ある”鉄”好き人間の興味津々

鉄道好きの作者が鉄道以外の趣味についていろいろと勝手に語るブログです。

’17夏-北海道旅行記(7)小樽の思い出

2017年08月27日 | 旅行記
今から34年前、初めての北海道は、スキーでした。

1983年、JALのスキーツアーで、ニセコにやってきました。 

3月の後半でしたが、ものすごい雪でした。

別に、スキーをしに来たという話ではなく、このスキーで知り合った人との楽しくもあり、悲しくもある思い出話です。

最初のきっかけは、ホテルの洗面所で声をかけたところから始まりました。

「関西人でしょ、大阪とちゃう?」と言ってきて、「なんでわかったん?」と尋ねると、

「なんとなくわかるよ」といいあったところからところから始まりました。

相手の2人組も同じ大阪で、同じツアーで来ていました。 ただ、こちらと違うコース(2日多い?)でした。

こちらも2人、相手側も2人、すぐに意気投合したので、それからはずっと4人で遊んでました。

ただ、向こうはスキーの上級者だったので、スキーのときだけは「俺らは初心者コースで滑るから」と別行動にしてました。 

事実、我々2人は初心者同然だったので、変な姿は見せられないというのはありました。

そんな楽しい時間もあっという間に終わり、お別れのときが。

我々2人は、ツアーの最終日を札幌にしていたので、札幌に移動しないといけませんでした。

移動する手段はなぜか鉄道を選んでいて(確か自由にできるのは鉄道だけだったと思う)、

バスで「倶知安」まで移動し、そこから鉄道で「札幌」まで移動することになっていました。

2人はバス停まで見送りにきてくれて、最後に「また、逢おうね」と言われたことが、

今も心に残っております。 もちろん、あの時の顔とか、バスが見えなくなるぐらいまで、手を振ってくれたりとか・・・


これは現在の「倶知安駅」ですが、昔とあんまり変わっていないようです。

ただあの時は、ものすごい雪と別れた悲しさだけが、この駅の思い出になっています。

「倶知安駅」は北海道で初めて利用した駅で、34年ぶりにやってきました。 

佇んだだけで、昔のことが蘇ってきます。 34年経ちましたが、やっぱりこの駅は悲しいです。




このホームのこの部分だけ、昔のまま残っていました。

乗り換えるため、小樽駅でしばらく過ごす時間がありました。

大雪の小樽駅、到着した汽車の煙・・・この看板を見た瞬間に思い出しました。 悲しい思い出も。

その時は、私があまりにも辛そうにするので、先輩(いっしょにスキーに行った人です)が、

「ニセコに戻って、もう一度、**ちゃんたちに会いに行こうや。 宿や飛行機なんてなんとでもなるやろ」

と言ってくれました。 逢いたいのはやまやまなんですが、「いえ、大丈夫です」なんていってしまいました。

なんであんなこと言ったんでしょうか。 会いたいくせに。

結局、札幌では宿にはほとんど泊らず、夜通し飲んでました。

また、大阪に帰ってきてからも、2度と会うことはありませんでした。


「小樽」には4度目になるのかな。 来るたびに思い出してましたが、

この「小樽」という古びた駅名標は34年ぶりに見ました。

懐かしいというよりも、あの日流した涙しか出てきませんでした。

あの日に戻れるのなら、先輩の言葉に「戻りましょう」と答えたでしょう。




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