猫面冠者Ⅱ

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東洋大学野球部の歴史-戦後編⑦昭和36年

2008-10-09 23:51:00 | インポート
昭和36年の出来事
 1月:第37回箱根駅伝6位
 3月:陸上部・宍戸英明が第10回別府毎日マラソンで6位
 4月:川越に工学部開設
 4月:企業経済研究所設置→11月:経済研究所へ発展解消
11月:『東洋学研究』創刊
*この年渋沢敬三ら財界人が理事に加わる。

〝工学部〟をポンと寄付
寄付で建った東洋大の工学部
東洋大学(佐久間鼎学長)がことしから埼玉県川越市に工学部を新設した。新設にあたっての費用約五億円は、日立製作所からの大口寄付二億円を含めて全部産業界からの寄付によってまかなわれているのが特色だ。一私立大学になぜ直接関係のない民間会社がこんな大金をポンと投げ出したのか。実はこれは産学協同の一つのモデルケースなのである。東洋大の場合はアメリカのマサチューセッツ工科大学(M・I・T)で行われているILP(Industrial Liaison Program)方式をモデルにしている。・・・(中略)・・・東洋大の新設工学部の大越啍部長(機械工学、元東大教授)は熱心な産学協同推進論者で、数年前アメリカでこれら方式を視察して帰ったあと日立製作所の倉田社長に頼んで二億円を寄付してもらうことになり、さらに数社に呼びかけて建設資金を集めた。工学部発足後はILPにあたる「工業技術研究会」を作り、会員会社をABCの三ランクに分けて、Aグループは一社百万円、Bグループは五十万円、Cグループは二十万円ずつの会費を納入、大学はランクに応じて会員会社員の再教育、夏期講習会の実施、教授の顧問活動等の便宜を提供する・・・
(『毎日新聞』昭和三十六年五月二十八日付朝刊-毎日日曜特集:大学と産業界を結ぶ産学協同-より)


昭和36年(1961)春 2部2位 ...............


対明学大2勝0敗 対國學院2勝1敗

一回戦 4月25日 於・神宮第二 一回戦 4月28日 於・神宮第二
東洋大 020 020 010  5 國學院 020 301 000  6
明学大 010 000 100  2 東洋大 000 000 000  0
東洋:山本・広沢-宮寺 國學:菊田ー日比・細川
明学:松本・大塚・芳野ー足利 東洋:広沢・山本・田中・羽賀井ー宮寺・杉森
㊁西田・安藤(東)内田(明) ㊁福田(国)

二回戦 4月26日 於・神宮第二 二回戦 5月2日
明学大 000 000 000  0 東洋大 300 000 000  3
東洋大 010 000 23X  6 國學院 100 000 100  2
明学:大塚・森ー足利 東洋:広沢ー船田
東洋:広沢-宮寺 國學:福田・岩淵ー日比・細川
㊂西田(東)㊁島中・松島2(東) ㊂鶴田(国)㊁松井(東)船田(国)


三回戦 5月8日 於・神宮第二
國學院 000 000 000  0
東洋大 000 010 00X  1
國學:福田・岩淵ー日比・吉楽
東洋:竹ノ下ー船田





対中央大1勝2敗 対成蹊大2勝0敗

一回戦 5月9日 一回戦 5月18日
中央大 000 000 000  0 成蹊大 000 000 000  0
東洋大 000 100 00X  1 東洋大 400 040 01X  9
中央:野口・加藤・矢島ー大西 成蹊:古川ー杉谷・田中
東洋:広沢-宮寺 東洋:広沢・羽賀井・藤沢・竹ノ下ー宮寺
㊂重松(東)㊁羽賀井(東) ㊁岡野・船田・宮寺・松井・重松(東)

二回戦 5月10日 二回戦 5月31日
東洋大 000 001 000  1 東洋大 001 010 002  4
中央大 000 100 21X  4 成蹊大 000 000 000  0
東洋:広沢・竹ノ下ー船田・宮寺 東洋:広沢-宮寺
中央:矢島・加藤・野口ー大西 成蹊:大久保ー杉谷
本:船田(東)㊂田中・川端(中) ㊂松田(成)㊁羽賀井・宮本(東)
㊁瑞田・田村(中)

三回戦 5月10日
中央大 000 101 000  2
東洋大 000 010 00X  1
中央:加藤・野口ー大西
東洋:広沢ー宮寺




対青学大0勝2敗

一回戦 5月29日 於・中大
東洋大 000 010 000  0
青学大 000 020 10X  3




二回戦 6月1日 於・神宮第二 (降雨コールド)
青学大 110 000 0  0
東洋大 000 000 0  0
青学:石原ー中村
東洋:広沢ー宮寺
㊁石原(青)


勝点
中央大 10勝 2敗 5
東洋大 7勝 5敗 3
青学大 7勝 5敗 3
國學院 7勝 6敗 1分 3
成蹊大 4勝 8敗 1
明学大 1勝 10敗 1分 0





昭和36年(1961)秋 2部優勝 ...............


対成蹊大2勝0敗 対國學院2勝1敗

一回戦 9月5日 一回戦 9月13日
東洋大 010 000 120  4 東洋大 000 000 550  10
成蹊大 000 000 200  2 國學院 000 100 000  1
東洋:広沢・竹ノ下ー宮寺 東洋:広沢・竹ノ下ー宮寺
成蹊:古川ー杉谷 國學:福田・中村・武藤ー日比・今野
本:松井2(東)㊁西田・広沢(東)日野(成) ㊂真部(東)㊁羽賀井・船田・広沢(東)原(国)

二回戦 9月6日 9月14日
成蹊大 000 000 000  0 國學院 000 101 300  5
東洋大 000 001 13X  5 東洋大 000 100 110  3
成蹊:渡辺・古川ー杉谷 國學:渡辺・武藤・岩淵ー細川
東洋:広沢-宮寺 東洋:藤沢・竹ノ下・広沢・羽賀井ー船田
㊂清家(成)㊁松井・真部(東) ㊂船田(東)㊁鶴田(国)


東洋大○―●國學院




対東経大2勝0敗 対青学大2勝0敗

一回戦 9月25日 10月16日
東洋大 300 000 010  4 東洋大 220 010 000  5
東経大 000 000 000  0 青学大 000 000 000  0
東洋:広沢ー船田 東洋:広沢ー船田
東経:堀田・松崎ー山田 青学:伊藤・寺岡・深沢ー中村
本:船田(東)㊁西田・宮本(洋) 本:船田(東)㊂西田・宮本(東)

二回戦 9月26日
東経大 000 100 010  2 東洋大○―●青学大
東洋大 200 101 10X  5
東経:松崎・堀田ー山田
東洋:広沢ー船田
本:船田(洋)㊁松井(洋)白倉2・恵谷・堀田(経)




対学習院大2勝0敗 入替戦 対専修大2勝1分

一回戦 10月31日 一回戦
学習院 000 000 000  0 専修大 013 000 010  5
東洋大 200 002 20X  6 東洋大 000 006 00X  6
学習:角原-関口 専修:内山・西中・土屋・古川ー池上・森谷・保垣
東洋:広沢ー船田 東洋:広沢・竹ノ下ー船田
本:宮本(東)㊁真部・松井・岡野(東)塩月(学)

二回戦 11月1日 二回戦
東洋大 001 000 000 2  3 東洋大 010 000 000  1
学習院 001 000 000 0  1 専修大 100 000 000  1
東洋:藤沢・大沢・竹ノ下ー宮寺・船田 東洋:竹ノ下ー船田
学習:橋村・杉田ー関口 専修:古川ー池上
本:船田(東)㊁岡野・松井(東)

三回戦 11月15日
東洋大 000 301 001  5
専修大 000 000 000  0
東洋:竹ノ下ー船田
専修:内山・古川・西中ー森谷・池上
一部昇格


勝点
東洋大 10勝 1敗 5
学習院 6勝 5敗 3
國學院 7勝 7敗 1分 2
青学大 5勝 7敗 2分 2
東経大 4勝 8敗 2
成蹊大 5勝 9敗 1分 1

専大転落 一部へ東洋大 東都大学リーグ
東都大学野球リーグ各部入替戦第三日は十五日午前十一時から神宮球場で行われ、一、二部入替三回戦で東洋大は専大を5-0で破り、東洋大の2勝1引分となった。この結果昭和六年リーグ創立以来の名門で昨秋を含み優勝二十五回の専大は初めて二部に転落、かわって東洋大が来春から一部に初登場することになった。
東洋大の野球部は大正十二年創部、昭和二十二年二部入り、今秋10勝1敗で初優勝したもの。
(『毎日新聞』昭和三十六年十一月十六日付朝刊)


*各年度の試合結果は
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