私の住む里山は、田んぼが多くあり、田んぼの中に集落が点在している、そんな田園光景だ。
かつて、里山では、結婚式、葬式、法事など、ひとつの家族ではできない行事があると、近所の人が協力する慣習があった。
そんなことから、以前から町内会の原型ができていて、それがいまの町内会へと繋がっている。
だから、町内会は現代社会の最新の仕組みからは遅れている。
町内会費は現金手渡し、町内のお知らせは回覧板、ちょっとした伝言があると、電話ではなく家に行って話をする。夕方18時には、時刻を知らせるために大音量でサイレンが鳴る。
そのような、現代の町内会に住民は抵抗感が少ないまま生きてきた。
そこに、多くの組織が目をつけて、住民を利用している。
彼らの実態は、金と利権の欲望むき出しだったりするので、住民は迷惑している。
その例を、このブログで、いくつか紹介したいと考えている。
今回は、公民館の図書室ボランティア。
町内会の班長(順番制)を1年経験すると、次に協力員という順番が回ってきた。
協力員とは、町内会行事の手伝いをする係。
地域の体育祭や、カラオケ大会などを開催するために資材を用意したり、ステージを作ったりと、裏で行事を支援する係だ。
協力員は各班にひとり。イベントごとの係と通年の係を兼任するので、かなり忙しい。
私の通年の係は、地域の公民館にある図書室の窓口係だった。
「1年に1回か2回くらいですから」と教えられたので軽く考えていた。
協力員・図書室係の説明会に招集され参加した。
そこで当番表が配布されて、初めて話が違うことに気がついた。
勤務は、土曜日の朝から昼まで、年に6回以上ある。
このため、土曜の当番日は仕事を休まなければならない。
おまけに、1年分の当番日を勝手に決められていたので、参加している協力員たち20人はざわついた。
相次いで質問があった。
回答すべきなのは、この会の代表者のはずなのだが、初老の代表者は黙っていた。
質問に答えているのは、公民館の職員だった。
私も質問した。
私は土曜日も仕事です。当番日程を勝手に決められて困っている。
これは、もう労働ではないか? 職員と同様の労働をするのだから、報酬を払ったらどうか?
「みなさんはボランティアなので、報酬は出ません。交通費や経費も出ません。当番表は作り直しませんが、都合の悪い人は、いま言ってください」と公民館職員。
私たちは、町内会の協力委員です。あなたが考えているボランティアではありませんよ。ご存知のはず。
ボランティアが必要なら、あなたの組織で募集すればいいじゃないですか?
この会の部会長さん、どうなっているのですか?
「……」
まただ。この部会も町内会が役所に利用されていると、とすぐにわかった。
部会長は名前を貸しているだけの存在で、何ひとつ答えられない。そして、住民の代表としての役目を最初から放棄していた。
都会生活をしている人は、こういう詐欺のようなやり方には協力しないで、そのまま帰ってしまえばいい、と考えるでしょう。
私も、そう思った。しかし、ここで役割を拒否すると町内会の内部でもめるのは明らか。おそらく大きな騒ぎになる。
このような、住民を利用する会は「もし断ると町内会の誰かが黙ってないぞ」という仕組みになっている。
実際に、私はその被害にあっている。それは、後日、報告したい。
当番表を作ったのは公民館の職員。当日の会の司会、そして、その後の部会、図書室の運営も公民館職員だった。
そもそも、公民館の図書室は、どこの部署に所属しているのか?
調べてみた。
市の教育委員会だった。
教育委員会は、郊外の6つ公民館にある小さな図書室を所掌していた。
役所は管轄する部署が多いほど予算獲得が有利になる。
また、里山の公民館のように、暇な部署は役人にとって望ましい職場になる。
だから図書室を手放さない。
しかし、この小さな図書室に職員を配置すると市民から批判を浴びる。それに予算が足りない。
「そうだ、町内会をだまして、住民にやらせればいい」と思いついたのだ。
市の教育委員会に電話した。
・私たち町内会の協力委員は、あなた方が考えているボランティアではない。
・ボランティアで運営したいなら自身でボランティアを募集しなさい。
・公民館の職員に代わって、働いているのだから、協力委員に報酬を払いなさい。
と意見を言った。
回答は予想通り、こうだった。
「図書室の部会の活動は町内会が行っていることです。私たち職員は関係ありません」
この図書室は、部会も含めて公民館の職員が運営しており、当番表の作成や協力委員への指示も職員が行っていた。
法的には、この図書室を運営しているのは市の教育委員会・公民館である。
教育委員会は、町内会を職員の利益のために利用しているのだ。
彼らはウソをついている。