日刊ミヤガワ

作家・表現教育者宮川俊彦によるニッポン唯一、論評専門マガジン。

1月28日 造花

2009年01月28日 | Weblog
日刊ミヤガワ1854号 2008 1.28

「造花」

「義務でなく、金でなく、駆け引きでなく、取引でなく、お礼でもなく、押し付けでなく、そんな人がいたんだ。魂はくすぐったそうに喜んだ。身震いしてね。魂が声を立てて笑うんだよ。
遠い昔、ほんの一時。苦痛に体は呻いていても、芯からなんとかしようと思えてくるんだな。命を延ばして貰った。
いつも身構えていたからね。心は預けられないけれど、そんなことはできないけれど、魂は笑顔で休息できたさ。嘘のような話だろ。嘘かもしれない。嘘ならまだよかったんだ。
神様がこの人を届けてくれたと思ったさ。無にできる人。人の評判など知らない。ただ無になっていける人だった。
その記憶があるから虚ろになる。いなくなったからね。当然いなくなるさ。そういうものだもの。追えるものか。誰といたって、何千人といたって、それから魂は深く眠ったまま。
真剣になれば、心を尽くせば、人は変わるし応えてくれるとやってみた。ずっとずっとやり続けた。無になるまでもやったさ。本当だよ。できるんだ。
でもさ。やっぱり違うんだ。もう心を読むことに慣れてしまった。そうしないと表情が作れなくなった。もどかしいさ。
一人じゃ生きられない。それは本当だ。だから孤立していくんだ。不信だなんて口にしてバカみたいにな。求めていた。気がついたら依怙地になっていた。真剣であれば出会えると思っていた。
違うんだね。出会えたのは前より淋しい自分だけさ。人は淋しがり屋と指差して笑うだけ。
淋しそうな人に出会うんだ。元気付けるのさ。
造花でいい。赤い花と白い花。もうそれで充分だ。生の匂いを一掃してただ盛期の名残を暫くとどめていてくれたらいい。部屋中を造花で埋め尽くしてもいい。生の花が身が縮んでしまうくらいの圧倒的な造花、華麗な写し身をこの空虚に纏わせよう。
その中で笑って、いつそこから抜けても心は痛まない。自嘲だけしていられる。
求めていたんじゃない。しがみつきたかったんだ。」



「よくまあそんなことが云えたもんだわ。そんなことはあったり前なんだよ。みんなそうなんだよ。馬鹿だねー、なんで口にするの。あーやだやだ。湿っぽいのは乾燥期にしてくれないかなぁ、。魂が微笑んだ・・・ケッ。魂の休息・・、ケッ。しゃあしゃうと。あー恥ずかしい。聞いてるこっちが赤くなるよ。造花でも何でも部屋中送ってやるよ。そんなに広い部屋でもないし。満喫しな。その内飽きるんだろうに。飽きて処分に困るくせに。感傷的になるならな、もっと高尚な次元で高尚な言葉でやってみろや。分かる人に漠然と伝わるようにさ。読解に匹敵するようにな。お前さんは物欲し気なんだよ。誰が寄っていくものか。曰くある者だけだよ。そうさ。だから孤独なんだよ。ロクな奴はお前さんに近づかないよ。尊い三流の同情を受けて、これじゃないと泣いてろや。ちょっと忙しいからさ。しなくちゃならないことが山ほどあってよ。お前さんの五秒ほどでケリがつく問題に対面してみせる気はないんだな。働け。バカ。あー。疎ましい。一人芝居もたいがいにしろよ。黙ってな。我慢だけして。笑って死んできゃいいんだよ。一人だけでもいたんだろ、よかったじゃねーか。俺、いねーし。いたっていねーし。とっとっと。また話しちゃった。本当に忙しいから。締め切りなんだよ.行くよ。おっ、どこ引っ張ってんだよ。俺にしがみつくな。もうたくさんなんだよ。て云うかさぁ、寝そべっていてズボンの裾持つのやめろよな。・・・」

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