丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

31. 雨上がりの熊野古道

2008-04-11 21:54:25 | 旅の記録

31.熊野三山初詣紀行

 南紀の熊野三山とは、「熊野那智大社」「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」をいいます。
 
 「熊野那智大社」を目指します。そしてもうひとつの目的である
古くから熊野詣に利用された熊野古道の一部である大門坂を歩きました。

 熊野古道 大門坂ウォーク

 大門坂(だいもんざか)は、和歌山県那智勝浦町にある坂道で、熊野那智大社への参道。熊野古道・中辺路の一部です。まずは巨大な杉の木々に包まれて苔むした参道である石段を157段上ります。苔むしているので雨上がりは滑りやすく、曇っているせいもあり高い杉の木々が鬱蒼と古道を覆っていました。

 雨上がりで慎重に歩き その結果ゼイゼイ言いながら登ったものの、これは序の口、ついで何と467段を登り熊野那智大社を目指します。(ここまでの石段の合計624段)やっとの思いで熊野信仰の中心地「熊野那智大社・青岸渡寺」に到着しました。


 熊野那智大社と青岸渡寺

 熊野三山の一つ。熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社。熊野夫須美大神を主祭神とする。かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていました。また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいうそうです。


 総数624段ある参道の長い石段

 2004年7月1日、ユネスコの世界文化遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。 総数624段にもなる参道の長い石段の上は、右に青岸渡寺があり、左は朱の大鳥居と大社の境内が続いています。
                                           
 明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興したのだとか。


 那智山青岸渡寺

 那智勝浦町にある天台宗の寺院。西国三十三箇所第一番札所。本尊は如意輪観世音菩薩。「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産にも登録されています。

 石段のアップダウン ここから13段石段を登り、133段下って小雨と霧の中を那智大滝・一の滝に達する。さすがに自然信仰の聖地だけあって厳粛な雰囲気が漂います。

 大滝は落差が133メートルもあるので滝の落口はかろうじて見える程度に、かすんでいました。

 那智滝・一の滝(なちのたき)

 那智勝浦町の那智川にかかる滝。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられています。那智山中には、いくつかの渓流があり、その渓流には60余に達する多くの滝が架かっています。「那智滝」とは、本来は、那智山の多くの滝のうち、瀧篭修行の行場として扱われた48の滝(那智四十八滝)の総称でした。

 現在、一般に那智滝として知られている滝はこれらのうち、一の滝を指します。那智山一帯は、滝に対する自然信仰の聖地であり、一の滝は現在でも飛瀧神社の御神体であって、飛瀧神社の境内に設けられた滝見台からその姿を見ることが出来ます。 滝の落口の岩盤に切れ目があり三筋に分かれて流れ落ちるため三筋の滝ともいい、また那智の滝の代表するということから那智の大滝とも呼ばれています。

 明治期の神仏分離以前においては、その三重の塔が属する青岸渡寺と熊野那智大社は一体のものでしたが、今日においては三重塔は青岸渡寺に属するため「青岸渡寺の三重塔と那智滝」と表記するのが正しいそうです。

2004年7月紀伊山地の霊場と参詣道の構成物件としてユネスコの世界文化遺産に登録。

 歴史:熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としないそうです。都の皇族・貴族の中でも後白河上皇は熊野詣を33度行っています。他にも鳥羽上皇が23度、後鳥羽上皇は29度 詣でたと碑文に残されていました。都から熊野の往復一ヶ月は要した時代のことです。


熊野速玉大社と熊野本宮大社

二日目朝一路熊野神社の総本宮である熊野速玉大社へ。

 熊野速玉大社

 熊野速玉大社(はやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮1にある神社。熊野三山の一つ。熊野速玉大神と熊野夫須美大神を主祭神。創建年代は不詳です。

 熊野速玉大神は伊邪那岐神とされ、熊野夫須美大神は伊邪那美神とされるが、もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼びます。

2004年7月「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録。

 熊野本宮大社

 熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)を主祭神とする。別名を熊野坐大神・熊野加武呂乃命というのだとか。

 現在、社殿は138段石段を登った山の上にあるが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで、熊野川の中洲にありました。(社殿は国の重要文化財)

 創建以来その中州にあったと思われ、明治の洪水が起こるまでは社殿が流される事態などにはならなかったのだが、明治以後、山林の伐採が急激に行なわれたため、山林の保水力が無くなり大規模な洪水を引き起こしたのだと考えられています。

 現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、大鳥居が建っている。なお、その時の大洪水で被災した上流十津川村の一部集落の人々が、村を捨てて移住した先が北海道の新十津川村である。

 伝説によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、実際は正体ははっきりしないそうである。 太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがあるらしい。

 突然の吹雪に

 参拝後近くにある「わたらせ温泉」で昼食後 山から降りて、一路白浜へ向かいました。突然この地では珍しい吹雪に見舞われましたが、非常にまれなことであるといわれました。

この続きは 次回「南紀白浜探訪」で ご報告します。
 

      WEBリアルバム 日本の旅.35「南紀熊野古道初詣」 こちら

     ブログ「四方山話」の「南紀熊野古道初詣紀行」  その1 その2 その3



  To be Continued.....   

今日もお立ち寄りいただき有難うございました。

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◆ブログ「丼季報亭の四方山話」(2002年9月投稿開始)は こちら
◆4Travel「Donkyさんの旅のブログ」(2013年6月投稿開始)は こちら 



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