私の認識が世間のものと一致しているか分からないが、とりあえず私が思う「世間ではこう位置づけられているであろう」という学歴認識を書いてみる。
まず、最大の勝ち組は東大だろう。学歴的には申し分ない。民間の会社への就職はもちろんのこと、官僚への道も開けてくる。
その対抗馬として、京大がある。京大は、エリート的な東大に比べて、反骨精神があることで知られる。東京の名門高校出身者も、その校風に惹かれて、あえて京大を受験するケースも多い。京都は狭い街であるためか、学生がよる店も決まっていて、そういう影響から、教授と学生との交流が深いと言われている。「クールな東大」に対して、「熱い京大」といったところか。
さて、その次にランクされるのが東大・京大以外の旧帝国大学だろう。すなわち東北大学・北海道大学・九州大学・名古屋大学・大阪大学である。
――余談だが、今でいう旧帝国大学は、旧制高校時代は「ナンバースクール」と呼ばれていた(簡単にここではそう理解してもらいたい)。
ナンバースクールに関してだが、それは古い文学作品にもその名が出てくる。例えば川端康成「伊豆の踊子」における主人公・一高生徒だ。「一高」は現・東大の教養過程の前身である。
昔は、一高だろうが、二高(東北大の教養過程)だろうが、三高(京大の教養過程)だろうが、ナンバースクールに行けた者はそのまま繰り上がりで帝国大学に行けたらしい。簡単にいえば、「帝国大学」と呼ばれている大学に付属する形で、ナンバースクールがあったのだ。たとえて言えば、「東京大学付属高校」というようなものが、昔はあったということだ。
そして、当時は、「ナンバースクール→帝国大学」の流れこそが、完全無欠なるエリートコースだったのだ。「伊豆の踊子」で言えば、ヒロインの踊り子が主人公の学生と親しくなった理由も、主人公が一高の帽子を被っていたためである。それほど尊敬されていた、というわけだ。
今の老人たちは、昔の記憶から、この「ナンバースクール」に強い憧れを持っている。だから、東大はもちろん、もし孫が東北大学や北海道大学に入った、となれば、老人ホームで大宴会の大騒ぎである――
その次にランクされるのは、私学のトップである早稲田・慶応だろう。むしろ一般人には、東北大や北大よりもこちらの方が有名かもしれない。やや地味な印象のある東北大・北海道大・九州大・名古屋大・大阪大に比べれば、早稲田・慶応は著名人も多く輩出しており、またスポーツでも世間を湧かせている。入学試験の難易度では旧帝国大学に負けても、「イメージ」では負けない。もちろん、就職面でも有利である。
そして八十年代以降は、上智もイメージを上げてきた。今では、「早慶上智」と一緒くたになって語られる。
その次が、MARCHだ。すなわち明治・青山学院・立教・中央・法政である。これらは、学問だけでなく、スポーツその他の文化面にも優れている。早稲田のアンチテーゼ的な存在である明治、お坊ちゃん的な青山学院、洋風で洗煉された立教、法学に強い中央、左翼的でやや危険な香りのただよう法政など、世間的なイメージがかなり強い。俗的にいえば、「ピンとくる」大学だ。日本中の誰もが、これらの大学を知っているし、イメージも持っている。小学生に対しても、たとえば東北大のように、「俺の出身大学は実は旧帝国大学と呼ばれていて、スゴいんだぞ」などと説明する必要はない。「立教出身だぜ!」の一言でOKだ。
その次は、地方国立大学だろう。これらの大学は、「ピンとくる」ものではないかもしれないが、学歴的には十分に勝ち組である。特に、地元の国立大学に進み、地元で就職する場合は、下手にMARCHに行くよりもずっと有利だ。地方のエリートコースは、「地元の名門高校→地元の国立大学」である。良くも悪くも、地方というものは排他的であるので、立教や明治に行けば「地方を捨てた裏切り者」という印象が少しだけ出てきてしまうものだ。だから、地元密着でいきたい場合は、無理して都会に出る必要はない。
――余談だが、地方においてあなどれないのは、「高校」の学歴である。地元で一番の進学校には、歴史があり、名士を多く輩出している。中には、文武両道で甲子園などで活躍している高校もある。「上智大学」を知らないおじいちゃん、おばあちゃんも、地元で一番の高校に関しては歴史から何から知り尽くしている。だから、地方では、「地元で二番の高校→上智大学」よりも「地元で一番の高校→地元の国立大学」の方が重視される。特に県庁に勤める場合などはこの方が有利だ。一説によると、県庁の中の会話で、「どこ卒なの?」と聞かれた場合は、大学ではなく高校を答えなくてはいけないと言われている。
昔は、今の高校は「中学」と呼ばれていた。例えば、今でいう「高校野球」は、昔は「中学野球」だ。そして地元で一番の進学校は、たいてい、「○○一中」と名付けられていた。○○には、地名が入る。おじいちゃん、おばあちゃんの記憶には、この「一中」が強く刻まれている。だから、地方に新設の私立高校が出来ても、いまいち人気が出ない。都会では、私立高校の方が優秀だが、地方ではその逆なのだ。同時に、地元で一番の進学校には、言葉では説明できない権威がある。たとえば、東京の名門私立高校に通っていても、大学がダメなら全てがオジャンになるが、地方では、一番の高校を卒業しただけで許される空気がある。地方というのは、こういう変わった事情があるのだ――
さて、その次は日東駒専だろう。すなわち日本大学・東洋大学・駒澤大学・専修大学である。これらの大学は、歴史もあり、スポーツ・文化面でも湧かせるが、昔はそれほど強いイメージはなかったらしい。たとえば早稲田出身の私の祖父は、日本大学を「ポン大」と呼んで軽蔑していた。人のよい祖父が、悪気もなくそのようなことを言うのを聞いて、私は意外に思ったものだ。
これは、一種の「差別」である。昔の人は、色々な場面で差別を好んだ。それは学歴だけでなく、他の分野においてもそうである。しかし、このことが全て悪いかというと、私はそうは思わない。差別されることは、一種の個性である。もちろん、血筋や、国籍などで差別するようなことは論外だ。それはただのイジメである。
しかし、大学のイメージには、差別のようなものがあってもいいと思う。別に人格を否定するわけではないのだ。差別されることによって反骨心も生まれるし、学生が一丸となって、何かを起こすかもしれない。または、学問では差別されても、スポーツの大会では優勝してやる、という強い心も生まれる。スポーツの大会で優勝することは、「良い意味での差別」だ。こうして、もともと「単なる差別」だったものが、「良い意味での差別」に変わっていき、ついには大学の個性になる。
昨今は、全てを平等に、という方針で、なんでも差別用語に組み入れ、人々から言葉を奪っている。「差別される者がいる」ということは、裏を返せば「尊敬される者がいる」ということだ。スポーツでいえば、昔は王・長嶋というビッグネームがいた。それと同時にヒールもいて、いわばこれは差別されているわけだが、そのヒールも、ヒールであるがゆえに独特の雰囲気を醸し出した。そうして、個性豊かな選手で溢れた。
だが、今の選手は、誰が誰だか区別が付かない。これは、闇雲な「差別をなくせば良い」という社会的方針がもたらした弊害である。「差別」という行為は、たしかに悪いことではあるが、差別しなくてもいいものまで平等主義で押し通す必要はないと私は思う。
この、日大・東洋・駒澤・専修は、良い意味で独特な雰囲気を持っている。例えば日大は、芸術学部が俗に「日芸」と呼ばれ、その他の美術系大学とはまた違った魅力を持っている。「美術」といえば普通は絵画を想像しがちだが、日芸の場合は映像・写真に非常に力を入れている。特に写真が盛んなことはよく知られている。つまり、他の大学とは違った切り口で美術という学問を捉えているわけだ。
日大・東洋・駒澤・専修。この四大学は、なくてはならない、重要な大学である。
これは、大東亜帝国――すなわち大東文化・東海・亜細亜・帝京・国士舘にもいえる。これらの大学も、それぞれ独自のカラーを作り上げている。独特のカラーということは、いわゆる「普通の大学」とは違うイメージなので、そのため就職において他の大学に比べて不利になる場合もある。が、それはあくまで就職活動するほんの一、二年間に限った話である。いったん社会に出れば大学での経験をどう生かすかにかかってくる。実際、これらの大学の充実した学問環境や、独特の校風によって育てられた人たちが活躍している場面がしばしば見られる。
私の知っている例では、亜細亜大学出身者で、ある省庁に勤めて出世している人がいるし、ライターとして活躍している人もいる。また私が実際に仕事を一緒にしたことのある人の中に、大東文化大学出身の人がおり、彼は非常に優秀だったことを思い出す。その職場は早稲田や明治といったクラスの者が多かったが、彼はそれらの社員を指導する立場にあった。
ちなみに、彼のことで強く印象に残っているのは、ある社員と電話で会話しながら、同時にそこにいる私たちに同じ内容を図面を書いて説明している場面である。私はそれを見たとき、彼が聖徳太子に見えた。聖徳太子は、いうまでもなく複数の人間が一度に話す内容を聞き取れたという伝説を持った人物である。彼はおそらく大学時代に、存分に自分を磨き上げてきたのだろう。
さて、以上が、私が思う、一般にはこう思われているだろう、という学歴図式である。少なくとも、私のまわりには、以上のように思っている人は多い。
あなたのまわりの常識と合致しているかどうかはおいといて、少なくともこういう風に認識している人間がいる、ということは、何らかの参考になるだろう。
もちろん、大学は以上だけではない。書ききれない部分もたくさんある。例えば、一橋大学などは、官僚然とした東大とは違い、成果で勝負する、即戦力の学生が集まっていることで有名だし、また学習院や國學院といった大学は特殊な校風があり、偏差値では計れない魅力がある。その他にも国際基督教大学(ICU)や獨協大学、はたまた防衛大学校にいたるまで、個性的な大学は色々とある。
それぞれの大学には、それぞれの魅力があるものだ。
あなたが浪人生活を終えて何らかの結果を得たときに、もう一度ここを読んでみると、何かのヒントが得られるかもしれない。
まず、最大の勝ち組は東大だろう。学歴的には申し分ない。民間の会社への就職はもちろんのこと、官僚への道も開けてくる。
その対抗馬として、京大がある。京大は、エリート的な東大に比べて、反骨精神があることで知られる。東京の名門高校出身者も、その校風に惹かれて、あえて京大を受験するケースも多い。京都は狭い街であるためか、学生がよる店も決まっていて、そういう影響から、教授と学生との交流が深いと言われている。「クールな東大」に対して、「熱い京大」といったところか。
さて、その次にランクされるのが東大・京大以外の旧帝国大学だろう。すなわち東北大学・北海道大学・九州大学・名古屋大学・大阪大学である。
――余談だが、今でいう旧帝国大学は、旧制高校時代は「ナンバースクール」と呼ばれていた(簡単にここではそう理解してもらいたい)。
ナンバースクールに関してだが、それは古い文学作品にもその名が出てくる。例えば川端康成「伊豆の踊子」における主人公・一高生徒だ。「一高」は現・東大の教養過程の前身である。
昔は、一高だろうが、二高(東北大の教養過程)だろうが、三高(京大の教養過程)だろうが、ナンバースクールに行けた者はそのまま繰り上がりで帝国大学に行けたらしい。簡単にいえば、「帝国大学」と呼ばれている大学に付属する形で、ナンバースクールがあったのだ。たとえて言えば、「東京大学付属高校」というようなものが、昔はあったということだ。
そして、当時は、「ナンバースクール→帝国大学」の流れこそが、完全無欠なるエリートコースだったのだ。「伊豆の踊子」で言えば、ヒロインの踊り子が主人公の学生と親しくなった理由も、主人公が一高の帽子を被っていたためである。それほど尊敬されていた、というわけだ。
今の老人たちは、昔の記憶から、この「ナンバースクール」に強い憧れを持っている。だから、東大はもちろん、もし孫が東北大学や北海道大学に入った、となれば、老人ホームで大宴会の大騒ぎである――
その次にランクされるのは、私学のトップである早稲田・慶応だろう。むしろ一般人には、東北大や北大よりもこちらの方が有名かもしれない。やや地味な印象のある東北大・北海道大・九州大・名古屋大・大阪大に比べれば、早稲田・慶応は著名人も多く輩出しており、またスポーツでも世間を湧かせている。入学試験の難易度では旧帝国大学に負けても、「イメージ」では負けない。もちろん、就職面でも有利である。
そして八十年代以降は、上智もイメージを上げてきた。今では、「早慶上智」と一緒くたになって語られる。
その次が、MARCHだ。すなわち明治・青山学院・立教・中央・法政である。これらは、学問だけでなく、スポーツその他の文化面にも優れている。早稲田のアンチテーゼ的な存在である明治、お坊ちゃん的な青山学院、洋風で洗煉された立教、法学に強い中央、左翼的でやや危険な香りのただよう法政など、世間的なイメージがかなり強い。俗的にいえば、「ピンとくる」大学だ。日本中の誰もが、これらの大学を知っているし、イメージも持っている。小学生に対しても、たとえば東北大のように、「俺の出身大学は実は旧帝国大学と呼ばれていて、スゴいんだぞ」などと説明する必要はない。「立教出身だぜ!」の一言でOKだ。
その次は、地方国立大学だろう。これらの大学は、「ピンとくる」ものではないかもしれないが、学歴的には十分に勝ち組である。特に、地元の国立大学に進み、地元で就職する場合は、下手にMARCHに行くよりもずっと有利だ。地方のエリートコースは、「地元の名門高校→地元の国立大学」である。良くも悪くも、地方というものは排他的であるので、立教や明治に行けば「地方を捨てた裏切り者」という印象が少しだけ出てきてしまうものだ。だから、地元密着でいきたい場合は、無理して都会に出る必要はない。
――余談だが、地方においてあなどれないのは、「高校」の学歴である。地元で一番の進学校には、歴史があり、名士を多く輩出している。中には、文武両道で甲子園などで活躍している高校もある。「上智大学」を知らないおじいちゃん、おばあちゃんも、地元で一番の高校に関しては歴史から何から知り尽くしている。だから、地方では、「地元で二番の高校→上智大学」よりも「地元で一番の高校→地元の国立大学」の方が重視される。特に県庁に勤める場合などはこの方が有利だ。一説によると、県庁の中の会話で、「どこ卒なの?」と聞かれた場合は、大学ではなく高校を答えなくてはいけないと言われている。
昔は、今の高校は「中学」と呼ばれていた。例えば、今でいう「高校野球」は、昔は「中学野球」だ。そして地元で一番の進学校は、たいてい、「○○一中」と名付けられていた。○○には、地名が入る。おじいちゃん、おばあちゃんの記憶には、この「一中」が強く刻まれている。だから、地方に新設の私立高校が出来ても、いまいち人気が出ない。都会では、私立高校の方が優秀だが、地方ではその逆なのだ。同時に、地元で一番の進学校には、言葉では説明できない権威がある。たとえば、東京の名門私立高校に通っていても、大学がダメなら全てがオジャンになるが、地方では、一番の高校を卒業しただけで許される空気がある。地方というのは、こういう変わった事情があるのだ――
さて、その次は日東駒専だろう。すなわち日本大学・東洋大学・駒澤大学・専修大学である。これらの大学は、歴史もあり、スポーツ・文化面でも湧かせるが、昔はそれほど強いイメージはなかったらしい。たとえば早稲田出身の私の祖父は、日本大学を「ポン大」と呼んで軽蔑していた。人のよい祖父が、悪気もなくそのようなことを言うのを聞いて、私は意外に思ったものだ。
これは、一種の「差別」である。昔の人は、色々な場面で差別を好んだ。それは学歴だけでなく、他の分野においてもそうである。しかし、このことが全て悪いかというと、私はそうは思わない。差別されることは、一種の個性である。もちろん、血筋や、国籍などで差別するようなことは論外だ。それはただのイジメである。
しかし、大学のイメージには、差別のようなものがあってもいいと思う。別に人格を否定するわけではないのだ。差別されることによって反骨心も生まれるし、学生が一丸となって、何かを起こすかもしれない。または、学問では差別されても、スポーツの大会では優勝してやる、という強い心も生まれる。スポーツの大会で優勝することは、「良い意味での差別」だ。こうして、もともと「単なる差別」だったものが、「良い意味での差別」に変わっていき、ついには大学の個性になる。
昨今は、全てを平等に、という方針で、なんでも差別用語に組み入れ、人々から言葉を奪っている。「差別される者がいる」ということは、裏を返せば「尊敬される者がいる」ということだ。スポーツでいえば、昔は王・長嶋というビッグネームがいた。それと同時にヒールもいて、いわばこれは差別されているわけだが、そのヒールも、ヒールであるがゆえに独特の雰囲気を醸し出した。そうして、個性豊かな選手で溢れた。
だが、今の選手は、誰が誰だか区別が付かない。これは、闇雲な「差別をなくせば良い」という社会的方針がもたらした弊害である。「差別」という行為は、たしかに悪いことではあるが、差別しなくてもいいものまで平等主義で押し通す必要はないと私は思う。
この、日大・東洋・駒澤・専修は、良い意味で独特な雰囲気を持っている。例えば日大は、芸術学部が俗に「日芸」と呼ばれ、その他の美術系大学とはまた違った魅力を持っている。「美術」といえば普通は絵画を想像しがちだが、日芸の場合は映像・写真に非常に力を入れている。特に写真が盛んなことはよく知られている。つまり、他の大学とは違った切り口で美術という学問を捉えているわけだ。
日大・東洋・駒澤・専修。この四大学は、なくてはならない、重要な大学である。
これは、大東亜帝国――すなわち大東文化・東海・亜細亜・帝京・国士舘にもいえる。これらの大学も、それぞれ独自のカラーを作り上げている。独特のカラーということは、いわゆる「普通の大学」とは違うイメージなので、そのため就職において他の大学に比べて不利になる場合もある。が、それはあくまで就職活動するほんの一、二年間に限った話である。いったん社会に出れば大学での経験をどう生かすかにかかってくる。実際、これらの大学の充実した学問環境や、独特の校風によって育てられた人たちが活躍している場面がしばしば見られる。
私の知っている例では、亜細亜大学出身者で、ある省庁に勤めて出世している人がいるし、ライターとして活躍している人もいる。また私が実際に仕事を一緒にしたことのある人の中に、大東文化大学出身の人がおり、彼は非常に優秀だったことを思い出す。その職場は早稲田や明治といったクラスの者が多かったが、彼はそれらの社員を指導する立場にあった。
ちなみに、彼のことで強く印象に残っているのは、ある社員と電話で会話しながら、同時にそこにいる私たちに同じ内容を図面を書いて説明している場面である。私はそれを見たとき、彼が聖徳太子に見えた。聖徳太子は、いうまでもなく複数の人間が一度に話す内容を聞き取れたという伝説を持った人物である。彼はおそらく大学時代に、存分に自分を磨き上げてきたのだろう。
さて、以上が、私が思う、一般にはこう思われているだろう、という学歴図式である。少なくとも、私のまわりには、以上のように思っている人は多い。
あなたのまわりの常識と合致しているかどうかはおいといて、少なくともこういう風に認識している人間がいる、ということは、何らかの参考になるだろう。
もちろん、大学は以上だけではない。書ききれない部分もたくさんある。例えば、一橋大学などは、官僚然とした東大とは違い、成果で勝負する、即戦力の学生が集まっていることで有名だし、また学習院や國學院といった大学は特殊な校風があり、偏差値では計れない魅力がある。その他にも国際基督教大学(ICU)や獨協大学、はたまた防衛大学校にいたるまで、個性的な大学は色々とある。
それぞれの大学には、それぞれの魅力があるものだ。
あなたが浪人生活を終えて何らかの結果を得たときに、もう一度ここを読んでみると、何かのヒントが得られるかもしれない。