早稲田に多浪しました--元浪人による受験体験記です。

二浪計画で早稲田に受かるはずが――予想外の「三浪へ」。
現実は甘くないっすね。

このブログを読むにあたって

2007年04月28日 | Weblog
このブログは、カテゴリー「はじめに―早稲田」から読み始めてください。
新しい日付から読むより、そうした方がこのブログの主旨が分かりやすいと思います。

ここでは少しだけ、「はじめに―早稲田」から抜粋してみます。

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それから時は流れた。私は受験を終えるまで、三年という長い月日を数えなければならなかった。つまり「三浪」だ。結果は、どうだったか。

 「早稲田大学第二文学部 合格」

 これが結果だ。
 第一志望であった第一文学部には結局、入れなかったわけだが、この結果には非常に満足した。
 もちろん、世間的に見てこれが果たして誇れる結果なのかといわれると、必ずしもそういうわけではない。第二文学部は第一文学部に落ちた者が行く、掃きだめのようなイメージがあったし、また夜学だということも第二文学部の学生にとっては大きな劣等感の原因にもなっている。

 が、この合格通知を受け取ったとき、素直に嬉しかったことを思い出す。変な例えになるが、第一文学部が「金メダル」だとすれば、第二文学部は「銅メダル」ぐらいの位置であろう。「金メダルを目指して頑張ったっスポーツ選手が、銅メダルを獲得したときの気持ちは、或いはこんなものかもしれないな」と、爽やかな気持ちになったものだ。本当に、本当に、大満足で、その感情には一点の曇りもなかった。

 ドラマのように、合格通知を受け取って飛び上がる、とか、街中を駆けてゆく、といった行動に出ることもなく、何となく外に出て、空気を吸った、というような喜びの表し方であった。本当に嬉しいときは、それを残ることなく味わいたい一心から、大げさな動作をしている暇などないものである。

 さて、私は以上のような結果で受験を終えた、ひとりの人間である。これを見て、これから先、読む価値があるかもしれないし、ないかも知れないが、少なくとも、こういう人間が、こういう形で受験を終えた、という経緯は、何らかの参考になるであろうと信じている。現在私は、早稲田の二文を卒業して数年が経過し、かつて受験したことなどすっかり忘れ、浮き世の雑事に追われる日々を過ごしているのだが、これから受験を控えている方々に対する愛着から、というか、応援したい一心で、拙文を書き続けていこうと思っている次第である。

コメントへのお答えです

2006年07月02日 | Weblog
コメントをいただきましたので、お返事します。
(読んでいる皆さん宛へのお返事ということにします)

私の通っていた東進ハイスクールは、一部から、ぼったくり予備校などと呼ばれていますね。う~ん。それは分かる気がします。
「この講座を取らなければ合格しない」と言って、多くの講座を取らせたり…
予備校は商売ですから、それは仕方ありません。大手の予備校はどこもそうです。そういう意味では、個人塾の方が良心的です。
しかし、大手には大手の良さがあります。なんといっても、講師がいい。

思い出しますよ。滝山先生、永田先生、横田先生…。
衛星放送の画面なのに、伝わってくるものがある。
この三人の先生のギャグがまた面白い。
真剣な空気だからこそ、ギャグを言ったときの落差がすごくて、大爆笑してしまう。

皆さん、テレビを見ていて、笑ってしまうことってありますか?
体を張っているだけの芸人のギャグは面白いですか?

予備校は、本当に面白くて、泣けて、感動できる場所です。
こんなにいい空間にもしいるとしたら、人生の中で貴重な一年となることでしょう。

気をつけるべき部分だけ、気をつければいいのです。
それを分かっていない人が、予備校の批判ばかりするのです。

あなたが批判している予備校で、受かっちゃってる人は、たくさんいるのですよ。


p.s.
今、仕事の関係で、なかなかブログを更新できない状態です。
とはいえ、合間を見て記事を考えています。
知りたいことや、悩みなどがありましたら、メールなりコメントなりくだされば、と思います。
再開したときに、的確にお答えできるように考えをまとめておきます。