人間が歳を重ねて成長するのと同じように、イラストのタッチも年月を経て少しずつ変わっていくのは、ごく自然なこと。わかりやすい例で言うと、連載が長期の年月にわたるほとんどの漫画作品において、1巻と最終巻でかなり絵柄に違いが見られる…というあの感じです。
作家は自分のタッチを確立すると、常にそのテイストを大事にしつつも、少しずつですが常に無意識のうちに時代に沿った進化を加えていくもの。これはクリエイターとして当然の行為であると思うので、逆にそうでないといけない部分でもあると言えますが、若い頃にしか思いつかないようなアイデアや、荒削りだけどパワーに満ちた表現の部分が、その過程で多少削ぎ落とされてしまうのも事実です。
今年でフリー歴20年を迎えた私のタッチも、手描きからMacへと途中で大きな変化の時があったものの、色面のみで構成する…というスタイルは初期の頃から全く変わってなくて、一見、それほど変化がないように見られがちですが、実はここ10年くらいで「絵の密度」という部分で、かなりの変化が見られます。
10年程前の作品を見ると一目瞭然ですが、人物の服装の表現にしても背景の描き込みにしても、現在のものは昔のイラストの10倍近くの描き込み密度になっていて、パスやベジェ曲線の数で言うならおそらく20倍以上の細かさになっています。人物の描き方も昔は5等身くらいだったのが、今では7等身になり、イラストとしてはよりリアルなものになり、事実そのスタイルに変化しだした5年前くらいからはオファーの数が信じられないくらいに倍増して現在に至ります。
ただ作者としては一つだけ残念な部分があって、若い頃にこのタッチを生み出した時に持っていたイラスト特有のディフォルメ感といいますか、「ファニーな感じ」が現在のイラストでは薄れているので、この点を少しでも取り戻すことが出来れば…と、日々考えています。
まだ駆け出しだった90年代の初め頃に、北白川の洋書店で手に入れた「Dawing On The Funny Side Of The Brain」(写真)は、そんな初心を取り戻したい時にほんの少し手助けしてくれる「ファニーな表現」の手法が沢山掲載された洋書です。