早稲田に多浪しました--元浪人による受験体験記です。

二浪計画で早稲田に受かるはずが――予想外の「三浪へ」。
現実は甘くないっすね。

「理解力に優れた人」の頭の中①

2006年04月29日 | 各論
 同じ勉強をしていても、理解の早い人と遅い人がいる。この差は、いったいどこから来るのだろうか。それは、二つあると私は考えている。
 ひとつは、「全体を見る能力」である。ここでは、このことについて書きたい。
 つまり、今自分が勉強していることの意味が、よく分かっているかどうかということである。
 どこの国の格言か失念したが、「頭が良くなりたい男はまず料理の達人になれ」というものがある。料理というのは、いくつかの材料を混ぜて作る作品だ。その材料ひとつひとつには、必ず意味がある。
 例えばフライパンを使う料理の場合、一番最初にフライパンに入れるのはアブラ類である。その次に炒め物系を入れて適度にこがしてから、後半にソース類を入れる。そして次に、ライスだったり、麺類だったり、といった炭水化物を入れる。最後、皿に盛りつけた後に、ネギなどのトッピング類を乗せて出来上がりである。
 理解力のある人は、まずこの大枠がすでに出来上がっている。だから、最初に入れるものが何か分からなくなっても、少なくともアブラ類であることは分かる。植物油か、鯨油か、それともバターか。
 しかし、理解力のない人は、最初にいきなりライス類を入れてしまったりする。アブラもなしにライスを入れたら、こげてしまうのは当たり前だ。そして、しまいには取り返しのつかない状態になり、結婚したての新妻が作るようなヒドい料理が完成してしまう。

 あなたも、母の料理作りを手伝ってみるといい。案外難しいものだ。きっと全体を見る能力が養われることだろう。全体を見る、ということは、計画性があることをも意味する。先程のフライパン料理の例でいえば、最後にスパゲティ麺を入れるところまで来たとしても、肝心のスパゲティ麺を煮るのを忘れてしまっていては意味がない。
 料理というものは刹那的なものだ。だから計画を間違えれば食材をこがしてしまったり、麺がのびてしまったりで、必ず失敗する。
 ところが、「全体を見る能力」がある人は、途中、ミスを犯しても、それを挽回するだけの危機回避能力がある。例えば、最初に入れるアブラをこぼしてしまったら、普通ならパニックにおちいるところだ。しかし、「全体を見る能力」がある人は、「アブラをこぼしても、代わりにバターを入れればいい」と即座に判断できるのだ。最初に入れるのはアブラ類でさえあればとりあえずは何とかなる、ということが分かっているからこそ浮かぶ発想である。料理をただのひとかたまりとして見るのではなく、それぞれの食材の意味がすぐに判断できる。これは、他のことにも応用できるわけだ。
 だから、幼い頃から母の手伝いをしていた人というのは、たいてい理解力に優れた人である。学校の成績もいい。

 こういうことは、料理関係のテレビ番組を見てもよく分かる。最近よくある番組で、「つぶれかけのラーメン屋のダメ主人が、一流のラーメン屋の職人に弟子入りして再起をはかる」というような番組がある。
 そういう番組を見てみると、たいてい、ダメ主人は、一流職人に怒鳴られている。視聴者は、そのさまを見て「当たり前だ」と感じる。なぜなら、ダメ主人の動きが、あまりにトロいからだ。麺をゆでたまではいいものの、他の作業をしている間にそれを忘れ、気がつくと湯が沸騰して麺がこぼれてしまっている。
 このとき視聴者は「おいおい、麺がこぼれてるぞ、早く気づけよ」と他人の目で見るのだが、それは、テレビという、全体を見ることができる視点で眺めているからそう思えるのである。だが実際にその場にいる者にとっては、この「全体像」がつかみにくいのだ。テレビを見て笑っている人も、その立場になってみれば怒鳴られるに違いないのだ。
 このように、今、自分がしていることの意味というものは、その瞬間にはなかなか分からないものである。後で振り返ってみて、ああ、あれにはこういう意味があったのか、と分かるのだ。しかし一方で、初めからそれが分かる人というのがいて、まさにそういう人が、「理解力に優れた人」なのである。
 たとえ初めて行うことでも、即座に全体像を自分の頭の中で作り上げる。そして、自分が今、していることの意味を、その全体像の枠の中に当てはめるのだ。

 さて、では特別に理解力に優れているわけではない人は、どうすればいいだろうか。
 それは、上記のこと、つまり「全体像を見る」ということを、意識して行うようにすることである。そうすることで、理解力がある人と同じような習得構造を獲得することができる。
 勉強に当てはめて考えれば、たとえば今、あなたがある参考書のひとつのページを学んでいたとする。
 まずは、ここでいったん手を休めて、その参考書の目次を見てみよう。色々な章があって、その概要が書かれている。その概要を全て眺めたうえで、もう一度今やっていたページに戻ってみよう。すると、そのページの意味が、理解できるはずだ。
 もちろん、本当に理解力がある人は、単に参考書だけにとどまらず、試験に出ている映像すら、浮かぶ。
 例えば、「count on―あてにする」という熟語を熟語帳で見たときに、
「countといえば、普通は、《数える》という意味だよな。それが《あてにする》という意味になるとは…。試験本番で出てきたらツイ《数える》と訳してしまいそうだ。気をつけないと」
と、「試験本番」というまさに「全体」からの俯瞰でその熟語を眺めることができる。さらに、以下のように、それを横のつながりで見ることも出来る。
「そういえば、depend onとか、rely onなんていうのも《あてにする、頼る》という意味だったな。まあonというのは何かの上に乗っかっているようなイメージだが、《頼る》というのも、ある意味では《乗っかる》つまりは《身を委ねる》ということだから、そういう意味になるのかもしれない。だからどうやらこのonは、《depend on》なんかと同種のonだと考えてよさそうだぞ」
などと、即座に他の熟語に関連させることができる。

 ――余談だが、《on》は、《上に乗っかる》というだけでなく、壁や天井に付着しているような場合でも使う。
 例:a fly on the ceiking……天井にとまっているハエ
  :a picture on the wall……壁にかかっている絵
 これらは、試験に出るので注意。おっと、単にここで用法を見るだけで終わらないで欲しい。全体像を想像した上で、この用法を眺めてみよう。例えばどんな形式で試験に出るだろうか。おそらく、こんな感じだろう…
  :a fly at the ceiking……問1)正しければT、間違っていればFをマークせよ
  :a picture ( A ) the wall……問2)( A )に入る語を記入せよ
…と、こんな具合に。要は、こういう図がイメージできるかどうか、である――

 自分が何をしているか、何のために勉強しているのか分からなくなったときは、全体をイメージしてそこから今の自分を俯瞰して見てみよう。そうすることで、今、自分がしていることの意味も分かるし、理解も深まるのである。

古文・漢文の勉強法

2006年04月28日 | 勉強法
 これらの科目は非常にやっかいだ。その最大の理由は、多くの時間をかけられないことにある。つまり、国語の大問のひとつとして出されるに過ぎないから、どうしても優先順位が下がってしまうわけだ。
 実際、古文・漢文に多くの時間をかけるのは得策ではない。何かを重視すれば必ず何かが軽視されることになる。だから、古文・漢文に多くの労力を割いたなら必ず他の科目が犠牲になる。
 受験の難しさは、複数科目を勉強しなくてはならないことにある。一年間という短い期間のなかにいかに効率よくそれぞれの科目のノルマを当てはめることができるか。この、時間の整理学に合否がかかっているのだ。
 受験勉強に関する私の持論は、「基本的なことだけを、確実に把握していく」ということだ。それは、私が浪人していたときの失敗から得た経験である。私は、多くの知識を半端に取り入れてしまった。そんななか、試験中に本当の意味で私を救ってくれたのは、力を入れて何度も反復した基本知識だけだった。
 この「古文・漢文」では、私のこの持論を、特に声を大にして唱えたい。
 一年という期間は短いのだ。その短いなかで、しかも他のビッグな科目が控えている状況で、「古文・漢文」の力をつけようと思ったら、必然的に「絞る」という方向に行くことになる。そのことは覚えておいてもらいたい。

 *  *

 ~古文について~

 さて、具体的な勉強方法を紹介しよう。まずは古文から。古文の勉強を大きく分けるとこのようになる。

 1)単語
 2)文法
 3)文学史・古文常識
 4)読解
 5)問題演習・過去問研究

 以上である。ひとつひとつ説明していきたい。

 1)単語
 単語集は、何でもいい。どの出版社のものも統計をとって作られている。あとは切り口の問題である。五十音順のもの、系統別に載っているものなど色々だ。そのどれが良いかは、あなた自身が決めればいい。他の人と違うからといって、不安になる必要はない。
 古文単語は、基本中の基本である。だからこれを終わらせないと、問題演習どころではなくなってしまう。完璧に、ものにしてもらいたい。暗記方法としては、すでに他のところで述べたが、一つの単語にかける時間を少なくし、その代わり長期間、継続することだ。間違っても、一日に百回も唱えるようなことはしてはいけない。同じ百回なら、十回を十日間つづけた方がいい。


 2)文法
 これも基本だ。問題演習以前の話である。古文は、単純な文法問題が必ず出てくる。これは、勉強していれば解ける問題なので、ここで落とすわけにはいかない。
 古文の文法問題は、意外と簡単である。出てくるものが決まり切っているのだ。英語での複雑怪奇な問題を考えると、ありがたいくらい簡単なのである。
 私が試験場で古文に接するたび「よく出るなあ」と思っていたのは、以下である。

 ①紛らわしい形(同音語など)の識別問題
 ②係り結び、呼応の副詞
 ③接続詞の省略を見抜いたか、問う問題
 ④単語の意味を問う問題

 まず、①に関してだが、これは出るものが決まっている。例えば「ぬ」や「なり」の識別などは定番である。参考書や予備校のテキストで同音語をピックアップしていくこと。本当に、定番ばかりだから、出たら確実に点が取れるよう、「識別のポイント」を頭に叩き込もう。
 もちろん、助動詞の活用表を暗唱できるようにしておくことは大前提だ。
 同音語の識別に関するコツは、例外を排除することである。なぜなら例外を挙げるときりがなくなる上、本筋の知識をあいまいなものにしてしまうからだ。もしひっかけ問題が出たら、それは他の受験生も間違うから、気にしなくていい。たとえひっかけ問題が出来たとしても、その代わり他のところで点を落とすだろう。ひっかけ問題が出来るようになった代償として他の分野が犠牲になっているということだ。
 さて、次に②だ。これまたよく出る問題である。しかも、数が少ない。三十個くらいだ。さらに、現代日本語の感覚に似ていて覚えやすい。例えば、「ゆめゆめ」という副詞がきたら「禁止」を表す語が来るのは、現代語も同じだ。そういうものを除外したら、②で覚えるべきことは本当に少ない。だからこの問題を落とすようでは、受験資格はない。
 ③は、読解問題の形で出されることが多い。特に逆接の接続詞の省略を見逃した場合は、とんでもない選択肢を選んでしまうことになる。古文にはあらゆる面で省略が多いことを頭に入れておこう。だから、色々なものを補いながら訳すといい。接続詞の他にも、主語や助詞も省略されているから、それらを補おう。
 そのためには、予備校の講義を受けるといい。もしくは、「土屋の古文講義シリーズ(代々木ライブラリー)」や、読解系の実況中継モノの参考書も、有効だろう。それらを繰り返し読んで、読解のコツを学ぶこと。そうすれば、あらゆる省略にも、難なく対応できる。
 ④は、あまりにもストレートである。単語は、知っていれば解けるし、知らなければ解けない。英単語ほど多量にあるわけじゃないから、必ず押さえよう。しかも、日本語だから覚えやすいはすだ。
 古文は、割と基本的な問題が多い。しっかりと勉強していた人はしっかりと出来る科目である。とはいえ、覚えることは少なくはない。油断しているといつまでも合格レベルには達しない。春から、コツコツと積み上げていくことが大事だ。 

 さて、古文の文法問題を解くコツについて書こう。それは「まずは文脈に照らしてみる」ということだ。
 受験生は、参考書に書いてある識別のルールを無意味に当てはめがちである。だが、まるでパズルのように当てはまるピースが見つかるまで悪戦苦闘する必要はない。少し冷静になって考えれば、文意からあっさりと答えの出るものも多いのだ。例えば、「ぬ」の識別問題で、

 ――京には見えぬ鳥なれば、みな人知らず。
 この「ぬ」は、解析するまでもなく打消の「ぬ」だろう(打消「ず」の連体形)。誰が見ても、「京には見えない鳥」、つまり「京では見られない鳥」という意味だと分かる。まさか完了の「ぬ」ではありえない。「京には見えてしまう鳥」という訳はおかしい。

 文法問題を解くもうひとつのコツは、「古文だからといってかたく構えない」ことだ。例えば、同じく「ぬ」の識別問題で、
  1-驚かぬ人
  2-驚きぬ。
 という二つが出てきた場合、「打消」は明らかに1である。これは、現代語に当てはめて考えて欲しい。現代語の打消の場合、「驚かない人」となる。つまり――「驚か」と「ない」であり、「驚か」の部分は古文と全く同じなのだ。だから、1が「打消」だ。とりあえずこういう理解で良いのだ。
 2の方は、「完了」、つまり「~てしまった」という意味だが、これは、明治期の擬古文調の文章を思い出せば分かる。明治擬古文には「~ぬ。」で終わる文章が非常に多い。
 明治擬古文を読み慣れていれば分かるが、それらの「ぬ」の接続はみな連用形だ。簡単に言えば、「 i 」の母音に接続されているのだ。
 これがもし、現代語の普通の感覚なら、「ぬ」に接続するものといえば「 a 」の母音で終わる活用である。例――行かぬ、参らぬ、切らぬ、走らぬ、書かぬ、座らぬ、聞かぬ――などなど。これらは全て「打消」である。
 ところが、明治の擬古文では――行きぬ、参りぬ、切りぬ、走りぬ、書きぬ、座りぬ、聞きぬ――といった、およそ現代語の感覚からは理解しがたい、奇怪な接続(連用形接続)が出てくる。なぜか。
 それは、つまりこれらの「ぬ」は「打消」の助動詞ではないからである。実はこれらの「ぬ」は全て、「完了」の助動詞なのだ。

 簡単にいうと――「打消」は現代語っぽいが、「完了」は現代語っぽくない――ということである。少々乱暴だが、こんな理解の仕方から始めると、とっつきやすいはずだ。
 他の例を挙げると、「風と共に去りぬ」という映画がある。この「ぬ」は、打消と完了のどちらだろうか。
 そして、もし「風と共に去らぬ」という映画があったらどんな内容になるだろうか。想像してみると面白いかもしれない。

 以上、文法問題のコツを述べた。単に文法ルールを丸暗記するのではなく、古文といえどもあくまで日本語なのだから、そのことを忘れないようにして勉強すればいい。


 3)文学史・古文常識
 文学史・古文常識は、膨大な数にのぼる。それに対して、これらを直接問う知識問題は、非常に少ない。一問しか出ないこともあれば、全く出ないということもある。そのため、これらを覚えることは無駄に思えるかもしれない。
 しかし、実は、これらは読解問題で大きな役割を果たすのだ。だから無駄ではない。むしろ重要である。
 例えば、出典が物語なのか、それとも日記なのか、または随筆なのかによって、内容の方向性が限定されてくる。物語なら、文字どおりストーリーが語られているだろうし、日記なら、時期は平安で、女性の視点から書かれている場合が多いし、随筆なら、教訓めいたことが書かれているに違いないし…といったように、色々なことが分かる。
 他には、例えば仏教説話なら、結論部分は必ず仏教をあがめる内容になっているはずだから、選択肢もそのようなものを選べば良い。
 古文に出てくる定番人物、定番用語、時代背景や文献の歴史、勅撰和歌集の種類と時期、など、これらを知っておくことは、ある意味では古文そのものを知るということと同じである。
 だから、手を抜いてはいけないのだ。
 ここでオススメ参考書をあげるまでもなく、文学史や古文常識の本は多数、出版されている。その中のどれか気に入ったものを選んで覚えて欲しい。


 4)読解
 これはとても難しいことだ。昔の文章は、どういうわけか主語がなかったり、接続詞が省略されていたりで、論理性に欠けていて読みにくい。だから単語・文法・文学史・古文常識などの、全ての知識を総動員させなければならない。そのため、まずはこれらの基本事項をマスターすることが大前提となる。
 基本事項をマスターしたら、いよいよこの読解の段階に入るわけだが、ただ闇雲に多読するのではなく、読む「コツ」を誰かに教えてもらわなければならない。
 その「誰か」は、予備校の古文講師であってもいいし、参考書でもいい。どちらか自分に合う方を選択すればいいが、私は予備校の方をすすめる。
 なぜなら、古文講師は、授業中に色々と有益な話をしてくれるからだ。古文は、昔の時代に、この世を生きていた人が書き残した文献である。数学のように論理的な世界が構築されているわけではない。人間の感情は、論理的ではない。特に昔は、今と違って法整備も厳密になされていないし、社会のシステムも完璧に出来上がってはいない。だから、ますます感覚的である。
 感覚的なことは、人によって語られたものを聞くのが一番いい。本からだと、学べない部分がたくさんある。読解方法の他に、古文常識や、単語にまつわる話など、色々なことを講師から聞くと良い。それはきっと、あなたの力になってくれるだろう。

 しかし、あえて参考書で学ぶ場合は、一冊に絞って、それを徹底的に反復した方がいい。解釈系の参考書で、受験生の間で評判のものから選ぼう。その中から自分に合ったものを選べば良い。
 私が勧めるのは以下である。

 ・「古文解釈の方法(駿台文庫)」…これは、解釈において大切な定番事項が、まんべんなく書かれている。レイアウトが平易で古くさい印象もあるが、内容は充実しているので、解釈のバイブルとしてはこの一冊で十分である。
 ・「古文解釈の実践(駿台文庫)」…これは、「古文解釈の方法」を何度も繰り返した後、参考までに読む本として使おう。何度も繰り返す必要はない。自分の経験値として読んでおけばよい。あくまで、大切にするのはバイブル一冊である。
 ・「土屋の古文講義シリーズ(代々木ライブラリー)」…受験生に人気のある本。実際、内容は充実している。やや読みにくいが、何度も繰り返す価値あり。
 ・「古文・全天候バイブル(中道館)」…これは、網羅系の参考書ではないため、無勉からの生徒には向かないが、ある程度の実力がある人が、重要事項だけを繰り返して頭に叩き込むには最適の本である。文章にもユーモアがあり、読みやすい。余計なことを排除していることもこの本の特徴だ。試験直前期に一気に五回くらい読むと力を発揮するだろう。五回どころか、とばし読みなら一ヶ月で十回はイケるほどあっさりとした本だ。
 ・「土屋の古文100(ライオン社)」…これをバイブルにしても良い。「古文解釈の方法」とは別の切り口で、解釈を学ばせてくれる。出典のジャンルが多岐にわたり、また細かい注と訳がついているのが良い。古文常識も同時に学べて、かなりおいしい一冊である。内容を充実させた代わりに説明を簡素にしてあるので、無勉からの受験生には向かないが、良書であることに変わりはない。

 5)問題演習・過去問研究
 重要である。英語でもそうだが、特に古文の場合は、経験値がものを言う。ものごとには、「コツ」というものがある。これは、参考書では教えられない。そこを、実践で学ぶのだ。
 理想としては、夏までに基本事項を全て終わらせ、秋からは完全に問題演習と過去問研究の時期に入りたいところだ。もちろん、問題演習の時期とはいっても、常に基本の確認を怠ってはいけないが、メインは問題演習でいった方がいい。自分では学んだつもりのものでも、問題という形で出されると出来ない場合が多い。その部分を克服するのだ。


 *  *

 ~漢文について~

 さて、次は漢文について書きたい。が、実は私は漢文の克服は最後までできなかった。だからあまり言う資格はないのかもしれない。
 これは私の印象だが、漢文というものは、配点が低い上にえらくとっつきにくい。読解も文法も、習得に時間がかかる。しかも、いざ習得したかと思うと、古文と違って中国語だからか、忘れやすい。従って、つらいメンテナンスもしっかりと行わなければならない。
 そして、試験問題が、また難しい。なかなか読めないし、文法問題も合っているのかどうか解いていて確信が持てない。
 私にとって唯一の「確信が持てる」問題は、漢文常識の問題だった。それは、知っていれば解けるし、知らなければ解けない。だから、そこはきっちりと対策したが、読解その他に関しては、三浪目の最後まで、不安な状態だった。

 これはあくまで私の感覚からの意見だが、漢文の対策は必要最小限にとどめるべきだと思う。その分、現代文や古文に時間をかけるべきだ。なにせ大学によっては、全く出題されないところもあるのだ。
 実際、私が浪人当時買っていたエール出版社の合格作戦シリーズ(合格体験記)では、「漢文は全くやらなかった」という猛者が何人もいた。
 とはいえ勉強すればある程度解ける面もあるので、「全くやらない」というのは極端だが、優先順位の最下位に持ってきた方がいいのだけは確かだと思う。

 以下、私が有益だと思った参考書を挙げておこう。


 ・「田中雄二の漢文早覚え速答法(学研)」…非常に役に立った。試験直前期に慌ててチェックしたが、いくつか的中した。網羅系の本ではないが、出るポイントだけが載っている、いさぎよい本だ。
 ・「漢文ミニマム攻略法(旺文社)」…網羅系の参考書。かつ非常に読みやすい。これを完璧にこなせば漢文の文法問題に不安はないだろう。
 ・「三羽邦美のパーフェクト漢文・実況放送(東進ブックス)」…隠れた名著だと思う。要するに予備校の講義を本当の意味で凝縮してあるもので、決して体系立てられてはいないが、予備校の講義さながらに、漢文のあらゆる知識をライブ感覚で読むことができる。他の参考書との重複もあるだろうし、そういう意味では無駄も多いかもしれないが、私の場合は漢文常識や、中国の文学史をこれで学んだ。実際、試験でも助かった。繰り返し読む価値のある本だ。

学歴論③

2006年04月25日 | 学歴論
 私の認識が世間のものと一致しているか分からないが、とりあえず私が思う「世間ではこう位置づけられているであろう」という学歴認識を書いてみる。

 まず、最大の勝ち組は東大だろう。学歴的には申し分ない。民間の会社への就職はもちろんのこと、官僚への道も開けてくる。
 その対抗馬として、京大がある。京大は、エリート的な東大に比べて、反骨精神があることで知られる。東京の名門高校出身者も、その校風に惹かれて、あえて京大を受験するケースも多い。京都は狭い街であるためか、学生がよる店も決まっていて、そういう影響から、教授と学生との交流が深いと言われている。「クールな東大」に対して、「熱い京大」といったところか。

 さて、その次にランクされるのが東大・京大以外の旧帝国大学だろう。すなわち東北大学・北海道大学・九州大学・名古屋大学・大阪大学である。
 ――余談だが、今でいう旧帝国大学は、旧制高校時代は「ナンバースクール」と呼ばれていた(簡単にここではそう理解してもらいたい)。
 ナンバースクールに関してだが、それは古い文学作品にもその名が出てくる。例えば川端康成「伊豆の踊子」における主人公・一高生徒だ。「一高」は現・東大の教養過程の前身である。
 昔は、一高だろうが、二高(東北大の教養過程)だろうが、三高(京大の教養過程)だろうが、ナンバースクールに行けた者はそのまま繰り上がりで帝国大学に行けたらしい。簡単にいえば、「帝国大学」と呼ばれている大学に付属する形で、ナンバースクールがあったのだ。たとえて言えば、「東京大学付属高校」というようなものが、昔はあったということだ。 
 そして、当時は、「ナンバースクール→帝国大学」の流れこそが、完全無欠なるエリートコースだったのだ。「伊豆の踊子」で言えば、ヒロインの踊り子が主人公の学生と親しくなった理由も、主人公が一高の帽子を被っていたためである。それほど尊敬されていた、というわけだ。
 今の老人たちは、昔の記憶から、この「ナンバースクール」に強い憧れを持っている。だから、東大はもちろん、もし孫が東北大学や北海道大学に入った、となれば、老人ホームで大宴会の大騒ぎである――

 その次にランクされるのは、私学のトップである早稲田・慶応だろう。むしろ一般人には、東北大や北大よりもこちらの方が有名かもしれない。やや地味な印象のある東北大・北海道大・九州大・名古屋大・大阪大に比べれば、早稲田・慶応は著名人も多く輩出しており、またスポーツでも世間を湧かせている。入学試験の難易度では旧帝国大学に負けても、「イメージ」では負けない。もちろん、就職面でも有利である。
 そして八十年代以降は、上智もイメージを上げてきた。今では、「早慶上智」と一緒くたになって語られる。

 その次が、MARCHだ。すなわち明治・青山学院・立教・中央・法政である。これらは、学問だけでなく、スポーツその他の文化面にも優れている。早稲田のアンチテーゼ的な存在である明治、お坊ちゃん的な青山学院、洋風で洗煉された立教、法学に強い中央、左翼的でやや危険な香りのただよう法政など、世間的なイメージがかなり強い。俗的にいえば、「ピンとくる」大学だ。日本中の誰もが、これらの大学を知っているし、イメージも持っている。小学生に対しても、たとえば東北大のように、「俺の出身大学は実は旧帝国大学と呼ばれていて、スゴいんだぞ」などと説明する必要はない。「立教出身だぜ!」の一言でOKだ。

 その次は、地方国立大学だろう。これらの大学は、「ピンとくる」ものではないかもしれないが、学歴的には十分に勝ち組である。特に、地元の国立大学に進み、地元で就職する場合は、下手にMARCHに行くよりもずっと有利だ。地方のエリートコースは、「地元の名門高校→地元の国立大学」である。良くも悪くも、地方というものは排他的であるので、立教や明治に行けば「地方を捨てた裏切り者」という印象が少しだけ出てきてしまうものだ。だから、地元密着でいきたい場合は、無理して都会に出る必要はない。
 ――余談だが、地方においてあなどれないのは、「高校」の学歴である。地元で一番の進学校には、歴史があり、名士を多く輩出している。中には、文武両道で甲子園などで活躍している高校もある。「上智大学」を知らないおじいちゃん、おばあちゃんも、地元で一番の高校に関しては歴史から何から知り尽くしている。だから、地方では、「地元で二番の高校→上智大学」よりも「地元で一番の高校→地元の国立大学」の方が重視される。特に県庁に勤める場合などはこの方が有利だ。一説によると、県庁の中の会話で、「どこ卒なの?」と聞かれた場合は、大学ではなく高校を答えなくてはいけないと言われている。
 昔は、今の高校は「中学」と呼ばれていた。例えば、今でいう「高校野球」は、昔は「中学野球」だ。そして地元で一番の進学校は、たいてい、「○○一中」と名付けられていた。○○には、地名が入る。おじいちゃん、おばあちゃんの記憶には、この「一中」が強く刻まれている。だから、地方に新設の私立高校が出来ても、いまいち人気が出ない。都会では、私立高校の方が優秀だが、地方ではその逆なのだ。同時に、地元で一番の進学校には、言葉では説明できない権威がある。たとえば、東京の名門私立高校に通っていても、大学がダメなら全てがオジャンになるが、地方では、一番の高校を卒業しただけで許される空気がある。地方というのは、こういう変わった事情があるのだ――

 さて、その次は日東駒専だろう。すなわち日本大学・東洋大学・駒澤大学・専修大学である。これらの大学は、歴史もあり、スポーツ・文化面でも湧かせるが、昔はそれほど強いイメージはなかったらしい。たとえば早稲田出身の私の祖父は、日本大学を「ポン大」と呼んで軽蔑していた。人のよい祖父が、悪気もなくそのようなことを言うのを聞いて、私は意外に思ったものだ。
 これは、一種の「差別」である。昔の人は、色々な場面で差別を好んだ。それは学歴だけでなく、他の分野においてもそうである。しかし、このことが全て悪いかというと、私はそうは思わない。差別されることは、一種の個性である。もちろん、血筋や、国籍などで差別するようなことは論外だ。それはただのイジメである。
 しかし、大学のイメージには、差別のようなものがあってもいいと思う。別に人格を否定するわけではないのだ。差別されることによって反骨心も生まれるし、学生が一丸となって、何かを起こすかもしれない。または、学問では差別されても、スポーツの大会では優勝してやる、という強い心も生まれる。スポーツの大会で優勝することは、「良い意味での差別」だ。こうして、もともと「単なる差別」だったものが、「良い意味での差別」に変わっていき、ついには大学の個性になる。
 昨今は、全てを平等に、という方針で、なんでも差別用語に組み入れ、人々から言葉を奪っている。「差別される者がいる」ということは、裏を返せば「尊敬される者がいる」ということだ。スポーツでいえば、昔は王・長嶋というビッグネームがいた。それと同時にヒールもいて、いわばこれは差別されているわけだが、そのヒールも、ヒールであるがゆえに独特の雰囲気を醸し出した。そうして、個性豊かな選手で溢れた。
 だが、今の選手は、誰が誰だか区別が付かない。これは、闇雲な「差別をなくせば良い」という社会的方針がもたらした弊害である。「差別」という行為は、たしかに悪いことではあるが、差別しなくてもいいものまで平等主義で押し通す必要はないと私は思う。
 この、日大・東洋・駒澤・専修は、良い意味で独特な雰囲気を持っている。例えば日大は、芸術学部が俗に「日芸」と呼ばれ、その他の美術系大学とはまた違った魅力を持っている。「美術」といえば普通は絵画を想像しがちだが、日芸の場合は映像・写真に非常に力を入れている。特に写真が盛んなことはよく知られている。つまり、他の大学とは違った切り口で美術という学問を捉えているわけだ。
 日大・東洋・駒澤・専修。この四大学は、なくてはならない、重要な大学である。
 これは、大東亜帝国――すなわち大東文化・東海・亜細亜・帝京・国士舘にもいえる。これらの大学も、それぞれ独自のカラーを作り上げている。独特のカラーということは、いわゆる「普通の大学」とは違うイメージなので、そのため就職において他の大学に比べて不利になる場合もある。が、それはあくまで就職活動するほんの一、二年間に限った話である。いったん社会に出れば大学での経験をどう生かすかにかかってくる。実際、これらの大学の充実した学問環境や、独特の校風によって育てられた人たちが活躍している場面がしばしば見られる。
 私の知っている例では、亜細亜大学出身者で、ある省庁に勤めて出世している人がいるし、ライターとして活躍している人もいる。また私が実際に仕事を一緒にしたことのある人の中に、大東文化大学出身の人がおり、彼は非常に優秀だったことを思い出す。その職場は早稲田や明治といったクラスの者が多かったが、彼はそれらの社員を指導する立場にあった。
 ちなみに、彼のことで強く印象に残っているのは、ある社員と電話で会話しながら、同時にそこにいる私たちに同じ内容を図面を書いて説明している場面である。私はそれを見たとき、彼が聖徳太子に見えた。聖徳太子は、いうまでもなく複数の人間が一度に話す内容を聞き取れたという伝説を持った人物である。彼はおそらく大学時代に、存分に自分を磨き上げてきたのだろう。

 さて、以上が、私が思う、一般にはこう思われているだろう、という学歴図式である。少なくとも、私のまわりには、以上のように思っている人は多い。
 あなたのまわりの常識と合致しているかどうかはおいといて、少なくともこういう風に認識している人間がいる、ということは、何らかの参考になるだろう。
 もちろん、大学は以上だけではない。書ききれない部分もたくさんある。例えば、一橋大学などは、官僚然とした東大とは違い、成果で勝負する、即戦力の学生が集まっていることで有名だし、また学習院や國學院といった大学は特殊な校風があり、偏差値では計れない魅力がある。その他にも国際基督教大学(ICU)や獨協大学、はたまた防衛大学校にいたるまで、個性的な大学は色々とある。
 それぞれの大学には、それぞれの魅力があるものだ。

 あなたが浪人生活を終えて何らかの結果を得たときに、もう一度ここを読んでみると、何かのヒントが得られるかもしれない。

学歴論②

2006年04月23日 | 学歴論
 浪人していると、学歴の見方が一般と変わってきてしまいがちだ。浪人する前は、明治・法政・立教といった大学に敬意を払っていたクセに、いざ浪人してみると早慶のスベリ止め扱いしたりする。これは、東大に楽に入れると主張する本などによる影響だ。浪人生の中で学歴認識のインフレーションが起こってしまうわけだ。
 このことは、ある意味では良いことだ。なぜなら、人間、高嶺の花には飛びつかないものだが、それが自分と同じ目線に降りてきたきたときには、チャレンジしてみようという発想が生まれるからである。
 だが、そのことによる弊害があることも忘れてはならない。
 自分と同じ目線にある、ということは、尊敬の心が薄まるということである。だから、浪人して一年間頑張って、十分な成果を得たとしても、それを喜ばなくなってしまう。そして、もう一年浪人しようとする。または、その大学に進んだとしても、ふてくされてしまって、勉学に励まず、やる気のない大学生活を送ってしまう。
 私は、「浪人する」という行為に関しては、大賛成である。しかしそれは、それまでダラダラと過ごしてきた人が、心を入れ替えて頑張るというケースに限ったことである。一年間必死で頑張ったのに、もっと上を目指そうとして欲を出すとなれば話は別である。
 もっとも、私はいわば欲を出して三浪もしたのだから、人のことは言えないではないかと言われればそれまでである。しかし言い訳をするならば、私ははじめから二浪を予定していた。だから、一浪のままでは、完結感がなかったのだ。そして二浪目はスベリ止めを受けずに全滅し、結局は三浪した。
 だが、今考えると、一浪で受かったところに行っても良かったような気もする。完結感はなかったにしろ、一浪目の一年間は、必死で勉強した。映画や漫画でよくあるような狂いきった浪人生そのものであった。髪を切りにいく時間さえ惜しかったので、一度も床屋に行かなかった。髪はホームレスのように乱れていた。
 一浪時は、それなりの結果を得た。國學院大学・日本大学にそれぞれ二学部ずつ受かったのである。合計すると四学部だ。
 はっきり言って、これらの大学は高校三年時点の私には全く手の届かないところであった。高校時代の私は、少なくとも名前の知れたところは、全て除外していた。「スポーツで有名だが、勉強はそれほどでもないことで知られる大学」ですら、とりあえずは「名前が知れている」ことは事実である。それだけで、私には畏れ多かった。
 それが、スポーツだけで有名どころか、歴史の権威である國學院大學と、スポーツ・芸術・学問の総合大学である日本大学に受かったのである。いったい、何の不足があるというのだろうか。今なら、その価値が十分すぎるほど分かる。
 特に日大の場合、私がそこに行っていたならどんな可能性があっただろう、と今になって想像するのだ。三浪して早稲田に行ったときは、私は二十歳を超えていた。だが、一浪なら、超えていない。その若い状態で、若い力を、思いっきり燃やすことができたかもしれない。それだけの包容力があの大学にはあるのだから。
 もちろん、三浪して行くことになった早稲田の二文でも、私は誠意を持って大学生活を送った。良い成績を取ろうと私なりに頑張ったし、多くのサークルにも参加した。だからこれはこれで後悔はしていないのだが、それだけしか道がなかったというわけでもないのだ。

 少し話がそれる。
 私は、浪人生活を通して、自分が受験というものに向かない人間であると感じた。
 例えば、私は日本史が好きだ。子供の頃から、歴史関係の本を好んで読んでいたし、学校の授業も毎回楽しみにしていた。
 だが、いざテストされると、どうも点が取れない。好きなだけにショックだった。自分が好きな分野であったとしても、全く想定していなかった切り口で問題が出てくる。同じ歴史でも、横から見るのと縦から見るのとでは違う。試験には、試験なりの視点というものがある。その視点が、私の視点とは異なっていた。言い訳に聞こえてしまいそうで恥ずかしいが、これが、私が試験に合わなかった理由のひとつだと思う。
 大好きな日本史でさえその状態だ。それほど好きではない英語なら、なおさら相性が悪かったことは言うまでもない。まさに、泥沼に足を取られた中で奮闘した、という感じであった。
 一方、試験に向いている人、というのは、泥沼で奮闘する感覚はない。平地で、自分の力を存分に鍛えるという感じだ。もちろん、いくら平地でも何もしなかったら進展はないのだが、泥沼より有利なことは確かである。
 人によっては、日本史が嫌いでも試験の切り口が感覚的に分かり、また英語の単語ひとつひとつが古代文字のようなものではなく、生きた日本語に近い感覚で入ってくるタイプがいる。
 このように、同じ「試験」に向かう中でも、感覚は人それぞれである。

 さて、私が私自身のダメさ加減を書いたのは、何も言い訳がしたかったからではない。それは、そんな私でさえ、一年でそれなりの効果をあげていることに注目してもらいたかったからだ。
 「俺は、才能ないよ」とか、「どうせ俺は、馬鹿だから」といった嘆きはよく聞かれる。だが、そう言ってばかりいないで、努力と工夫によって、ある程度のところまでには行けることを知った方がいい。東大に現役で…、とか、早稲田に半年間の勉強で…といったことは、正直なところ、厳しいかもしれない。だが、何も東大に現役で受かるばかりが受験ではない。あなたなりの努力と工夫を総動員すれば良いのだ。
 ――総動員。これこそが重要である。良い時は波に乗って行けるところまで飛ばす。しかし、スランプにおちいっても、あきらめずに常に強い心と知恵をもってその脱出を試みる。そうすることで、次に波が来たら、さらに乗れるようになる。
 そうやって行き着く先は、「成功」かもしれないし、それでも「失敗」かもしれない。しかし、それがもし最後まであきらめずに努力して得た結果ならば、見た目が「失敗」でも、実は真の意味では「成功」なのだ。

 私は、一浪した時点で得た結果である國學院・日大合格は、大成功だったと今さらながらに気付いている。もちろん、三浪して得た早稲田の二文合格も、十分、納得している。これも大成功だ。
 ただ、悔やむことがあるならば、二浪時である。全学部に落ち、見た目の上でも失敗だったし、本質的にも失敗だった。私の全てを総動員させたか、というと、そうとは言い切れない面があった。心が大きく乱され、初志を貫徹せずに途中、色々な勉強法に目を向けてしまった。特に前半は、心理的な弱さが出てきてしまい、攻めの姿勢が足りなかった。ちょっとスランプが来ただけで大きく動揺した。
 私はスランプに関しては、一浪時は勢いでねじ伏せたし、三浪時は動揺せずに悪い波が去るのを待つことができた。いずれの時期も志は崩さなかった。
 だからこそ、二浪時は私にとって辛い記憶なのだ。

 もし、中途半端なまま受験生活を終えたとしたら、それはとても悲しいことだが、そういう状況におちいってしまうのは、見た目の結果を恐れているからである。見た目の結果など、人間にはどうにもできないことだ。それは神のいたずらで決められることだ。人間にできるのは、日々、懸命に生きることだけである。
 そう、懸命に生きるか、投げ出すかは神が決めるのではなく、あなたが決めることなのだ。ならば、投げ出して堕落するよりは懸命に生きた方が得だろう。

 何もわざわざ、損な方を選ぶことはないのだ。選択権は、あなたにある。

 見た目の結果がどうあれ、最終的には本質的な成功を目指して欲しいと思う。そのためには、今を大切にすることだ。

学歴論①

2006年04月14日 | 学歴論
 これは、私の大学時代の友人から最近聞いた話だ。ここでは、仮に彼のことを西田と呼ぼう。
 西田は、早稲田大学の政治経済学部を卒業している。高校は、彼の地元で二番目くらいの位置の進学校に通っていたらしい。「二番目」ということから分かるとおり、地元ではそれほどの尊敬を集めている高校ではないらしく、むしろ「一番目の高校に入れなかった生徒が仕方なく行く」というイメージで、地元の人からは同情の目で見られている高校ということである。
 西田はもちろん、一番目の高校に行きたかった。それを目標にして中学の受験期はかなり頑張ったらしい。
 だが、結局は、二番目の高校に入るのが精一杯だった。西田が一生懸命勉強していたことは、彼の塾通いの様子からして近所の人には知れ渡っていた。その彼が一番目の高校に入れなかったのである。それを見て近所の人は西田をなぐさめた。ことに、西田の幼なじみの友達の母親――彼いわく〝おばちゃん〟――は、西田を気の毒に思い、チョコレートの詰め合わせを彼に贈ってなぐさめ、励ました。西田は、非常に感激し、おばちゃんのためにも頑張らなくては、と決意を新たにした。

 さて、高校に入ってからの西田についてである。
 彼は、かなり努力した。高校受験と同じ過ちを繰り返さないために、一年のときから対策を練ることにした。
 志望校は早稲田大学である。野球やラグビーの試合をテレビで見て、西田は早稲田大学に憧れていた。学部は、著名人を多く輩出しているという単純な理由から政治経済学部に決めた。そこに絶対に入ってやるのだ、と西田は誓った。
 西田は、受験一本に生活の照準を合わせ、部活にも入らずにひたすら勉強した。一年間の浪人生活も経験した。その結果、彼は見事に早稲田大学政治経済学部に合格したのである。
 西田は、意気揚々と上京し、早稲田に入学し、そして卒業した。
 就職先は、日本を代表する某大手企業である。彼の名刺には、その企業の名前が、輝かしく刻まれている。西田は、非常に満足した。

 さて、西田が就職してから数年が経った。多くの新入社員が入ってきて、彼も先輩ヅラできるようになったころのことである。
 まとまった休みが取れたため、西田は久し振りに地元に帰った。そして、長年心配をかけた母親にディナーをごちそうした。そこではお酒も出されたため、母は酔い、今まで言わなかったことまで言った。
 それは、「おばちゃん」のことについてである。つまり、幼なじみの友人の母親だ。西田は、いつぞや高校受験がうまくいかなかったとき、おばちゃんが励ましてチョコレートをくれたことを思い出した。西田にとって、おばちゃんは優しい人であり、いい思い出しか残っていない。西田がまだ幼かった頃に、友人の家、つまりおばちゃんの家に行くと、たくさんお菓子をくれたことなども思い出した。
 しかし、母の話によると、どうやらここのところ、おばちゃんの様子が変らしいのだ。あの優しかったはずのおばちゃんが、なんと母をイジメているというのである。
 西田は仰天した。
 母に関するあらぬ噂をそのおばちゃんが近所中に流しているらしい。その噂を数人の人が信じ、母をのけ者にしているのだ。

 なぜだろう。西田をあれほど応援してくれたおばちゃんが…母と仲の良かったおばちゃんが…なぜ?
 西田は、事情をもっと詳しく母に聞いた。――そして、全てを納得した。

 つまりは、おばちゃんは西田の早稲田大学政治経済学部の学歴をねたんでいるのである。
 そう考えると、西田が高校受験を不本意な結果で終わらせたとき、おばちゃんが西田を励ました理由も納得ができた。その真相はこうだ。
 おばちゃんの息子、つまり西田の幼なじみは、高校受験では地元で一番のところに受かった。だから、おばちゃんには優越感があった。いわゆる勝者の余裕だ。その余裕の心があったからこそ、敗北した西田をあわれむこともできたのである。いや、もしかしたら、西田をあわれむことで、おばちゃんの中では優越感の心をさらに満足させようという狙いがあったのかもしれない。信じたくないが、おそらくそういうことなのだろう。
 そして、大学受験の時期が訪れた。西田の幼なじみは、現役で関西の名門、通称「関関同立」といわれる某大学に合格した。この結果は高校の校内掲示に張り出される。当然、噂も広まる。
 おばちゃんは、鼻高々だった。その噂が広まるのを待たずに、自分の方から積極的に関西の名門に受かったことを吹聴していた。それは西田自身もよく覚えている。だが、そのときの西田の感想としては、それはおばちゃんの喜びの気持が爆発した結果にすぎないと思っていた。だから、西田自身も「おばちゃん、あんなに喜んじゃって。ホントに嬉しいんだろうなあ」と思い、おばちゃんに祝福の言葉をおくったものである。
 だが、おばちゃんとしては、西田の祝福の言葉を、「敗北宣言」として受け取ったのかもしれない。何せ、西田は現役ではどこにも受からなかったのだから。
 おばちゃんは、あるいはこう思ったのだろうか。「おばちゃんの子の方が優れているのよ。高校受験でもあなたは負けたけど、あなたはそれを挽回しようと思って塾通いしたり、色々とこざかしいことをしていたわね。だけどこれで差は歴然とついたわ。決定的だわね。アハハハ…」
 だが、おそらくそうなのだろう。でないと、それ以降のおばちゃんの行動の説明がつかない。
 おばちゃんの行動とは――すなわち、西田の母へのイジメである。

 ともかくも、西田は一浪した後、早稲田大学政治経済学部に受かった。西田の高校の校内掲示でもそれは発表される。だから、噂としてそれは流れた。特に、西田の高校は地元で一番ではないということもあり、東大はおろか早慶に進学することすらめったになかったので、「開校以来の快挙」というような、大げさな紹介のされ方をした。校長から記念品ももらったらしい。
 ここまで盛り上がれば、西田の近所にそれが知れ渡るのは自然のことである。母は吹聴しなかったし、もちろん、西田自身もそうだ。だが、そのことすら、おばちゃんは歪んだ解釈をしたかもしれない。つまり、近所に知れわたったのは、母と西田が陰で吹聴したからだ、ああ見えて陰でこそこそ吹聴しているのだ、と。
 当時、おばちゃんは、西田に「おめでとう」とは言ってくれたが、今考えればその言葉の力は弱かったような気がする。おばちゃんにしてみれば、自分の子が近所で一番だという喜びの頂点の位置から、一気に叩きおとされたのである。しかも、叩き落としたその相手が、長年、密かに敵対心を持っていた西田だったのだ。
 そのおばちゃんの心を知らずに、西田は上京して早稲田に進学した。そして今まで過ごしてきた。母の酒の上での愚痴で初めて全てを知った。
 おばちゃんの本心は、母自身もはじめは気付いていなかったようである。それどころか、西田が早稲田に進学したことを、おばちゃんは喜んでくれているとさえ思っていたらしい。
 だが、陰険なイジメを受ける中で、だんだんそのことに気付いた。おばちゃんは、早稲田の学生が犯罪を犯してニュースになったときなどは、「たいしたことのない大学ね」と母に露骨に言ったこともあるらしい。

 母は、とても悲しく思った。子供同士が背比べのようにして一緒に育っていく中で、それぞれ親として、お互いに子の成長を暖かく見守ってきた仲である。いや、実はおばちゃんの側からはそうではなかったのかもしれないが、少なくとも母はそう思っていた。
 それが、真相は全く別の位置にあり、しかもイジメまで受けてしまっている。母は、酒に促されながら、西田にこの悲しみを語った。

 西田は西田で、この話を聞いておばちゃんのことを憎いとは思わなかった。むしろ残念な気持ちになった。
 彼自身は、おばちゃんや、その子に対してなんの敵対心もない。高校受験が上手くいかなかったときも、「幼なじみに負けた」とは思わなかった。素直に友人の合格を喜んだし、それは大学受験にしたってそうだ。関西の名門、ほんとに、ほんとに良かった、と友人と手を取り合って喜んだものである。
 ただ、西田がいまだに信じているのは、その友人自身は、西田に純粋な友情を持ってくれている、ということである。オカシイのは親だけで、子供同士にはなんの感情のもつれもない。西田が上京してから長い間、その友人とは会っていないが、おそらくそうだろうと信じている。友人の方でも、おばちゃんの嫉妬心を悲しんでいるに違いない。


 *  *


 さて、ここまでが、私が西田から聞いた話である。私は、この話を聞いて、おおいに納得するところがあった。そのような話は、私のまわりでもよくあることなのだ。知り合いから似たような話を聞いたことはある。それに、自分で言うのも恥ずかしいが、私自身の学歴も、一部からは嫉妬されている。
 むろん、三年間も浪人して、しかも第一志望学部に入れなかった身としては、そのような嫉妬はこそばゆい。私自身は敵対心を全く持っていないのに、「お前は早稲田といっても夜間だろ。早稲田だからって威張るんじゃねえ。俺は明治だ。文句アルカ」というような態度を取る相手に出会ったことがある(明治のみなさん、ごめんなさい)。そのようなことを直接いわれなくとも、雰囲気で感じ取ったこともある。早稲田の夜間学部はMARCHにとっては格好の攻撃対象なのである。普段から早慶に劣等感を持っているから、その早稲田の中で下位学部である夜間学部の学生を見つけたときは、鬼の首を取ったように騒ぐのだ。
 もともと、早稲田大学の夜間学部、特に第二文学部は、「第二」という名前からして不格好である。二文生に言わせれば劣等感の象徴である。だが、そんな「かわいそうな」我々二文生も、MARCHから攻撃を受けることはあるし、もっと下の偏差値の大学からは、単純な羨望の眼差しすら向けられてしまう。

 ここで、あなたに考えてもらいたい。
 この構図を見て、とても幼稚に思えないだろうか。
 とても小さく、くだらなく思えないだろうか。

 早稲田早稲田、というが、その早稲田は東大受験生にとっては単なるスベり止めである。では、東大がエラいか、というと、東大の中でもどこの学部かを気にする人がる。理Ⅲでなければ東大じゃないようなことを言う人さえいる。
 だが、もっと上の大学になるとどうだろう?世界的に見れば東大のレベルは高い方ではないらしい。アジアだけ見渡してみても東大よりレベルの高い大学はいくらでもある。そのような大学の学生からは東大はどんなに小さく見えることだろう…

 …こう考えると、キリが無くなってくる。だから、偏差値で大学を分けるようなことはよそうではないか。
 もちろん、浪人生のうちは、努力目標として偏差値を掲げるのは良いことだ。だが、受験が終わったら、自分が進むことになった大学を愛そう。まわりがどんな大学に進もうと、それはあなたが気にすることではない。
 やたらと他人のことを気にするという行為は、とても醜いことだ。これは、西田の話からも分かるであろう。西田も、西田の母も、誰に対抗したわけでもない。ただ自分の幸せを追い求めただけである。それを、おばちゃんは曲がった風に解釈をして、勝手に対抗心を燃やし、そして勝手に敗北し、勝手にひがみの心を抱いた。おばちゃんさえ素直になれば、息子が関西の名門私学に進んだことに揺るぎない誇りを持てるはずである。他の大学と比較しようとするから、感情が歪んでしまうのだ。

 「あそこの息子さん、東京の大学ですの?でも六大学じゃないんですってね…」
 「向かいの家のお嬢ちゃん、学習院に落ちたんですって。で、結局行くことになったのが、○○大学ですって。かわいそうだこと…」
 「おお、君んとこの息子さんは東京理科大に受かったのか。すごいじゃないか。でも、あそこは旧帝国のスベり止めで受ける人が多いからねえ。君んとこの息子さんもそうでしょ?で、第一志望はどこなの?…え?東京理科大が第一志望?いやいや、失敬!失敬!」

 あなたには、このようなセリフを吐く俗物になってほしくない。私は、それを切に願う。大学受験のために必死になって勉強するということは、学をつけるというこである。浪人を経験したからには、どんな大学に行っても、無学ではない。何かあるとすぐ近所のウワサに飛びつき、他人のアラを探すことばかり考え、自慢話を好み、陰険なイジメを誘発したり、それに加担したりする。これを、世間では俗物を呼ぶ。

 ――嗚呼、悲しい!本当に悲しい!

 人間である限り、醜い心は誰でも持っている。人間は嫉妬心の塊だ!自尊心の詰め物だ!生物を殺してそれを食って、糞をする俗物だ。
 所詮はそうなのだ。
 だが、それでも…少しでもいいから、美しくありたいとは思わないだろうか。美しい道と醜い道があったら、美しい道の方を選びたくないだろうか。
 もしかしたら、それは辛いのぼり道かもしれない。醜い道は、楽な下り坂かもしれない。
 しかし、人間、楽な方楽な方へ傾けば、ついには日の当たらないところにまで坂道を下り切ってしまう。そして、もどれなくなってしまう。
 もしあなたが下り坂を下っているのなら、取り返しがつかなくなる前に、引き返して欲しい。今なら間に合うのだ。なぜならばあなたは、若いから!

 あなたは、若いから!

英語の勉強法

2006年04月13日 | 勉強法
 では、英語の勉強法について説明する。大きく分けると以下の三つになる。


 1)語彙力(単語・熟語)
 2)文法力(文法・構文・語法)
 3)長文読解力(文章読解・一般常識や思想の理解)

 これらについてひとつひとつ解説しよう。

 1)語彙力(単語・熟語)
 単語と熟語を覚える。基本中の基本だ。
 単語帳や熟語帳は、何でもよい。どの出版社のものも、試験問題から統計をとって作られているので、差はない。本の構成や、デザインなどから、自分と相性の良さそうなものを選ぼう。誰かが「良い」と薦めても、あなたにとっては生理的に受け付けないデザインかもしれない。「この本なら続けられそうだ」というものを選ぼう。
 覚える際のコツだが、基本的なものだけを集中的に押さえよう。「初級」「中級」「上級」というようにページで分かれていたら、「中級」までを集中的に何度も繰り返すのである。「上級」は捨てて良い。無勉から一年で合格しようと思ったら、何かを捨てる必要がでてくる。その「何か」がこういう部分なのだ。
 特に、予備校に行っている人は、この単語・熟語帳の他にも、講義独自で何かをやっているだろうから、そこまで手が回らないはずだ。
 何かを捨てることで得られることはあるのだ。この場合は、基本がきっちりと強化されるというメリットを得るわけだ。

 ――余談だが、〝何かを捨てることで得られるもの〟に関しては、整理法についてよくそれが指摘される。情報のインプットの数が多いと、アウトプットに非常に大きな労力がかかるのだ。
 インプットの数が多いことで失敗した例としては、「三億円事件」が挙げられる。この事件が未解決に終わった最大の理由は、無闇に情報を集めすぎたからだと言われている。情報がありすぎると、それを処理しきれなくなる。そのため、解決できる事件も解決できなくなってしまうのだ――

 直前期になったら、他の単語・熟語帳も買ってみよう。これは、覚えるために使うものではない。パラパラとながめるために使うのだ。
 同じ単語でも、他の本で見ると印象が違うことがある。その場合、また新鮮な気持でその単語に接することができる。自然、もう一段、深く理解することができるわけだ。


 2)文法力(文法・構文・語法)
 文法のオススメの参考書は「山口の英文法講義の実況中継上・下(語学春秋社 )」だ。この本は非常に分かりやすい。オーソドックスな英文法の理解に役に立つ。文章も読みやすく、すぐに読めるので何度も繰り返して読もう。これは、早い段階で行うこと。夏までには終えよう。
 さて、問題は次だ。すなわち構文と語法である。
 これも、様々な参考書が出ている。よく整理されていて分かりやすいものも多数ある。が、私は、構文と語法だけは、参考書で覚えることはあまりおすすめしない。私のおすすめは、予備校の講義である。
 たいてい、衛星放送によって全国どこでも大手予備校の講義を受けることができる。その講義で、有名講師の、構文・語法関係の講義を取ろう。構文・語法関係の講義がなければ、文法の講義でも良い。そこで、構文と語法に触れるはずだ。
 構文と語法だけは、本で読んだだけでは、どうもその本質が見えてこないのだ。だが、予備校の講義ならば、どのようにしてそれが試験に出されるか、なぜそれが重要なのかがよく分かるのである。
 講義のテキストにはかならず構文・語法がまとめてあるから、それを集中的に覚えるのだ。参考書よりは数が少ないかもしれないが、うろ覚えの知識が多くあるよりは、確実なものを押さえていた方が、はるかに試験には有利である。実際のところ、一年で構文・語法の参考書を「本当の意味で」全て覚えることなど不可能だ。合格体験記などを読んでいると、大きなことを言っている人がいるが、本音をいえば、全てをやれてはいないはずだ。「桐原の英頻を十回繰り返して覚えた」と書いてあっても、ただ繰り返しただけで覚えているとは限らない。繰り返しかたも雑であったりする。
 それよりは、確実に自信をもって「習得した」といえるものを、基本的なものだけでいいから押さえるべきだ。


 3)長文読解力(文章読解・一般常識や思想の理解)
 最重要であり、なおかつ一番難しいことだ。
 無勉からでは、長文の勉強はまともにはできないだろう。まず、基本単語・熟語・文法をマスターしなければならない。
 だから、本格的な問題演習に取りかかるのは、夏以降である。
 では、その前の段階には、何をすればいいのだろうか。それは、「音読」である。
 音読は、同じものを一年通して使おう。とはいってもひとつだけでは飽きるだろうから、六・七個くらいの長文を用意しておいて、それを日替わりで読むといい。
 使用する教材は、「速読英単語(必須編)」が良い。これの良いところは、適度な難易度である点と、別売りのリスニングCDが秀逸である点だ。
 このリスニングCDは、日本人に優しく読んでくれている。文節ごとに適度な間を置きながら読んでくれているのだ。これが、とてもいいのだ。
 音読する際は、自分ひとりで読まずに、このCDに合わせて口パクのようにして読もう(シャドウイング)。日本人である我々は、発音が下手だ。その下手な発音のままひとりで読んでも、英語的感覚は身に付かない。音読において一番重要なのは、「英語の気分」を身につけることである。少しでも、ネイティブに近い感覚を持つことが重要だ。もちろん、完璧にそれが達成されるわけではないが、少なくとも「英語慣れ」はするはずだ。この「英語慣れ」こそが、長文読解においておおいに役立つのである。

 また、我々「普通の人」にとっては、英語長文では「メンテナンス」が必須である。
 つまり、調子の良い時期があったとしても、それで英語長文の達人になったと錯覚してはいけないのだ。体育の鉄棒と同じで、しばらく休むと手のひらがやわらかくなってしまい、すぐに血まめが出来るまでに弱ってしまう。常に訓練することで、硬く、強い手のひらを維持しなければならないのだ。そのための訓練のひとつとして、手軽に出来るのがこの「音読」なのだ。

 さて、日東駒専レベルを目指すなら、あとは問題演習を繰り返していれば良い。だが、MARCH以上の大学は、そうはいかない。
 MARCH以上になると、ぶっちゃけた言い方をすると、「簡単ではない」のだ。英文は複雑だし、内容自体もそうやすやすと理解できるものではない。つまり、訳を読んでもいまいちピンと来ないものが多くなってくるのだ。
 そのために重要なのは以下の二つだ。

  ・難しい構文に慣れておくこと
  ・深い思想に触れておくこと

 である。
 前者に関しては、「英文解釈教室(伊藤和夫著・研究社)」のような、難しい構文を解説した本をじっくり読んで対策すること。後者に関しては、現代文の項目でも触れたとおり、テレビ番組や現代文の参考書などを使って自分の知的レベルを上げておくことだ。これは、現代文と英語長文の二つに役立つ方法であることも前述したとおりだ。

 「英文解釈教室」についてだが、この本は、解説が読みにくいことで有名だ。だが、それは仕方ない。難しいことを詳しく解説しようとすると、どうしても難しくなってしまうのが常である。
 しかし、誤解はしてほしくない。この本の解説は、それほど難しくはないのだ。むしろ、丁寧に解説してくれようとしてくれている、誠意すら見えるようだ。たしかに、まどろっこしい部分はあるが、世間で言われているほど、難解な文章ではないので、ぜひ丁寧に読んで欲しい。噛めば噛むほど味の出る本だ。実は、この本は「難しい」のではなく、「読みにくい」だけなのだ。
 もし、この本が生理的に合わないのであれば、

 「福崎の英文読解頻出問題(福崎伍郎著・学研)」

でも良い。これは、「英文解釈教室」よりは、かなり洗煉された本だ。内容の整理も上手くなされているし、レイアウトも良い。この本は、私の三浪時の愛読書である。とても、読みごたえのある本だという印象を受けた。

 さて、これらの本を「読む」際に注意点がある。
 それは、「覚えようとしないこと」だ。
 もちろん、内容を覚えられたらそれに越したことはない。その知識はおおいに役立つだろう。しかし、それはかなり労力の要ることだ。そのために払う多くの犠牲のことを考えると、覚えようとしない方が良いだろう。
 それに、「覚えなくては」というプレッシャーがのしかかり、勉強に集中できなくなる。ましてや、それが達成されなかったときには挫折感を味わってしまう。
 だから、無理に覚えようとしなくていいのだ。「覚える」ことに関しては、文法・語法の対策できっちりとやればいいのだから。
 それよりも、「理解すること」が大事だ。
 例えば、あなたはパソコンソフトを買ってきたとき、そのマニュアルを「覚えようとする」だろうか。そうではないはずだ。
 「理解しようとする」はずである。
 周知の通り、パソコンソフトというものは、使う環境によって出てくるコマンドが違ってくる。もし覚えようとしていた場合、コマンドがマニュアルと少し違っただけで、たちまち分からなくなってしまう。
 しかし、理解しようとしていた場合は、全く気にならない。もっと柔軟に対応できるはずだ。
 このように、やたらと「覚える」ことが良いとは限らないのである。難しい構文をマスターするには、まさに「理解」こそが大事なのである。
 だから、これらの本は、「理解するように」読めば良い。参考書を読むというよりは、哲学書を読むような気持の方がいいかもしれない。読み進めていくうちに、英語の構造が次第に明確に理解できてくる。
 実際の英文は、生き物である。決まったパターンがあるわけではない。色々な構文や、文法や、例外事項などが交錯しながら、人間の感情や主張を表現するものである。その「交錯」のパターンを全て覚えようとしても、それは無理だ。
 だから、やたらと覚えようとするのではなく、時には英文解釈の本を熟読することによって、英語の「核」の部分を捉えることも大事になってくるのだ。

 これらのことを続けながら、秋以降は、毎日問題演習をしなくてはならない。
 英語長文問題を一題解くと、とても頭が疲れる。はっきり言って辛い作業である。しかし、その「辛い作業」は、必ずやあなたの力になってくれる。
 とにかく、重要なのは、「毎日解く」ということである。筋トレと一緒で、ほどよい筋肉痛を毎日感じていれば、必ず筋肉はつくのだ。この場合は、「英語長文読解」の頭脳筋肉である。
 筋肉痛が起きなければ、筋肉はつかない。それと同じく、辛い頭脳作業がなければ、頭脳の機能も上昇しない。だから、「辛いこと」はとても大切なことなのである。
 注意点としては、一日に何題も解かないことだ。必ず「一題」におさめること。一日に多く解くと、それが余計な達成感になってしまうし、次の日へのプレッシャーにもなる。
 しかし、大問一題なら、まだ負担は軽い。だからこそ、毎日続くのである。

 そして、解いたら必ず入念な答え合わせをしよう。なぜ間違えたのかをよく理解し、それを次につなげるべく、ノートにまとめておくこと。そうすることで、いつでも自分の長文問題における「クセ」を確認することができるのだ。
 もちろん、過去問題を研究しておくことも必須だ。これも秋ぐらいから、少しずつ始めよう。どんな問題が出るのか、難易度はどのくらいか、時間的余裕はあるか、出題されるテーマはどんなものか、など把握しておけば、試験当日に役立つだけでなく、毎日の勉強においてもはっきりとした方針が固められ、とても良いのである。

「英語長文が読める」とはどんな感じ?

2006年04月12日 | 勉強法
 前項で、英語が得意な人について記述した。そのタイプの人は、英語を英語のままで理解することができる。ネイティブと全く同じとは言わないまでも、少なくとも英語圏の小学生並みの感覚は持ち合わせている。
 では、それ以外の「普通の人」はどうやって英語を解いているのだろうか。その疑問に、「普通の人」である私が答えよう。
 それは、「古代言語を解読する感覚で」解いているのである。
 つまり、なんだかわけの分からない言語の文章を、自分の持つ知識と経験を総動員して、何とか解読していくような感覚である。決して母国語のようにすらすらと読めるわけではない。だから、私の感覚としては、無勉時代も実力がついた時代も、たいして変わりはないのである。
 よくいわれることだが、日本の英語教育は文法に比重を置いているため、いつまで経っても英語を話すことができない。話すことができない限り、それは母国語と同じでは有り得ない。どうしても、外国語としてそれを捉え、「訳していく」というような感覚になってしまう。
 だから、英語の講師がよく言うような「英語を前から訳していく」ということは、完璧にできるわけではない。前から訳す努力は必要だとは思うが、それにこだわりすぎてもいけないと思う。時には、「訳し上げる」という、極めて日本人的な方法で英語を理解しなければならない。なにせ、私たちは日本人なのだ。日本の英語教育は、日本人が日本人なりの発想で訳していく方針で進められているので、今さらネイティブのようにペラペラと話す方針に、自分ひとりで切り替えようとしたって無理だ。
 予備校や合格体験記などで、色々な、変則的とも思えるような英語学習法が紹介されることがある。が、やはり基本は、我々が今まで習ってきた方法、つまり単語を覚え、英文法をマスターし、多くの英語長文を読み慣れるという、オーソドックスなやり方で進めていくしかない。だから、近道はないのだ。いかにコツコツと、努力を持続させることができるかどうかが、勝負の分かれ目になる。

 さて、では参考までに、私が英語の問題を解いていくときの感覚を説明しよう(ちなみに私の英語の偏差値は、一浪~三浪通じて65~69くらいである)。
 まず、文法問題。これは知識問題だ。知っていれば解けるし、知らなければ解けない。文法問題は、あまりひっかけ問題は出てこない。ストレートに、知識を試してくる。だから、問題を前にして、あまり深い勘ぐりを入れる必要はない。私は、深く勘ぐりすぎて間違うことがよくあった。もちろん、ごくまれに、「ひっかけ問題」が出されることもあったが、大半はストレートだ。だから、自分の知っている知識どおりに、素直に解けば良い。必須の文法・語法知識を確実に頭に入れているかどうかがカギになる。うろ覚えの知識が多くあっても試験では通用しない。文法問題対策には、暗記教科のような、確実に知識をものにしていく気持でのぞもう。
 次に、英語長文問題である。
 これは、本当に苦労する。私の場合は、簡単な問題ならすらすらと読めたが、難しいものだと全く読めなかった。無勉時代と同じような感覚におちいってしまうのである。
 大学で言えば、日東駒専レベルの長文問題は私にとって苦ではなかった。中学生向けの問題にすら思えた。だが、MARCHレベルになってくると、急に難しく感じた。普通に読んだだけでは、何が書いてあるかさっぱり分からない。だから、自分の知識を総動員して、何とか解こうと躍起になる。そして、ようやく分かるような感じだ。
 では、早慶レベルになるとどうか。これは、全く分からない上に、自分の知識を総動員させても無駄に終わることが多くあった。つまり、長文の大問で0点に終わることすら珍しくなかったのである。私にとって、本当に気合いを入れないと解けないのが「早慶」の問題だった。

 それでは、英語長文問題を読むのに、具体的にどのようにしていたかを説明しよう。
 まず設問を読む。そして、どこが問われているかを把握する。長文に印をつけていく。
 次に、パラグラフに番号をつけていく。そして、一番最初と最後のパラグラフだけを読む。そうすると、何について書かれているかだけはだいたい分かる。
 その後、各パラグラフの先頭を見て、逆接・順接の接続詞がないかどうかを確認する。あればそれは重要なヒントになる。その部分で論理が動いているからだ。当然、印をつけておこう。
 そうやって、一通りの準備を終えてから、いよいよ普通に読み始める。分からない単語は、「もの・こと」と訳せばよい。動詞の場合は「いる・する」でよい。そうやって、ごまかしながらでもいいから、先に進んでいく。
 できれば、パラグラフごとに、内容を簡単にメモするといいだろう。とにかく、長文問題がメモで真っ黒になるくらい、色々な書き込みをしながら読み進めた方がいい。そうやっていくうちに、少しずつ全貌が明らかになっていく。
 さて、これでまずは一度読んでみた。それでも分からないかもしれない。その場合は、もう一度読むのだが、今度は設問に関係する部分だけ集中的に読もう。一度は読んだのだから、今度はもう一段階深く理解できるはずだ。
 また、読む際に助けとなるのが、論法の知識である。一般論を書いた後それを批判する形や、抽象論を書いた後具体例を示す形など、論法には「定番」というものがある。その知識を動員させれば文章というものは理解できるのだ。
 「文章」は、総合体である。初めから終わりまで読んでやっとひとつの形になるのだ。始めに批判的意見があったからといって、その文章自体が批判文であるとは限らない。あくまで、「総合体」である。そこを忘れないようにしよう。

 このようにして、まさに「知識の総動員」で問題を解いていく。日本式の英語教育を受けた者にとっては、これが正攻法だ。

英語を難しく感じる人、簡単に感じる人

2006年04月10日 | 勉強法
 世の中には、英語を難しく感じる人と簡単に感じる人の二種類がいるらしい。簡単に感じる人は、受験英語を学んだだけで、英会話までこなせるようになってしまう。大学にいた頃、そういう人を私は何人も見た。
 大学時代、英語だけで進められる講義がいくつかあった。私もそのような講義を受けたことがあるが、外国人講師の言うことがしばしば分からなくなった。
 その一方、英語で講師に質問し、なにやら会話していた人もいた。私は、そういう人の何人かに、どこで英会話を習ったのか訊ねてみた。すると、英会話を習ったことのある者は一人もいなかった。彼らは皆「だって大学受験で英語勉強したじゃん」とさらりといいのける。大学受験だけで会話ができてしまうとは、おそるべきポテンシャルである。
 が、そういう人は決して珍しくないのだ。日常会話くらいは、受験英語だけで出来てしまうというような人だ。そうでない私にとってはうらやましい限りだ。
 そして、往々にして、そういう人は受験でも英語が得意だった人たちである。そういう人が英文の音読をすると、少なくとも私には上級者並みに聞こえる。
 これは私の憶測だが、物まねが上手い人は、総じて英語が得意なのではなかろうか。英語の発音を聞いて、どうやればそれと同じように発音できるかが分かってしまう。いや、英語どころか、他の言語もすぐに習得してしまう(これは後述するが、発音は、英文法を理解する上でのカギにもなる)。
 私の早稲田の知り合いで、ある店の店員をやっている人がいるが、その人などは、客として来る中国人と話すうちに、中国語の日常会話をマスターしてしまった。その人は早稲田に無勉から一浪で教育学部に合格した人で、大学では第二外国語で中国語を取っていた。彼に言わせると、「大学でチャイ語を勉強したから、あとは慣れの問題じゃん」というわけである。驚異だ。
 また、法学部の知り合いで、たった一年のアメリカ留学で英語がペラペラになった者がいる。彼は、ペラペラどころか、発音はアメリカ人と全く区別がつかないレベルに来ていた。もちろん、努力も相当したとは思うが、一年留学したくらいで簡単にそのレベルまで行くものだろうか。少なくとも私の知る範囲では、たった一年で完璧に話せるようになった者は、彼以外にいない。某二流大学を中退した知り合いなどは、半年もアメリカ留学したクセに何も習得せずに帰ってきた。また、日本人メジャーリーガーを見てみても、相当年数、在米していても流ちょうに話している人は少ない。
 だから、英語はとても難しいものなのだ。その中で、難しく感じない人がいて、そういう人が受験英語でも高得点を取るものと思われる。
 だから、普通の人、つまり英語が苦手な人は、そういう人たちより少し下の得点圏を争うことになる。
 私自身も、「英語が苦手な人」であった。だが、そういう人でも、受験では合格点を取らなければならない。だから、私が書く英語対策は、「英語が苦手な人」用の話になる。そういう人に参考にしてほしいと願っている。

浪人中の思い出―②

2006年04月09日 | 体験録
   《題:心地よい青空があったとき》

 これは、私の一浪目の思い出である。

 勉強したくてしたくてたまらない時期、それが一浪目だった。
 とても充実していた―「俺は勉強してるんだ、努力してるんだ」―青臭く、安っぽいかもしれないが、純粋さに満ちた気持があった。
 私が、こんなに勉強に心燃やした記憶は、実はこの時期以外にもうひとつある。
 それは、小学校五、六年の二年間だ。私は、そのときのことをしばしば思いだした。

 <記憶>
 ――私は、両親や祖父から、優秀な学生になることを期待されていた。子供のころ、祖父の母校である早稲田大学に観光に出かけたこともあった。
 小学生の私から見て、「早稲田」というものは遠すぎる将来であった。本当に行けるかどうか分からない。優秀な人だけが行けるらしいが、私は、小学校の中で、特別に優秀というわけではなかった。この問題をなんとかしなくてはならないと子供ながらに考えた。
 そこで、まずは中学受験することにした。私の地元には、受験して受ける「優秀な中学校」がひとつだけあった。そこに行けば、良い高校にも行ける可能性が高くなるし、そうなれば、早稲田も近くなってくる。
 しかし、落ちれば公立中学に行く以外にない。そう考えると、気合いが入った。
 成績を上げる方法は分からなかったが、とりあえずは授業中に多く発言することにした。
 分からない問題でも、とにかく手を挙げる。先生に指されたら、クラス中が私に注目する。だから、嘘でもなんでもいいから、答えなくてはならない。その緊張感の中でなら、良い発想が出て、自分の能力が上がるのではないか、と思った。
 また、手を挙げる子というのは、積極性が先生に認められる。だから、通信簿もオマケしてくれそうな気がした。
 実際、小学校五年生から、私の成績は急上昇した。テストで九十点代を取ることが多くなったし、通信簿でも五段階評価で四と五が多くなってきた。
 それまでの私は、テストも通信簿も平均値だった。だから、「僕は普通くらいさ」などと自分の能力を決めつけていたところがあったが、実際に成績の上昇が目に見えると、意識は変わった。「僕は優秀なんだ」と。私に、プライドが出来た。
 しかし、そのプライドを打ち砕く事件が起こった。それは、小学校六年生のときに通い出した塾での出来事である。
 実力テストの結果、私は塾で最下位だったのだ。
 私は、学校用と受験用の勉強が違うことを、イヤというほど知った。私は、家でさらなる猛勉強をはじめた。
 その時期の私は、子供ながら、よく勉強したと思う。成績は急上昇した。
 そして、意気揚々と、中学受験の時期を迎えた。

 だが、結果は、不合格であった。

 思えば私の敗北の日々は、このときに始まったのかもしれない。
 だが、この小学五・六年の猛勉強の日々は、私の中学生活に良い効果をもたらした。公立中学という雑多な環境の中とはいえ、その中で常にトップクラスを保つことができたのである。正直なところ、中学時代の私は、あまり勉強していなかったし、真の実力でいえば、クラスメートで私より優秀な人はたくさんいたと思う。
 だが、ほとんどプライドだけで、私は良い成績を保った。定期試験の前だけは意地になって勉強した。本当は私よりも優秀であるに違いない人たちは、勉強のコツを知らないがために、中くらいの成績に甘んじていた。
 その点、中学受験を経験した私は、勉強のコツを知っていた。つまりは、本当は喧嘩は強くないのに、ボクシングの経験があるというだけで、他の人に余裕で勝ってしまうようなものである。
 私は、高校受験を、この理屈で乗り切った。
 だが当然、真の実力がないわけだから、高校では挫折した。小学校五・六年のときにためた勉強の貯金を使い果たしたのである。
 そして、一浪目を迎えた――

 概して、浪人という時期には、過去のことを思い出すものである。私もその例にもれなかった。
 記憶というものは、いつでも美しい。焦点がぼやけた像で刻まれている。このとき、つまり一浪時の私は、小学五、六年の記憶をそのようにしばしば思い起こしていたのである。
 そして、ふと思ったことがある。
「俺は今、浪人して、猛勉強の日々を過ごしている。このことも将来、思い出すかもしれないな」と。
 私がこの先、早稲田に予定通り二浪で受かるか、それとも他の大学に行くか、それとも、大学進学を諦めるか…
 色々な可能性はあった。もちろん、私は二浪で早稲田に行くプランが成功すると信じていたが、成功してもしなくても、三十、四十の年を迎えた私というものが、将来には必ず存在しているはずだ。
 そのときの自分へ向けて、私は、何か思い出を残したいと思った。それも小学五、六年生のときの記憶のように焦点がぼやけたものではなく、はっきりとした「映像」を残したかった。
 私は、勉強の合間に、どんな映像を残そうか、考えた。そして、わざとでもいいから、クサくてもいいから、自分の方から「将来の思い出」になりそうな風景を探し求めてみることにした。

 さて、そんな時期のことである。真夏だ。
 いつも一緒に勉強していた予備校仲間の一人が、ずいぶんと日焼けしていることに気付いた。いつも自習室にいるのに、なぜ日焼けなんかするんだろう、と疑問に思い、その人に理由を訊いてみた。
 すると、どうやら予備校の屋上で、太陽に当たっているらしかった。私は、この話を聞いたとき、「これだ」と思った。
 日焼けするときは、寝ころぶ。すると、空が見えるはずだ。しかも、青空だ。これは、鮮明な記憶として残るに違いない。
 早速私は勉強を中断して、予備校の屋上に上った。
 私の通っていた予備校は、東進ハイスクール衛星予備校である。だから、大きなアンテナがあった。そのアンテナの影に隠れないよう、太陽の光をいっぱいに浴びることの出来る場所に、私は仰向けになった。すると…

 …これ以上望めないほど晴れ渡った空が見えた。雲が、どこにもない。太陽は、頂点にある。
 「希望」というものを絵画にしたら、あるいはこのようなものになるのかもしれない。「若者には未来がある」というが、自分は、まさにその「若者」なのだ。今が、最高の時なのだ、そう感じた。
 私は、眩しすぎる視界に耐えきれなくなり、まぶたを閉じた。まぶたの裏の血液の流れが、赤々と燃えている。太陽の光は、これでもかというぐらい、私のまぶたを刺激している。体中に、情熱にも似た太陽熱を感じた。その太陽熱は、背中のコンクリートからも伝わってきた。
 熱い…信じられないくらい、熱い。
 私はもう一度目を開け、空を見た。幸福が、そこにあった。私は、「この風景を一生、忘れないようにしよう」と誓った。


 *  *

 思えば私はあのとき、感傷的な気持になって、強引でもいいから、思い出に残る風景を残したいという理由から、予備校の屋上なんぞに上ったのだ。だが、そんな軽い気持で作り出した風景が、十年以上経過した今になって、重要なものになってきている。
 私は今、こうやって文章を書きながらあの風景を思い出している。それも鮮明に、である。
 私は、浪人生活を終えて大学に入り、そして卒業して何とか生きている。人間、生きている限り何らかの苦労はともなう。それは今も例外ではなく、色々な雑事が私を追いつめ、悩ませている。
 だがそんなとき、ふと忘れていた浪人時代を思い起こすのだ。

 ――そうだ、あの時も俺は怖かったんだ、怖くて怖くて逃げたかったのだ。「不合格」というつまらぬ三文字がどれだけ俺を苦しめたことか。いくら予備校講師が素晴らしい受験理論を唱えようとも、いくら素晴らしい作りの参考書に出会おうとも、それが俺の身を合格の地へ運んでくれる保証にはならない。結局、最後はひとりだ。試験場の、自分の席につくのは自分ひとりなのだ――

 そんな不安におののきながらも、たったひとつ確かなのは、「希望があった」ということだ。未来は、過去ではない。過去は塗り替えられないが、未来なら塗り替えられる。今の自分次第で、輝くものに変わっていく。
 それを知っていたから、私は頑張ったのである。それほど順風満帆ではなかった浪人生活を、乗り切れたのである。
 その証拠として、私には今でもあの空がある。あの空がある限り、私は頑張った過去を振り返ることができる。
 誰にとっても、「今」という時間は、辛く、悲しいものである。だが、それを希望のある未来へとつなげることはできる。そうすれば、「今」は素晴らしい過去になるのだ。頑張った過去になるのだ。

 あなたも、いずれ今のことを思い出すことだろう。そのとき、「頑張ったんだ」と声を大きくして言えるようにしよう。そして、それを象徴するような、何か良い風景を、強引でもいいから残しておくと良い。

浪人中の思い出―①

2006年04月07日 | 体験録
   《題:夢の中で見たドラマー》


 浪人時代にあった思い出を書きたい。

 三年間の浪人生活の中で、私の心が最も乱れていたのは二浪時である。今から書く話は、その頃のことである。

 私は、「二浪」は当初から予定していたことだったので、実際に二浪の年度を迎えてもコンプレックスは無かった。むしろ、無勉の状態ではじめた一浪時と違って、すでに蓄積のある状態から再び勉強を始められるということで、「やってやるぞ」という気持に満ちていた。
 その状態は、六月頃まで続いた。一浪時と変わらず、私は猛勉強の日々を過ごしていたのである。
 しかし、夏前頃になると、急に勉強が手に付かなくなってきた。
 どうも、心が乗らない。受験費用を少しでも払おうと始めたアルバイトの影響もあった。時給に釣られてはじめたそのバイトは力仕事だったので、疲れがどんどん溜まっていった。それでも私は、図書館か、予備校の自習室に通っていた。
 だが、そこでただ机に向かっているだけの状態だった。他の浪人生、特に下級生にあたる新一浪生に負けられないというプライドから、意地になって陣取った席から離れなかったものの、勉強している格好を装っているに過ぎなかった。
 参考書を開いても、文字が頭に入らないのだ。三時間くらい、同じページを開いていることに気づき、ふと我に返ることもあった。

 「おかしいな、おかしいな、なんでだろうな。参考書が参考書のように見えないな。文字が文字に見えないな。なんだか、文字がただの模様に見えるな、なんでだろうな」
 完全に、心は得体の知れない何かに乱されていた。これが、スランプという奴かもしれない。

 こんなことは一浪時には考えられなかった。私は、かつて二年間の浪人を覚悟したとき、その決心の重さから、私のペースが落ちることは百パーセント無いと信じていた。
 しかし現実には、大スランプが訪れてしまったのである。これは、屈辱的であった。
 なぜ、屈辱的であったか。
 それは、現役のとき、私がある友人に言った「俺は二浪で早稲田に合格してみせる」という宣言に起因している。
 その友人は、私の成績の悪さと怠惰さを知り尽くしていたので、「できるものならやってみろ」と私を罵倒した。私にとってその言葉は、受験戦争への参戦に心燃やしていた時期のものだったので、出鼻をくじかれたようで非常に不快であった。その反発心もあって、かつての私は「絶対にやり抜いてみせる」と誓ったのである。

 ――「絶対にやり抜いてみせる」

 やまびこのように、この言葉が虚しく思い出された。
 本来、この言葉は純粋なものだった。たとえ大病にかかったとしても、この誓いは破られないと信じて疑わなかった。
 だが、大病にかかるまでもなく、あっさりとスランプは訪れたのである。悔しかったが、私は友人の言葉を認めざるを得なかった。二浪目のこの時期、久し振りにその友人の家に行き、色々な話をした。

 友人は、相変わらず私を罵倒した。「それみろ」というわけである。その友人は高校を中退してフリーターをしていた男である。髪を金に染め、部屋はゴミ屋敷のように荒れていた。彼の部屋にある数個のペットボトルはどれも飲み残しばかりで、カビの島が浮いていた。
 私は、そんな男に罵倒されたのである。お前に言われたくないという心持ちであった。
 だからといって私がエラい理由にはならず、いくら考えを巡らせても、結局行き着くのは「俺はなんて情けない奴なんだ」という醜い結論である。だからどうしても強気になれない。それでますます勉強する気が起きなくなる、そういう悪循環であった。

 が、その友人とは、高校時代にバンドを組んで遊んでいた仲でもある。そういうこともあって、気晴らしにもう一度、一緒にバンドでもやってみるか、ということになった。
 そうは言っても、私は受験生の身だから、そんなに長期間はできない。数週間限定で、しかも練習スタジオで曲を合わせて遊ぶ程度ということにした。これなら、勉強時間があまり削られることもない。

 ただ問題がひとつあった。メンバーがいないのである。かつて組んでいた人たちはみんな、大学やらなにやらでバラバラになっていた。私はギター、友人はベースだが、せめてドラムだけはほしい。別にライブするわけではないからボーカルは要らないが、リズム隊がいないと楽しくない。
 従って、新しい人を探して頼まなければならなかった。

 さて、ここからがこの話の本編である。
 すなわち、私はドラムの人について書きたいのである。私は、そのドラムの人に感謝しなければならない。
 その理由は、ふたつある。ひとつは、このバンド計画に乗ってくれたことである。そしてもうひとつは…後述する。

 とにもかくにも、なんとかドラムの人を探し当てた。
 だが不思議なのは、私はそのドラムの人とどうやって知り合ったのか、全く覚えていないのである。しかも、その人と会って一緒に練習して遊んだのは、合計で三回くらいしかなかった。記憶があいまいなのも仕方ないかもしれない。
 なんだか、今思い出すとあの人は幽霊だったのではないか、と疑いたくなるほどである。 実は、私の友人(ベーシスト)すら、そのドラムの人のことを覚えていないのだ。
 なぜこんな風に、あの人を幽霊のように感じるのか。もしかしたら私が眠ったときに見た夢だったのか。なぜそう思うかというと、私はこの時期、唯一の安らぎの場であるはずの睡眠時間中にも、悪夢を見ることがあったからだ。「悪夢」とか「幻想」とか、そういった言葉がよく似合う時期だった。だから、ドラムの人のことも、そういった「幻想」とごちゃまぜになって記憶されているのかもしれない。もっとも、夢だとすれば、そのドラムの人の夢は、「悪夢」ではない。悪夢の日々の中で見た、快適な夢だ。

 では、その幻想の人、つまりはドラムの人のことを書こう。
 その人は、私よりずいぶん年上であった。三十五歳くらいだったと思う。名前は、「カワサキ」といった。
 カワサキさんと初めて練習スタジオに入ったとき、まずその上手さに驚いた。私は今まで、高校生同士の遊びバンドしかしていなかったから、なおさら上手く思えた。
 カワサキさんのドラミングは、力は弱いものの、細かく、正確に叩くスタイルだった。 ただ闇雲に力強く叩くだけの高校生ドラマーとは、ひと味もふた味も違った。
 曲は、私とベーシストがかつてコピーしていたものを、カワサキさんに練習してきてもらった。カワサキさんは、二、三日もすると、すぐに曲を叩けるようになっていた。私にはプロ並みに見えた。
 しかし、実はカワサキさんは、ドラム歴が短いとのことだった。社会人になってから始めたということである。つまらない会社での生活のストレス発散のために始めたというようなことを、自虐的に語っていた。たしかに、カワサキさんの眼鏡はひん曲がっており、スーツもよれていたので、気弱なサラリーマン風には見えた。
 しかし、それにしても、ドラムが上手い。曲をコピーするにしても、適当にやっている箇所がなく、完璧に叩いていた。私は、私のようなくだらない浪人生の遊びに、これほどまでに真剣に付き合ってくれているカワサキさんを見て、罪悪感を覚えた。すると自然に、再び意識は勉強に向かった。
 カワサキさんとは、もっと一緒に演奏したいと思ったが、バンドの遊びは三回の練習で辞めてしまった。期間にして、二、三週間程度だったと思う。もっと長く続けていれば、カワサキさんとも親しくなれたかもしれないが、さすがにこの短期間ではそれは無理だ。
 しかし、このまま別れるのが名残惜しい気がしたので、私は最後の練習が終わった後、カワサキさんの家に遊びに行くことにした。友人は帰ったので、私ひとり、カワサキさんについて行った。

 さて、ここがまた私の記憶がぼやけている部分である。まず、カワサキさんの家がどこにあったか覚えていない。地元の、私の知り尽くしている街のはずだが、カワサキさんの家の記憶だけポッカリと抜けてしまっているのだ。
 また、どんな家だったかも覚えていない。覚えているのは、一軒家だった、ということと、一人暮らしだった、ということと、大量のレコードがあったことくらいだ。
 カワサキさんは色々なレコードをかけてくれた。そして色々な話をした。会社のことと、東京のことが中心だったような気がする。
 カワサキさんは、かつて上京していた時期があったらしく、そこでバンドを組んでドラマーとして活躍したということを、なんだか自信無さそうに話していた。と同時に、これから早稲田を目指して、いわばいつか上京する身である私を見て、その若さをうらやましがっているようにも思えた。悲しいような、なんともいえない目が、今でも思い出される。

 私は、その日を境に、勉強のペースを取り戻した。スランプの間、少しだけしか勉強できなかった私が、再び猛勉強の日々を送ることができた。そして、数ヶ月が過ぎた。
 年が明けて、受験シーズンは終わり、私の二浪目の結果が決まった。
 
「全て不合格」

である。
 力が抜けた。その時は、当然、予備校にも所属していない時期だし、友人に二浪している者も少なかったので、誰に愚痴ることもなく、誰に頼ることもなく、孤独にその敗北の現実を受け止めた。
 私は、それでもまわりには深刻な顔は見せなかった。親にさえ、弱さを見せることなく、三回目の浪人生活が開始されることに、希望を燃やしているフリをした。
 しかし、それでもやはり、ひとりでいるときは髪をかきむしってはちきれそうな感情を抑えていた。叫びたい気持があっても、叫べば悩んでいることがバレる。だから髪をかきむしるのだ。
 予備校に、来年度のパンフレットを取りに行くと、職員に「なんだ、また浪人か」という目で見られた。私の、特に一浪目は、かなり熱心な苦学生という感じだったので、職員も当時はそれを応援してくれるようなところがあったが、三浪となると、その熱心ささえ、いかがわしいものに見えてくるのだろう。そんな雰囲気を、職員から感じ取った。
 実際、私の一浪目の時期に、三浪している先輩を見て、私は軽蔑の目で見ていたことがあるのだ。だから、職員が、三浪生である私をどう見ているかも、分かるような気がした。
 かつて私が見た三浪生の先輩のイメージといえば、「煙草」「パチンコ」「雑誌」である。時々自習室に来たかと思えば、バイク雑誌を広げて煙草を吸っている、そんな人だった。
 私も、いよいよあの先輩と同じカテゴリーに入るのだな、と思った。そう思うと、悲しくなってきた。いっそ、私も「煙草」「パチンコ」「雑誌」の三点セットキャラでいこうか、などといじけて思ってしまったほどである。
 私は、予備校もまだ始まっていない三月を、毎日自分の部屋で孤独に過ごした。参考書を開いて、勉強してもみた。だが、身が入らない。
 何だか、学力が落ちているように感じた。二浪目の受験を終えて、緊張の糸が切れたからかもしれない。どのぺージを開いても、難しいことが書いてあるように感じた。無勉時代に戻ったかのような錯覚に陥った。

 そんなある冬の日、私は、参考書を投げ出して、深い眠りについた。

 いったい、どれくらい眠っただろう。随分長く眠ったような気がする。深く、いや深すぎて死んでしまうのではないか、と思うくらい、不気味な深さを持った眠りだった。
 ふと、母が私を呼ぶ声が、聞こえた。
 目が覚めた。
 私は起きたての頭痛を感じていた。そんな中、母は私に「電話がかかっている」と告げた。
 私は、半分、眠ったような体を無理に起こして、電話機のもとへ近づいていった。

 電話は、あのカワサキさんからだった。
 「覚えていますか?僕です。カワサキです。早稲田には合格しましたか?僕も、結果をとても気にしていたんで、思わずかけてしまいました」

 詩や小説で、「ひとすじの光」という表現がよく使われる。このときのカワサキさんの電話は、まさにそれに当たるものだった。深く、暗い眠りの中にいた私に、わずかながら明るいものを照らしてくれた電話だった。
 私は、受験した学部全てに落ちたことをカワサキさんに告げ、電話を切った。
 ほんのわずかな間の付き合いで、しかもかなりの月日が経っているにも拘わらず、こうして電話をかけてきてくれた。その行為は、とても暖かく感じられた。と同時に、カワサキさんだけでなく、その他、私に対して冷たくしていたように感じた全ての人さえ、暖かく見えてきた。
 そう考えると、私が二浪目に全て落ちた理由が、分かったような気がした。私は、自分のことだけしか考えていなかったのである。
 カワサキさんのこの電話をきっかけに、私の三浪目は、とても希望に満ちたものになった。

 私は、カワサキさんの電話番号を知らない。そんな状態でなぜバンドを組めたかも分からない。やっぱり、夢の中の人だったのかもしれない。
 だがたとえ夢の中でいいから、いつかもう一度会って、感謝の言葉を伝えたいと思っている。