風の吹くままに

昨年2月半に家内が胃癌で他界し間もなく一年が過ぎようとしています。
記憶の中にある思い出を書きしるしていきます。

記憶の中に(突然に)

2009-04-09 17:42:21 | 胃癌
その日は突然に遣って来た。

10日の朝、7時30分を廻った頃私の携帯が鳴った。
家に居る娘からだった。

ばあちゃんが、朝ご飯の時に誤飲をしたので
念の為救急車で病院へ連れて行くと連絡が有ったので私もそっちへ行くから。
と言って来た。

丁度午前8時をまわると救急の担当が
他の病院から家内の入院している病院に変わる時間だったらしく
院内の移動だけで様子を見に行く事が出来て良かったと思った。
家内は如何したのかと聞くので内容を聞かせてあげた。
そして、病室で救急車の音が聞こえて来るまで
待っていて、見に行って来るからと言い救急処置室へ向かった。

施設から付き添って来た顔見知りの看護師さんが私に状態を説明してくれた。
処置室にはストレッチャーで運ばれて来た
私の母がモゴモゴと少し微笑んで居る様な顔で私に話掛けて来た。
唯、難聴で認知症なので何を言っているのか
解らなかったが、手を握ってウンウンと返事をしてあげた。

そこへ医師が来てレントゲンを撮りますので
と移動しはじめ様とした時、突然呼吸が停止した。
急いで救急処置が始まったが回復せず
AEDなども使ったが、あっ気無く息を引き取った。
救急車で到着して1時間程の命だった。

まるで死期の迫った家内を先に逝かせる訳にはいかない
順番に自分が先に逝って待っていてあげる
とでも言う様な突然の最後だった。
近くに居た家内の担当医も一緒に処置を手伝ってくれたが唖然とした様子だった。
着替えをしてもらってる時に病室へ戻り母が亡くなった事を伝えると
私も連れて行って欲しいと言うのでナースセンターへ事情を説明すると
寝られる車いすを用意してくれてそれに乗せて母が居る救急へ向かった。
顔を見るなり、ゴメンネ、ゴメンネ最後の面度を見てあげられなくて、
と手を出して既に冷たく成った母の手を握って泣き続けた。

家内の母に連絡をして付き添ってもらい、私は葬儀の準備の為に家へ向かった。

長く施設に居たので、少しでも長く家に居させてあげようと
お通夜は、12日夜、葬儀は13日に決めその合間を縫って病院へ通った。

葬儀の日には病室で時間に合せて手を合わせて居たという。
葬儀の後片付けが終わり病室へ行くと元気が無く
心配しながら子供達と一緒に帰宅した。
その夜から雪が降り出して吹雪に成った12時少し前
何と無く嫌な予感がして起きだしたら
病院から、危篤だから直ぐに来るように
家内の母から電話が掛かり、子供たちを慌てて起こして
吹雪の中を病院へ向かった。
間も無く義妹夫婦も駆けつけた。

病室では、酸素吸入をされ、既に意識は無く
心臓の波動も弱く、色々声を掛けてみたりしたが
やせ細り、痛々しい腕に点滴をされながら14日午前2時20分息を引き取った。
まるで母の葬儀が終わるのを待って居たかの様な最後だった。
娘も息子も、おあかさん!と取りすがって泣いた。

遺体搬送をお願いする為に病院から葬儀社へ電話をすると、
昨日葬儀が終わったばかりだったので
何で夜中に電話して来たのか理解されず、
家内が亡くなったのでと説明をすると
電話の向こうで、葬儀社の方が絶句するのがわかった。