Noriko

しあわせさがし、穏やかで心豊かなライフスタイルを求めて・・・ささやかなブログです。

目黒自然教育園

2012-10-12 13:51:06 | エッセイ

 

目黒に、自然教育園と言う、散歩に最適な所があります。

都会の真ん中にも関わらず、全く人工的な事を加えず、木々や林、草木や花、湖に泳ぐ鯉やアメンボ・・・

季節を満喫できる最高の森林浴の場所です。

東京にも、探せば本当にいろんな所に、自然と触れあえる所があります。

 

 

 


Whitney Houston----"Greatest Love of All" plus 1song "When You Believe" with Mariah Carey

2012-09-03 22:29:18 | music

Now that it is Septemver, I would like to share 2 my favorite songs by Whitney Houston.

いよいよ秋になりました。 そんな秋にふさわしいカードと、私のお気に入りのWhitney Houstonの曲を2つ紹介します。 

下のカード、ダブルクリックすると、拡大されます。 くにみ じゅんこさんの作品。 イメージキャラクターは、エンジェル。3枚目のカードがそのエンジェルです。 "Art Card Sqare" 作品集から。

The handmade cards below are made by one of my best friends, Mz. Junko Kunimi. They are from her booklet titled "Art Card Sqare"  It has many cards on 4 seasons, Birthday, Christmas, Valentine cards, New Year celebrations etc. You could get in contact with her through her website: http://dreampages.jp/

Her cards's image character is an angel that is shown in the third card.

 

 

 秋  Fall                                              お月見                              作品集の表紙

上のカードは、お友達の、くにみ じゅんこ さんの手作り切絵カード集から、秋の章の3枚です。 彼女の手は魔法の手。 春夏秋冬、お誕生日、クリスマス、寿、お正月、バレンタインデーなど素晴らしいデザインと色合いのカード満載。ホームページは、http://dreampages.jp/  是非ご覧になって下さい。 注文販売もされているようですよ。(^^)

 

I would like to introduce 2 of my favorites by Whitney Houston. The second one is Whitney with Mariah Carey! (^^)
It was so upset and overwhelmed to hear the news that Whitney Houston passed away early this year.  Now I pary for her peace in Heaven, hoping for her satisfaction of her Greatest Love of All.

2つの曲を紹介します。2曲目はMariah Careyとの共演です。素晴らしい映像をお楽しみください。 今年初め、Whitney Houstonが亡くなったニュースを聞いた時、私はあまりにもビックリして、深い哀しみが深まり我を忘れるほど驚愕しました。名声を手に入れ素晴らしい超一流の歌手の訃報に世界が驚きました。 彼女は、孤独だったのかも知れません。真実は誰にも解りませんが、彼女が残してくれた沢山の名曲、彼女の声やほほ笑みは永遠に私たちの心に感動を与え続けてくれるでしょう。

 

① The first one is  Greatest Love of All.

 

② The secont one is When you believe.

 

This is CaGreatest Love of All If you click the line below, you can read the Japanese translation. It is very helpful when you try to know what the song really mean. (^^)

Whitney Houston is a heroine and a legend!! このビデオでは、whitney Houstonの幼い頃の姿を思わせる。可愛い女の子が出てきます。最後の部分で。 舞台の両側から、大人の彼女と女の子が出てきて、出会う場面は、とてもワクワクします。子供の頃の夢を果たした彼女だからこそ歌えた歌だと思います。 愛の力が彼女を育てたのでしょうね。

歌の歌詞にあるように、とても大きな愛が自分の中に芽生えて、息づいているのだから、誰かの陰でなく、その愛の力で自分自身の人生を勝ち取っていく勇気が出てきます。 まず、自分自身を愛する事が「最高の愛」…自分の信じる道を生きる、愛の力、愛の強さが、胸に響いて、子供のころから誇りを持って自分自身の道を切り開いてゆく、自由で大きな明るい気持ちになります。

是非下のをクリックして聞いて下さい。 下の日本語訳も併せてお楽しみ下さい。 両方とも、感動物です! 時間があれば、何度も両方を聞くと、必ず、心が開放され、生きる喜び、生かされている事にたいする感謝の気持ちが湧いてきます。 ゆっくり、ゆっくり、この「急げ急げ病」社会で、自分のペースで、「最高の愛」心に感じながら生きていきましょう!

http://www.youtube.com/watch?v=IYzlVDlE72w&feature=player_detailpage&list=AL94UKMTqg-9CQFF3Epre-tJwBZnsFLLEL

http://www.youtube.com/watch?v=INeKrU0pCFc This is with Japanese subtitle. これは、上の、Whitney Houstonの曲の翻訳です。可愛い猫や自然の風景が、心を癒してくれます。

 

 

This is When You Believe.  The below is with Japanese translation. This is very rera youtube that 2 legends for all sing in harmony. Bravo!

信じる時、奇跡が起こる、道は開ける、はかないン望みも諦めはしない・・・心に勇気と希望が湧いてくる歌を、Whitney Huoustonと、Mariah Careyという、2 Legents for allの歌手が、みごとなハーモニーで歌い上げています。 じっくり、聞いて下さい。

私たちは、生きていると、色々な困難、苦しみ、哀しみに出会います。でも、笑顔で、小さな望みでも諦めず信じ続けたら、きっと、きっとかなうものだと私は信じています。 涙が止まらない寂しい一人っきりの夜、燃え尽きそうな空前の灯の時、私はこの歌で勇気と希望をもらい、今まで生きてきました。そして、これからも、そうして生きていきたいと考えています。

http://www.youtube.com/watch?v=Wh3uuLHoXJA&list=AL94UKMTqg-9CQFF3Epre-tJwBZnsFLLEL&feature=player_detailpage

http://www.youtube.com/watch?v=harD6rbrOTg&feature=player_detailpage

This is me with my father.  He retired a doctor 4 years ago.  He is now 84 years old.  One of my great pleasure is to go see him and share the memory of our lives.  I owe him sooo much!! He have loved me so deeply and raised me, invested me.  My mother passed away 21 years ago at the time of only 58. I would like to live long and dedicate my life for my father because his life was full of a lot of difficulties and he raised up always.  He taught me Courage, Serenity and Wisdom. I respect him deeply. It has been my golden time to take care of him for now.

84歳の私の父は4年前、人間ドックの顧問を辞めました。 その後、痴呆が急激に進み、とうとう私の事も、一時期は解らなくなってしまいました。その時、私はその現実をにわかに受け入れられませんでした。しかし、何度もホームに入っている父に会いに行くようになって、「あー、のりこ~!」と言って笑ってくれました。21年前58歳で亡くなった、母の名前、弘子を、「うん、ひろこ~!」と思い出してくれました。 今の私にとって、父が生きていてくれる事だけで、大きな感謝です。何も親孝行出来なまま逝ってしまった母・・・・私は母の分まで細く長く生きて、父に、私の出来る限りの事を尽くし、悔いのないように親孝行する事が今の私の最大の喜びです。父の介護は、私のゴールデンタイムです。 生かされている命に感謝して、毎日を健康第一に、明るく笑顔で過ごしたいと思います。

 

 

 


Japanese movie tited "The lies in Japan" by Mr. Kikujirou Fukushima (90-year old photo jouranist)

2012-08-26 09:51:49 | エッセイ

The other day, I went watch the movie titled "The lies in Japan" by Kikujirou Fukushima.

I was so moved his strength and the passion to try to reveal the facts of the Japanese history especially about Hiroshima, Nagasaki and Fukushima.

His website is: httpp://wwwgenjin.jp

The most shocking fact was that American ABCC used the information of thousands of people who was damaged by the atomic bomb dropped on Hiroshima.

His commets on the movie and the millions of pictures he had taken reveal the illegal issues and facts refarding Hiroshima, Nagasaki, Fukushima and other many social revelations in the past happened/happening in Japan.

I also got the youtube that show what John Lennon told about the media.  https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=8t5awfxTbmM  I strongly would like you to watch this video.

 

先日、久しぶりに見ごたえのある映画を見ました。

「ニッポンの嘘」 報道写真家 福島菊次郎90歳のドキュメンタリー映画。 ヒロシマ、東大安田講堂、水俣、、ウーマンリブ、祝島、三里塚闘争、福島・・・映画のちらしには、「戦後66年、現場の最前線でシャッターを切り続けてきた伝説の報道写真家。 写真が語る、私たちが知ることのなかった真の日本の姿とは」とあります。 www.bitters.co.jp/nipponnnouso

25万枚以上の、圧倒的な真実から、私は、権力に隠された「嘘っぱちの嘘っぱちの」日本を知りました。 私にとって、ヒロシマは、母方の祖父母が被爆したことから、「世界の平和」の種を撒く事が「ライフワーク」なだけに、真実を知り、その残酷さに、胸に釘が刺さるほど、痛く動揺しました。 多くの被爆者が、苦しんでいるのに、原爆の実験材料とされた・・・・・あまりにも残酷だ。 絶句・・・・。

90歳の、福島菊次郎さんの、報道写真家魂と、生きる姿勢に、私の小さな胸は張り裂けんばかりに感動しました。

1921年、山口県生まれ。1961年、40歳にしてプロとして活動するため、妻と別れ、子供3人をつれ上京。 1970年、兵器産業取材の写真集を刊行後、暴漢に襲われ重賞を負う。そして、家を放火される。 1982年、還暦を過ぎてカメラマン生活と決別。 無人島での自給自足生活を始める。 1988年、胃がんを患い、その生活を断念。 2001年 80歳より「写らなかった戦後」シリーズの執筆を開始。 現在は、「写らなかった戦後 ヒロシマからフクシマへ」を執筆中。 2013年の完成を目指している。(映画のチラシより抜粋)

銀座シネパトス・・・銀座三越先、歌舞伎座手前 03-3561-4660  お時間ある方、是非ともご覧下さい。

 

「ルピナスさん」バーバラ・クーニー作・絵

 


サイモンとガーファンクル 「あすに架ける橋」 "Bridge over Troubled Water" by Simon and Garfaunkel

2012-08-21 17:29:47 | music

皆様、下の文を読む前に、是非とも、この曲を聞いてくださいね!(^^) 典子

http://www.youtube.com/watch?v=5h8o29jF7K4 これは、日本語訳

http://www.youtube.com/watch?v=k0WU1ePzhOI&feature=fvwrel これは英語

 

This song has been a memorial song for me because if we have the bridge sung in this song from the heart to heart for all the poeple in the world, the ompassionate human connction, human harmony will realize the World Peace.

There are so many endless troubles to be solved in the world now. If we concern the troubles seriously as our problems and try to find the ways to slove one another with sincere cooperation, slowly but surely, I beleive the world would be better place of the next generations to live.

私が、ペルーのマチョプチョ、インカ帝国の遺跡に行ったとき、「コンドルは飛んでいく」の風景を見ました。ケーナという、たけを横に組んだような笛で副楽器があります。 世界には、本当にいろんな音楽があり、楽器があるのだと痛感しました。

←これは、九州の佐賀に行った時の写真 It's me when I visited at Saga Pref. in Kyushu...the southern island.

 

上の写真は、今21歳の早稲田大学3年の次男が、生まれた、平成3年。左端が、母の妹で、京都住んでいる自宅です。

その右が、叔母の長男、私の愛する広島の祖母(この、おはあちゃんの、「背水の陣」でアメリカに留学しなさい!と言ってくれたおかげで行けました。両親は私の留学に反対だったので、私は、Rotary Internationalの大学院課程の奨学金に応募。4回の試験を通って、ラッキーにも留学の機会を得ました。その奨学金は、渡航費、生活費、行く大学院の学費、すべてを出して下さり、返済の義務はないという、とても寛大な奨学金でした。渡米前に、麹町ロータリークラブを訪れた私に言われた事は、「友好活動をしっかりして下さい。いろいろなロータリアンの家族に触れ、各ロータリークラブのランチョンミーティングや、地区大会などのコンベンションの参加を大切にして下さい」と言われました。今でも、よく覚えているのは、ロータリークラブのレター紙の一番下に書かれていた言葉です。それは、"The Investment for the Future" でした。「ああ、私には、将来、世の中の為になる必要がある。 ここで頂いた奨学金で、社会還元できるような人間にならなくては。」と強く思いました。 当時の、Rotary Internationalの会長は、IBMの重役だった、Mr. Tom Scogginsさんでした。ご夫妻とも、とてもおおらかで、私の事を本当に大切にしてくださいました。 3家族ほどの、ホストファミリーにもお世話になりました。 イースター、独立記念日、収穫祭やクリスマスなど。家庭に招いていただき、たくさんのロータリアンとの絆ができました。

私が留学した、ジョージタウン大学は、首都にあったので、多くの議員や、ジャーナリスト、世界各国からの企業の重役などがロータリアンでした。頂いいた名刺を後から、よく見たら、とても地位の高い方だったことが解りましたが、皆さん、にこやかで親切でフレンドリーでした。まさに、私は、この歌のように、各国のを結ぶ橋にならねばと痛感した曲です。

普通の個人留学でなく、Rotary Fellowとして、留学できたことは、私の人生にとってとても有息でした。 緒方貞子さんも、Rotary Fellowとして、ジョージタウン大学に留学なさいました。 旧姓が、中村だったので、貞子 中村は、元気ですかなどと聞かれました。 ちょうど、Japan Timesの創始者の東ヶ崎さんの息子さん?の茂さんと民代さんご夫妻とも、これがきっかけでお知り合いになり、1981年に帰国してから、渋谷・松濤のお宅に、緒方さんや、当時TBSの、「報道特集」のアンカーマンの北代ご夫妻、朝日新聞論説委員の本間長世様ご夫妻もいらっしゃいました。 その時の写真が出てきたら、またアップさせて頂きます。

 

私の横が当時7歳か8歳の長男、淳、その右が、現在84歳で、私が介護している内科医だった父、その右が、毎日新聞勤務で難病になりなくなった叔母の旦那様。 1991年の写真です。 あれから、約20年・・・・懐かしい写真です。

This picture was taken in summer 1991, with 4 generations of my family. My mother got to be a vegitable human being by the medical accident in April and passed away on Aug. 14 this summer.

Ryo, My second son, the baby on my lap was born on April 29.  So, he desn't have any memory of my mother, but my first son, Jun, on my right, then was 7 years old that he remember my mother. My father on Jun's right was 62 has just lost my mother that he was in deep sorrow then. Please scroll the picture to the right, then you could see my father in smile. He was a respectful doctor and worked until age 80.  After her retired, his brain of memory was damaged very quickly but now he can recognize me when I visit him.  He calls me "Noriko!  Noriko!" and hold my hands tight and look at me with smile.

The lady on the lefe is my mother's younger sister.  She was like my elder sister and I have like her very much and when I used to live in Kobe, I visited her place in Kyoto like in this picture, her first son, and my respectful Grandmother from Hiroshima who planted the seed of World Peace in my mind & heart by telling many stories during "the world war second" me in the middle with yellow shirt with Ryo holding on my laps. I was 35 then. My first son on my right was born in Dec. 23 in 1983. My father on the right, then the husband of my mother's younger sister is the very right.  He was a jounalist. He got a rear disease and passed away about 7 years later. He was born and raised in Kyoto and worked for Mainichi Neswpaper Company but moved to many branches all over Japan. He was very kind to check my compositions. He was a good listner.

 

今も、「明日に架ける橋」は、多くの人々の心の架け橋になっていると思います。 そして、世界が平和になる日に望みをかけて祈り、皆さんと共に歩んで参りたいと思います。 Look how I was in 1991, holding my second son"RYO".  My first son, JUN is now 29 years old, living at  Shibuya. Ryo is a senior in Waseda University living by himself near his univ.  I live by myself at Shirogane-Takanawa, trying to keep in good health, positive with a smile on my face.

My mother's sister, My Grandmother, Noriko, Jun(1990)

 


"I Just Called to Say I Love You" by Steive Wonder

2012-08-21 16:34:01 | music

下の文を読む前に、是非とも、先にこの曲を聴いてください。 とても、優しい穏やかな気分になります!(^^)典子

http://www.youtube.com/watch?v=vwjHjLl1g2Y&feature=related 

Steive Wonder は、私が10代の時から、ずっと新しい曲をりりーすして、その、創作力とエネルギーには、驚かされます。 目が見えないと言う障害をなんら感じさせない、彼の生き方は、私を何時も勇気づけ、畏敬の念を感じます。

 

http://www.youtube.com/watch?v=ezD9fndbeyw&feature=related 

これが、歌詞です。いつも、なんとなく、流し聞いていた曲の意味が良く解ります。

 

一言、I love youと言うために電話をかけた・・・それは、「あなたの事を大切に思っています。」とう言う、純粋な優しい想いだと感じます。

どんなことでも、口に出して言わなくては、相手には、伝わらない。「以心伝心」という言葉がありますが、アメリカのように、人寿の坩堝の社会では、思っている言葉、「有難う」とか「ごめんなさい」とか、ちょっとした一言の大切さを実感しました。日本でも、現代の社会では、そうだと思います。

ここでいう、I love youというのは、決して、男女の恋愛の言葉だけの狭い意味だけでなく、親子愛、兄弟愛、師弟愛、友情、「人間愛」です。

5人の賢者の言葉を借りて最後とします。 コミュニケーションの大切さ、希望や、ユーモアの大切さを痛感します。

"Life is not so short but that there is always time for ourtesy." by Ralph Waldo Emerson

"Nothing is significant of someone's character than what they find laughable." by Goethe

"Everything that is done in the world is done by hope."by Martin Luther

"Whoever is happy will make otrhers happy too. He who has courage and faith will never perish in misery"

by Anne Frank

"Nothing in life is to be feared.  It is only to be understood." by Madame Marie Curie

 

下の写真は、アメリカのジョージタウン大学の大学院時代、夏休みに、ヨーロッパの友達宅を、1ヶ月で、7カ国ほど、泊まりながらの貧乏旅行(笑)した時の写真の一つ。 フランスの、ストラスブルグのシルビア宅を、訪れました。

彼女は、英文学研究で大学院にいました。 お自宅は、大豪邸で、お父様は獣医さん。自宅に、パドックがあり、ウマや色んな動物を飼っていました。

お母様は、毎日、乗馬をしていました。若々しい優しい方で、タルト作りの名人!