早稲田に多浪しました--元浪人による受験体験記です。

二浪計画で早稲田に受かるはずが――予想外の「三浪へ」。
現実は甘くないっすね。

予備校での過ごし方

2006年05月31日 | 勉強法
 前項で、私は予備校中心の勉強をすすめた。では、予備校でどのように過ごせばいいのだろうか。
 まず講義の取り方であるが、内容が重ならないようにすること。「英文法、英語長文、現代文、古文、漢文、小論文…」というように、ひとつずつ取ればいい。
 どの講師がいいかは、ガイダンス講義を受ければ分かる。ガイダンス講義は、どの講師も力を入れて自分のエッセンスを詰め込んでくる。なにせ、その出来によって受講者数が決まるのだ。人間的にその講師を好きになれるかどうかも十分に見極めること。ネットで講師の評判を調べるのもいいが、いくら評判がよくても自分に合わなかったら取らない方がいい。
 さて、そうやって取るべき講義は決まった。あとはその講義に毎回出席すること。もちろん、講義を受けただけで安心してはいけない。復習、そしてテキスト付録の暗記も必須だ。もはや他の参考書に手を出すヒマはないだろう。
 このように、講義を中心として充実した一年を過ごすことができれば、必ず成績は伸びる。
 参考書は、あくまで講義を補佐するものだと考えよう。講義でわからなかったところを追求したい場合に見る程度だ。予備校の講義を受けているのに、「英文解釈教室」のような濃い本をバイブルとして使ってしまうと、焦点がぼやける。焦点は、あくまで予備校にしぼること。
 もちろん、講師が参考書を出している場合は、それを買ってみるのもいいだろう。それは講義の補佐として役立つはずだ。他には、単語帳・熟語帳のような基本的な暗記本も必要だ。赤本も買わなければならない。
 だが、それ以外の本を中心においてはいけない。そのことをしっかりと頭に入れておこう。

 勉強は、予備校の自習室を利用しよう。自分の部屋ではどうしてもだらけてしまう。閉館時間までねばるべきだ。
 予備校から帰宅すると、ヘトヘトになる。夜も遅いだろうから、風呂に入って食事して…という風にしているとあっという間に0時をまわってしまう。そこで頑張って勉強してしまうと、次の日に悪影響を与えるから、寝た方がいい。
 寝る前に、部屋を暗くして電気スタンドをつけて、参考書を読むこと。そのうち眠くなる。
 (ちなみに、寝る直前に学んだことは、脳に深く刻まれる。これは、人間の記憶が睡眠中にシステム化されるためだ。寝る直前の気楽な勉強は、昼の数時間の勉強に匹敵するのだ)

 次の朝になれば、すでに一日はスタートしている。朝食をとって早めに家を出ないと講義に遅刻してしまう。
 そして、季節は過ぎ、あっという間に冬になる。冬になると、いよいよ予備校生たちは「予備校」から「受験」へ向けて巣立っていく。
 直前講座を取らない限り、講義は全て終了する。この時期も、予備校の自習室には通い続けよう。問題演習を繰り返すこと。そうすることで、講義で学んだエッセンスを試験問題で生かすことができるのだ。

 ここで話がそれるが……
 予備校生にとって、「冬」は寂しいものである。予備校の友人達も本格的に志望校対策に力を入れる。だから話題が講義から離れるし、実際、予備校の自習室にも来なくなる。特に私の場合は小さな予備校だったので、凍えるような寒さの中、自転車で予備校の自習室まで行ってみると誰も来ていなかった、なんてこともしょっちゅうだった。普段、自習室の席取り合戦に勝利するために私は早めに行くことにしていたが、誰もいないとなるとかえって寂しいものだ。
 ましてや、本当に直前期になると、私も上京の準備のために予備校に行くヒマがなくなる。そんなとき、窓の外を見ると雪が次々と降下している。人間というものは、そういう物体の規則的な流れを眺めると、考えごとにふけるものらしい。
 私も例外ではなく、目の焦点がだんだんとぼやけてきて、雪の粒ひとつひとつが、目の水分のせいで結晶のように輝いて見えてきたものだった。
 「みんなも、頑張って欲しいよなあ」
 そんな風につぶやいたことは一度や二度ではない。もちろん、つぶやいた瞬間に我にかえる。他人の心配をしている段ではない。これから受験に向けて、自分も旅立たなければならないのだ。

 私の場合は、現役~三浪と合計四回、受験の上京には夜行列車を利用した。京都や名古屋といった大きな街も、夜中だとさすがに街全体が眠りきってしまっている。ときどき、線路の工事をしている人たちが何やら電線をいじっているのが見えるが、すぐに通過してしまう。
 そして私は、「自分は、これから試験を受けに行く旅人なのだ」と改めて感じる。

 「アイデンティティ」という言葉は使い古されている。だが、人間、本当に勝負をかけるときに心の支えになるのは、まさにその「アイデンティティ」なのだ。自分が生まれ育った街、学校、家族――それらに「根付いている」感覚がないと、自分がふらついてしまう。
 試験会場で、試験用紙を目の前にして思うのは、自分がどんな浪人生活を送ってきたか、ということだ。そのときに、自分が巣立ってきた場所はどこかを思い出すことができれば、安心して試験に向かうことができるだろう。

 ……話を戻そう。
 予備校ほど受験に適した機関はない。もちろん、自分専用の学校ではないから、不必要な講義もたくさんある。そういうものを捨てつつ、自分でうまく組み替え、冬にはいい具合に巣立てればいい。「巣立つ」とは、「自分で積極的に問題演習に取り組む」ということだ。個人指導でない限り予備校もそこまで面倒はみてくれない。
 スキーのジャンプと同じで、滑走路で勢いをつけて、いい具合に飛び立つ。このふたつのことができるかどうかが、あなたの合否を決めるのだ。

 予備校生は、滑走路が与えられた存在だ。その幸せを認識しながら、巣立ちの日を待とう。

予備校、宅浪、どちらがいいのか?

2006年05月27日 | 勉強法
 前項では最強の勉強法を紹介した。しかしあれは「やれるもんならならやってみろ」的な、かなり無謀な方法である。だから、ここでは現実的に勉強法を考えていきたい。そうした場合、問題になるのが「予備校に行くのがいいか、それとも宅浪すべきか」ということだ。

 結論を言おう。私は「予備校」がいいと考える。
 三年間の浪人生活を経て私がひしひしと感じたのは「結局、予備校が一番いい」ということなのだ。
 私の場合、一浪目は予備校を信じて、多くの時間をその予習・復習に割いた。もちろん、予備校の講義内容が参考書とあまり変わらないこともしだいに気付いたし、そうなると講義を受けている時間さえ無駄のように思えることもあった。
 だが、多くの講義を取っていたので他に手を出す余裕がなかったし、また多額のカネを親に負担させていたので、それが「予備校を信じる」という決意を強くした。そして、私はとても充実した一年を過ごすことができた。
 しかし、二浪目は予備校の講義を大幅に減らしてほぼ宅浪状態で過ごした。その理由は、二年目というプライドから、自分は勉強法に詳しく、いまさら予備校に頼る甘ちゃんではないという思いがあったからに他ならない。
 実際、二浪目はかなり合理的な勉強ができたと思う。しかし、その割には伸びが良くなかった。
 「合理的」とは、1+1=2という世界だ。私の二浪目はそういう考えで勉強を科学的に進めていた。しかし実際は、1+1が0.5になることもあったし、それどころかマイナスになることさえあった。
 人間とは不思議なもので、物事が必ず合理的に行くとは限らないのである。
 スポーツでたとえれば、筋肉をつければサッカーが上手くなるかというとそんなことはない。筋肉がついたことで逆に身体が硬くなり、前よりも下手になることがあるのだ。
 すると、硬くなった筋肉をほぐそうとして整体を取り入れたりする人もいる。こうなると、まるで薬の副作用を薬で消すようなおかしなことになっていってしまう。「理屈から言えばこの方法で上達するはずなのに、おかしいな」というわけで次から次へと対策を講じる。そしてますます変な方向に行く。そして不安になっていく。地に足がついていないことから来る不安だ。
 宅浪の受験生で多いのは、「直前期になっても成績が思うように伸びず、焦る」というパターンである。「自分は科学的な方法で勉強している。だからこそ、伸びてもおかしくないのに、伸びない」、やはりこれはショックだ。
 それまで科学に支えられていた精神は、こうしてもろくも崩れ去ってしまう。不安になり、他のものに手を出す。だから完結感がない。そして、落ちる。
 予備校というものは、通学時間が無駄になるし、講義は参考書と違ってゆっくりとしたペースで進む。
 だが、それでも直前には完結するようにカリキュラムが組まれているのだ。なにせ、向こうは商売である。生徒を合格させなければ、他の予備校に食われてしまうのだ。だから必死に工夫する。校舎には自習室を作り、チューターを置き、各種資料を完備する。寮に入った場合はテレビやネットを規制する。
 そうすると、生徒は予備校中心に動かざるを得なくなる。通学時間などの、「無駄に思える時間」も、そういったメリットと比べればたいした問題ではない。
 それに、「実際に通って講義を受けること」という行為には、確固たる「実感」というものがある。この「実感」の力は、科学を超えるものである。

 ダイエットにたとえてみよう。
 ダイエットの本をいくつも買って、科学的な食事制限や運動を学び、その通りやってみたとする。しかし、思うように体重は減らないものだ。
 それよりも、ダイエット専門ジムに入会し、とにかく一年間はそこに通い続けようと決めて実践した方が、効果は現れやすい。
 なぜなら、実際にジムに通い続けるという行為が、しだいに自分の身体の中へ「実感」として染みこんでいくからである。
 いくら本の内容を実践しても、なにかこう、「地に足のついた感じ」がない。しまいには自分は本当にダイエッターなのか、分からなくなる。だから不安になり、効果も現れない。
 しかし、ジムに通っていれば、不安になっても、実際に目の前にダイエット用の器具の数々や、コーチの姿がある。だから、自分はダイエッターなのだという意識が強くなり、それが心のふらつきを取り除いて、目的に向けて勢いづけてくれる。
 そしてついには減量に成功する。ジムに通う様々な手間は、この効果を前にすればあまり大きな問題ではないのだ。

 だから、あなたに予備校に通えるだけの経済的余裕があるなら、ぜひ通って欲しい。
 もし通えない場合は、予備校生のように、何かひとつのものを決めて、それだけを実践してほしい。図書館通いでもいいだろう。とにかく、何かを「やり遂げる」ことだ。

 ――余談だが、ベストセラー『「超」整理法』で有名な経済学者の野口悠紀雄氏も、似たようなことを述べている。
 ちなみに野口氏は、かなりの合理主義者で、実際、その著書では整理の仕方や時間の活用の仕方、さらには仕事の進め方などについて、どうすれば効率が良くなるかを紹介している。
 そのような人でさえ、こと「講義」というものに関しては「本」にはないメリットがある、と述べているのだ。
 詳しくは、氏の著書である『続「超」整理法・時間編』(中公新書)の147ページに記載されているので、是非参照されたい――

最強の勉強法

2006年05月23日 | 勉強法
 受験の才能がない人、つまり普通の人が、一年で難関大学に受かるのは、かなり厳しい。だが、その方法がないわけではない。次に紹介するのは、全科目に共通する、必勝の方法である。かなりの苦労を強いられるが、本当にこの通りにできれば必ず成功するだろう。

 その方法は、
 「基本事項だけを9月までに終わらせ、後は徹底して問題演習をする」
 以上だ。言うのは簡単だが、実際は相当むずかしい。一分一秒たりとも無駄にはできない。

 この方法について説明しよう。
 受験問題を解く極意は、本来なら人に伝えられるものではない。これは考えてみれば当然のことだ。
 たとえば「ボウリング」を思い出してほしい。「ストライクを投げる」という行為のメカニズムを、余すことなく説明するとしたら、本1000冊分あっても足りない――つまり教えられないのだ。
 もちろん、ヒント程度なら本一冊分で済むだろう。だが、究極的には、様々な要素がからまりあってはじめてストライクを投げることができるのだ。その「教えられない域」は、自分でつかむしかない。
 つかむためには、色々な「失敗」を経験する必要があるのだ。

 9月までに基本を終わらせなければならない理由は、何をさしおいてもまず「試験問題を、解こうとすることができる」ようにするためだ。合ったか間違ったかはここでは問わない。
 基本が終わっていれば、解こうとすることはできる。だから問題演習を繰り返すことができる。従って、色々な「誤答」が経験できる。
 誤答経験の数々は、かならずや試験本番であなたの力になってくれるだろう。

 とはいえ、「基本を9月までに終わらせること」が、一番きつい。私が提唱するこの方法を実践したければ、この困難をクリアする自信があることが条件だ。そうでないなら、普通に予備校を信じて勉強を進めた方がいい。

 なお、「受験の才能」がある人は、あまり「失敗」を経験しなくても、基本を学ぶだけで簡単に「教えられない域」に達することができる。「無勉から偏差値を30上げて難関大に合格!」というケースは、だいたいそれに当てはまる。
 しかし、「普通の人」は多くの失敗をしながら習得していくしかない。
 あなたが小学生のときを思い出してほしい。体育で、先生の解説を聞いただけで「さか上がり」ができただろうか。何度も失敗したはずだ。
 「あいつがすぐに出来たから俺も余裕だろう」とは考えない方がいい。人生に失敗はつきものだ。
 私も、受験で何度も失敗した。そして三浪目の最後の試験で成功した。

 だから、私の受験生活は、「失敗はつきもの」という人生の法則どおりに進んだということなのだろう。

小論文のコツ

2006年05月21日 | 勉強法
 ここでは、小論文のコツをいくつか述べたい。

 ――「YES or NO」をはっきり決めてから書く。
 これは、樋口裕一先生がしきりに勧めている方法だ。つまり、テーマについて賛成か反対かを明確にしてから書くということだ。明確にすることによって書く際に目的意識が高まり、その結果、筆も進むし論旨が明確になる。そうすれば、読む人によく伝わる文章になるのだ。ただし、「No」の側で書くときには注意がある。それは次に書く。

 ――「No」の場合、断定はしない方がいい
 「No」、つまり「反対意見」というものは、多かれ少なかれ読む人を不快にさせるものだ。だから、頭から反対するような文章は、傲慢だという印象を与えてしまいかねない。
 そのためには、やわらかに反対することだ。たとえば、「女性の社会進出」について反対意見を書くとしよう。その場合「女性は働く必要はない。専業主婦で十分だ」などと頭ごなしに書くと、印象が悪くなる。
 しかし少しやわらげて、「昨今は、女性の社会進出が目立っているが、その結果、女性の良さである母性が失われている。だから、近年の風潮は明らかに行きすぎである。今は、女性は本来の役割をもう一度考え直してもいい時期なのではないだろうか」とすれば、悪い印象はなくなるのだ。

 ――「Yes」の場合、別のエッセンスを加えるといい
 「Yes」の場合はたいてい、無難に書くことができるから問題ない。しかしもう一歩高得点を狙うために、何かひとひねりあった方がいい。そのためには、「別のエッセンスを加える」ことだ。
 たとえば、課題文に「女性の社会進出は、男女平等の観点から非常に良い傾向だ」という内容が書かれていたとしよう。その場合、別のエッセンスを加えて賛成意見を書くと、こうなる。
 「女性が社会進出すると、出産の社会制度が確立されるのは間違いない。つまり多くの国家予算が出産に費やされるわけだ。そうなれば消費税も上がる。が、これはとても良いことだ。なぜなら、国民一人一人が税金で助け合うという構図が生まれるからだ。そして最終的には、男女が平等なだけでなく、全国民が平等に近づいてくる。従って、『女性の社会進出』は、そのための契機として、とても良いことだと言えるのだ。」
 以上のように、別なニュアンスを加えると、「まるまる賛成」の感じがなくなる。なんでもいいから、何か別な見方ができないか、考えるクセをつけよう。

 ――「小論の青写真勉強」を普段から行うこと
 小論文の勉強は時間を食う。「小論を書いて、推敲して、解答例を見て…」とやっていると、まる一日つぶれてしまう。だから、「実際に書く」練習はそう頻繁にできるものではない。
 しかし、頭の中で想像するだけなら、すぐできる。だから、普段は、実際に書くのではなく、頭の中で小論文の青写真を描く「小論の青写真勉強」だけでヨシとしよう。
 もちろん、「いくら頭で想像しても、実際に書かないと意味はない」という説もよく聞く。たしかにそれは一理ある。しかし、「書く」ということは、頭の中の思想を具現化することだ。そういう観点からすると、想像のトレーニングを常日頃行うのと行わないのとでは、差が出ることは明らかである。だから、小論の青写真勉強は、とても意味があるのだ。
 これは、何も机に向かって行う必要はない。あなたは普段、いろいろな考え事をするだろう。その延長だと思えばいい。
 たとえば、電車に乗っているときに、中吊り広告に政治問題の見出しがあったとする。そのことについて、「小論文的に」考えてみるのだ。もしかしたら、本当にそのテーマで出るかもしれない。そういう風にシミュレートして「導入部はこうしよう、次にこう発展させよう、そしてこんな意見を書こう…」というようにしてみるといい。
 「想像」のいいところは、いくらでも自分の思い通りに内容をいじくることができる点にある。考えれば考えるほど、色々な青写真が浮かんでくる。反対意見を想像した後でも、すぐに賛成意見で想像しなおすことができる。そのうち、そうやって「考える」ことが好きになる。そうすれば、実際に小論文を「書いて」練習するときも、楽しんで書くことができるのだ。
 
 ――討論番組を見ること
 現代文の項でも書いたが、討論番組は勉強になる。議題についてはもちろん、各出演者の語りもおおいに参考になる。上手い人はなぜ上手いか。下手な人はなぜ下手なのか。また、どんな「大人っぽい」言葉を使っているか。ダラダラ見るのではなく、このようなことに注意して見れば、得るものが多いのだ。

 ――下書きは絶対必要である
 試験場では、パソコンのようにコピーペーストができない。だから、書き直しができない。ここに、下書きの必要が生じてくるわけだ。
 とはいっても、律儀に一字一句下書きしなくていい。問題用紙の空いたところに、メモ書き程度にプロット(構造図)を走り書きすればよい。プロットが決まったら、もう6割以上は出来たも同然だ。あとはそのとおりに書き進めていけばいい。
 
 ――意外なものを組み合わせることで、発想が生まれることがある
 試験中、何を書けばいいのか、全く浮かばないことがある。こんなときは、テーマに、意外なものを組み合わせてみよう。何でもいい。
 たとえば、「高齢化社会について書け」という問題の場合、「高齢化社会」と「電子レンジ」を組み合わせてみる。そうすると、こんな発想が生まれる。
 「高齢化社会でよく取り上げられるのは年金などの社会保障制度の問題である。しかし、問題はそれだけではない。科学技術の発達はますます進み、便利な道具であふれることだろう。だが、高齢者はそれらを使いこなすことができない。こういう状況になると、若い人は便利に使う一方、高齢者は使いこなせないので、若い人と高齢者との精神的格差が広がってしまう。」
 というような感じだ。これは、私の高齢者の知人が、電子レンジの使い方に困っていた場面を思いだして出た発想だ。このように、なんでもいいから、意外なものを組み合わせることで、思わぬ発想が生まれることがある。是非、ためしていただきたい。

 ――独創性にこだわらなくても良い
 テストでポン、と出題されて、いきなり独創性に満ちた論文はそう書けるものではない。だから、試験場で、独創的な文案が思い浮かばなくても気にすることはない。
 ごく常識的なことを、読みやすく書くだけでも問題ないのだ。それは論文的にはつまらないものかもしれないが、最低限の知性は認められるだろう。つまり合格点が取れるということだ。
 むしろ、「ちょこざいな」小論文の方がいただけない。過激な意見に走ったために支離滅裂になったり、無意味に文学的な言葉を使ったりすると印象が悪くなる。内容がダメなのに難しい言葉や意見でごまかそうとしても、すぐに見透かされてしまうのだ。

 ――採点者に語りかけてみよう
 小論文の勉強をしていると、いろいろな方法論やルールに出会う。そんなとき、ふと、わけがわからなくなってしまうことがある。そして「型」にこだわるあまり内容が希薄になる。
 そんなときは、基本を思いだそう。基本とは、「人に考えを伝える」ということである。小論文とはいえ、自分の伝えたいことを伝えるための文章に変わりはない。
 たとえばあなたは、浪人したいことを親に告げるとき、ありとあらゆる手を使って親を説得しようと試みるだろう。そういうとき、人間は自然と「型」を作りながら語ることができるものである。たとえば……①「浪人したい」という結論にむけて進むために問題提起をする。②そして浪人することがどんなにいいことか、「具体例」を使って説明する。③そして最後に結論だ。「浪人させてくれないか」と。
 こういう、本来なら人間が持っているコミュニーションの形を、強引にいつでも取り出せるようにしたのが「型」なのだ。だからあなたの中にも、その「型」はすでにあるはずなのだ。
 そのことを念頭におけば、試験場で、リラックスして自分が書く文章に没頭できることだろう。

 ――現代文の問題文を読みまくろう
 たくさんの本を読むことは、小論文強化につながる。しかし、受験生はなかなか読む時間がないだろう。
 しかし、いい方法がある。それは、「現代文の問題を読みまくること」だ。他のところでも書いたが、現代文の問題は、様々な思想の一部を切り取っている。いわば、本を一冊読んだのに近い感触を得ることができる。現代文の問題は、そういう「濃い」ものから選ばれているのだ。
 ならば、それを読みまくればいい。買わなくても、予備校に置いてある赤本をランダムに借りて読むなどすればいい。問題を解く必要はない。経験値として自分に蓄積する意味で読むのだ。
 そうして得た力は、潜在的に発揮されるに違いない。

 ――0点だとすぐに分かる小論文を書くな
 採点者は、非常に疲れている。次から次へと受験生の小論文を読まなければならない。誤字脱字を丹念にチェックし、下手な小論文も我慢して読んでなんとか点数を付けなくてはならない。
 そんな採点者が狂喜する小論文がある。それは、見た瞬間に0点を付けることができる小論文である。
 その代表例は、「文字数たらず」と「文字数オーバー」の小論文である。採点者といえども人間である。早く終えてビールを飲みたいのだ。もちろん、それでもふざけた採点をすることはない。真剣に採点する。だが、受験生のほとんどはひどい小論文ばかり書いてくる。だから、読んでいて苦痛だ。それどころか、「こんな小論しか書けないんだったらはじめから受けるなよ!」という怒りすら覚える。だから、一目で0点だと分かるものを見つけたときは容赦なく0点にするのだ(このことは、某予備校で採点のアルバイトをしている者から聞いた)。
 とはいえ、微妙なラインのものもある。たとえば、間違えた部分を線で消して、すぐ横に訂正したものが書かれているようなケースだ。これは、程度によるが、少しなら許されるという説もある。
 しかし、それすらも、なるべくやらない方が安全だ。なぜなら、それをやって大失敗した者が現実にいるからだ。そいつは誰か。実は私だ。
 私は、三浪目の早稲田の一文の小論で、それをやった。「ここの部分を少し直せば、もっと良くなる」という思いから、線で消して、横に訂正したものを書いた。一行くらい使ったと思う。その結果、小論文は0点だった。早稲田は、不合格者には点数を教えるサービスを行っている(今は違うかもしれない)。それで知ったのだ。

 以上、いくつか思いつけるだけの「コツ」を書いた。他にも色々あるから、参考書で調べてみるといいだろう。

小論文の勉強法

2006年05月20日 | 勉強法
 ■小論文の勉強法
 
 小論文において大事な要素をいくつか挙げたい。

 ①論客であること
 ②思想・一般常識に詳しいこと
 ③読解力があること
 ④文章の書き方を知っていること
 ⑤小論文のテクニックを知っていること
 ⑥誤字脱字に気をつけること
 ⑦過去問研究をしておくこと

 以上である。それでは、ひとつひとつ解説しよう。

 ①論客であること
 最重要である。
 どんな論題に対してもすぐに文章を書けたり、意見を言えたりする人がいる。こういう人を「論客」という。論客に共通するのは、自分のキャラをしっかりと持っているということだ。キャラとは、「保守系」「革新系」「過激系」「強気系」「弱気系」「事なかれ系」「無難系」のようなものを指す。
 あなたも、自分は何系なのか決めておくことだ。
 たとえば「強気系」に決めたなら、どんなテーマでも強気な意見を書けばいい。戦争問題なら「意義のある戦争ならやむを得ない」という風になるだろうし、少子化問題なら「子供が出来ないことを行政のせいにするな。個人の意識の問題だ」という風になるだろう。
 一方、弱気系に決めた場合、戦争問題なら「戦争は良くない。ねばり強く話し合いで解決すべきだ」という風になるだろうし、少子化問題なら「少子化は個人の意識ではどうにもならない。行政の助けが必要だ」となるだろう。
 このように、自分が何系かをあらかじめ決めておくと、すぐに発想が浮かぶ。そしていつも通りに書くことができるのだ。
 
 ②思想・一般常識に詳しいこと
 小論文は、「気難しいインテリ風の大人が議論するようなこと」がテーマとなっている。ならば、ある程度こういう人の話に、ついていけるだけの知識は身につけるべきだ。
 もちろん、浪人生は、年齢的にはまだまだ青臭い子供だから、マジメぶって書くのは年齢不相応だと思うかも知れない。だが、そうやって恥ずかしがっているうちに、まわりと差がついてしまう。
 大人ぶるのを恥ずかしがることの弊害を書こう。
 あなたは、「中二病」というのをご存じだろうか。これは、中学二年生が、大人ぶって芸術に傾倒したり、政治問題に意見したりすることを言うのだが、この言葉はたいてい、そういう人を馬鹿にする意味で使われる。しかし、もともとは「中二病」と馬鹿にされていた人たちが、その後本当に力をつけて、芸術家になったり政治に深く関わったりするようになるのも事実である。背伸びしているうちにそのキャラが自分に染みついてゆくわけだ。
 だから、背伸びすることはいいことなのだ。あなたも、一生懸命、大人のフリをしてみよう。

 ③読解力があること
 小論文には、課題文を読ませてから書かせる問題が多い。それどころか、図やグラフまで提示する問題もある。だから、文章だけでなく、あらゆる意味での読解力が必要だ。
 これらの力をつけるには、普段から色々なものを深く見るクセをつけておくことだ。たとえば、「サラリーマンの残業が増えている」という話を聞いたときに、意味なく「嫌な風潮だな」と思わずに、「もしかしたらこれは日本の景気が良くなっている表れかもしれない」という見方もできるかもしれない。また、「テレビの視聴率が落ちてきている」というグラフを見たら、「これは色々な娯楽が発展している証かもしれない」という見方もできるかもしれない。要するに、「気付く力」がものを言うのだ。
 このような「気付く力」のトレーニングの素材は、日常のあらゆる場所にころがっている。小論文は、与えられた文章や図から、何かに気付いて、それについて論文を書く科目だ。だから、「気づき」の能力は重要である。
 普段から、色々なものに注目して、洞察してみよう。そうすれば、「気付く力」がつくはずだ。
 
 ④文章の書き方を知っていること
 これも重要だ。
 せっかく「言いたいこと」があっても、文章の書き方を心得ていなかったら伝わらない。これは、料理に似ている。
 たとえば、高級カレーライスの素材を使って料理したとする。しかし、それを安い食器に盛りつけて、しかも形をぐちゃぐちゃにして出したら、ほとんどの人はそれを高級カレーだとは思わない。
 むしろ、安いレトルトカレーでも、ブランド物の食器の上に、芸術的に盛りつけて、しかも青山の一等地の店で出したら、十分「高級カレー」に見えてくる。
 このように、いくら素材が良くても、その見せ方が悪ければ、採点者は「悪い論文だ」と判断してしまう。見た目は大切だ。
 料理には料理の見せ方がある。それと同じように、論文には論文の見せ方があるのだ。その見せ方の例を挙げてみよう。

 ・導入部は、課題文の要約をする
 ・その次に、問題提起をする
 ・さらにその次に、問題に関する考察をする
 ・そして最後に、結論を示す。

 このような流れが典型的だ。これなら非常に読みやすい。
 その他の「見せ方」のコツもいくつかご紹介しよう。

 ・概念を示した後は、具体例を示す
 概念というものには形がない。だから、パッと言われても分からない。そこで、具体例が必要になるのだ。たとえば、
 「ゲシュタルト崩壊とは、全体でひとつの概念を表す総合体が、時として部分の寄せ集めのように見えてしまい、全く意味をなさなくなってしまう現象のことを指す」と書いても、パッと意味が通じないと思う。しかし、その次に具体例を出せば、すぐに分かるはずだ。
 「それはたとえば、ある漢字をじっと見つめているうちに、それが文字ではないように見えてしまうようなケースが典型だ。ちょうど、日本人がハングル文字を見る感覚と同じような、漢字が意味のわからない記号のように見えてしまうような現象だ。これこそが、ゲシュタルト崩壊である」
 こうすれば、スッと伝わるだろう。だから、概念を書きっぱなしにするのは乱暴な文章だ。随時、具体例を示してこそ、読者の立場に立った「良文」と言えるのだ。
 あなたは、試験場で「良文」を書くべきである。

 ・「頭が悪そうな文章の書き方」をしない
 これは、一人称を「僕」としてしまうのがその一例だ。これだけで、「ガキ」に見えてしまう。一人称は「私」にしよう。
 また、同じ接続詞が続くのもいただけない。同じ逆接「しかし」が連続して出る文章など最悪である。「しかし」の次は「だが」にするなど、工夫しよう。
 それと、重複文もいただけない。たとえば、「私が思うに、日本はまだ常任理事国になるべきではないと思う。」のようなケースだ。これは「思う」が重複してしまっている。
 それと、文体の統一も大切だ。案外できていない人が多い。「です・ます」調で書かれていたはずが、いきなり「である」調に変わる人もいる。これは非常にまずい。
 以上のことは、論文以前の、文章の書き方の問題だ。他にも色々な例がある。文章の書き方について解説してある本を一冊用意しよう。

 ・「頭が悪そうな漢字の書き方」をしない
 誰もが漢字で書く言葉をひらがなで書くと、印象が悪い。それと、ひらがなと漢字が混在しているものもまずい(例「対しょう的」など)。これらは、幼稚な間違いだが、それでも思わずおかしてしまう人がいる。特に、ネット社会のゆるい漢字状況に慣れている人は注意だ。
 
 ⑤小論文のテクニックを知っていること
 基本以外にもテクニックは必要である。それらのことは、小論文の参考書に書いてあるので、そこから学ぼう。
 が、とりあえずここではその一例をあげる。
 
 <有効な小論テクニック・「自分のふところ」>
 課題文が苦手なジャンルの場合、アイデアが浮かばないことがある。そんなときは、「自分のふところ」というテクニックを使おう。これは、一種のイカサマだが、緊急時には使える(「自分のふところ」とは、私が勝手にそう読んでいた名)。
 「自分のふところ」とは、「苦手なジャンルの題を強引に、自分の得意分野まで持ってくる」というテクニックだ。これは、私も模擬試験で何度も使ったが、大きく減点されることはなかったので、そこそこ使えるワザだと思う。
 例えば、室町時代の能についての課題文が出されたとする。そしてあなたは、室町時代の能について詳しくなかったとする。
 しかし、あきらめてはいけない。ここで論題を「自分のふところ」に持ってきて、江戸時代の歌舞伎について語れば、上手くいくかもしれない。また、いっそ現代演劇について書いてみてもいいかもしれない。
 このように、自分の不得意なテーマでも、強引に得意分野に持ってくれば書けるはずだ。

 ――余談だが、このテクニックは「蘊蓄(うんちく)王」というテレビ番組でよく使われていた。この番組は、ランダムに提示されたテーマに関して、出演者がコメントしていくという内容のものだが、出演者たちは、この「自分のふところ」のテクニックによって、見事にあらゆるテーマについてコメントすることができていた。
 たとえば、俳優兼天気予報士の石原良純さんは、どんなテーマが出ても強引に天気予報の話題に持って行った。他の出演者の例だと、「テレビ朝日について語れ」と言われたときに、テレビ朝日つながりでニュースステーションの久米さんについてだけ語ったり、テレビ朝日の特定の番組についてだけ語ったりしていた。
 かなりギリギリではあるが、緊急時を乗り切るには十分使えるテクニックである――
 
 ⑥誤字脱字に気をつけること
 誤字脱字は大きな減点対象にはならない。だから必要以上に気にすることはない。しかし、「ひらがなで許される言葉は無理に漢字を書かないようにする」などの工夫は必要だろう。
 
 ⑦過去問研究をしておくこと
 重要だ。小論文は、大学・学部によってクセがある。英語長文を読ませてから小論文を書かせる大学や、教授の講義を聴いてから書くところなど、色々だ。それは、あらかじめ調査しておくべき事項である。


 ■小論文の勉強に役立つ参考書

 小論文の勉強に役立つ参考書をいくつか挙げよう。

 ・「受かる小論文の書き方」(ゴマブックス)…樋口裕一著。樋口式の基本が書かれている。樋口式を学びたい人は必ず買おう。
 ・「手とり足とり小論文」(ゴマブックス)…小論文の小ワザ集。役に立つ。
 ・「読むだけ小論文」(学研)…いわゆるネタ本。かなりイイ!
 ・「型書き小論文」(学研)…あらゆるジャンルとその解答例集。Yasで書いたりNoで書いたり、と樋口先生の熟練したワザを堪能できる。樋口先生は、まるで右にも左にも自由に打球を飛ばすイチローのようだ。
 ・「現代文試験に出る読解ワード300」(KKロングセラーズ)…この本のいいところは、ただ用語を羅列するだけでなく、その意味や背景を解説しているところ。現代文はもちろん、小論文、さらには英語長文にも役立つ。
 ・「早わかり入試頻出評論用語」(語学春秋社)…「ためになる本」とはこういうのを言うのだろう。学ぶというより、読んでほしい一冊。
 ・「日本語練習帳」(岩波新書)…口コミでベストセラーになった本。内容の良さは世間が認めている。正しい日本語の使い方をこれで学ぼう。
 ・「早慶に出る英単語」(光文社)…和田秀樹著。英単語集だが、かなり「読む」要素が濃い。豆知識を蓄えられるので、小論文に有効だ。もちろん、同時に英語の勉強にもなる。

早稲田への憧れ

2006年05月19日 | 体験録
 私が早稲田に憧れた根本的な理由を書こう。それは、早稲田出身の祖父の影響である。
 私は、祖父に可愛がられた。特に幼少の頃は、家にあるおもちゃはほとんど祖父に買ってもらっていた記憶がある。「子供を甘やかせると良くない」という説があるが、それはあくまで親が守るべきことであって祖父ではない。実際、私の親はおもちゃをあまり買ってくれなかった。
 たとえば、私が小学校一年の頃、あるアニメのグッズがどうしても欲しくて、父にねだったことがある。が、多くの親がそうするように、私の父も買ってくれなかった。私はかなりふてくされた。父はその埋め合わせのつもりなのか、ある日出張先でおみやげを買ってきた。たしか鉄道のオブジェのようなものだったと記憶する。今思い出せばなかなか情緒のある良い品だったと思うが、私が欲しかったのはそんなものではなかったのだ。
 だから、そのおみやげを、壁に投げつけて壊した。
 映画やドラマの定番シーンで、「親がおみやげを買ってきて、子供は『ありがとう』と口では言うものの、実は全然うれしくなくて、ゴミ箱に捨てる」というものがあるが、あのときの私の心境はまさにそれだった。

 ――余談だが、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の「トゥルー・ライズ」の前半部分にこのシーンが出てくる。私は、二浪時にこの映画を見たが、このシーンのとき、私の幼少の頃の「鉄道のオブジェ」事件が鮮明に蘇った。そして、何か感じるものがあった。浪人二年目だということも影響していたのかもしれない――

 さて、そのアニメのグッズについてである。私は、結局は所有することができた。祖父が買ってくれたのである。
 買うことも買わないことも愛情表現には変わりはない。だが、子供にとっては、「買わない」という愛情表現は、なんとなく分かりはしても、はっきりとは感じ取れないものである。この場合も、幼少の私には、祖父の「買う」という行為の方が、直接的に訴えかけてきた。
 そんな祖父が卒業している学校が、早稲田という大学らしい、というのを知ったとき、私が早稲田に興味を抱いたのは自然の流れである。しかも、早稲田という名は色々なところで耳にする。
 当初、私は早稲田というのはそんなに大きな大学だとは思っていなかった。文字面からして、田舎臭いものを感じていた。田んぼの中に木造の校舎があるようなイメージである。だから、その「田んぼ大学」がいろいろなところで活躍しているのを見ても、感じたのは「畏怖」ではなく、「おじいちゃんの大学は小さいけど、勉強も運動も頑張っててすごいなあ」という妙な親近感であった。
 しかし、この「親近感」の影響は大きかった。私も、後に「早稲田は、日本を代表する大学である」ということを知るのだが、同じく「日本を代表する」ということで語られる東大や、慶応といった大学よりも早稲田の方に圧倒的な魅力を感じた。それは、この「親近感」の効果である。

 さて、祖父の性格についてだが、祖父は典型的な保守派である。保守派は、格式を重んじるものだ。だから私の祖父は、男の生き方の理想として、「伝統高校を出て、伝統大学を出て、公務員になる」ということをよく言っていた。祖父自身、地元の伝統中学(高校)から、早稲田の政治経済学部に行き、海軍に入った。そして中学の帽子、早稲田の角帽、海軍の帽子、軍服といったものを部屋に飾っていたし、私は祖父の家に行くたびにそういうものを見ていたので、私自身もそうありたいと願うようになった。
 だから、なんとしても伝統高校に行きたかったし、早稲田にも行きたかった。そうしなければ男ではないと思った。もちろん、海軍は無理だが、将来は公務員になりたいと思っていた。
 そして、まず伝統高校の入学は果たせた。このときの祖父の喜びようは想像以上であった。昔は一中と呼ばれていたらしく、一本線の帽子をかぶれることにステイタスがあったらしい。帽子は昔とは違っていたものの、それでも私は嬉しかった。いや、嬉しかった、というより、安心した。目標を果たせたことに安心しきったのである。
 その安心は、成績凋落という不幸な展開をもたらした。いわゆる「燃え尽き症候群」である。
 しかしそれ以外にも原因はある。まず高校の科目は難しい。いや、難しいだけならいい。私にとって一番つらかったのは、科目数が多いことだ。都会の私立のように、理系・文系に分けてそれぞれの教科を特化させるということはなかった。一応、クラスは二年から理系と文系に分けたものの、全科目を平均して重視するという方針には変わりはなかった。
 いいわけになるが、もしこの方針がなかったら、私も普通の生徒でいられたと思う。しかし、復習しても復習しても、消化していないうちに次へどんどん進んでしまう。全ての科目の復習を行うことは、ひとつひとつの力点が弱まることを意味する。そのようにして、私は常に消化不良状態で高校生活を送ってしまった。だから、劣等生になった。全校生徒450人の中で420位あたりをうろついていた。こんなことが本当にあるのか、と信じられなかった。極端なことを言えば、中学までの私の発想だったら、450人中20位くらいで当たり前だったので、420位などという順位が本当に存在するとは思わなかった。ちょうど、「神社のおみくじに大凶は存在しない」という定説を信じるかのごとくであった。そんな順位を取るヤツがいたとすれば、さくらの参加者がギャグで取っているのだろう、ぐらいの認識であった。
 しかし、目の前の私の成績表は、まさに「大凶」であった。現実とはどういうものかを学んだ。
 いくら優等生の時期が続いても、次の瞬間はどうなるかわからない。私と同じく、中学では優等生でならした者も、多くは私と同じように劣等生になっていた。劣等生になると卑屈になるもので、優等生時代は風格があった者も、劣等生になればゲームオタクになったり、隠れて煙草を吸うような情けないヤツに成り下がっていた。たいてい、髪はぼさぼさでフケもある。私も同じ元優等生として、そういう彼らの姿を見て悲しくなった。
 私は、煙草を吸うようなことはなかったが、それでもどこか「落ちぶれた感」が漂っていた。それは自分で分かる。バンドをやって友達とそれなりに楽しんでいたが、進学校にいるかぎり、勉強についていけているかどうかが一番の重要事項であることに変わりはない。そのことができた上でなら、部活で頑張ろうがバンドをしようが最低限の充実感は得られる。だが、私にはそれはなかった。一見楽しそうなことばかりやっているものの、いつも上滑りしていた。
 そして、三年生になった。早稲田などとうにあきらめていたが、冬に、考えが回帰した。将来の職業のことまでは、もうこだわりはなかったものの、せめて早稲田の牙城だけは守りたいと思った。それがあって初めて私の人生は充実するのだ、上滑りすることはなくなるのだ、とそう思ったのである。文学に興味があったので、志望は第一文学部にした。
 そして、三年間の浪人生活を経て、ようやく早稲田に入った。当初の予定とは狂い、第二志望の第二文学部であったが、嬉しかったのは確かである。
 さて、祖父の反応についてだが、夜間学部ということが気に入らなかったらしい。高校入学のときのような嬉しさは全くないようだった。
 もともと祖父は、私が一浪で國學院の文学部に受かったとき、飛び上がるようにして喜んでいたのだ。合格を告げた電話の向こうで、絶叫をあげていたのがよく聞こえた。祖父は、國學院という大学を認めていた。「あそこなら間違いはない、歴史も伝統もある立派な大学だ」と。
 しかし、私はそこを蹴った。そのとき、祖父は相当がっくりしたらしい。挙げ句の果ては夜間学部への入学である。夜間学部は、祖父にとって格式を感じられない学部である。たとえ早稲田であろうと、夜間なら何の意味もない。そういう反応だった。
 ちょうどその頃、祖父は体調を悪くした。高校のとき祖父は入学式に来てくれたが、同じように早稲田の入学式にも来てもらいたかった。しかし、来なかった。が、もし体調が良かったら来たかというと、それでも祖父は来なかっただろう。寂しい気もしたが、私の中では、「来なかったのは体調のせいなのだ」ということにしてある。
 祖父は、私が早稲田を卒業して数日後に亡くなった。骨と一緒に祖父の角帽も燃やそうかと思ったが、それはやめておいた。燃やしたのは、海軍の帽子である。

なんちゃって哲学―続き

2006年05月17日 | 各論
 ここから時代を一気に飛んでみよう。近代ヨーロッパの哲学を見てみたい。このあたりからが、私たちが「哲学」と聞いてよくイメージするものである。
 大きな流れとしては以下の三つだ。つまりイギリスの経験論、フランスの合理論、そしてドイツの観念論である。
 簡単に言えば、思想が「経験」というやや古代的な考えから、「合理」という近代的な考えへ進んでいき、ついにはそれらを融合させた「観念論」へ行ったのだ。
 イギリス経験論は、ベーコンやロックが代表的人物だ。様々な経験からひとつの法則を導き出す、「帰納法」を提唱した。
 フランス合理論は、デカルトとライプニッツが代表的人物である。そしてまさに、このデカルトの合理主義こそが、現代に続く「西洋的なものの考え方」の起源なのだ。
 この、合理主義の「理」とは、理性のことだ。ただ、注意してほしい。この「合理」とは、私たちがよく使う「合理的」という言葉とは、少し違うのだ。
 普通、私たちが「合理的」と使う場合は「無駄がない」、というような意味だが、ここではそうではなく、「人間にはもともと理性があるから、その人間の理性を信用しようではないか」というような意味なのだ。
 いわば、性善説にも似た意味を含んでいるのである。
 「合理主義」がニュースを騒がせた例としては、戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏がしばしば「合理主義」を批判していたことがあげられる。
 戸塚氏は、「人間にはもとも理性はない。だからその理性を教育によって作らなければならない」と主張していた。その中のひとつとして、体罰容認論も掲げたわけだが、マスコミはその「体罰」という言葉だけを切り取ってセンセーショナルに伝えてしまい、結果、戸塚氏の主張したいところと別の方向へと報道が向かってしまった。
 こういう報道になってしまった原因は、戸塚氏が世論を見方につける語り方を心得ていなかったこともあるが、それにしても戸塚氏は誤解されすぎた。

 戸塚氏の言うとおり、デカルトの合理主義、すなわち西洋的なものの考え方は、完璧ではない。その証拠に、人間の理性を信じた結果、様々な事件が起きている。特に、理性を形成することができていない少年の段階での犯罪は、未然に防げるものばかりである。私は、その意味においては戸塚氏の主張するところを支持したい。
 何も、西洋だけが素晴らしいのではない。東洋的なものの考え方も、同じくらい素晴らしいのである。これから、新時代へ向かっていく中で、この二つを融合することが、私たちの使命だと言えるかもしれない。

 さて、そのデカルトについてである。
 デカルトの言葉で有名なのが、「われ思う、ゆえにわれあり(コギト=エルゴ=スム)」である。この意味を書こう。
 ――真理というものは、疑う余地のないものでなければならない。こう考えると、世界のあらゆる物事は、いくらでも疑うことができる。しかし、自分が今疑っているということだけは、間違いないことだ。このことから、少なくとも「自我」というものは存在するはずだ――そういう意味の言葉である。
 デカルトの著書としては「方法序説」が有名だ。また、押えておきたいのは「物心二元論」という考え方である。これは、人間を、自我と肉体に分けた考え方である。

 次に、カントについてである。
 カントは、ドイツの哲学者だ。著書は「純粋理性批判」が有名で、これは現代の哲学者が一度は通る書だと言われている。
 カントは、経験論と合理論を批判して、観念論を唱えた。
 カントの特徴としては、批判的なことである。ことに、人間の認識能力を疑った。デカルトのように、人間の理性を信用するのではなく、人間が認識するものは主観的なものに過ぎないと説いたのだ。
 これはつまり、「目の前に見えるものの全て、たとえば山や海、といったものは、山や海そのものではなく、これは山だと人間が思いこんでいるという主観を通して認識されたものに過ぎない。だから、人間の理性や自我では、世界そのものを認識することはできないのだ」という考え方である。
 カントはこの先へ進み、人間が認識するものは主観的だからこそ、人間の理性的能力が重要になってくるのだ、という考えに辿り着いた。そしてカントの思想は道徳・倫理的な色彩が色濃くなった。
 そのカントの観念論をさらに発展させたのがヘーゲルである。へーゲルは、カントの観念論に弁証法を導入して発展させた。
 弁証法とは、テーゼとアンチテーゼ、つまり肯定と否定とをぶつけることによって、より高い統一的存在を発見しようとする方法である。この思考の動きを「止揚(アウフヘーベン)」と呼ぶ。
 このようにしながら、歴史や世界の中で存在する「人間」の本当の意味をヘーゲルは探ろうとした。

 時代をさらに飛ぼう。19世紀である。
 この時期に、キルケゴールによって実存主義哲学が始まった。
 実存とは、現実存在の略で、俗的にいえば「自分の世界」というような意味だ。
 これは、ヘーゲルに代表されるような、「人間を、社会の中の構成物としてとらえる」のではなく、「個々の人間が持つ、交換不可能なその人だけの世界というものがあるはずで、人間はそこに存在している」という考え方だ。
 キルケゴールの思想の特徴は、絶望的な色が濃いことである。信仰も、個々の人間が抱える絶望の中から生まれると主張している。
 キルケゴールの著書の代表は、「死に至る病」である。

 後に現れた実存主義者の代表としては、ニーチェ、ヤスパース、サルトル、ハイデガーがいる。
 ドイツの哲学者、ニーチェの有名な言葉は、「神は死んだ」である。ニーチェはキリスト教を批判した。
 そして、神に変わるものとして人間自らが、「超人」となってたくましく生きようとしなければならない、と説いた。
 ハイデガーは、第一次世界大戦後のドイツの思想に大きな影響を与えた。ナチスを支持したため、戦後、大学を追放された。著書は「存在と時間」である。この書は、二十世紀最大の哲学書といわれている。

なんちゃって哲学

2006年05月16日 | 各論
 受験生は、子供だ。だが、受験で必要な知識は、大人のものだ。あなたは、学者と議論することができるだろうか。普通はできないはずだ。
 だが、たとえ議論に負けてもいい。議論に「参加」できれば、受験生としては十分だ。
 ここでは、学者っぽさの代表、「哲学」を学んでみよう。膨大な哲学の歴史を、短くまとめてみた。

 *  *

 哲学の起源は、紀元前8世紀である。ギリシア時代の初期だ。ホメロスの叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」に人間の理想像が描かれている。
 しかしこの時代の哲学はまだ神話的である。
 それに対し、世界を理性、つまりロゴスによって見ようとする哲学は、6世紀に現れた。すなわちタレースの自然哲学である。
 ――ちなみにロゴスは理性だととらえて良い。反対語はパトス。これは情熱とか感情というような意味だ――
 さて、タレースは、万物の根源を「水」とした。タレースと同じ、ギリシア時代には、他に万物の根源を「数」としたピタゴラスがいる。
 そのギリシア時代の後期には、ソフィストと呼ばれる弁論家たちが幅をきかせていた。彼らは、普遍的真理を否定し、いわば自己中心的な世界のみ存在することを主張した。「世界は個々によって違う。絶対的ではなく相対的である」と。

 その論に異を唱えたのがかの有名なソクラテスである。彼は、個々の人間の中に絶対的な、普遍的な真理が存在するはずだ、と説いた。つまり、今で言う倫理のようなものの存在を説いたのである。もし、ソフィストの主張に従うと、善悪の基準は相対的なものしかないことになる。たとえば、人を殺しても場合によっては「善」とみなされる可能性がある。
 そうではなく、絶対的な真理があるはずだ、と説いたのだ。

 ソクラテスの弟子には、プラトンがいる。プラトンは、イデア論を説いた。これは、世界は二つあるという主張だ。ひとつは「今、私たちが見ている世界」で、もうひとつは「本当の世界」だ。つまり、今、私たちが見ているのは、仮の世界だというのである。ならば、もしかしたら、私たちが赤や青だと思っている信号の色も、実は黒や茶色かもしれないのだ。
 こういう、物事を二つに分ける考え方を、二元論と呼ぶ。
 だが、プラトンのイデア論は、正直言って無理がある。その無理を解決したのはプラトンの弟子のアリストテレスである。どうやって解決したかは長くなるから割愛する。

 その後、ギリシア北方のマケドニアのアレキサンダー大王が南下して、ギリシアに点在するポリスを次々と制圧した。
 アレキサンダー大王は、ギリシアだけでなく、オリエントさえも制圧した。オリエントとは、エジプト・西アジア・地中海沿岸を指す広い地域である。
 このことによって東西の文化が融合され、インダス川あたりにもギリシア文化が伝わった。
 この、伝わったギリシア文化のことを、ヘレニズム文化という。ヘレニズムとは、「ギリシア風の」というような意味である。意地悪な言い方をすれば、ニセ・ギリシア文化といったところか。

 この、ヘレニズム期には、世界市民主義、すなわちコスモポリタニズムが流行した。これは、「アレキサンダー大王の力によって世界が統一されようとしている、だからもはや小さなポリスだけの思想ではなく、世界に通用する思想が必要だ」ということで生み出されたものである。
 コスモポリタニズムは大きくわけて二つある。
 ひとつは、エピクロス派、もうひとつは、ストア派である。これは、快楽主義がエピクロスで、禁欲主義がストアだと覚えればよい。エピクロスは、悪く言えば怠け者の思想である。それに対してストア派はストイックだ。ストア派は後に発生するキリスト教に大きな影響を与えた。

 さて、時代は次第にヘレニズムからローマへと変わっていく。
 ローマは実は紀元前8世紀ごろからすでにイタリア半島に存在しており、共和政をしいていた。そのローマが力をつけてきて、ついにはヘレニズム世界やエジプトまでをも支配したのである。一世紀の前半だ。
 ちょうどそのころ、ユダヤ教を母体とするキリスト教が普及した。ユダヤ教の経典は「旧約聖書」でキリスト教は「新約聖書」である。漢字でよく間違われるが、「約」の字は翻訳の訳ではなく、約束の約だ。神との約束という意味だ。

小論文こそ、講師を信じるべき

2006年05月12日 | 勉強法
 私は、小論文が得意だった。ちなみに、以下は私が高校三年のときの小論文模試で書いた、提出文である。
(※ただし、以下の三点を修正してある。①原文では一人称が「僕」となっていたが、それを「私」に修正 ②誤字を一部修正 ③読点を一部修正)

 *  *

 人間にとって、感情を表現することは、ごく自然のことである。そして、その表現の仕方には様々な方法があり、例えば日本の代表的な文化である短歌もそのひとつである。短歌といえば、形式が決まっているものの代表格であるが、一見反発し合うようにも思える「限りのない人間の感情」と「形式」の中で、いったい短歌はどのような役割を果たしているのであろうか。
 確かに、人間の感情には限りはなく、形式的な短歌とはうまく合わないかも知れない。しかし、現に、多くの人たちが短歌でうまく感情を表現してきているという事実は決して見逃してはならない。それは、課題文のいう「家々に残されている遠い祖先の私家集」「地方に残されている歌」などからも、はっきり事実として認めるべきものなのだ。
 では、なぜそのような事実が存在するのであろうか。私の考えるところは、短いからこそうまく表現できるということである。そもそも人間の感情というものは瞬間的であり、そう長々と表せるものではない。また、どんなに長く表したとしても、それがその人の感情の全てだということはない。それに、短く、形式的なものの代表格である短歌も、「詩」という面でとらえれば長い詩と「形式がある」ということでは全く変わりはない。だからこそ、短い文に密度濃くつめた短歌形式の詩こそ、最高にその人の感情を表していると言えるのだ。
 以上のことから言って、私は、短歌は人間の感情をよく表しており、「形式」とは、必ずしも全てを限定するものではないと考える。
 
 *  *

 どうお感じになっただろうか。たしかに、論旨が甘くなっているし、論理の破綻もある。だが、私は久し振りにこれを見て、「よくもまあ、こんなにまともな文章が書けたものだ」と思った。というのも現役時代の私はかなりガキっぽく、考えることと言えば趣味である音楽のこと、食うこと寝ること、いかに楽して生きるかということ、ぐらいであった。

 ともかくも、このようなド浅い思考回路の人間にもマトモな文章が書けたことは驚きである。これは、全て小論文講師・樋口裕一先生のおかげだ。私は、樋口先生の本を通して小論文を学んだ。東進ハイスクール時代は、衛星放送の講義も受けた。そして、小論文以外の著書も読んだ。たしか、「だから予備校は面白い」というタイトルだったと思うが、予備校界について樋口先生が独自の視点で語っている本を読んで、一時期は予備校講師になりたいとさえ思った。
 樋口先生は、別名で受験界とは全く関係のない本も出していたが、最近はついに本名で一般書に進出した。しかも、それはベストセラーとなり、サラリーマンの間で話題となった。そのタイトルは、

「頭がいい人、悪い人の話し方」(PHP新書)

である。

 話がそれてしまった。小論文に戻そう。
 樋口先生の提唱する方法は、やや邪道である。実際、解答例にも強引なところがあるし、厳密に言えば論理が破綻している部分もある。しかし、樋口先生がこういう方法を提唱したのは、先生ならではの優しさゆえだと私は思っている。
 すなわち、私たち非力な受験生がいきなりまともな小論文など書けるはずがない。しかし、「やや邪道かもしれないが、とっつきやすい方法」を与えられたなら、書ける可能性はでてくるからだ。
 とはいえ、そのような方法を伝授するということは、樋口先生の学者としての品格を犠牲にすることになりかねない。樋口先生は、もともと大学教授を目指していた人である。だから、受験生に向けて、いわば子供だましのような本を出すと、日本全国の大学教授からニラまれることになってしまう。それどころか、「あいつはいつも、あんな考えで論文を書いているのか」と疑われてしまうかもしれない。
 だが、自分が犠牲になってもいいから、一人でも多くの受験生が、小論文を書けるようになってほしいという願いを樋口先生は持っていたに違いない。少なくとも、自分の経験を生かして世の中に役立てようと考えていたはずである。本当に、大人だと思う。

 私が樋口先生の著書に初めて出会ったのは、高校一年の頃だ。
 中学で優等生だった私も、高校ではさすがに成績上位は無理だろうと感じていた。だが、それでも普通ぐらいの成績で過ごせるだろうとは思っていた。しかし高校に入学して初の定期テストでショッキングな点数を取ってしまった。20点代(数学)である。私は、小学校から中学校を通して、90点くらいが普通だったし、最低でも60点を下回ることはなかった。それがいきなり20点である。そのショックは大きかった。
 その答案が返ってきたとき、私は平静をよそおっていたが、授業が終わるとすぐに公衆電話にかけより、中学時代お世話になった塾の先生(樋口先生ではない)に電話をかけた。不安で不安で仕方がなかったのだ。電話口で励ましてくれる塾の先生の声を聴くと、どんなに我慢しても涙が溢れてきた。恥ずかしいからそれを声には出さまいと思ったが、多分、先生にはバレていたと思う。
 その後、低い点数にも慣れ、私は20点くらいでは驚かない日々が続いてしまった。0点をとったことすらあった。まさに野比のび太の世界である。
 そんな傷心の日を過ごしていたある日、学年で小論文コンクールを開催することになった。全員参加が義務づけられ、しかも面白くもクソもないような、挿絵がひとつもない文字ばっかりの学術文庫を買わされた。それを読んだ上で数十枚の小論文を書け、というのである。
 私は授業について行くだけで苦労していたのに、そんな重みを背負わされてはたまらない。しかし、小論文は適当に○×をつけて出すわけにはいかない。少なくとも、原稿用紙に文字を書かなければならない。それも、「戦争はいけないことだと思います」のように適当に書いてもいけない。だいいち、これでは数十枚も持たない。ましてや、「僕は将来、エラくなってカネを儲けたいです」と本音を書くのはもっといけない。
 ――どうするか。
 頭を抱えた私は、書店に走った。小論文コーナーを探すと、樋口裕一という人の書いたものがいくつかあるだけだった。仕方なく私は、その中の一冊を買い、ともかくも熟読し、その通りに書いてみた。なんとか字数を埋めることができ、そして学校の先生に怒られない範囲の、ある程度まとまった文章を書くことができた。私はこれで安堵し、提出してしばらく放っておいた。

 すると、忘れた頃に、「小論文コンクール」と題された冊子が、学年全員に配られた。入賞者は、誰もが予想したとおりであった。優等生で知られていた3人だけである。私は、優秀者の文章を読んだ。
 さすがに、文章がしっかりとしている。私とは、レベルが違いすぎると思った。そして不快になった。またしても劣等生感情が刺激されたのである。しかし、「どうせ俺は適当に書いて提出したことだし、あまり気にしまい」と気を入れ直した。
 さて、そのときである。冊子の最終ページに「佳作者」という欄があるのに気付いた。見ると五、六人の名前が記載されている……。私はそれを見て仰天した。
 なんと、私の名前がそこに印刷されているのである。
 もちろん、佳作だから文章は載っていない。だが、名前だけ印刷してあるのが逆に不気味だった。樋口先生の本を買って、締め切り間際に一日で書いた小論文である。かなり適当に書いたし、推敲もしなかったから誤字脱字も多かったはずだ。少なくとも内容は空虚であるはずだ。
 それが佳作である。
 私は、ミスプリントに違いないと思って、担任の先生に確認してみた。すると、担任の先生はこんなことを言った。
 「お前の小論文は、誤字が多すぎたから佳作にしたが、本当なら入選するところだった」
 と。
 私は、悪い冗談だと思った。もしかして成績不振の私に自信をつけさせるための「お情け」かもしれない、とも思った。だが、何度も訊いてみると、どうやらそうではないらしい。本当に、私の小論文は評価されていた。
 今考えると、全生徒の中でおそらく私だけが樋口先生の本を読んだに違いなく、いわば私は「やり方」を知っていたから他の生徒よりいいものが書けただけだったのだが、それにしてもこれは自信になった。
 
 そしてこのことは、私が劣等生として過ごした高校生時代に、最低限のプライドを維持させるに十分であった。「小論文」という科目は、授業にはない。だから、それが成績に反映されることはなく、相変わらず全教科が赤点ラインだったが、一方で全国模試での小論文の成績は、まずまずだった。時には高得点も出したので、現役時の私にとっては唯一、全国の受験生たちと互角に戦える科目だったと言える。
 ひとつでも得意な科目があるというのは、精神的にとても支えになる。私の場合は小論文がそうだった。樋口先生のおかげである。高校生の頃の私は、まだ素直だった。だから樋口先生の方法論を盲信することができた。もし、あまのじゃくな浪人時代に樋口先生の本に出会っていたら、私は樋口先生の本のあらさがしをし、小論文は永久に得意科目にはならなかっただろう。

 私が小論文で信じたのは樋口先生ただ一人である。あなたも、誰かを信じて欲しい。私の時代は樋口先生が小論文のドンだったが、最近は、他にも色々な講師がいる。誰でもいい。いちいち疑うことなく、教えられたことを実践しよう。小論文は、とても難しい教科だ。そもそも、たかだが二十前後の若者が書くべきものでもないのかもしれない。これは本当に大学受験かと疑ってしまうような高度な小論文問題もある。
 他の教科でも、何かを信じることは大切だが、特に小論文ではそのことを声を大にして言いたい。

日本史の勉強法

2006年05月10日 | 勉強法
 ■日本史の勉強法

 私は、小学生の頃から日本史が好きだった。もちろん、テストでも良い点を取っていた。だが、高校ではそうもいかなくなってきた。定期テストは何とかなったものの、実力テストではいつも学年下位の方だった。
 その原因として、第一に、中学までと違って暗記事項が細かくなること、そして第二に、出題の仕方が「丸暗記以上の理解」を要求するものだった点にある。
 前者、つまり暗記事項が多いことに関しては、負担になるし、それが実力テストのような総合的なものになってくると、かなりの分量になる。
 後者の「丸暗記以上の理解」に関しては、用語の暗記だけでなく、それぞれの用語の「つながり」が重要になってくる点がつらい。
 例えば、日本と中国の国交正常化は、
「日中共同声明」
によってなされたわけだが、中学までなら、これだけで十分であった。しかし、高校になると、
「日中共同声明→→日中平和友好条約」
という二つの用語の流れの把握、さらには、
「日中共同声明は、田中角栄内閣」
「日中平和友好条約は、福田赳夫内閣」
という、人物とのつながりも必要になってくる。ここに、高校日本史の難しさがあるのだ。

 ――余談だが、私は受験勉強していくうちに、日本史が大変な科目であることを痛感した。エール出版社の合格体験記を見ても、早慶受験者の間では山川出版社の日本史B用語集の全暗記が必須だと言われていたし、しかもそれぞれのつながりを大切にするとなれば、とても一年間で覚えられる量ではないのだ。実際、私は三年間も浪人したのに、日本史B用語集の全暗記は達成できなかった。
 その一方、社会科において楽な科目は、「政治経済」であるという説に頻繁に出くわし、途中、何度も政治経済への転向を考えた。
 政治経済が楽である理由としてよく挙げられていたのが、「暗記量が少ない」ということである。現に、それぞれの用語集の厚さを比べたらその差は一目瞭然である。
 さらに、「暗記量が少ない」ということからか、政治経済受験生は、油断しやすい怠け者であるということも、有利な理由によく挙げられていた。
 日本史は、その参考書の多さや、各種理論の充実さなどから、真剣に勉強する者が多いし、いわゆる「歴史マニア」も多い。そのため、自分はそれ以上に真剣にやらないと、成績が上がらないのだ。
 が、それでも私が日本史を選択した理由は、子供の頃から日本史が好きであったためである。この「好き」ということの効果は絶大で、私はいつも苦しみつつも楽しんで日本史を勉強していた。
 もし、私が「楽そうだから」と政治経済を選択していれば、まさに「油断する側」に回ってしまい、他の真剣な受験生に合格を献上するだけのカモになっていただろう。
 私が思うに、政治経済は、とっつきにくい。日本史と違ってストーリーがないからワクワクしないし、社会のシステムをただ暗記させられているようで、無味乾燥である。それに、いわば大人の世界を扱っているので、まだ子供である二十歳前後の人間には興味が持てないのだ。私が政治経済に興味を持ったのは、大学に入ってからである。
 もし、あなたが、高校で弁論部に所属していたり、新聞を読むのが好きだったりする場合は、政治経済でもいいだろうが、そうでない場合は、「楽そうだから」という理由だけでこの科目を選択してはならない。しっかりと吟味しよう――

 *  *

 さて、日本史の勉強をいくつかに分けてみたい。

 ①ストーリーの把握
 ②用語の暗記
 ③〈つながり〉の把握
 ④問題演習
 ⑤過去問研究

以上だ。
 日本史は英語と違って暗記科目であり、単純なので、他の科目で重要な「⑤過去問研究」は、日本史ではそれほど重要ではない。
 だが、「④問題演習」は重要である。なぜか。それは、「記憶のアウトプットをスムーズにするため」である。
 どんなことでもそうだが、「知っている」ということと「知識がすぐに使える」ということは別である。たとえば、あなたは自分が好きなアーティストのCDの、曲名が思い出せなくなることはないだろうか。日常生活ではそれで問題ないのだが、これが職業になった場合、たとえば音楽評論家の場合は、すぐに出てこない知識は、知識としては使えないのだ。
 あなたの場合は、職業は「受験生」である。受験生である限りは、知識はすぐに出せるようにしておかなければならない。そのために重要なのが、まさに「④問題演習」なのである。
 ただ、いくら問題演習が大事だからといって、全ての知識を試す必要はない。そんなことをしなくても、問題演習をしていけば「思い出す技術」がつくので、他の、問題演習しなかった知識もすらすらと出てくるようになる。だから、一問一答のようなものを真剣にやるより、普通の問題集を解いた方がいい。

 さて、では「①ストーリーの把握」について書きたい。
 これは、最も基本的なことである。つまりは教科書の流れを理解することだ。教科書は、山川出版社のものを用意しよう。予備校界からも信頼されている教科書だ。予備校の講義の度に、必ず山川の教科書で予習しよう。このような基本を押さえてはじめて、予備校で語られる細かい用語を暗記できるのである。
 ちなみに、山川の教科書以外でオススメの参考書があるので、紹介する。

 「基礎からよくわかる日本史(著者・安田元久 / 旺文社)」

 これは本当によく出来た本だと思う。題名から初心者用に見えるかもしれないが、上級者にとっても読みごたえのある参考書だ。社会人になってからも使える一生モノである。そして、文章だらけであるところもいいところだ。ポイントだけ整理してある参考書は、基本の流れをつかむのには使えないが、その点、この参考書は文章でしっかりと説明してくれている。内容もかなり深いところまで掘り下げている。オススメの参考書である。
 このようにして歴史の流れを押さえていこう。もちろん、古代から現代まで一気にやる必要はない。時代ごとでいい。 
 
 ストーリーを把握したら、いよいよ次の段階、つまり「②用語の暗記」と「③〈つながり〉の把握」に行こう。
 特に、「③〈つながり〉の把握」は大事である。前述のとおり、用語暗記だけでは、問題は解けない。そのつながりを理解していないといけない。つながりに関して、私のオススメの参考書は以下だ。
 
 「前田の図解日本史(三省堂)」

 これは、「ポイントだけ整理してある参考書」の部類に入る。だから教科書系の本と併用しなければならないが、正しく使えばかなり使える本だ。
 まず、整理の仕方が素晴らしい。つながりを的確に図にまとめている。そして、収録用語数が適度である。多すぎず、少なすぎない。
 そしてある意味では、この本は「せっぱつまった人」にも使える。つまり、「無勉状態で、試験まであと三ヶ月しかない」というようなケースだ。その場合は、この参考書だけ信じて覚えまくるのが一番、効率がいいだろう。短期間である程度まで必ず伸びる。
 もちろん、普通に使うのが一番いいのは言うまでもない。

 私が日本史で最も推奨する勉強法は、この「前田の図解日本史」を自分専用の日本史ノートに作り替えていくやり方である。予備校の授業を受けるたび、また他の参考書を読むたびに、「前田の図解日本史」と対応させ、この参考書に随時書き込んでいく。そうすれば、うまい具合に色々な用語がつながっていくはずだ。
 逆に、一番ダメな勉強法は、このようなバイブルを持たずに、ふらふらと色々と手を出して、一貫性を欠いてしまうことだ。予備校のノートでもいいし、山川の教科書でもいいが、必ずひとつバイブルを持とう。私がバイブルとして推奨するのは、この「前田の図解日本史」である。

 次に、「④問題演習」であるが、これは、どんなものでもいい。日本史など、どうせただ思い出すだけの教科である。だから脳ミソの「思い出す」機能を鍛えられればいいのだ。もしこの作業を行わなかったら、せっかく苦労して覚えた大量の用語のほとんどが、使えないものになってしまう。そうならないためにも、問題演習には時間をかけよう。
 最後の、「⑤過去問研究」についてだが、これは他の科目ほど重視しなくてもいい。ある程度の傾向を把握するだけで十分だ。


 ■暗記のテクニック

 できることなら、「普通に覚える」というのが望ましい。しかし全部そうするわけにはいかない。覚えることは大量にあるのだ。時にはテクニックを使う必要も出てくる。ここでは、そんな「暗記のテクニック」を紹介しよう。

 ――ゴロ合わせ
 定番である。ゴロ合わせの書かれた参考書も売られているので、買ってみてもいいかもしれない。ただ、自作のゴロ合わせの方が記憶に残りやすいだろう。他のところでも書いたが、自作のゴロ合わせは、作った苦労があるから印象に残るのだ。それに、サムいゴロを作ったときなどは、そのサムさのためにさらに印象に残りやすい。知り合いの名前を勝手に使って作ってみるなどしてみると、サムさも増し、印象に残るだろう。

 ――リズム暗記法
 ゴロ合わせのように意味はなくとも、リズムをつければ覚えやすい。かけ算九九などその典型例だ。
 やり方としては、頭文字ひとつを取ってリズムをつけるのがいいだろう。用語というものにはリズムはないが、関連する何個かの用語の、頭文字だけとればリズムが出てくる。

 ――イメージ暗記法
 何人かの歴史人物を、イイモンとワルモンに分けてみたり、この人は怒りっぽそうだ、とか優しそうだ、などの性格づけをしてみたりなどしてみよう。
 あと、教科書の空いたところに新聞の見出しのようなものをつけてもいい。こういうのは作っていて楽しめるし、なかなかイイと思う。
 それと、人物に芸能人を配役してみてもいいだろう。

 ――部屋中の色んなものに用語を貼り付ける
 紙に書いて部屋中に貼るのもいいが、私のオススメは、ホワイトボードを五個くらい買ってきて(百円ショップのものでいい)、それを家のあらゆる場所へ付ける方法だ。そこに日本史用語を書き連ねていくわけだ。そして、気が向いたときに新たに書き直すといい。そうすれば書くことでまず覚えるし、目に触れることでさらに深く記憶に残る。
 書き直すたびに、前に書いてあったことをノートに記録しておくことも有効だ。これを春から始めれば、一年後にはかなりの量がノートに記録されることになる。それは、市販のどんな「チェック系参考書」よりも印象に残りやすいものになるだろう。

 ――食べる
 伝説の暗記法で、「紙に書いてそれを食べる」というのがある。それはそれで衝撃があるし、かなり印象に残りやすいだろう。しかしあまりやっていると腹をこわすので、私は干しイカに書くことを勧める。私の場合は、シャーペンの先で干しイカにガリガリと用語を書いて食べた。うまいし、実際に効果は抜群で、「食べた」という記憶がはっきりと残る。
 もちろん、普通に食事をするときも文字を書ける食材にはどんどん書き込もう。豆腐は彫刻式に文字が書ける。サラダはマヨネーズで字が書ける。もちろん、食べる際は、その用語が自分の脳ミソに刻まれることをイメージしながら食べよう。

 ――自分の声を録音する
 用語を暗記するときには、たいてい「唱えて」覚えるものだ。ならばいっそ、その「唱え声」を録音しておこう。暗記勉強が終わった後、疲れて部屋に寝ころぶだろうが、このとき、ただダラダラするのではなく、録音した声を流すのだ。そうすれば、たった今暗記したときの様子がそっくりそのまま再現されるわけだから、印象に残りやすい。
 さらにこの方法のいいところは、「自分の生声」という、世界一不気味なものを聞かされる点にある。自分の声は聞いていてイタいものだ。イタいからこそ記憶に残る。どんなことでもそうだが、イタいことは記憶に残るのだ。
 (余談だが、この手法はCMでもよく使われる。綺麗で面白いCMよりも、不快でイタいCMの方が印象に残るということで、狙ってそういうことをしているCMもある。そして悔しいことに、このようなCMはやはり視聴者の記憶に残るのである。)

 ――特殊な場所で覚える
 これはあまり声を大きくして勧められる方法ではないが、私には絶大な効果があったので紹介しておこう。
 これはもともと、私が風邪を引いたときに、病院内で勉強した内容をよく覚えていたことから始まった。その後、予備校の帰りに、普段気にもとめない駐車場や、バス停で数分間立ち止まって日本史の用語を暗記してみたのだ。かなり効果があった。このとき、雑記ノートに「どこどこで覚えた」というようなことを書いておくこと(重要)。ラーメン屋の前で覚えたときなどは、そのおいしそうな匂いと共に用語が強烈に印象に残った。変わったところだと、市役所や消防署のトイレを借りてそこで覚えたり、どこかのマンションの最上階に上って街並みを見ながら暗記したり、木に登ったこともあった。
 ただ、今こういうことをすると不審者がられるので気をつけた方がいい。全く、浪人風情も味わえない息苦しい世の中になったものだ。 


 ■日本史・オススメの参考書

 すでに触れた「前田の図解日本史」「詳説日本史(山川出版社の教科書)」「基礎からよくわかる日本史」以外に、オススメの参考書をいくつか挙げたい。
 
 ・日本史B用語集(山川出版社)…必ず買うこと。全出版社に収録された用語が載っている。さらに、それぞれの用語に「何社の教科書に載っているか」の数が記入されている。
 ・菅野の日本史立体パネルフォーエバー(代々木ライブラリー)…図解系の参考書。「前田の図解日本史」より読みにくい面はあるが、よくまとめられている。私は、バイブルとしてではなく、参照用として使った。
 ・日本史年表・地図(吉川公文館)…絶対必要な一冊。参照用にこれほど最適なものはない。年表や地図や家系図などの図解が網羅されている。
 ・前田の日本史史料攻略法(代々木ライブラリー)…史料問題対策に使おう。とはいっても、この一冊を全て覚えるのは不可能。だから、自分のバイブル参考書の余白に、「前田の日本史史料・○○ページを参照」のように書いていくといいだろう。
 ・竹内流・超速・文化史の流れ(KKロングセラーズ)…題名のとおり、文化史の流れをつかむのにいい。バイブルにするタイプの本ではないが、読んで日本史への経験値を高めるのにとてもいい。
 ・日本史Q&A…必ず買おう。いわゆる「一問一答」だ。すでに述べたとおり、あくまでマジメにやるべきなのは普通の問題集なので、このQ&Aに力を入れる必要はないが、確認用として使おう。どんどん先に進んでいくやり方で解いていけばいい。いい経験として自分に蓄積される。