ピアノ教室の生徒たち 「Defiant Child」

2018-08-22 17:19:59 | 随筆
三白眼の目が、私を睨んでいる。 膨らんだ頬は怒りで赤く染まり、ピアノの鍵盤の上には、苛立ちを隠そうとしない十本の指がグーになったり、パーになったりしている。

「また始まった...。」

毎週木曜日、生徒達の家に出かける時間が近づくと、気が重くなる。 ランスキー家へは行きたくない。 6歳のモイラは、 Defiant Child だ。 Defiant とは反抗的、傲慢な、という意味である。 3人の姉がいる末っ子の彼女は、温厚な父親の愛情を独り占めにして育ったらしく、 Spoiled Brat (わがままなガキ) の文字をそのまま人間にしたような子供だ。 ランスキー氏のことはよく知らぬが、韓国系の夫人は、自宅に事務所を持つ弁護士である。 美人だが、弁護士という仕事の押しの強さを、そのまま体全体で表しているような人で、とっつきにくい。 人に挑みかかるような口調で話す。 4人の娘達がピアノの稽古を受けている間、すぐ隣の部屋で仕事をしながら、一分、一秒の成り行きに、神経を張り詰めている様子だ。 今までいろいろな親達を見てきたが、私の一番苦手なタイプだ。 初めてあった時に、「おっかな...。」 と思った。 

ランスキー氏は中国人とユダヤ人の混血で、子供達は皆純粋な東洋人に見える。 13歳の長女、メリーアンは明るく自信満々。 よく練習をする。 母親に似て、成長したら美しくなるだろう。 次女のグウェンは、注意力散漫なところが玉に傷だが、素直でよく笑う11歳。 三女のイリッサは口数の少ない、おとなしい子で、親に口答えをしているのをいまだかって聞いたことがない。 9歳。

そして、モイラ。 3年前に、姉達がそろってピアノのレッスンを受け始めたとき、彼女はまだ幼かったので、いつも指をくわえて眺めていた。 たまに隙を狙っては、ピアノに近づき、鍵盤に小さなこぶしを振り下ろしたりした。 当時はまだ、長屋の自宅でピアノ教室をしていたので、生徒達は全員私の家にやってきた。 なけなしの貯金をはたいて買った新品のピアノをゲンコツで殴られた私は、幼子をたしなめた。

「Don't do that.」

思わず、 Don't の部分に怒りがこもった。 するとモイラは、舌を突き出し、ほっぺたを思い切り膨らませて、「ぶぅー!」と、悪たれたのである。 日本人の 「アカンベー」 はただ舌を突き出すだけだが、アメリカのそれは少し違う。 舌を突き出すところは同じだが、唇を閉じたまま頬を膨らませ、息を吐き出す。 すると、この音が出てくる。 

姉達が粗相をすると、厳しく叱るランスキー夫人は、このチビには甘い。 

「まぁ、失礼でしょう、モイラ。 ミス フィーに謝りなさい。」とあまぁ~くささやいた。

するとお姫様は、例の三白眼で母親を睨みつけ、大声で叫んだ。
「ノォォォゥー!」

彼女が私の子供ではないという事が、これほど残念だったことはない。 もしそうならば、お尻に何発かお見舞いしたところだ。 私はイエス キリストを救い主と信じるキリスト信者であるが、聖書にこのように記されている。

箴言の書、 22章15節:
愚かさは子供の心につながれている。 懲らしめの杖がこれを断ち切る。

昨年、幼稚園生となったモイラは、3年間おあずけをくったあと、やりたくてたまらなかったピアノのレッスンをようやく許された。 ランスキー夫人曰く、「うちの baby(末っ子)は、運動神経が発達していて、たいていのことには、秀でています。 おそらくピアノも早く上達するでしょう。」

ふん、そうかいな、と思った。 母親の言う、「何でもできる。」モイラはきらきら光る目で楽譜を見つめている。

ピアノを弾いたことのない子供の指に力はない。 たいていはじめてのレッスンの日には、思うように音が出ない。 ただ、キーを指で叩けばよい、という簡単なものではないのだ。 人間、それぞれに性格があるように、一つ一つのピアノはまったく違う。 私のピアノのキーは特に重い。 モイラがいくらがんばっても、スカスカした音が、かすかに鳴るだけだった。 とたんに彼女は短い足で、ピアノの壁をばんばんと蹴りだした。 腫れぼったい細い眼から、涙がぽたぽた落ちてくる。

「しめた!」 と私は思った。 初めてのレッスンでこれだけ駄々をこねたら、たいてい長続きはしない。 こんな defiant な子供に教えたくはない。 ごめんこうむる。 これでもう来週からは教えなくてよいだろう。 しかし、ランスキー夫人は猿のように暴れる末っ子をどのように諭したか知らぬが、驚いたことにまた翌週も、モイラをピアノのベンチに座らせたのである。 

人間関係には相性というものがある。 これを英語で、 chemistry というが、私とモイラの間のケミストゥリーは、最悪であったらしい。 彼女には小さな子供の愛らしさというものがない。 わがままいっぱいで、自分の思い通りにならないと、怒りを爆発させるのだ。 それは往々にして、楽譜を破ったり、ピアノを蹴る、鍵盤をげんこつで殴るなどの行動に表れた。 昔、マーカス (「ピアノ教室の生徒たち、悪童マーカス」の記事参照)という男の子に散々振り回されたが、このモイラは、彼とどっこいどっこいの 「out of control」(手がつけられない) な生徒だ。

たいてい週ごとの稽古日には、このちびがかんしゃくをおこすので、彼女のレッスンは半分で終わり、残りの時間は長女のメリーアンにあてがわれる。 そのせいか、お姉ちゃんの腕はめきめきあがっていった。 軽やかにワルツを弾く姉をうらやましそうに眺めていたかと思うと、末っ子はペットの猫を抱き上げ、ぼんっと鍵盤の上に放り投げたりする。 姉妹達が弾いている時に、ピアノの下にもぐりこみ、ペダルをぼこぼこ押す。 あるときなどは、削った鉛筆をご丁寧に何本もキーとキーの間に差し込み、鍵盤の上に鉛筆の林が立っていた。 やることなすことめちゃくちゃで、毎週腹の立つことが多かった。 ある時、友人にモイラのことで愚痴をこぼしたら、あきれたように彼女はつぶやいた。

「She is a little b....」

この B で始まる単語は昨今、日本でもカタカナで使われるようになったらしいが、悪しき言葉なので、省略する。 だが日本語にすると、「小さな毒婦」とでも言えよう。

数週間前に、ランスキー家である事件がおこった。 毎度のように、モイラは私の教えを無視し勝手なことをするので、彼女のレッスンは10分足らずで終わった。 イリッサを教えていると、奥のほうから、たんっ、たんっ、という音が聞こえる。 ランスキー家は豪邸で、玄関から入ると大きな居間にグランドピアノがある。 そこから少し奥まったところに2階に上がる階段がある。 細かく彫刻をほどこした、見るからに高価な階段の手すりにまたがる末っ子がいた。 振り返った私と目が合ったときに、この子は、ヘヘン、どんなもんだい、といった誇らしそうな顔で私を見た。 この日レッスン中、いつものように態度が悪いので、説教をしたが、腹に据えかねていつもよりきつく訓示をたれた。 

「モイラ、あなたはもう小学校一年生でしょう? どうして2歳児のように振舞うの? 恥ずかしくないのですか?」 

2歳児と言われて、プライドを傷つけられた少女は、自分が小さな幼児ではないことを証明したかったらしい。 数メートルの長さがある手すりのてっぺんから、さぁーっと滑り降りてきて、スキージャンプの着地のような格好で、カーペットの上に立った。

「Don't do that.」

私は、Don't の部分にまったく力を込めず、静かに言った。 これが自分の孫か何かだったら、慌てて、「や、やめなさい!」とでも叫んだだろう。 薄情なようだが、このとき私はドーデモイイ、と思ったのだ。 何回か、たんっ、たんっ、「止めなさい。」が繰り返された後、私はイリッサのレッスンに集中することにした。 その直後だ。 ごんっ、と鈍い音がした。 そして、「ぎゃっ!」、「ひぃーっ!」と続いた。 再び振り返ると、釣り上げられた魚が甲板上で、のたうつように体をくねらせている defiant child がいた。 2階から駆け降りてきたランスキー夫人の腕の中で、ぎゃあぎゃあ騒ぐ子供を見て、これだけ元気だったら大丈夫だろう、と思った。 台所の床のように大理石ではなく、カーペットでよかった。 おそらく三白眼の上あたりに、2週間ほど、たんこぶをくっつけているだけですむ。 指は、、、大丈夫だったようである。

明日は木曜日だ。 




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