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「アナと雪の女王」日本語吹き替え版がよかったぁ!

2014-05-05 23:20:01 | 映画

多忙を極めているとまとん一家ですが、この連休中にせめて映画の一本は見たかったのです・・・

それで、かねてより評判の「アナと雪の女王」を見てきました。

たまたま、行った映画館が「アナ雪」の日本語吹き替え版しか公開していないところだったので、

珍しく吹き替え版を(普通ならオリジナル言語版で字幕付きを選びますが)見ました。

そして、それが、と~~~~っても良かったです。

日本語の吹き替え版がいい!と思ったのは、とまとんのこの無駄に長い人生の中で、この映画が初めてです。

その良さの理由はただ一つ。神田沙也加と松たか子の歌唱力。

良かった、この二人の人材が日本にいてくれて。

 

ここまで吹き替え版の質が高いんだったら、今まではやったことなかったけれど、

オリジナル版と日本語吹き替え版を両方とも教材にして見比べるということも出来そうな気がします。

留学生から時々ちょろっと聞かれるのは、「ハリポタ」は日本語にどんな風に訳されているのか?という質問。

自分の国の作品が日本に入ったらどうなるの?というのは興味のあるところなんでしょうね。

今まで、学習者から自然にあふれてくる興味を、悪い教師である私は無視してきたけれど、

「アナ雪」をきっかけに、今後、考えを改めなければ。

 

何はともあれ、「アナ雪」は日本語吹き替えバージョンもクオリティーが高いので、欲求不満になることなく楽しめますよ。

まだの方はぜひ、ごらんになってください。

 

 

 

<!-- アナと雪の女王 -->



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動く絵巻物・映画「かぐや姫の物語」

2013-11-24 15:23:07 | 映画

かぐや姫の物語 予告

 

こんにちは!

お久しぶりです。とまとんです。

最近ブログの更新が止まっているので、どうしたの?と聞かれちゃったりしましたが、

理由は単純。

ただ、めちゃめちゃに忙しいだけ。

どんなにがんばっても、すべき仕事量をこなすのもギリギリで、

何で仕事が終わらないのだろう?と、ぢっと手を見る毎日です。

パソコン仕事をしているうちに寝てしまって、

っっっっっっっっっっっっっっっとキーを押し続けてしまい、

そのまま236ページっっっっっっっっっっっっっが続いたとか・・・

そんなことはしょっちゅうですが、何とか風邪もひかずに過ごさせていただいております。

どこまでもタフなとまとんのようでございます。

 

さて、久々のブログ更新ネタですが、

こんな忙しい日々だというのに、とまとんは映画を見てきてしまいました。

「かぐや姫の物語」です。

昨日、23日の封切りの日に見てきました。

そして、超絶感動しました。

このブログを読んでいただいている皆様にもぜひご覧いただきたいと思います。

実際に見ていただくことを強く、強くお勧めします。

内容、ストーリーについては、とまとんは誰にもお教えしません。

ただ、一言、とまとんの感想はといえば、

 

「本当に動く絵巻物を見た!」

 

です。本当にそう思いました。

そして、その動く絵巻物には、下手な○HK大河ドラマで見るよりも

平安時代のリアリティーがありました。

前にとまとんは高畑勲さんがお書きになった

『十二世紀のアニメーション』という本を読んで感動し、

読解試験の問題文としても使ったことがあるのですが、

『十二世紀のアニメーション』で述べられていたことが作品の形に結実したのが

今回の「かぐや姫の物語」なんだな~と、なんか納得しましたね。

 

勉強にもなるし、

アニメーションもきれい。

ストーリーは、最後は泣けて泣けて・・・

音楽も耳に残ります。

日本語も、そう難しくはないので、

とまとんは今年以降、自分の教えるクラスには絶対にこの映画を授業の中で

見せるつもりです。

日本の歴史、文化、心をこういう形で伝えていきたいですね。

私がやりたいことも、この映画に込められているような感じさえしました。

 

皆さんもどうぞ、ご覧ください。

おすすめの映画です。

 

 

 

 

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管理能力

2013-09-29 20:12:03 | 日本語教育

うちの留学生を見ていて思うことの一つなのですが、

語学がよく出来る学生って、

管理能力がある・・・・と言ってよいのではないでしょうか?

そんなことないですか?

それとも、これ、語学に限らず、お勉強全般っていうことかしら?

 

どこの学校でもそうだと思うのですが、

日本語の授業って「配り物」がつい多くなりがちということはありませんか?

プリント類。

これも日本語の授業とは限らないかな?

まぁ、日本語の授業に関して言うと、

どうしても市販の教材だけでは足りなくて、

なんだかんだ、

語彙リストだの、宿題プリントだの、

補足説明だの、関連資料だの、

週間予定だの、テストだの・・・・と、

何かもう、紙爆弾攻撃なんですよね。

教師の方は親切のつもり?かもしれませんが、

これ、学生の立場からすれば迷惑千万ですよね。

私、本当はこれ、あんまりよくない状況だと思っています。

本当は紙爆弾なんかお見舞いしなくてもいいような教材が売られるべきですよ。

でも、現実はそうじゃない・・・

何か、市販の教材には現実のA学校には合わないこと、B学校には足りないこと、などがある。

それで勢い、紙爆弾攻撃となるわけです。

 

で、その紙爆弾をお見舞いされる方なのですが、

見てると、紙に埋もれてあっぷあっぷしているというか、

もう、何がなんだかぐちゃぐちゃ~~~という学生もいれば、

きちんとファイルして、

「あれが必要だ」というときにすぐに探し出せるようにしている学生・・・と、

差がありますね。

 

たいてい、ぐちゃぐちゃ~~~となる人は、そんなに成績が芳しくない。

 

とまとん、この状況を見るに忍びなく、

この3年ぐらいはこちらから「ファイル」を配布するようにしています。

「これに綴じておいてね」ということで。

今年はB5版の二つ穴ファイル(ぱっちんととまるDリングファイル)を購入させ、

配付資料には二つ穴を空け、

あとは自分でインデックスをつけるなり何なりしてね(もう大学生なんだから!)、ということにして

プリント類を配っているんです。

 

が、

 

ま~~~、そこまでお膳立てしても、学生個々人の処理の仕方は違うんですわ、これが。

付箋をインデックス替わりにして、ぱっとページが開くようにしている学生もいるけれど・・・

 

手にしたプリントをそのまま自分のバックパックにばっさばっさと入れちゃう人もいる・・・・

 

あの時配ったあのプリントは、どこ行っちゃったのよ?

このかばんに入っていることは確かなんだけどな~~~てなもんです。

 

でね、

その整理整頓能力というんですか?管理能力?

それって、けっこう成績に反映しているように思えるんですけれど、

気のせいでしょうか?

 

何しろ、そのぐちゃぐちゃ派の人は、頭の中もぐちゃっとしているのか、

記憶が混乱していることがあるように思えるんですよ。

決して記憶力が悪いとかじゃないと思うのに、

記憶が混乱しているので、間違えちゃうわけ。

 

人間って、案外、「頭ですること」と「手や体を使って行動すること」がバラバラではないから、

手を使ってマメに整理整頓ができるようになると、

お勉強の成績アップにもつながるのではないかしら?

日本語の学習も、やたら覚えることが多いので、頭の中をキチンと整理しておかないと。

 

かく言うとまとんも、

パソコンの中のデータとか、

自分の部屋の状況を振り返ると

決して人様のことは言えないのですが、

自戒も込めて、

そう思いますです、はい。

 

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中学生英語と『みんなの日本語』

2013-09-22 06:27:53 | 外国語教育一般

『みんなの日本語』なんて特定の教科書の名前を書いちゃいましたけれど、

これは『みんなの日本語』に限らず、初級日本語全般を表しているものだとお考えください。

ただ、たまたま、ある学生のケースは実際に『みんなの日本語』の話でした。

それに、語呂もよかったので、タイトルに使いました。

 

とまとんの学校は今、新しい留学生を迎え、年間プログラムがスタートしたばかり。

先週、プレースメントテストやインタビューを終え、クラス分けを発表し、

オリエンテーションをして、最初の授業を受けてみた・・・というところです。

毎度のことながら、クラスを変わりたいと訴える学生も出てきますし、

教師の方は教師の方で、自分の思惑と現実がえろう違って、

汗水たらしながら授業の進め方の修正に追われていたり・・・・

で、とにかくとんでもなくあたふたしているところです。

申告してきた学習歴よりも実際はすごく「できない」のも困りますし、

学習歴から予想した通りに「できない」けど、そのできなさ加減が

まさかこれほどまでとは、というのも困ります。

ところが、それとは全く逆の、

「え?何これ、あんた、こんなにちょっとしかやってきてないのに、

こんなによくできるの????」

というのもビックリ仰天です。

このビックリ仰天ケースが近年、ままあるんです。

嬉しい方の悲鳴なのですが、これにも結構慌てさせられます。

 

具体的に言うと、このびっくり仰天ケース、

要するに初級だけ勉強しただけなのに、中級を飛ばしてしまえるぐらいの実力を持ってしまう

優秀な学習者がいるっていうことなんですね。

とまとんの学校みたいに小さい規模の留学生プログラムでも、毎年必ずいます。

今年に至っては、32人来日した中の5人はそのケースにあたります。

で、これも全くたまたまのことなのですが、その5人が初級の教科書としてあてがわれていたのが

そろいもそろって『みんなの日本語初級』だったんですね。

5人の国は英1、仏1、独3で、全員ヨーロッパ。

ヨーロッパでは『みん日』の占有率が高いのか?

 

イギリスの学生は『みん日』を去年の秋から始めて、今年の5月ごろまででL.48まで終わりました。

本当にそれだけです。

フランスの学生は二年前に『みん日』を学び、あとは大学の授業もあったけど独習が主。

自分で相手をしてくれる日本人を探したりして、苦労したらしいです。

中原中也が好きなんですって(これもすごい)。

ドイツの学生3人は、ビジネスコースの人たちで、『みん日』をL.33まで勉強し、

この夏は日系企業で研修を受けてきたそうです。L.33までしかやっていないのに、

信じられないほどの運用力。たしかに受身形とか使役形は、それそのものを知らないようですが、

それでもコミュニケーションに問題なし。それに漢字が好きなので、N3レベルの読解問題を見せても

何となく全体の雰囲気が読み取れるらしい・・・。非漢字文化圏の学習者にしては「類推力」まで身についているわけです。

 

なんか、こういう人たちを見ていると、

『みんなの日本語初級』さえキチンと勉強しておけば、中級前半は飛ばせるんじゃないか?

という結論になりそう・・・なぐらいです。

いえ、『みんなの日本語初級』だけが素晴らしいというわけではありません。

もう一人、今年の留学生の中に、カナダ人で『げんき』で勉強してきた人ですが、

その学生も中級前半飛ばしが出来そうでした。その彼の場合は漢字が弱いので

あえて中級前半のクラスに入れましたが、その学生もコミュニケーション力はすごいですねぇ・・・

彼も夏休み中、自分でずっと勉強してたって言ってましたっけ。

 

何しろ、初級の項目がきちんと混乱なく頭の中に入っていて、

実際に日本人としゃべるなり、アニメを見るなり何なりの経験を積めば

それでもう、中級前半は飛ばせるぐらいの実力がつくのだ・・・ということを

これらの学習者は証明してくれているようです。

今年はアメリカ人でそういう学習者はいませんでしたが、

去年一昨年を振り返ると、アメリカ人でも同じケースがありましたし、

東アジアの学習者なら、もっと中級前半を飛ばせる学習者の割合は増えますよね、当然。

 

しかし、これは何なんでしょうか?

『みん日』や『げんき』が偉いのでしょうか?

 

ここで何となく思い出したのが、

「中学生レベルの英語さえやっておけば、英語はペラペラになれる」

という話です。

似てますよね。

日本語でも

「初級レベルの学習項目さえ完璧に押さえておけば、ペラペラになれます」

と言えそう・・・

 

『みんなの日本語初級』さえキチンとやっておけば・・・

『げんき』さえキチンとやっておけば・・・

『なかま』さえ・・・・

 

と、教科書の名前は何でもいいです。

とにかく、初級の土台って、すごいものなんですね。

 

初級さえ完璧に勉強しておけば、あなたはペラペラ・・・

 

それは夢でも何でもありません。

 

ま、もちろん、日本語の場合は中級よりも先が長いから、

中級前半ぐらいは飛ばしたとしても、その後の中級後半から上級は

学校で勉強してもらう価値があると思います。

プロフェッショナルなレベルまでと思うならね。

 

日本語には勉強することがたくさんあるおかげで、

このとまとんも失職しないで済んでいるわけですね。

 

 

 

 

 

 

 

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教科書では扱えない日本語

2013-09-09 20:54:28 | 日本語教育

とまとん、新学期開始まで秒読み体勢に入りました。

超焦るわ

 

いや、でも、焦りながらも冷静に準備は進めなければ。

準備といえば、シラバスを考えて、宿題を準備して、

どのタイミングで小テストを入れての心づもりをすることなのですが、

今までは、ただ、がむしゃらに準備作業に打ち込んでいたとまとん。

今年は、去年、一昨年よりも年齢を食ったせいか(亀の甲より年の功!)

「違う目」で教科書を見られるようになった自分を発見しております。

 

「違う目」というのは、

 

「この教科書って、これ一冊仕上げたら、どんな結果ができるようになっているんだろうな~?」

 

という目で各教科書を眺められるようになったということです。

 

今更そんなことを言っているのか?今までやってこなかったのか?遅いわ!という批判は真摯に受けとめるとして、

この年になってやっとそんなことを考えるようになりました。

 

たとえば、一冊の教科書がありますね。

総合教科書。

それを一冊仕上げたら、一体、どんな日本語の話者になれるのでしょうか?

 

仮に『みんなの日本語初級』を使うとします。この本にはⅠ、Ⅱ巻がありますね。

課としては1課から始まって50課まであります。

1課から始めるんだったら、まったく日本語が話せない状態からの出発となるわけですね。

そこから勉強を始めて50課までの勉強を終えたら、どんな日本語の話者になれるのか?

それは、50課の「会話」のようなことが言える話者であるはずですね。

「応援してくださった皆様に心から感謝いたします」というふうに、

改まった場で、社会人として常識的な受け答えが出来る、ということが

この教科書、「みん日」の究極の目的であるわけです。

「社会人として危なげない日本語話者の養成」ですよ。

非常に目標を高いところに置いていますが、

現実の問題として、そのことが日本語をしゃべる社会人として要求されるわけですから、

そのプラクティカルな需要に応えているわけです。

これは、実にすごいことですよ。

だって、大学を出ていても、誰もが「社会人として危なげない日本語話者」になれているわけではありませんから。

 

では、逆に、「一般庶民としてすごく自然な会話ができるようになる教科書」ってのはないのかな?

そういう教科書があったとしたら、最後の課の「会話」は、

 

「ねえ、りさ、これからうちんち来る?今日、パパもママもいないから、ゆっくりしゃべれるよ」

「あ、いいね~。んじゃ、ちょっと行かしてもらおっかな?」

 

ってなものになっていることが期待されます。

が、これを本当に最終課のモデル会話にしている教科書があるのだろうか?

 

聴解の教科書で、こういうのを「聞かせて」意味がとれるようにしている教科書はあると思うけれど、

総合教科書、あるいは会話の教科書で、積極的に「こういうふうにしゃべれるようになりましょう」と

謳うことはできないんじゃないかな~

 

何でできないんだろ?

 

その理由には賢そうなものがいくつもあると思うのですが、

とまとんが発見したごく単純な理由、それは・・・・・

 

こういうものを紙に字で書き起こすと、勉強するものとしてはあり得ない文字列が並んじゃうからぁ!

 

なのですが、どうでしょうか?

文字になって明らかに目に見える形になっていると、ネイティブの目から見て、

とてもその存在を許すことができないものの羅列になっていませんか?

どうしてそんなふうに感じるのか不思議といえば不思議ですが。

 

こういう言葉は非文字の世界で。

その情報が私たち日本語母語話者のDNAに組み込まれているような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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