孫娘、サラは二歳半になるが、言葉を話すようになるまで時間がかかった。 小児科医師によると、一才前後で「ママ」「ダダ(ダディ)」などの単語が出てくるようになると言う。 しかし彼女は意味不明なことをあれこれと言うのだが、何を言っているのかさっぱりわからなかった。 カリフォルニアに、サラと同い年の従兄がいるが、彼は早いうちからいろいろな言葉を覚え、「ボール」ひとつにしても、サッカーボール、ベィスボール、フットボール等と区別ができる。 送られてきた動画を見ながら、「可愛いわね。」とほほ笑むサラの母親は、少し暗い表情をして私に聞いた。
「うちの子、どこか悪いのかしら?」
「大丈夫よ。 人それぞれ皆違うからね。 ハリー(Harrison、ハリソンの愛称、サラの従兄)と比べてはいけないよ。」
嫁をこのように諭したものの、私自身だんだん心配になってきた。 どうしてだろう、と。
さて私は、サラが産まれた時から子守をしている。 次男夫婦は二人ともフルタイムで働いているので、誰かがやらねばならない。 彼等は、祖母である私に任せれば大丈夫、と安心している。 ベビーシッターが始まる前に私は息子たちに言った。 できるだけ英語は使わず、日本語でサラに話しかける、と。 愚息は、子供が混乱するかもしれないから英語だけで良いと言ったが、親戚中からその意見は却下され、私は日本語に徹することとなった。
遊び相手の子供たちが一人もいない祖母の家での毎日は単調で、退屈させずいかにして一日を過ごさせるかが苦労である。 私は、よほど天候が悪くなければ毎日サラを連れて散歩に出かける。 歩行が始まるまではストローラー(日本でいうベビーカーのこと)に乗せたが、今は私と一緒に一時間ほど歩けるようになった。 公園へ向かって歩くと、サラはリスを追いかけたり、池で泳ぐ鴨の群れにどんぐりを投げたり(餌を与えているつもり)などと道草をするので、のろのろ歩きとなり、私自身の運動にはならない。 また犬を連れて散歩をする人たちのほうへ向かって、「ドギー、ドギー!(ワンちゃん、ワンちゃん!)」と言いながら、急に駆け出したりするので私は疲れる。
ある天気の良い日、てくてくと公園に着いた。 若奥さん、小さな女の子そしてベンチに座っているおばあちゃんが先客だった。 皆マスクをしているが、できるだけ接近しないようにと気を使いながら互いに挨拶をする。 白人の若いお母さんに私は話しかけた。
「おはようございます。 この間もお会いしましたね。」
彼女はにこにこして言った。
「はい。 いいお天気ですね。 お孫さんですか? おいくつ?」
「二歳です。 お宅のお嬢さんは?」
三歳だという女の子は、母親にスペイン語で何か話しかけた。 するとお母さんは、
「ハニー、ママと話すときは英語にしてね。」
するとおばあちゃんが、私に向かって言った。
「お宅のベィビーと一緒に遊びたい、と言っています。」
悲しいかな、パンデミックのせいでそれはできない。 お互い距離を保って、しばらく話をした。
女の子の祖父母は南米からの移民で、普段はじいちゃんばあちゃんの家でシッターをされているという。 お母さんはアメリカ人。 ちょうどサラのようにバイリンガルとして育てられている。 ブロンドのママは言った。
「うちの娘はつい最近になって、ようやく色々話せるようになったのです。 何か障害があるのかもしれないと、心配しました。 主人は我が家では、スペイン語を話さず英語です。 祖父母の家へ行くとスペイン語だけ。 バイリンガルの子たちは皆、言葉を話し始めるのが遅いみたいですね。」
これを嫁のダイアナに言うと、ほっとしたような表情をした。
「よかった。 きっとサラも大丈夫ね。」
「そうそう。 この子は smart(スマート、頭脳明晰)な子だよ。」
その後私は、安心して孫娘に日本語で接し続けた。 するとある日、ダイアナが言った。
「ママ、apanman って何? サラがテレビを指さして、アパンマン、アパンマンって、繰り返すんだけど...。」
「ああ、そりゃ、アンパンマンでしょ。」
「何、それ?」
「ママ、この子、she she って言うんだけど...。」
「シーシーは、おしっこ。」
「ママ、oimo って何?]
「ポテトのこと。 サラは焼き芋が大好きだからね。」
万事がこの調子で、ダイアナは少しづつ日本語を勉強し始めた。 グーグルで調べているらしい。 時々質問してくる。
「ポテトは imo でしょう? なぜママは oimo って言うの?」
「食べ物の頭に、オをつけるのは単なる習慣なの。 例えばオ米。 オ寿司。」
「フゥ~ン。 じゃ、bread は、オパン?」
「いや...、オパンとは言わない。 ケーキやこんにゃくにまでオをつける人もいるけど、私はしない。 なんだかアホ臭く聞こえるから。」
「日本語って、むずかしー!」
久しぶりに息子夫婦の家へ行くと、嫁が裸のサラを追いかけながら叫んでいた。
「フロ! フロ!」
「うちの子、どこか悪いのかしら?」
「大丈夫よ。 人それぞれ皆違うからね。 ハリー(Harrison、ハリソンの愛称、サラの従兄)と比べてはいけないよ。」
嫁をこのように諭したものの、私自身だんだん心配になってきた。 どうしてだろう、と。
さて私は、サラが産まれた時から子守をしている。 次男夫婦は二人ともフルタイムで働いているので、誰かがやらねばならない。 彼等は、祖母である私に任せれば大丈夫、と安心している。 ベビーシッターが始まる前に私は息子たちに言った。 できるだけ英語は使わず、日本語でサラに話しかける、と。 愚息は、子供が混乱するかもしれないから英語だけで良いと言ったが、親戚中からその意見は却下され、私は日本語に徹することとなった。
遊び相手の子供たちが一人もいない祖母の家での毎日は単調で、退屈させずいかにして一日を過ごさせるかが苦労である。 私は、よほど天候が悪くなければ毎日サラを連れて散歩に出かける。 歩行が始まるまではストローラー(日本でいうベビーカーのこと)に乗せたが、今は私と一緒に一時間ほど歩けるようになった。 公園へ向かって歩くと、サラはリスを追いかけたり、池で泳ぐ鴨の群れにどんぐりを投げたり(餌を与えているつもり)などと道草をするので、のろのろ歩きとなり、私自身の運動にはならない。 また犬を連れて散歩をする人たちのほうへ向かって、「ドギー、ドギー!(ワンちゃん、ワンちゃん!)」と言いながら、急に駆け出したりするので私は疲れる。
ある天気の良い日、てくてくと公園に着いた。 若奥さん、小さな女の子そしてベンチに座っているおばあちゃんが先客だった。 皆マスクをしているが、できるだけ接近しないようにと気を使いながら互いに挨拶をする。 白人の若いお母さんに私は話しかけた。
「おはようございます。 この間もお会いしましたね。」
彼女はにこにこして言った。
「はい。 いいお天気ですね。 お孫さんですか? おいくつ?」
「二歳です。 お宅のお嬢さんは?」
三歳だという女の子は、母親にスペイン語で何か話しかけた。 するとお母さんは、
「ハニー、ママと話すときは英語にしてね。」
するとおばあちゃんが、私に向かって言った。
「お宅のベィビーと一緒に遊びたい、と言っています。」
悲しいかな、パンデミックのせいでそれはできない。 お互い距離を保って、しばらく話をした。
女の子の祖父母は南米からの移民で、普段はじいちゃんばあちゃんの家でシッターをされているという。 お母さんはアメリカ人。 ちょうどサラのようにバイリンガルとして育てられている。 ブロンドのママは言った。
「うちの娘はつい最近になって、ようやく色々話せるようになったのです。 何か障害があるのかもしれないと、心配しました。 主人は我が家では、スペイン語を話さず英語です。 祖父母の家へ行くとスペイン語だけ。 バイリンガルの子たちは皆、言葉を話し始めるのが遅いみたいですね。」
これを嫁のダイアナに言うと、ほっとしたような表情をした。
「よかった。 きっとサラも大丈夫ね。」
「そうそう。 この子は smart(スマート、頭脳明晰)な子だよ。」
その後私は、安心して孫娘に日本語で接し続けた。 するとある日、ダイアナが言った。
「ママ、apanman って何? サラがテレビを指さして、アパンマン、アパンマンって、繰り返すんだけど...。」
「ああ、そりゃ、アンパンマンでしょ。」
「何、それ?」
「ママ、この子、she she って言うんだけど...。」
「シーシーは、おしっこ。」
「ママ、oimo って何?]
「ポテトのこと。 サラは焼き芋が大好きだからね。」
万事がこの調子で、ダイアナは少しづつ日本語を勉強し始めた。 グーグルで調べているらしい。 時々質問してくる。
「ポテトは imo でしょう? なぜママは oimo って言うの?」
「食べ物の頭に、オをつけるのは単なる習慣なの。 例えばオ米。 オ寿司。」
「フゥ~ン。 じゃ、bread は、オパン?」
「いや...、オパンとは言わない。 ケーキやこんにゃくにまでオをつける人もいるけど、私はしない。 なんだかアホ臭く聞こえるから。」
「日本語って、むずかしー!」
久しぶりに息子夫婦の家へ行くと、嫁が裸のサラを追いかけながら叫んでいた。
「フロ! フロ!」