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日々触れる情報から様々なことを考え、その共有・一般化を図る

バカと教祖も結局紙一重なのかもしれない

2006-07-30 22:31:42 | 社会
<カルト教祖>女性信者十数人が性的被害 告訴を検討(毎日新聞) - Yahoo! ニュース


被害に遭われた女性には非常に酷というか失礼な表現になるが、TV報道などで被害女性や弁護士のインタビューなどを聞いていて、つい苦笑を漏らしてしまった。

何に対しての苦笑かと言えば、教団と事件の規模の大きさがまず一つある。『摂理』の教祖鄭明析は国際指名手配されているからなかなかのツワモノだ。(もっとも教団は本部のある韓国のみならず日本や台湾やタイなどにでも支部を設けて活動していたようだから当然と言えば当然だ)
日本でも昨年には、京都府で『聖神中央教会』代表の牧師の信者の少女への婦女暴行事件があったり、カルトかどうかも定義しづらいが『ザイン』が「全裸SEX教団」として一時センセーショナルに騒がれたりしたが、まぁあくまで日本国内だけでの話だ。どういう経緯であれ、複数の国にわたって活動していれば矮小な事件とは言えない。

ちなみに、余談になるが、国際指名手配という言葉は結構使われるとは思うが、正確には(いや意味としてはどっちも正しいから問題ないのだが)「国際手配」だろう。ルパン三世のとっつぁんこと銭形警部でお馴染みインターポール(ICPO)の国際手配制度がそれだ。
国際手配は、通例は事務総局が「国際手配書」を発行して行われる。手配書は対象になる人物(犯罪被疑者だけでなく行方不明者や身元不明死体などについての照会などもあるため)や犯罪の種類によって7種類(の色)に分かれている。今回は青か赤だろう。まぁそんなことはともかく。

苦笑の「もう一つ」は、告訴の内容、つまり詐欺などでも手配されているようだが主には強姦・性的暴行で訴えられていること、言い換えれば鄭明析の「性豪」ぶりに苦笑せざるを得なかったってことだ。

で、この鄭明析が以前統一教会に属していた(大部分統一教会から教義もパクってるらしい)ようなので、そういえば統一教会の教義って何だったかいなとちょっとだけ調べてみた。
ちょっとだけなので不正確極まりないかもしれないが、要は教典『原理講論』(*但し統一教会では表向きこれは教典ではなく教理の解説書の扱いらしい)は、外部の人間から見れば、旧約聖書を我田引水的に解釈したもののようだ。

「我田引水的」を平たく言えば、教祖の文鮮明が、自分を神の御子・救世主と位置付け、女性はその救世主とSEXすれば神の血統になり原罪から逃れられる(男性は教祖と交わった女性と結婚すればいい)・・というもので、今回の事件を見るに、鄭明析もこれにオマージュを捧げたとゆーか本歌取りしたとゆーかコピペ・・したんだろう。
「宗教」に「セクース」と言えば淫祠邪教と批判されることも多い真言立川流が思い出されるが、少なくとも立川流は教祖と(だけ)交われというものではなく、あくまで本来仏教にもキリスト教にも欠落している女性原理を補完しようとして「普通に」信者達の間でSEXを取り入れたものの筈なので、一緒にはならないか。

最後の「苦笑」の中身は単純に個人的なことで、摂理が勧誘活動行ってた大学の中にに私の出身大学が含まれていたってだけのことだ。昔から学生数が多く何かとお騒がせの多い大学だし、ベルリンの壁崩壊前はおそらく過激な思想を持った活動家などうようよしてたと思うので全く驚きはしていない、だから苦笑止まりってことだ。


それにしても、必ずカルト絡みとなると「そもそも何で信者達は入信して居続けてるの?」って話になって『マインドコントロール』だったり『人の心の弱い部分につけこんで・・』だったりの常套句が踊る訳だが、マインドコントロールするにしたって百発百中ではないだろうし、する際にもれなくカンキンしたり食事を与えなかったりして心神喪失思考停止状態に陥らせてる訳でもないだろうし、確かに一見不思議には見える。

ただ、私は、この不思議は実は至極シンプルな話だと見ている。結局これだけ情報が飛び交っていてもワンクリック詐欺や諸々の悪徳商法に引っ掛かる人間が必ずいるのと同じことで、半分以上勧誘を受ける側の「知識」(+ちょっとした気構え)だけの問題だと思う。

無論、摂理(その前進の名前も含め)というカルト教団は私は寡聞ながら今回初めて知ったし、当然そのカルトー教祖の鄭明析-が「高学歴で長身で細身で長髪でグラマーな女性」ばかりターゲットにしていることも初めて知った。私がその条件に該当する若い女性であれば、引っ掛かっていた確率はゼロとはとても言えない。

しかしそれでも、「嵌まりこむ」前に、客観的に見れば疑わしい部分はあった可能性が高い。別に被害に遭われた女性の責任を追及したいんじゃなく、入信してしまった女性は、信者によって「選ばれた」んじゃないかってことだ。
すなわち、悪徳業者がカモリストを作るなどして騙し易い人間を選んでいるように、新たな入信者を勧誘する側の既存の信者も、サークルを装ってまず上記の条件に大体当てはまる女性たちを集めておいて、人間関係を作り会話を重ねながら、その中から上手く入信させれそうな者"だけ"ピックアップして個別に誘っていたんだろうってことだ。

何の変哲もない、分析とも言えない分析だが、正直なところ鄭明析には特有の思想や意思や能力を一切感じないので、これ以外に解釈のしようがないのである。
で、なんでこんなに組織・活動が拡大したのかと言えば、それは「システム」によるものだろう。摂理が壺とか宗教的な装飾品とかグッズまで信者に売って金を巻き上げていたかどうかは知らないが、まぁやっていたとしてもメインではないだろうし、要は「商品」が教義で「マージン(特定利益)」が「救われる・幸せになれる期待」のマルチ商法のようなシステムが"勝手に拡大させた"ってことだ。

「信じ込む者」を数人でも作ってしまえば、後は教祖が命令せずともその信者が頑張って新規加入者を獲得してきてくれる。部族宗教を除けば大抵の宗教がそういう構造で、摂理もやはりそのパターンと考えられる。


だから、やろうと思えば教祖になるのは、私でも、今これを読まれている読者の方々でも、不可能なことでは全然ないのだ。

一宗教団体として「それらしく」見せる、又既存の宗教との差別化を図るために、多少は宗教について勉強して何らかのオリジナリティのある教義(教典)も整えなければならないが、これは時間さえかければ・根気さえあれば誰でもできる程度のことだ。

ただ、最も必須で肝心なのは、表現は悪いが自分自身が「狂う」ことである。どういう意味かと言うと、自分は神である、或いは神の子である、神の言葉を伝える預言者である、などと「完全に思い込む」ってことだ。
霊が見える・呼べるとか手から電流を発することができるとか、そういう特殊な能力は必要ない。自分が天によって選ばれた唯一無二の存在だと思い込めれば、或いは少なくとも、自分はそうなんだという確信を100%他者に見せる(演じる)ことができれば、もうそれで半分以上「教祖」なのだ。鄭明析にあるものもおそらくそれだけだ。

「信じる者は救われる」と言うが、信じる者に救われるという希望を与えるためには、まず基本的には自分が自分を特殊な(他者を救える)存在だと信じこまねば・こめねばならない、そういうことだ。

意図して自分で自分を騙し"きる"のは、勿論大変なことである。完璧にできなければ効力も意味もない。市井の人間としての生活も大半捨てなければならない。宗教は一般の人間にも可能な「究極のビジネス」だが、究極の覚悟が要るという面でやはり人を選ぶのだろう。


2 コメント

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お久しぶりです (nagi373)
2006-08-09 19:53:09
日記にコメント頂戴していたのに、放置プレイですいませんでした。



宗教って物凄く今の生活から遠い存在のように思い込んでいますが、実は、振り向いたら真後ろに立っていた!ように近いものでもあるような気がしています。



けっこうシリアスに人生を捉えている人がそういう方向に行きがちですよね。何かを信じたいとか依存したいというのは生きて行く上の知恵であるけど、何を信じるかがとても重要だなぁということをこういう何年か周期でおこる事件は教えてくれますよね。
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Unknown (管理人)
2006-08-10 19:18:52
>nagi373さん

いえいえ、放置プレイでも別に構いませんよ。私も最近nagi373のブログだけでなく、RSSリーダーに登録してある全てのブログのエントリー、読んだり読まなかったりですんで・・・(苦笑)



宗教についてですが、私は宗教は「世界の捉え方」乃至世界の説明体系の一つの選択肢であろうかと。昔は科学はなかったけれども、その代わりに宗教が説明体系として役割を担っていた。

日本の場合ですと、古来からの神道と外来の仏教がちぢに入り乱れて神仏習合がかなり多く、しかもそこに儒教道教などの影響も加わるので相当ややこしいけれども、ともかくもそうした宗教的世界観は「生きて」いました。



歴史はつながってますので、今もその残滓は井沢元彦氏の指摘する「言霊」のようにしっかりあることはあるんですが、もう今はそんなことを意識する人は殆どいなくなりましたね。本当はnagi373さんが仰るように、現在でもまだ宗教は「振り向いたら真後ろに=意識すれば近い」存在ではあるでしょう。



新興の、或いは多分に世俗的なカルトに騙されないようにするためには、まず自分の立っている世界・社会において、普段意識されない行事であるとか習慣であるとか常識であるとかがどうして「そのように」存在しているのかってことを少しは知らないといけないでしょうね。

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