失敗。田舎暮らし ブログ

田舎暮らし、出版関係、原発・核などについて書いています。今は、田舎暮らし中です。役立つ情報になればと、書き始めています。

家庭菜園と危ない奴

2024年08月10日 10時23分04秒 | 生活

家のすぐ近所に、農家ではない家庭菜園をやっている人がいる。


ひとりは大都市から、嫁の故郷に移住してきた人。

二人目は地元にある大学の元教授。


二人に共通しているのは、農家を見下しているので
水稲用の水が染み出してくる、と文句を言ったり
水利組合の決まり事を無視している。


二人は、まわりの田んぼの生産者や住民に気を使うなどは皆無。
それで問題が発生する。


元大学教授は、菜園でゴムが混じったゴミを長時間燃やしたことで
住民が息ができないほどの空気汚染となり
110番されて警察沙汰になった。


この元大学教授は短気なので、何かあると農家に怒鳴っていた。
結局、地主に「出ていってくれ」と言われて、
彼の菜園の趣味は終わった。

都市から嫁の実家に移住してきた人も危険な人だ。


この菜園の近くから、田んぼに取水するよう水路ができている。
水路に関板を入れて取水すると、菜園にも少し水が入る。

だからその度に菜園取水口にあるビニール袋を丸めた栓を入れていた。


ある日、この栓を触ると指に強い痛みがした。
見ると、指に深い傷ができて、血がポタポタと落ちるほどの怪我をしている。


ビニールを丸めた栓には刃物(カッターの刃)が仕込んであった。
これまでもたびたび問題を起こしているこの男も危険な奴だ。


ミスKGBとジョージア娘

2022年03月03日 19時01分52秒 | 出版

いつもカジュアルな服装でやってくる通訳がスーツとネクタイで正装していた。

その日は、KGBの取材があった。

 

1991年ソ連邦の崩壊によって、KGBはこれまでの組織を解体し、ロシア連邦保安庁と対外情報庁などに分かれた。保安庁は警察組織、情報庁は対外諜報機関となった。

 

私は、そのソ連邦崩壊の前と後、両方の時期に現地で取材をした。

今回は、KGB分割の直前の話。

ソ連では、ゴルバチョフ大統領がペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を掲げて、民主化に傾いていた。

 

そのころ「KGBの民主化」もソ連邦で議論されていたが、その内容が不明だった。

「KGBの民主化をどのように実現するのか?」と取材依頼をしたら、

KGB本部から「取材を受ける」と返答があった。

取材協力しているロシアの通信社が「信じられない」というほど、異例の対応だった。

KGBは、外国のプレスに対して柔軟に対応することで、イメージチェンジしたかったようだ。

 

とはいえ、市民は、当時のKGBに対して良い印象はなかった。

それまでは、言論の自由がなく、あらゆることに統制や制限があった時代だったから、

KGBが民主化するなど、誰も信じていなかった。

 

しかし、改革は始まっていた。

 

KGB本部に入ると、広報担当がインタビューに対応した。

広報担当者は、どのような質問にも穏やかに応えていた。

 

私は「週刊プレイボーイの特派記者」としてプレスカードも所持していた。

当時のソ連邦でも「プレイボーイ誌」は有名な雑誌として知られていた。

そういうブランド価値があったからだと思うが、広報担当者は終始、にこやかだった。

 

そして、突然、私にこう聞いた。

「あなたは、ミスKGBに会いたいですか?」

 

えっ? 私は、通訳に、いま何って言った?と確認した。

「彼女が近くにいるのです。ミスKGBに会いたいですか?」

と広報担当者。

ええ、可能ならインタビューしたいです。

「ちょっと待ってください。呼んできますから」

 

1分ほどして、ミスKGB、カーチャ・マヨーロワが部屋に入ってきた。

 

私は、ミスKGBにインタビューした世界で数名のジャーナリストの一人になった。

 

【続きは https://iyosky.net/  スカイネット・ブログに移行しました

 


過去からの使者。故郷へ (2)

2022年02月02日 13時11分34秒 | 田舎暮らし

八百八狸(はっぴゃくやだぬき)の話は、江戸末期に創作された講談によって全国に広まったとされている。

 

神通力を身につけた変幻自在のタヌキ・隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)をリーダーとする八百八狸は、藩の守護神として人々に尊敬されていた。

 

ところが、享保のころ、城代家老によるクーデターが起こった。

隠神刑部は、藩のお家騒動に巻き込まれて戦うことになったが、

不思議な杖を使う忠臣派の武士に捕らえられて、洞窟に閉じ込められた。

 

しばらくしてから、刑部狸は、これまでの功績に免じて、罪を許され、

里人たちと仲良く暮らした、という物語だ。

 

江戸時代に創作された講談は、時を経て民話となり、

里のタヌキ信仰へと変化していった。

 

いまでも、タヌキのことを「おタヌキさん」と呼ぶ人がいて、

境内にタヌキの祠(ほこら)がある神社や、

タヌキを祀(まつ)っている祠(ほこら)がある。

 

子どもの頃、タヌキと出会っても、追いかけず、

そっと見守れ、と教えられてきた。

 

私は、いま、そんな里に住んでいる。

 

都会の丘で見たタヌキの親子に会ったとき、

私は、体調を壊していた。

 

体調不調は悪化して、仕事が続けられなくなったので、

故郷に戻ってきた。

 

いくつかの病院で検査をしたが、

体調不調の原因は不明だった。

 

軽い物が持てなくなるほど体調が悪化して

やっと大学病院で原因がわかった。

循環器が悪く、すぐに手術が必要な状態になっていた。

 

二度の手術、数回の入院で、体調は元に戻った。

 

そんなある日、里から山間部に入る道路を走っていた。

そこで、右手に大きなタヌキの石像がある祠(ほこら)を見つけた。

帰りに、その祠(ほこら)に寄った。

 

そこは、八百八狸の長・隠神刑部の祠(ほこら)だった。

地元の人が管理しているのだろう、きれいに掃除されていた。

 

 

それから数日後、私は、夜の道を車で走って

自宅に戻ろうとしていた。

 

自宅近くに、工場を併設した会社がある。

従業員は10人くらい。

夜は無人で、駐車場が広場のようになる。

 

田舎の夜は暗い。

車で走っていても、灯りが少ないので闇が多い。

 

その夜の工場の広場は、いつもと違っていた。

闇の中で何かが動いている。

 

なんだろう?

 

車を止めていると、黒くて動くものは、

驚くほどの速さで、右へ左へと動いている。

 

タヌキだった。

 

子どものダヌキが二匹、走ったり、くるくると回転して

遊んでいるのだ。

 

いかにも楽しそうで、

見ているこちらが幸せになるほど

可愛い様子だった。

 

私は、故郷に戻って

地元の人には虐められたけど、

病気を克服して、いまはここで生きている。

 

もし、誰かが私を呼んだのなら、

それは誰なのか、知りたいと思うことがある。

 

しかし、丸々として健康そうな子ダヌキ見ていると

これも運命なのだと知った。


過去からの使者。故郷へ (1)

2022年02月01日 11時04分14秒 | 田舎暮らし

早朝に目がさめた。

何かの音で起こされた気がしたので、

時計を見たら午前5時30分だった。

 

首都圏とはいえ、真冬の朝なので、気温が下がっている。

そのまま起きる時刻ではないので、

布団を整えて、二度寝しようと思った。

 

「コン、コン」

今度は、はっきりと聞こえた。

誰かが、玄関のドアをノックしている。

 

こんな早朝に? いったい誰が? なんの用で?

私はノックを無視して寝ようとした。

 

私の住むアパートは、丘の中腹にある。

坂道を上がって、ひと息ついたところにある、

典型的な二階建てのアパートだ。

 

道路から敷地に入ると住民用の駐車場があり、

建物に向かって左側に金属の階段がついている。

階段を上がると右側から奥に2階の廊下があり、

201号から206号まで、

1DKの部屋が6つ、並んでいる。

 

安いアパートだから、オートロックなどはなく、

誰でも玄関前までやってくることができる。

 

そんなアパートの205号室の玄関前、

早朝5時30分に誰かが来ている。

 

寒いし、早朝だから、起きるのが面倒だった。

そのまま寝ようと思った。

 

いや、ちょっと待て。

火事だったら大変だ。起きたほうがいいだろう。

 

私は起きて、ジャンパーを羽織り、

玄関のドアを開けた。

 

ところが、誰もいなかった。

玄関から一歩出て、外の廊下を見たが、

誰もいなかった。

 

誰かがノックした。間違いない。

私は、そのままサンダルを履いて、

死角になっている201号室横の

階段入り口まで急ぎ足で歩いた。

誰かが来てたなら、間に合うはずだった。

 

外は、雪が積もっていた。

積雪2センチくらいか。

寒いはずだ。

 

階段入り口にも誰もいなかった。

おかしいいな。

ノックがはっきりと聞こえたのに。

 

1階に降りて駐車場に出た時、見慣れないものがいた。

 

えっ?

 

一瞬、寝ぼけているのでは、と思ったほどだ。

目の前、5メートル先に動物が3匹いた。

タヌキだった。

 

こんな都会にタヌキがいるのか。

それにまず驚いた。

 

三匹とも皮膚病にかかっているようだ。

胴体の毛がごっそりと不自然に抜けていて

タヌキだとわかっても、その姿が異様だった。

 

タヌキは、親が一匹、二匹は子ども。

三匹のタヌキは、じっと私を見ていた。

 

なんとかしてやりたかったが、

野生のタヌキには、手を出さず、静かに見守るよう

子どものころから教えられてきた。

私は、ゆっくりと後ろに下がって2階への階段を上がった。

 

タヌキたちは、じっと私を見つめて動かず、

なにか言いたそうだった。

 

私の部屋をノックしたのは誰だったのか、

まさかタヌキ? そんなことを考えながら自分の部屋に戻った。

 

冬なのに半身の毛が抜けている狸を見た私は、

可哀想だなと思うと同時に、

故郷にいる家族は元気だろうかと、

そんな気持ちになった。

 

八百八狸(はっぴゃくやだぬき)の民話が残る里、

それが私の故郷だった。


悪意の不法投棄。対抗措置は?

2022年01月24日 00時43分20秒 | 田舎暮らし

田舎には、悪意を垂れ流す腰抜けがいる。

たいていは、里の小さな集落で「顔が効く」と

勘違いしている中年以上の男たちだ。

 

自分の集落はもちろんだが、別の集落にもそういう者がいて

さほどでもない利権にしがみついて生きている。

 

連中は、毎日のように巡回しては、

新参者がいないか、

自分たちに逆らう奴はいないか、

確認している。

帰郷した15年ほど前から、私は連中に目をつけられてきた。

 

「東京から戻ってきたあいつが気に入らん。

オレもやっちゃるから、お前もやっちゃれ!」

(取材して本人に確認済み)

リーダー格の男の音頭で事が始まった。

 

連中に共通しているのは、心のスケールが小さく、

見た目が小汚い。

ほとんどが、地元に長く住んでおり、

爽やかさが欠如している。

 

私は、連中に、絡まれ続けた。

毎日、誰かに嫌がらせされてきたが、

すべての攻撃を押し返してきた。

 

もし、皆さんが同じ状況にあるなら、

【勝ち負けなどないから、妥協するな、押し返せ】と

アドバイスしたい。

 

私の場合は、15年でひとまわりした。

絡みたい奴が次々とやってきたが、言葉と態度で押し返して

最近は誰もやってこなくなった。

 

ただし、連中の仲間のうち、かわいそうなくらい粘着質な者がいて

そいつの攻撃は続いている。

 

彼の嫌がらせは、明らかな犯罪なのだが、

県警は頼りにならない。通報は無駄だ(私の場合)。

 

今日もまた、私の田んぼには空き缶が捨ててあった。

ひとつではなく、8個ほど投げ捨ててあった。

わざわざ家から空き缶8個を持って車に乗り、

私の田んぼに捨ててあった。

 

同じ道路の先に「不法投棄は犯罪です」の看板が設置してあったが

いまはない。

 

セコイこの犯罪の対抗策は、

ただ黙って投棄された空き缶を拾うのみ。

 

心を乱すと、小物の犯罪者が喜ぶだけだから。

 

田舎の田んぼには、悪意の不法投棄が続いている。