柔道・武道 歪んだ柔道界・マスゴミ

柔道は部外者では計り知れない腐った世界を少しでも知ってもらい正していければと想い日本の道徳や常識も含め書いていきます

日本傅講道館柔道

2013-07-15 04:17:25 | 日記
【武術から言うても、いつ相手が蹴って来ても、突いて来ても、身体が自由且つ軽快・俊敏に働くということでなければならぬ。
 講道館では乱取をする際、襟を掴み袖を捕らえて稽古をするがこれは初心者を導くに必要なので、之を最後まで用うべき形と言うものでは無い。 仮に袖を捕り襟を握っても、極めて軽く握り、之に力を入れてはいかぬ。
 しからざれば、急速に身体をかわすことが出来ない、以上の注意を着眼して稽古するならんば、立っている場合に、
 今日往々にして見えるが如き、無闇に力を入れ捩くり合うということがなくなって、
 ボクシングをやるものの姿勢などに類した一種の姿勢が乱取の姿勢になり得るのである。
 西洋の借力姿勢は、先方で当身をせぬということが予め決まっているから、あのような姿勢をするけれども、
 若しも当身を予測するならばボクシングの様に離れていなければならぬのではない。
 或いは接近して着物をつかみ、手を捕らえ、または首をとらえる、の場合においても、
 相手が突いて来たり、蹴って来たときに応じ得る身構えして接近せねばならぬ。
 其接近するに当たり、どういう風にするかと言うに、或いは相手の右の手首なり袖なりを引っ張る。
 自分は相手の右側に身を進める。 
 すると、向こうの右手は取られて居るから、攻撃が出来ない。
 左手はは自由であるが、距離が遠いから危険が少ない。
 左の足も同様である。
 また右の足は接近しすぎて攻撃には不便である。
 こういう工夫に考えて接近しなければならないものである。無闇に接近してはならないのである】


再び↑  ↑ を載せました。
落書き氣違いのやうな柔道擬きの屑から全柔連万歳若しくは諂う近大学生屑柔道の自称柔道家と一般や他の真似武道の輩の柔道の歪んだ認識は
大差無い様で怒りとともにウンザリしてきます。

最近、他の近代武道を学ぼうと通いだしたのですが・・・

『柔道?其の割には動きが滑らかですな。他に何かやってたでしょ』

空手を学んだ時にも同じやうに言われた事を想い出しましたが・・・

ウンザリ
当身も有る正しい柔道を知らぬ自称柔道家の御偉いさんから、度素人に他の近代武道の輩達・・・

ましてや、他の近代武道でも師範クラスが
『私も(俺も)昔柔道やってたけどね、柔道は当身がないから云々』
本心、ぶっ飛ばして差し上げませうか!
と常々喉元まで出てきている言葉を堪えていまふ。

取り合えずは【当身は有りますが】 と告げますが意味が全く解っていません。

ですから、出来る限り此の文頭の嘉納の手記を渡してますが読んで居る輩は皆無。
また、読んだ(目を通した)輩は此れまた呆れた事に次に会った時にはムッとし目を反らせる輩ばかり。

まぁ、吉田がリングに上がった際にも

『柔道は打撃がありませんが、プロは打撃も有ります云々』
と本当に講道館柔道を知らぬ近代学生屑柔道の申し子と言う情けなさ・・・

吉田の柔道・実力は否定していませんの氣違いが発狂すないやうに(失笑)
古賀よりも確りした基本の柔道を体現はしています。
今年、選手(此れも全柔連の選手)復帰し実業団の団体戦で全勝したやうですが、あれだけの者ですがか熟練すれば
更に強くなり老獪さがでて勝つは当たり前と私は考えて居ます(ー3-)!”

剛も必要ですが剛力のみの選手は加齢とともに当然勝機は年々無くなって行くは当然。
(歪んだ全柔連の)選手を引退したから稽古もろくにしない輩は柔道家なぞとは呼べませむ。

また、畳の上、道場だけが稽古では無い日常生活全てが武道の修練場ですからウダウダと
『しばらく稽古してないからなぁー』
『全然稽古してないから』
学生上がりの最たる戯言は
『毎日やってる学生には敵わない』

年齢とともに毎日過剰な稽古や無駄な筋トレで身体を破壊して強くなれると盲信している輩は本当に情けないとしか言い様がありません。
言い訳ばかり先に考える様では武道家では無いのは至極当然です。

私が空手を学んだのも当身(打撃)も時代とともに進化しています故に柔道の為に学んだのです。
今回も時間が出来たので始めたのですが・・・