金物店での出来事

2018-08-27 20:32:06 | 随筆
我が家の玄関の戸は黒で、午後の直射日光をまともに浴びる。 ある暑い日、ピアノの生徒がレッスンにやってきたが、ドアに触れた途端に、「きゃっ!」と言った。 火傷をしたかと思うほど、熱かったらしい。 白いペンキを塗ることにした。 

hardware store (金物店)へ行き、ペンキ部門へ直行する。 ずらりと並ぶペンキ缶の前に立ち、さてどうしたものか思案する。 どれを買ったらよいのか、種類が多すぎて、わからない。 白人の男性が店のエプロンをかけながら、近づいてきた。 玄関の戸に白いペンキを塗りたい、と言うと、これがいいですよ、と缶を渡してくれた。 値段を見て驚いた。

「こんなに小さな缶で、18ドルもするのですか?」
「これは質のよいペンキですから、長持ちしますよ。」

専門家なのだから、彼の言うことは確かだろうと、それを買って帰った。 まず、ボロに着替える。 床に新聞紙を広げたり、と準備を整え、缶を開けた。 ペンキの色を見た時に、あれ、と思った。 

「白は、白だけど、なんか弱々しい色だなぁ...。」

何となく、ボケた色で、こんなのでいいのか、と心配になったが、スポンジローラーにペンキをなすりつけた。 ペンキ塗りは昔から何回もやったことがあるので、要領は得ている。 だが...。

「What in the world (何だ、これ)...?」 と口をついて出た。 いくらがんばってローラーを回しても、黒い戸に申し訳程度の白い線が、とぎれとぎれに並ぶだけで、白色にはならない。 おそらく乾いた後、2回、3回と上塗りをせねばならないのだろう。 しばらく乾かした後、再度やってみる。 ダメだった。 躍起になって塗りたくったので、気がつくと one quart (946 ml) のペンキは半分に減っていた。 

「不良品?」

そうでなかったら、おそらく全く別の品を買わされたのだろう。 返品をするため、店にもどった。 念のために、ドアの写真を撮る。 黒い戸に、豆腐をぐちゃぐちゃにしてなすりつけたような線が着いている。 

返品コーナーで、若い黒人女性が、

「ペンキの返品は、承ることができません。」 と言う。

ペンキを買うときは、サンプル紙を見て、客が決め、店に色合わせをしてもらうのだ。 壁に塗ってみて、気に入らないから、と返品は出来ない。 それはわかる。 だが、今回の場合は少々事情が違う。 説明をすることにした。 年をとって少しは丸くなったと自負するこのごろだが、昔から気短な私は、かっとなると、早口でまくし立てる癖がある。 それをまた今回やると、店員も気を悪くして意固地になるかもしれない。 勤めて冷静に、と自分に言い聞かせた。

「これは、私が選んで買ったのではありません。 どの缶を選んだらよいのかわからなかったので、お宅の店員にアドヴァイスを求めたら、これを勧められたのです。 専門家の言うことを信用して買ったらこの有様です。 見てください。」

写真をちら、と見て、彼女はいぶかしげに半分空になった缶を片手に持って、振った。 何を言いたいのかすぐに分かったので、とがめられる前に、と思い、私は言った。

「いくら塗っても色が付かないので、何回も上塗りをせねばならないのかも、と思ったのです。 ようやく何かがおかしいと気がついた時には、もう半分になっていました。」

女性は缶をもったまま、すぐそばにあるペンキ部門へ歩いていった。 見ていると、ペンキ専門の店員に何か言っている。 相手の男性は、首を横に振った。 彼女も同じ動作をしながら、戻ってきた。 

「これは...という品物で、液体の中に色は注入されていません。 申し訳ありませんが、ご希望に沿うことはできません。」

またあの台詞を言うのか...。

「マネジャーを呼んで下さい。」

店のトレードカラーであるオレンジ色のエプロンをかけた、白人男性がやってきた。 はじめから戦闘準備の整ったような表情で、にこりともしない。 

結局、黒人女性に説明をしたのと全く同じことを、彼に繰り返した。

「できません。」
「どうしてですか? 納得できません。 私は...」

すると、返品コーナーで列を作って、順番を待っていた男性客が、頼みもしないのに私たちの間に割って入ってきた。

「奥さん、ドアにペンキを塗るときは、まず...をして、...という種類のペンキを買うのですよ。 それから...。」

「あんたはいったい何者だ! この店の店員か!? 誰があんたに助言を頼んだのサ!」 と怒鳴りたい衝動をぐっと抑えた。 まるで、何も知らない阿呆な女がごたくを並べて、店員を困らせている、とでも言いたい様子だ。 赤らんだ顔に、にやにやした薄笑いを浮かべているのも癇に障った。 私は低い声でさえぎった。

「Thank you. But you are not helping me. 」 (それはどうも。 でもあなたのおっしゃっていることは、私にとって何の助けにもなっていません。)

小さな東洋人の女にぐさっとやられて、彼は黙った。 馬鹿にするな。 だてに60年、生きてきたわけじゃない。 周りの人たちは皆聞き耳を立てている。 知ったことか! これは、私がおかした間違いではない。 再びマネジャーに向かって言った。

「いいですか、よぅく聞いてください。 これは、私が選んだものではありません。 お宅の店員が、お客様がお探しになっている品はこれです、と勧めたから買ったのです。 私は、黒いドアを白く塗り替えたい、とだけ説明したのです。 極端なことを言えば、鋸というものがどんなものか知らずに買い物に来た客に、これが鋸です、と言ってかなづちを売るようなものじゃありませんか。 お宅の店が犯した過ちのために、なぜ客が無駄金を払わねばならないのです!? それがお宅の会社の方針ですか?」

マネジャーは、は~っとため息をついて、ひとこと、

「Fine ...(わかりました。)」 と言ったが、私には、
「わかったよ、あぁ、わかったよお~!」 と聞こえた。

返品はできた。 だが、もし私が白人の男であったなら、もっと簡単にことは済んだであろう。






  




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピアノ教室の生徒たち 「Sweet Child」

2018-08-23 22:48:23 | 随筆
バウムの両親は、ミャンマーからの移民である。 キリスト信者である彼らは、祖国での激しい弾圧から逃れ、今から25年ほど前に日本へ逃れた。 そこから、アメリカへ渡った。 バウムの姉と兄を含めた3人の子等はこの国で産まれた。 親達はミャンマーの言葉で話しかけるが、子供達は皆、英語で返答する。 若いころ、日本の自動車修理店で働いていたお父さんは、まだ日本語をおぼえていて、バウムにピアノを教えるために、毎週彼らの家を私が訪問すると、流暢な日本語で挨拶をする。

「先生、今日も暑いですね。 ひと雨降りそうです。」

今年の秋、大学生となる長女のリンと高校生の長男ルークも、昔は私の生徒だった。 

リンはかなり上級まで進んだが、歌うことのほうが好きで、ピアノはやめた。 美しい歌声に恵まれ、いつも笑顔で話す彼女からは、その性格のよさがにじみ出てくるようだ。 息子を持つ母親達が、頭を下げて、ウチの愚息と交際をしてください、と頼みたくなるような女の子である。  

ルークは天才的なピアニストで、クラシック音楽よりも、教会で賛美歌を弾くことに専念したいと言い、レッスンをやめた。 perfect pitch (絶対音感)の保持者で、姉のリンが即興で歌い始めると、その音を耳で拾って、伴奏をしたり、母親が台所で料理中、しゃもじで鍋の端をかんかんと叩くと、「Fシャープの音だ。」と言う。 (アメリカではドレミを使わず、A  から G までのアルファベットを使用する。)

それぞれ音楽の才能があるだけではなく、学校の成績もよく、スポーツも得意、という姉と兄を持つバウムは、世間一般の目で見ると、全く目立たない子である。 初めてレッスンを受けたのは今から5年前、6歳の時、祖母に手を引かれ、彼女の後ろに隠れるようにしてやってきた。 

丸いニコニコ顔を、少し緊張させてベンチに座った彼に、まずどのキーが、なんと言うアルファベットの名前か、ということから説明を始めた。 小さな子供達を持つ親達からよく質問を受ける。 何歳からピアノのレッスンを始めたらよいか、という質問だ。 何歳でもかまわぬが、アルファベットの A から G
まで、そして数字の1から5までを知っていたら、始めさせてもいいでしょう、と言うのが私の答えである。 キーを順番に並べると、

A B C D E F G
ラシドレミファソ

となる。

また、親指が 1で、2、3、4、そして、小指が5と、番号がついている。 それぞれの差はあるが、通常女の子達の精神的成長は男の子より早いので、早くて3歳。 男の子は、5歳か、6歳ごろがよいのではないかと思う。 (絶対音感を養わせたいのであるなら、3歳前に音の訓練を始めないといけない、それ以上年をとると、不可能である、と言う専門家もいる。)

キーの位置から見ると、A より C から説明を始めたほうがわかりやすいので、いつものようにレッスンを進めた。

「この真ん中にあるのが、C ですよ。」
「...。」
「では、C から隣に上っていきましょう。 (右側へ移動することを上る、左へ行くことを下る、と言う。) このキーの名前は何でしょう?」

D のキーを指して、質問をすると、バウムはう~、と言った。

「アルファベットの ABC を順に言ってごらんなさい。 C の次にくるのは何ですか?」
「う~...。」

これを数回繰り返した後、何かがおかしい、と思った。 私たちの後ろに座っている、おばあちゃんがイライラして孫に言う。

「D じゃないの。 C の次は、 D でしょう?」
「う、うん。 D ...。」

今度は、B のキーについて質問をするが、う~、としか言わない。 こんな調子で、レッスンを3週ほど続けたが、ついにおばあちゃんが言った。

「ミス フィー。 バウムにはまだ早いようです。 2年生になるまで、もう少し待たせたほうがいいかもしれません。」
私は、そうですね、と言ってその日のレッスンは終わった。

彼の親からは何も聞いていないが、バウムに learning disability (学習障害)があることは明らかだ。 何らかの障害を持った子の親達は、時として、教える側に説明するべきか迷う。 家族の秘密を知られたくない、という思いであろうが、レッスンを始める前に知らせてくれると我々は助かる。 何年も前に、軽い自閉症の子を教えたが、ただの我儘な子だと誤解した。 

その一年後、バウムのレッスンは再開されたが、歩みは著しく遅く、他の生徒達の2、3倍の時間がかかった。 彼の後からピアノを始めた子らがどんどん先へ進み、毎年秋のリサイタルの時にはバウムの名前を通り越し、彼より幼い生徒達の名前が、中級クラスの欄に名を連ねた。 たいてい後輩に先を越されると、自尊心を傷つけられ、嫌気が差すものだが、彼は一言も愚痴らなかった。 毎週ニコニコ顔でやってくる。 姉と兄が使い古して、しわくちゃになった教本を抱えてやってくる。 あちらこちらセロテープで修理してあるので、ページをめくると、がさがさと音がし、表紙は破れてどこかへいってしまった。 

この子を教えるときには、忍耐を必要とし、毎週苦労であるが、私は一度とて、彼を教えることをやめたいと思ったことはない。 なぜなら、バウムは 「Sweet Child」だからである。 sweet という単語は菓子などが甘い、という意味だが、アメリカ人は人の性格を表す際、好んでこれを使う。 心優しく、思わず抱きしめて、頬ずりをしたくなるような人のことを言い表すときに使う。 毎週、玄関の戸を叩くと、笑顔で開けてくれるバウムは、いかにも家族全員から愛され、大切に育てられたであろうと思われる優しい子だ。 まだ小学生なのに、よく気がつき、おばあちゃんに手を貸したり、母親の料理を手伝ったりと、人への気遣いが細やかである。 還暦となってから、さらにトイレが近くなった私に、レッスンが終わると、彼はいつも同じ質問をする。 

「ミス フィー、お手洗いは大丈夫?」

バウムの両親は、彼の sweet さは、イエス様からの贈り物である、と言った。

昨年、私は隣町へ引越したが、その後生徒達の家へ私が出かける、「出稽古」をすることになった。 秋のリサイタルが終わり、引越しと重なったので、私は肉体的にも精神的にも疲労困憊していた。 ずきずきする頭を抱えながら運転をしたが、ハンドルを握る手まで痛い。 この日のレッスンは、ある意味で、最悪のものとなった。 ゆっくりと説明を繰り返し、何回同じところを弾かせても、理解できない少年に、私はいらいらし始め、「だから、ここは...」と言う、自分の声が険のあるものに変わってゆくのがわかった。 鼻の頭に汗を浮かべて、バウムは、「う~、」だとか 「え~っと、」を繰り返す。 私の手には楽譜の音符をひとつひとつ指してゆくのに使う、鉛筆が握られていたが、ただのいらいらが怒りに変わった時、鉛筆の芯がぼきっと折れ、ピアノの本に穴が開いた。 私は、はっとして、折れた鉛筆の先を見つめたが、生徒の顔を見る勇気がなかった。 

「ご、ごめんね、バウム...。」

すると彼は言った。

「心配しないで、ミス フィー。 もうこの本はボロボロだったし。」

違う、そうじゃない。 本のことじゃない。 どうにかこうにかとりつくろって、レッスンを終えたが、早くこの家から出て行きたかった。 慌ててハンドバッグをつかんだ時、「それを言わないで...。」と心の中で願っていたことが、バウムの口から出てきた。

「ミス フィー、お手洗いは?」

お願いだから、優しくしないで。 お願いだから...。 やりきれない気持ちで、帰途に着いた。





 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピアノ教室の生徒たち 「Defiant Child」

2018-08-22 17:19:59 | 随筆
三白眼の目が、私を睨んでいる。 膨らんだ頬は怒りで赤く染まり、ピアノの鍵盤の上には、苛立ちを隠そうとしない十本の指がグーになったり、パーになったりしている。

「また始まった...。」

毎週木曜日、生徒達の家に出かける時間が近づくと、気が重くなる。 ランスキー家へは行きたくない。 6歳のモイラは、 Defiant Child だ。 Defiant とは反抗的、傲慢な、という意味である。 3人の姉がいる末っ子の彼女は、温厚な父親の愛情を独り占めにして育ったらしく、 Spoiled Brat (わがままなガキ) の文字をそのまま人間にしたような子供だ。 ランスキー氏のことはよく知らぬが、韓国系の夫人は、自宅に事務所を持つ弁護士である。 美人だが、弁護士という仕事の押しの強さを、そのまま体全体で表しているような人で、とっつきにくい。 人に挑みかかるような口調で話す。 4人の娘達がピアノの稽古を受けている間、すぐ隣の部屋で仕事をしながら、一分、一秒の成り行きに、神経を張り詰めている様子だ。 今までいろいろな親達を見てきたが、私の一番苦手なタイプだ。 初めてあった時に、「おっかな...。」 と思った。 

ランスキー氏は中国人とユダヤ人の混血で、子供達は皆純粋な東洋人に見える。 13歳の長女、メリーアンは明るく自信満々。 よく練習をする。 母親に似て、成長したら美しくなるだろう。 次女のグウェンは、注意力散漫なところが玉に傷だが、素直でよく笑う11歳。 三女のイリッサは口数の少ない、おとなしい子で、親に口答えをしているのをいまだかって聞いたことがない。 9歳。

そして、モイラ。 3年前に、姉達がそろってピアノのレッスンを受け始めたとき、彼女はまだ幼かったので、いつも指をくわえて眺めていた。 たまに隙を狙っては、ピアノに近づき、鍵盤に小さなこぶしを振り下ろしたりした。 当時はまだ、長屋の自宅でピアノ教室をしていたので、生徒達は全員私の家にやってきた。 なけなしの貯金をはたいて買った新品のピアノをゲンコツで殴られた私は、幼子をたしなめた。

「Don't do that.」

思わず、 Don't の部分に怒りがこもった。 するとモイラは、舌を突き出し、ほっぺたを思い切り膨らませて、「ぶぅー!」と、悪たれたのである。 日本人の 「アカンベー」 はただ舌を突き出すだけだが、アメリカのそれは少し違う。 舌を突き出すところは同じだが、唇を閉じたまま頬を膨らませ、息を吐き出す。 すると、この音が出てくる。 

姉達が粗相をすると、厳しく叱るランスキー夫人は、このチビには甘い。 

「まぁ、失礼でしょう、モイラ。 ミス フィーに謝りなさい。」とあまぁ~くささやいた。

するとお姫様は、例の三白眼で母親を睨みつけ、大声で叫んだ。
「ノォォォゥー!」

彼女が私の子供ではないという事が、これほど残念だったことはない。 もしそうならば、お尻に何発かお見舞いしたところだ。 私はイエス キリストを救い主と信じるキリスト信者であるが、聖書にこのように記されている。

箴言の書、 22章15節:
愚かさは子供の心につながれている。 懲らしめの杖がこれを断ち切る。

昨年、幼稚園生となったモイラは、3年間おあずけをくったあと、やりたくてたまらなかったピアノのレッスンをようやく許された。 ランスキー夫人曰く、「うちの baby(末っ子)は、運動神経が発達していて、たいていのことには、秀でています。 おそらくピアノも早く上達するでしょう。」

ふん、そうかいな、と思った。 母親の言う、「何でもできる。」モイラはきらきら光る目で楽譜を見つめている。

ピアノを弾いたことのない子供の指に力はない。 たいていはじめてのレッスンの日には、思うように音が出ない。 ただ、キーを指で叩けばよい、という簡単なものではないのだ。 人間、それぞれに性格があるように、一つ一つのピアノはまったく違う。 私のピアノのキーは特に重い。 モイラがいくらがんばっても、スカスカした音が、かすかに鳴るだけだった。 とたんに彼女は短い足で、ピアノの壁をばんばんと蹴りだした。 腫れぼったい細い眼から、涙がぽたぽた落ちてくる。

「しめた!」 と私は思った。 初めてのレッスンでこれだけ駄々をこねたら、たいてい長続きはしない。 こんな defiant な子供に教えたくはない。 ごめんこうむる。 これでもう来週からは教えなくてよいだろう。 しかし、ランスキー夫人は猿のように暴れる末っ子をどのように諭したか知らぬが、驚いたことにまた翌週も、モイラをピアノのベンチに座らせたのである。 

人間関係には相性というものがある。 これを英語で、 chemistry というが、私とモイラの間のケミストゥリーは、最悪であったらしい。 彼女には小さな子供の愛らしさというものがない。 わがままいっぱいで、自分の思い通りにならないと、怒りを爆発させるのだ。 それは往々にして、楽譜を破ったり、ピアノを蹴る、鍵盤をげんこつで殴るなどの行動に表れた。 昔、マーカス (「ピアノ教室の生徒たち、悪童マーカス」の記事参照)という男の子に散々振り回されたが、このモイラは、彼とどっこいどっこいの 「out of control」(手がつけられない) な生徒だ。

たいてい週ごとの稽古日には、このちびがかんしゃくをおこすので、彼女のレッスンは半分で終わり、残りの時間は長女のメリーアンにあてがわれる。 そのせいか、お姉ちゃんの腕はめきめきあがっていった。 軽やかにワルツを弾く姉をうらやましそうに眺めていたかと思うと、末っ子はペットの猫を抱き上げ、ぼんっと鍵盤の上に放り投げたりする。 姉妹達が弾いている時に、ピアノの下にもぐりこみ、ペダルをぼこぼこ押す。 あるときなどは、削った鉛筆をご丁寧に何本もキーとキーの間に差し込み、鍵盤の上に鉛筆の林が立っていた。 やることなすことめちゃくちゃで、毎週腹の立つことが多かった。 ある時、友人にモイラのことで愚痴をこぼしたら、あきれたように彼女はつぶやいた。

「She is a little b....」

この B で始まる単語は昨今、日本でもカタカナで使われるようになったらしいが、悪しき言葉なので、省略する。 だが日本語にすると、「小さな毒婦」とでも言えよう。

数週間前に、ランスキー家である事件がおこった。 毎度のように、モイラは私の教えを無視し勝手なことをするので、彼女のレッスンは10分足らずで終わった。 イリッサを教えていると、奥のほうから、たんっ、たんっ、という音が聞こえる。 ランスキー家は豪邸で、玄関から入ると大きな居間にグランドピアノがある。 そこから少し奥まったところに2階に上がる階段がある。 細かく彫刻をほどこした、見るからに高価な階段の手すりにまたがる末っ子がいた。 振り返った私と目が合ったときに、この子は、ヘヘン、どんなもんだい、といった誇らしそうな顔で私を見た。 この日レッスン中、いつものように態度が悪いので、説教をしたが、腹に据えかねていつもよりきつく訓示をたれた。 

「モイラ、あなたはもう小学校一年生でしょう? どうして2歳児のように振舞うの? 恥ずかしくないのですか?」 

2歳児と言われて、プライドを傷つけられた少女は、自分が小さな幼児ではないことを証明したかったらしい。 数メートルの長さがある手すりのてっぺんから、さぁーっと滑り降りてきて、スキージャンプの着地のような格好で、カーペットの上に立った。

「Don't do that.」

私は、Don't の部分にまったく力を込めず、静かに言った。 これが自分の孫か何かだったら、慌てて、「や、やめなさい!」とでも叫んだだろう。 薄情なようだが、このとき私はドーデモイイ、と思ったのだ。 何回か、たんっ、たんっ、「止めなさい。」が繰り返された後、私はイリッサのレッスンに集中することにした。 その直後だ。 ごんっ、と鈍い音がした。 そして、「ぎゃっ!」、「ひぃーっ!」と続いた。 再び振り返ると、釣り上げられた魚が甲板上で、のたうつように体をくねらせている defiant child がいた。 2階から駆け降りてきたランスキー夫人の腕の中で、ぎゃあぎゃあ騒ぐ子供を見て、これだけ元気だったら大丈夫だろう、と思った。 台所の床のように大理石ではなく、カーペットでよかった。 おそらく三白眼の上あたりに、2週間ほど、たんこぶをくっつけているだけですむ。 指は、、、大丈夫だったようである。

明日は木曜日だ。 




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

独身女の献立

2018-08-20 18:55:34 | 随筆
昼時に炊いた冷や飯をどんぶりに入れる。 まだほんのりと、暖かい。 といた納豆をかける。 乱暴に切ったねぎが、ねばねばから突き出ている。 小皿を出すのは面倒くさい。 昨夜の残り物、インゲン豆の煮物をどさっと、またその上にのせる。 今夜の夕飯だ。 (私の好物である納豆は、昨今アメリカでも健康食のひとつとして取り上げられ、小さな入れ物に入った3つをひとつとして、約3ドルほどである。)     

既婚女性たちよ、羨ましがってはいけない。 これは独身女の特権である。 数年前に熟年離婚をした私は、今年還暦を迎えたが、あれから気ままな一人暮らしを謳歌している。 もし亭主がいたら、絶対にこんなことはできない。 ニュージャージーに住む義理の妹のダンナは、料理の達人で、毎日彼が夕飯を作る。 彼女は隠居生活に入った後、趣味のキルト作りに打ち込み、毎日を楽しんでいる。 よほどこのように恵まれた環境でない限り、世の妻達は昔私もそうしたように、毎日台所に立つのだろう。 

料理、洗濯、掃除と三大家事の中でいちばんやりたくないのが、料理である。 誤解しないで頂きたいが、私の料理の腕はけして悪くない、と自負している。 ただ、好きではないのだ。 まだ便所掃除をしていたほうがいい。 なんとなれば、食事の支度は時間がかかるからだ。 それよりも、本を読んだり、畑仕事をしていたい。 いよいよ極端に面倒くさくなると、畑で採れた野菜を洗い、そのままかじる。 野蛮に聞こえるかもしれないが、私がこういう食生活をしたとて、

Nobody cares. ( 誰も気にしない。)

なのだ。

私は毎週2回ほど大鍋にたくさん作る。 そして同じものを2,3日食べ続ける。 姉がメールを送ってよこした。

「毎日同じものを食べ続けると、ボケやすくなるから注意したほうがいい。」

どこでこのような情報を仕入れてくるのか知らないが、根は臆病者である私はこれを聞いて少し怯えた。 ピアノの師である、ナタリー先生 (「ブリザード」の記事参照)にその旨伝えると、彼女は自信たっぷりに言った。

「大丈夫。 私達ピアノを弾く者たちは、絶対にボケないから。」

彼女も数年前にご主人を看取った後、独身を続けている。 料理をする時間があったら、ピアノを弾いていたい、という先生は、今夜も愛犬のミスティーといっしょに、自家製のもやしを食べているに違いない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする