と同じにしたのは、この流れを考えていたからです。
全てを考えてしたわけではないですが、結果そうなっただけです。
私は現在、寝る前に「父が娘と遊んでいた事」を思い出します。
そこには私はおらず、妻が撮影したビデオの回想シーンなのですが、頭から離れません。
これが出なくなるのも寂しいですが、皆さんもこんなもんなのでしょうか?
先日、相続の事で司法書士の方とお話が出来ました。
母は別として、兄弟も出席したのですが「何も発せず・質問もせず」でした。
事前に「司法書士の先生」が来ると伝えていたのに、これだよ!!
だから、いちいち呼ぶのがアホらしくなる
そして、次に親戚一同集まろうというと、この日は用事がある・・・・と抜かす!
一月後の事やで変更出来るやろ!と怒りが湧く
相変わらずバカですな!
私たちにも用事があることを理解できないようです。
改めて、父の葬儀を助けて戴いた方々、そして、父の医療・介護・看護を手助け戴いた方に
「ありがとうございました」とここで伝えさせて戴きます。
次回は、深く考えていないですが「諸手続き」の事に触れてみようと思っています。
事前に準備は出来ませんが、知っていて損することでもないと思いますので。
最後までご拝読ありがとうございました。
初回からのリンクが下欄にありますので、興味があれば読んで戴ければ嬉しいです。
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