空港の両替でとりあえず2万円を台ドルに交換した。円安で5千元ほどにしかならない。
すぐにコンビニでバスと地下鉄用のカードにそれぞれ千元をチャージした。東港波止場で昼飯で2百元。
船賃も2百元。残金は2千6百。宿代は5百元(2千円)ぐらいだろうから2泊して月曜日に本土でまとまった金額を両替する心つもりをしていた。それまではクレジットカードでしのぐ。計画は万全であった。事前に調べた情報では船が波止場に着き乗客がぞろぞろ降りる場所には民宿の客引きが旗を持って「いらっしゃい!歓迎光臨!」をわめき散らしているはずだった。しかし、しかし、実際は誰も「光臨!」という人間はいなかった。乗客は全員島民だったようで、駐車場に止めてあったバイクに乗って、バリバリという排気音と共にいずれかに消え去ってしまった。出口からは3方向に道があった。右へ行くとゴミを満載した小型船舶が荷役中だった。悪臭があたりを包んでいる。正面は傾斜5度はあろうかという急坂。自然、足は左へ向く。北緯22度の太陽が真上から私に照り付ける。滴る汗と共に格安LCCの狭い座席に体力を消耗しきった私に、とてつもない疲労感が沸き起こる。もう100米も歩みを続けることはできなかった。眩暈をこらえながらやっと民宿の看板を見つける。這うように私は民宿までたどり着いた。が、案の定、鍵がかかっていた。内部は静まり返り営業をしているようにはとても思えない。私は看板の下にへたりこみ、ただただ体力の回復を待っていた。
ああ、日が暮れていく。一日目からの野宿はちと、つらいんとちゃう?
ドンガー・ドンガラガッタ、ドンガー・ドンガラガッタ、国松様のお通りだい!と鼻歌を歌いながら歩いてきたおっさんが私の前で立ち止まり、やにわに携帯電話で喋りだした。
えーっ。俺を警察にでも通報してるんかいな!台湾ポリに「おい!そこのイーペインおっさん!補導するぞ!」と、どやされるのはかなわんなあ。と、どきどきしていたが来たのは民宿オーナーのおバーさんだった。石田国松が携帯で外出中のバー様を呼び戻してくれていたのだった。バー様はドアを開け、「とまる、の、か。」と私に話しかけた。「是、是!」
ホコリの溜まったカウンターの上に料金表があった。一番安いのでも一泊4千元。ムッチャ高い。当然値切る。バー様からなんとか半額の2千元を引き出した。カードOK?と聞くとカード?そんなん見たことない。現金。と優しくほほ笑む。
私は、またあの手を使う。諭吉君や漱石を見せ、金はある。台湾札を2枚だけ見せ、今天不開店銀行と紙に書くと、このおっさん、アホちゃうか?とあきれ顔で1,700元にしたるから現金で払いなさい。と言われてしまった。
部屋に案内されると少し殺風景ながらも本当に清潔でTVも最新のものだった。
部屋の電話が鳴った。バー様が夕飯食うんやろう。案内するからパンツはきなさい。と言う。
このあたりの唯一の飯屋みたいだ。
どんなん食べたろか?こんなんがええんちゃうか?
シャおちぇ、カードOK?
它是沒有使用信用卡!
為什麼?
這是我們的規則。否則為、你必須要出去。
えらい強気やなあ。なんでやねん!
そこに私たちのやり取りを聞いていた家族連れが英語で助け舟を出してくれた。
確かじゃあないが、セブン・イレブンでカードキャッシングができるかもしれない。私のバイクで7-11まで乗せてってあげましょうか?
ほんまかいな!すんまへん。よろしゅう頼んます。
彼のバイクのケツにしがみつきながら7-11にとうちゃこして、ATMをトライしたが、不可能。やっぱ、今夜は飯抜きじゃ。と覚悟を決めたとき。
じゃあ、私が両替をしてあげましょう。レートは?と、スマホでチェック。ぱぱぱっとタッチしピピピッと円貨を計算してくれる。スマホは3,368.198元を表示。彼は3,400元を私に渡す。おい、それはできないだろう。と2百元をYOUR COMMISSION!と私は彼に押し戻す。てなわけで、結局3,300元を彼に渡した。スマホのレートは銀行間レートで所謂交換レートではない。彼はそれも承知だ。なんと親切な御仁であることよ。
また、彼のケツにのって食堂に戻り、小姐に、金あるでえ。飯や!飯や!と大声で注文した。我ながら下品でマナーの悪さに自己嫌悪なのだが、彼は「情けは人のためならず」とばかりほほ笑んでいる。
魚を頼んだ。
半分食べたら、青い骨が出てきた。
南の国にはいろいろな魚がいるのだ。と思った。
親切なお父さんは、ここの中学校の化学教師だった。
洪先生。謝謝です!
それと石田国松さんと民宿のおばちゃん。ありがとうございました。命拾いしました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます