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【野球】2006年日本シリーズ総評

2006-10-27 22:18:17 | スポーツ
これを読んでおられる方もとうにご存知の通り、今年の日本シリーズは日本ハムが前身の大映フライヤーズ時代以来44年ぶりの日本一になり、現役を引退する新庄に最高の花道をプレゼントする形となった。

正直なところ、多くの野球ファンのみならず解説陣さえも、少なくともオールスターまではまさか日ハムがリーグ優勝も日本一になるとも思っていなかった筈だ(私もそうだった)。
それが、シーズンも深まると、日ハムは8月を16勝8敗、9月を13勝5敗と凄まじいペースで貯金を増やし、プレーオフも連勝で制しあっという間にリーグ優勝してしまった。日本シリーズも初戦こそ落としたものの、それで重苦しくなることもなく特にホームに戻ってからは動きは明らかに中日の選手よりも良く、勢いで押し切ってしまった。

結果論とはいえ、今シーズンのプロ野球は新庄に始まり(4/18に引退宣言)新庄に終わった、月並みな新庄"劇場"という言葉が文字通り展開された感がある。
新庄が強い星のもとに生まれたと言ってしまえばそれまでだが、まぁそれでは話が終わってしまうので、ここでは、彼の特異性や全体の運といった要素を度外視して、今回の日本シリーズを振り返ってみようと思う。


結果こそ、中日が初戦ホームで1勝した後日ハムが4連勝する形になったが、全5戦全て、試合の行方は「微妙」だった。そして寧ろ初戦に限って言えば、実は中日の「完勝」だった。

初戦、先発の川上は序盤調子が上がらず、2回裏に味方が2点先制してくれたにも関わらず次の3回表には先頭バッターを出塁させ送られた後に四球→4番にタイムリーと悪い形で同点に追い付かれた。
ただそれでも、すぐに味方が又1点勝ち越してくれたこともあって川上はその後エースらしく試合を作り、悪いながらもその後の日ハムの得点を許さずに8回まで投げ抜き、抑えの岩瀬に直接リレーするという理想形に持っていくことができた。8回には名手井端の好プレーもピンチの目を摘んだ。

ビジター、且つ殆どの選手が日本シリーズ初体験の日ハムの選手には初戦は流石に緊張・固さが見受けられた一方、中日は2年前に日本シリーズを戦ったばかりであり、緊張が解けるのは当然日ハムよりも早かった。
それもあり、普段通りのカラーの野球を遂行できた中日は、この試合に関して言えば2点差の勝利でも「強かった」訳だ。

2戦目も、中日先発の山本昌は、初回の立ち上がりこそ不運もあって1失点したがその後は名球会入りが見えている大ベテランらしく、6回までチャンスすら作らせなかった。その間に味方が逆転し、ここまでは明らかに中日の流れが続いていた。


ところが、次の7回表、結果的にはこの回の攻防がシリーズの明暗を分けてしまうこととなった。

中日2-日ハム1で7回表は4番のセギノールから。セギノールはサードゴロで1アウト、次の稲葉はフルカウントからキャッチャーゴロ・・・だったのだが、これを谷繁が悪送球(半分はウッズの守備能力の低さによるものだったが)。
その後の新庄は中途半端なバッティングだったがライト前にポテンヒットになり1,3塁、次の鶴岡の三振の間に新庄が盗塁し2アウト2,3塁。

ここで中日は8番金子との勝負を選択し、2点タイムリーを浴びてしまう。
勿論満塁策を採っていたら代打がホームランなんて可能性もあるのだが、ただ、「チームリーダー」金子に対して強攻策を採って自分達のミスから発したピンチを"結果"逆転打につなげられてしまったことは、日ハムにとってはそれまでの固さを取り除くいいきっかけになった=中日からすれば折角のいい流れを断ち切ってしまったことは確かだ。

勝負に「たられば」はないのは承知の上での発言だが、それでももしあそこで谷繁がミスをしておらずそのまま継投で逃げ切って中日が2勝分のリードを保って札幌に行っていたら、逆に中日がそのまま押し切っていた可能性もあったと私は見ている。
あの7回までは、2戦目も中日らしいゲームだったのだ。それを自らのミスで落としてしまったことがプレッシャーを強くし、ビジター札幌でのタイムリー欠乏症につながったのではないだろうか。少なくとも、日本シリーズ未経験が多かった日ハムの選手達にとっては、2戦目の1勝は1勝分以上の価値-これで戦っていっても大丈夫だという安堵とその安堵から来る自信-があった筈だ。


そして日ハムは本拠地に戻り大声援を受けて3連勝するのだが、なにせリーグ優勝はしても52年も日本一にはなれていない中日、特に野手陣が気負ってしまい、シーズン中には余り見せなかったような拙攻が続き日ハムを楽にしてしまった。

数字にもそれは如実に表れており、3~5戦目の3試合で、中日は併殺6、残塁は何と25もあった。
日ハムの投手陣もコントロールにはバラつきがある選手が多く四球も結構中日は与えられていたのだが、貰ったチャンスをことごとく潰してしまっていた。元々中日は打ち勝つチームではないので、幾らなんでもこれだけチャンスを潰せば勝てる道理はなかった。


中日が打ち勝つチームではない=守備がベースの堅いチームだと言ったが、それは日ハムも同じだった。

中日は前の先発陣が豊富、日ハムは後ろの継投に強みがあるという特色の差はあるが、どちらも特にニ遊間と外野の鉄壁の守備がベースにはある。
又攻撃の方においても、どちらも1,2番に「出すとうるさい」選手を置き、犠打を多用しクリーンナップでしっかり返すという野球の基本形をきっちり守っている。

2戦目で勝ってホームに戻り固さが取れた日ハムはそれができた。中日はそれができなかった。言うなれば、似たようなカラーのチームだけに、中日は日ハムに正に『お株を奪われた』。
中日からしてみれば、自分達がやりたい野球を眼前でされ、その点でもよりプレッシャーのかかり易い状態になったとも推測されるのだ。


ただまぁ、やはり短期決戦ゆえに、運という訳ではないが、瞬間的にでも潜在能力を120%出した「スーパープレー」が勝負を決定づけることはままある。
今回で言えば、3戦目の稲葉のHR(低めの難しいカーブに自然に反応した)や5戦目のセギノールのHR(元々彼が弱いインコース高めのしかも明らかなボール球を見事に腕を畳んで持っていった)がそれに当たる。

最後、他に付け加えることがあるとすれば、(今の落合政権の)中日は、落合自身も確かコメントしていたが、基本的に短期決戦向きのチームではなかったとは言えるだろう。


2 コメント

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Unknown (くがーと)
2006-11-14 14:48:58

昭和37年の東映フライヤーズの優勝は、幼少だったもので、東映が優勝したということは覚えているの
ですが、監督(水原茂氏)や選手(張本とか土橋)
については、後から知ったわけです。シリーズの対戦
相手である阪神については地元でもあり、多少は覚えていっます。この年の日本シリーズは阪神が二連勝
して、このまま優勝か、と思われたのですが、
リードしていた三戦目を九回に追いつかれて、引き分けになったのを転機に、東映が四連勝し、日本一に
輝いた、ということです。土橋投手(後のヤクルト
監督)と種茂捕手の二人が、共に最高殊勲選手に
選ばれるという異例の受賞でした。当時のスポーツ記事によると「阪神は上位打線がシリーズの後半に
東映の投手に抑えられたのが痛かった。何故ならば
阪神の下位打線は無力に等しい存在だからだ」
と書かれていました。ヒドイ表現(笑)ですが、
たしかに当時の阪神というと村山、小山、バッキー、
というエース級の投手のことばかり書かれて、
打者については、あまり触れられませんね。
野手で一番有名なのは吉田義男氏でしょうが、
強打者という人ではありませんね。やはり当時の
阪神は投手に依存するチームだったのでしょう。
阪神は二年後の1964年にも優勝しますが、
南海に3勝4敗で、またも破れます。ただこれは
よく覚えているのですが、関西同士の対戦であり
東京オリンピックの開幕と重なったこともあり、
ひどく注目度の低いシリーズでした。
二度の優勝を阪神にもたらした藤本貞義監督は
戦前に川上、千葉、沢村などを擁して第一次黄金時代と言われた頃の巨人の監督で、歴代の巨人の監督
でも名監督と言われた人でした。巨人と阪神の
監督を努めた人は藤本氏の他にはいないと思います。
東映の水原監督も勿論、元巨人の監督です。
なんだか事実を羅列するだけの文章になりましたが、
昔のプロ野球に思いを馳せる、これは野球に限ったことではありませんが、野球が突出して、ノスタルジー
に結びつきやすいのだ、ということをアメリカの
歴史学者が言っていました。
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Unknown (管理人)
2006-11-14 22:25:10
>くがーとさん
お久しぶりでございます。るか嬢がまだご多忙のようで、私もちっとも更新が進まないため、なかなかお話する機会がなく(苦笑)

流石に吉田義男の現役当時のことは私は分かりませんが、野球が突出してノスタルジーに結びつき易い理由があるとすれば、野球というスポーツはプレーの一つ一つの区切りがはっきりしている、プロのレベルでは頭脳戦の要素もかなりある、からでしょうかねぇ・・・

イチローだって6割は「打てない」訳ですが、それは相手チームが投手(バッテリー)も守備陣も打たせない工夫を最大限してるからのことで、日本やメジャーの一軍の選手であれば、ど真ん中の棒球ストレートは少なくとも7割以上はヒットゾーンには打てる筈です。で、当然バッターの方も、相手投手の球種や球筋を頭に叩き込んで配球を読んで打ちに行く。

つまり実際に投手が球を投げる前から、プロは将棋の持ち時間のごとく勝負についてお互い考えている訳で、観る側も好きな人はそこまで考えながら観るので(私もそうですが)、「記憶」として映像や感情だけではないものまで絡むからノスタルジーに結びつき易い、ってことはあるのかもしれませんね。



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