日刊ミヤガワ

作家・表現教育者宮川俊彦によるニッポン唯一、論評専門マガジン。

1月21日 その夜

2009年01月21日 | Weblog
日刊ミヤガワ1847号 2008 1.21

「その夜」

「あの夜、殿下が申されたこと、今も忘れてはおり申さぬ。ご器量のほど感服致しましたぞ。戦の世は収束せねばとの並々ならぬご心底。殿下は本当の「利」というものを知っておられる。政への志操の堅なること、学ばせて戴きました。」
「よして下され。痴人の愚でござるよ。痴人ゆえの愚と申しましょうか。日ノ本に生まれて、この得に為すを為そうとしただけのこと。この身の利など詮無きこと。なれど他利を重ね重ねれば民利、国利に辿り着きまする。身浅学なれどいささか悟り得たこともありまする」
「下剋上はもう終わりにしなければなりませぬな。大気・大利に生きなくては、徒に民草を惑わすばかり。武を以って武を仕置きするためには、彼の国へ侵攻も意味あることと察しております」
「心中お察し下さるお方とは、つと知り及んでおりまする。それ故にあの夜密かにお訪ね申した。わしら二名しかおらぬと思ったでの。痴愚はわしが全て引き受ける。あの時の約定通り、お運びあれ。云わずともお運びなされるであろうがの」
「お見事な仕置きで御座った。実にお見事な。殿下にはあの折りもお救い戴きましたし・・」
「あのお方はご貴殿をいずれは・・、と察しておった。大恩は大恩。だがわしとは違う痴愚に魔が被さって居った。わしは簒奪者でよいわ。百姓の子でなくては見えぬこともあろうというもの。武門の子は限りというものがあるようじゃの」
「御意。今のお言葉銘じまする。して淀の方のお子は・・」
「云うてくだされるな。淀はなあの方のお子よ。痴愚のこの身には主筋に当たる。わしに種はないでの」
「分かっておられましたか。」
「笑ってくだされ。身一つ身一代。戦国の世に塗炭の苦しみを得た幾多の民草の怨念や情念がこの身に宿ったので御座ろう。それでもわしにも大恩ある方への追善もあろうというもの。いやいやお恥ずかしい。笑ってくだされ」
「誓ってその御意志報いましょう」
「いや、いやいや、わし一代のこと。どこぞで小大名でも残せればそれもよし。だがこの後の仕置きには支障となるのは必定。人は宿命を背負って生まれるものじゃ。わしを恨みつつ魔に魅入られたお血筋を持つ淀もまたご貴殿の作られる世に、為すある役目もあろう。凡夫の本意をのみお知り置き下さればそれでよし。国を刷新するには血を流さずばなるまいて。ただこの後は速戦速決でな。長引かせるとあちこち火の手が上がる。ようやく戦に倦んだところだ。」
「ははっ」
「魔がもう一つある。」
「西の方ですな。殿下は禁教令を出された」
「楽土を求めるなら閉ざすことも道じゃ。国内が争うと間隙を突かれる。あの方がそうであったようにな。光秀殿はよく制してくれた。ところでお元気か?」
「これは、これは・・」
「よいよい。隠せずとも知っておるわ。それもご器量というもの。そうでなくては大事は託されぬ」
「殿下・・」
「よくぞ、よくぞ今まで辛抱してお力添え下された。手を合わせて逝きまするぞ」
「正直申して、些かの安堵も御座らなかった。肝は冷え続けましたぞ」
「はっはっは。何を申される。そのお言葉何よりの餞ですぞ」
 
浪花の広大な城は深い闇に包まれながら、そこだけ明るく光っていた。月は赤かった。

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