失敗。田舎暮らし ブログ

田舎暮らし、出版関係、原発・核などについて書いています。今は、田舎暮らし中です。役立つ情報になればと、書き始めています。

田舎暮らしについて書く前に

2021年01月05日 10時42分29秒 | 日記

もう15年以上、田舎暮らしで暴行、脅迫、嫌がらせ、などを受け続けています。

ひどい被害を受けた場合は、警察、人権侵害の救済機関(←実は名ばかり)、行政などに相談しましたが、どの機関も何もしませんでした。

 

●何もしない理由

警察ーー近所のもめごとにに介入したくない。「殴られた? ただのケンカだろ。いちいち警察に電話してくるな」と言ってました。暴行を受けたのは、数回。うち2回は、眼底出血。それから手術後に退院してすぐの歩行困難な時期に20発以上も殴られる、という悪質な暴行でした。でも警察は「捜査しない」と公式に言ってきて、何もしませんでした。

 

●なぜ?

・民主主義が届かない田舎だからでしょう。

・警察は事件を選んで仕事量を調整している(違法)ので、多数の犯罪を放置しています。ここは悪名高い県警のひとつですので、相応の対策をしないで、警察を激しく批判したり、警察に逆らうと厄介なことになります。一度、交通違反の全くの冤罪で送検されました。ホントですよ。嫌疑不十分で不起訴になりましたけど。ついでに地方マスコミは警察の味方です。

・私の場合、攻撃してくる者の中に、警察関係者、刑務官、猟友会の会員がいました。

 

●人権侵害の救済機関

公的な機関は、形式を整えて給料をもらっているだけです。何もしません。

 

●報酬をもらっている地域の代表者

首謀者です。

 

●あなたの田舎だけでは?

私はUターン組です。子供の頃はここで育ち、小中学もここです。

他の田舎暮らしは知りませんが、先日、「楽園」(角川)という映画を見ました。似たようなものでした。

 

※田舎暮らしの「闇」は深いです。田んぼの中に土建屋が点在していたり、役所に就職している人がいたり、共済や農協の職員がいるのには訳があるのだから、それをよく考えると、田舎と暮らしが見えてきます。それから、興味深いことに、田舎都市の中心街に住んでいる人は、自分は田舎暮らしではなく、都会で暮らしていると勘違いしています。いえ、そこ田舎ですよ。


小さな秘密、尾行した男

2020年12月30日 01時54分39秒 | 日記

福島の原発事故より前、原発問題の記事を連載していたときの話。

仕事を終えて、自宅アパートに帰宅して電気をつけると、すぐ電話がかかってくる。電話に出ると、耳が痛くなるほどの怒鳴り声が続くのが普通の毎日だった。怒鳴っているのがわかるだけで、何を言いたいのかなど、まったく理解できない内容だった。

このころ、反原発の市民運動に参加している人たちは、大規模な嫌がらせの被害を受けていた。私はただのフリーランスの記者だったが、原子力村の敵とみなされていたのだろう。毎夜、罵声電話が続いていた。

誰にも言っていなかったが、私は、取材で外出している時などに時間が空くと、百貨店のアパレルショップを見て歩くのが好きだった。百貨店の紳士服売り場のフロアにある好みのアパレル店を順番に見て歩き、たいていは何も買わずに帰る。それが、趣味というか、リラックスできる時間だった。最初は気づかなかったが、それを尾行されていた。

尾行を知ったきっかけは、一本の電話だった。

「ご注文の商品ができ上がりました」と百貨店から連絡があったからだ。

誰かが、私と偽って商品を注文して、出来上がったら電話するよう店員に頼んでいた。市民運動をしている人たちも似たような被害にあっていた。

だが、尾行されていたのは意外だった。「どうして?」と思うと同時に、アパレル店巡りという、小さな楽しみを奪われた気がして「尾行したのはどこの誰だろう?」と考えるようになった。

ある日、事務所のすぐ近くに、立ち食いの蕎麦屋ができた。2回目ほど昼飯をそこで食べた。ただ、その店の主人の目つきが悪いのが気になっていた。蕎麦もマズイし。

その日も蕎麦を食べて、もうこの店はやめておこう、と思って事務所に戻った。部屋に入って椅子に座った直後、激痛が! 耐えられない痛みで、救急車さえ呼べない激痛だった。

そのまま失神、というか「死」だった。意識がなくなるのがわかり、もうダメなんだな、と思った瞬間、誰かに背中を蹴られたような衝撃があり、心臓の拍動を感じた。

「ああ、いまは死ぬ直前だったんだな」と知った直後、そのまま事務所の床に倒れて、夕方まで眠っていた。蕎麦屋は、数日のうちに閉店し、その形跡さえなくなった。

その日から体調が悪くなり、仕事ができなくなった。うまく言えないが、事務的な仕事さえも無理になった。事務所を閉鎖して、仕事の質を変えようとしたが、体調は悪くなるばかり。ついに、静養のため故郷に戻った。

故郷に戻っても体調不調の原因がわかるまで、長い時間がかかった。最終的には、心臓の不調がわかって、2度の手術で状態がよくなった。

「そうか! あれは狙われたのだな」と、いまでもそう思っている。

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3人の刺客

2020年12月30日 01時49分32秒 | 日記

原発記事を連載の頃、坂の途中のアパート・205号室に住んでいた。外階段を上がるとそのまま2階の廊下、部屋の入口が6つならんでいる構造。

その日、23時ころ、自宅に帰ってきた。2階の廊下に上がると、奥の私の部屋の前に3人の男がいた。全員、180センチ以上の長身だった。

大柄で態度がでかいので最初は刑事かと思った。しかし、時刻は23時。刑事ではないだろう。3人は、明らかに205号室前にいて、待ち伏せをしている。顔ははっきり見えないが、3人が私を凝視している。

このままでは何かがおきる。すぐにでも引っ返したかった。しかし、そうすれば205号の住人だとバレる。

ゆっくりと205号に向けて歩いた。204号で表札を見るような偽装をして、205号室の前についた。自分の部屋だが、3人の大男が進路をふさいでいた。

「そこ通りますので」と言って、連中の間をすり抜けた。隣の206号の先に非常用の細い階段がある。走りたいのを我慢して、その階段をゆっくり降りた。

1階に降りて、外の道路に出たとき、後ろで階段を降りる音がした。追いかけてくるのがわかった。

アパートのある丘は、道路から離れると迷路のようになっている。自転車でも通れない細い道、階段の道などがあり、夜は、知っている人だけが歩ける裏道。私はそこに走り込んで、丘を降りた。

駅近くの深夜営業のスーパーに入って、その後、24時間営業のファミレスへ。夜中の2時頃、アパート隣の敷地から連中がいないことを確認して、そうっと自室に帰った。その夜は電気をつけずにシャワーを浴びて、そのまま寝た。

これで難を逃れたが、まさか数年後に、生死をさまよう事態になるとは思ってもいなかった。いま、生きているのは、ただただ幸運だったからだ。

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