八百八狸(はっぴゃくやだぬき)の話は、江戸末期に創作された講談によって全国に広まったとされている。
神通力を身につけた変幻自在のタヌキ・隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)をリーダーとする八百八狸は、藩の守護神として人々に尊敬されていた。
ところが、享保のころ、城代家老によるクーデターが起こった。
隠神刑部は、藩のお家騒動に巻き込まれて戦うことになったが、
不思議な杖を使う忠臣派の武士に捕らえられて、洞窟に閉じ込められた。
しばらくしてから、刑部狸は、これまでの功績に免じて、罪を許され、
里人たちと仲良く暮らした、という物語だ。
江戸時代に創作された講談は、時を経て民話となり、
里のタヌキ信仰へと変化していった。
いまでも、タヌキのことを「おタヌキさん」と呼ぶ人がいて、
境内にタヌキの祠(ほこら)がある神社や、
タヌキを祀(まつ)っている祠(ほこら)がある。
子どもの頃、タヌキと出会っても、追いかけず、
そっと見守れ、と教えられてきた。
私は、いま、そんな里に住んでいる。
都会の丘で見たタヌキの親子に会ったとき、
私は、体調を壊していた。
体調不調は悪化して、仕事が続けられなくなったので、
故郷に戻ってきた。
いくつかの病院で検査をしたが、
体調不調の原因は不明だった。
軽い物が持てなくなるほど体調が悪化して
やっと大学病院で原因がわかった。
循環器が悪く、すぐに手術が必要な状態になっていた。
二度の手術、数回の入院で、体調は元に戻った。
そんなある日、里から山間部に入る道路を走っていた。
そこで、右手に大きなタヌキの石像がある祠(ほこら)を見つけた。
帰りに、その祠(ほこら)に寄った。
そこは、八百八狸の長・隠神刑部の祠(ほこら)だった。
地元の人が管理しているのだろう、きれいに掃除されていた。
それから数日後、私は、夜の道を車で走って
自宅に戻ろうとしていた。
自宅近くに、工場を併設した会社がある。
従業員は10人くらい。
夜は無人で、駐車場が広場のようになる。
田舎の夜は暗い。
車で走っていても、灯りが少ないので闇が多い。
その夜の工場の広場は、いつもと違っていた。
闇の中で何かが動いている。
なんだろう?
車を止めていると、黒くて動くものは、
驚くほどの速さで、右へ左へと動いている。
タヌキだった。
子どものダヌキが二匹、走ったり、くるくると回転して
遊んでいるのだ。
いかにも楽しそうで、
見ているこちらが幸せになるほど
可愛い様子だった。
私は、故郷に戻って
地元の人には虐められたけど、
病気を克服して、いまはここで生きている。
もし、誰かが私を呼んだのなら、
それは誰なのか、知りたいと思うことがある。
しかし、丸々として健康そうな子ダヌキ見ていると
これも運命なのだと知った。