あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

コントロールへの抵抗

2023-03-29 | 心の栄養

「お母さんのこと好きね~」と

飽きれた風に言われたことがある。

好きなのかどうか。

むしろ嫌いかもしれない。

一言で言いきれない関係性だ。

これを「共依存」というのでしょう。

母に甘えたいと思いながら

たぶん十分に甘えさせて

もらえなかった。

年子の弟がすぐに生まれ

3歳下には妹が。

長女としてかわいがられただろうが

泣きじゃくる私を放置していて

何日もはかせたままのソックスが

両足に食い込んでいたと

母から聞いた。

高校生くらいまで私の両足首には

その時のソックスの跡が

くっきりと残っていた。

生まれた時からの関係性で

母は何かにつけて

私をコントロールしようとする。

誰かにコントロールされた人間は

無意識に誰かをコントロールする

側にまわるのだとか。

私自身気をつけたい。

というのも母からのコントロールに

長い間気づかなかった。

反抗期が再燃したかのように

母の鎮座するリビングで私は

最近妙に機嫌が悪い。

母の些細な口調にイラっとする。

「〇〇に気をつけるんよ」

「〇〇したらいけんよ」

「はよう〇〇しんさい」

指示命令ばかりだ。

テレビを見てばかりの母は

けして楽しいことをネタにしない。

「嫌な事ばっかり言う。」と

不機嫌になる私をどこか

楽しんでいるようにも見える。

母は母であって私ではない。

独立した人間だ。

私はれっきとしたおばさんだ。

なのにどうして自分自身のように

私を見下すのか?

父も口は悪かったが

こんな私でも父には自慢の娘だった。

そう信じられる。

不出来な遊んでばっかりの

良い年をしたおばさんを

どう立て直して私は生きていくべきか?

私の自尊心をそこまで貶めて

母たるあなたは恥ずかしくないのか?

と思う。

そのくせ「あんたに任せた」と

丸投げする。

どこへ行く?何時に帰る?

と聞いては果てしなく心配を

生み出している母。

この頃では一緒にいるのが

息苦しい。

共依存に苦しむ女性は多い。

そんな人はたいてい

自己実現が困難だ。

自分を肯定してもらえない人

=母親を

精神的に切り捨てることもできない。

母親に認めてもらいたいという

思いをある意味で利用する母親。

母と娘の関係性は循環する。

何十年も生きてみて分かった。

自分を本当に認められるのは

自分しかいない。

ああ孤独だ・・と思うが、

次の瞬間にはある種の清々しさが

あることに気づく。

シンガーは誰かに認めてもらう

活動ともいえるがそのスタンスを

一旦手放す。

「頑張っている」と自分を

認めてみることにした。

自分が本当にやりたいことを

やっているかと自分に

聞いてみることにした。

母をはじめほかの誰も

立ち入らせない世界を

しっかりと自分の中に構築

したいと思う。

お互いの自立があってこそ

健全な関係性が生まれるはず

だから。

バタバタと駆け抜けるような日々だ。

麻呂をトリミングに預けて2時間。

古民家風のカフェでゆっくり

ランチとお茶をして

そんなことを考えて過ごした。

心にしっかりとはまっていた

「蓋」が少しゆるんできたから

気づいたことでもある。

何かの弾みで「ポン」と抜けたら

気分爽快になるに違いない。

追記

麻呂のトリミングをしたとたん

寒くなった。

あれから不調になった麻呂は

ウロウロし始めたと思ったら

ガタガタと震える。

1日1回か2回その震えが来る。

13歳の高齢で内臓が悪い彼だ。

自分の異変におびえる彼を

抱っこして

「よしよし。大丈夫~。

お姉ちゃんがついているよ~」と

歩き回る。

母もこんな風に私を看病して

くれたっけな??と思うが

いつも一人で高熱に耐えていた

記憶しかない。

母はとにかく家事と農業で

忙しかったから。

私は麻呂の命にどこまでも

責任を取る覚悟だ。

愛が私の中に自然にわいてくるのは

幸いだ。

 

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