「太王四神記」最終回所感
昨夜は「太王四神記」最終回を見た。 「太王四神記」は昨年秋からNHK-BSハイビジョンで放送されていた韓国歴史ドラマ。 歴史ドラマなりに色々と奥は深い。 チュシンの王の星の下に生まれたタムドク(ペ・ヨンジュン)が、数々の困難を乗り越え、天から与えられた四神の神器とその守り主をさがし当て、真の王へと成長する物語である
全編 優しさと強さを兼ね備えたタムドクを演じるペ・ヨンジュンの演技が見どころである。「冬のソナタ」の主人公の優しさと 神話と伝説のヒーローの持つ強さや聡明さを併せ持つのだから もう怖いものなし。久しぶりに安心して楽しめる韓流ドラマであった。
西暦300年代後半から400年代初頭にかけてのいわば時代劇ドラマである。この時期わが国(倭国)は卑弥呼の時代から150年くらい経過している。 高句麗の領土の最北端は中国東北部まで伸びており 当時の都は今の中国吉林省にあったという。今の吉林省には同王の事績を記した碑が残っているそうだ。
現在の中国との国境線からみるとはるか北方中国東北部までが朝鮮民族の居住域であったことが分かる。今でも脱北者が 中国国内で旧朝鮮系民族にかくまわれる時代的背景をも知ることができる。
ドラマの主人公タムドクのモデルとなった、高句麗第19代の王(在位391~412)が南北に領土を広め、高句麗の最盛期を築いた。 日本では好太王の名で知られ 韓国では広開大王の名で知られている。
高句麗(こうくり、Goguryeo、紀元前37年頃 - 668年)は扶余系民族による国家であり、半島南西部の百済、南東部の新羅とともに朝鮮半島における三国時代を形成していた。 668年唐と新羅の連合軍により滅ぼされ およそ七百年の歴史に幕を閉じる。
物語の舞台は、紀元前から7世紀まで、中国東北部から朝鮮半島に存在した国「高句麗」。高句麗の人々は、数千年もの間、自分たちが神の国「チュシン」の末裔(まつえい)であると信じ、約束された王を待っていた。 そしてある晩--ついにチュシンの王の誕生を告げる星が夜空に輝いた。
同じ日に王家に生まれた二人の男の子。チュシンの王を守るべく眠りから目覚めた四神たち。四神の神器を手に入れようと企む闇の勢力。引き裂かれた姉妹……運命の歯車は大きく回り始めた。王家に生まれた二人の男の子と、闇の勢力に運命を翻弄される姉妹の関わりがドラマの骨格。
現在「太王四神記」はNHK総合放送でも 放送されているので 話の結末は記載できない。 ファンタジックなエンディングとだけお知らせして あとは見てのお楽しみである。あの「ヨン様」主演の韓流ドラマを素直にお楽しみいただければと思う。
参考:少しだけ朝鮮半島の歴史
朝鮮民族は韓国と北朝鮮を合わせて71,295,728人(2004年)
中国の史書によると、3世紀頃には朝鮮半島北部や東北部沿岸には扶余系諸族、南部には韓系諸族が住み、西北部は漢や魏などの郡が置かれて移民の漢族も住んでいた。4世紀頃には高句麗領に扶余族の高句麗人が、百済に百済人(支配層は扶余族、被支配層は韓族)が、新羅・伽耶に韓族の新羅人と伽耶人が住み、7世紀、新羅により統一されると民族統合は進むが、半島北部の鴨緑江南岸と豆満江南岸一帯には高句麗継承を掲げる渤海人が住んでいた。
10世紀に新羅を滅ぼした高麗は渤海から亡命してきた王族や貴族を受け入れて鴨緑江沿岸と豆満江付近まで勢力を広げ、渤海が滅びると渤海遺民を受け入れて朝鮮半島の大部分が高麗人の住む土地となった。しかしその後、女真族の南下とモンゴル帝国の侵攻により、鴨緑江と豆満江一帯は再び民族混住地域となった。
14世紀、高麗は元の北走後、鴨緑江と豆満江まで勢力を回復し、高麗に代わって建国した李氏朝鮮(←朝鮮)の初期のころまでに豆満江一帯の女真族は朝鮮に同化されたと見られ、これにより朝鮮半島のほぼ全域が朝鮮民族の住む土地となった。
20世紀前半には日韓併合により日本人も都市部を中心に多く住んでいた。
(出典:フリー百科事典 Wikipedia )
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