猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

東洋大学野球部の歴史-戦後編①昭和21年~昭和30年

2008-07-18 21:51:00 | インポート
戦争が終わった翌年の昭和二十一年には東京六大学、東都大学リーグとも復活しているが、リーグ戦が始まる前の新聞に以下のような記事があった。

学生両リーグ合流か
六大学と東都五大学(ママ)の二つのリーグに分かれていた学生野球を再出発にあたって、これを一つにしようと東都五大学側から提案され、二十七日午後日本大学に両リーグ関係者二十余名の会合が開かれた。この日参集の六大学側(早大・東大・立大)もこの提案に賛意を表し、近く開かれる六大学マネージャー会議にこの問題を提案する事となった。(『朝日新聞』昭和二十一年三月二十九日付朝刊)


この記事の続報はなく、四月十日には野球統制令が廃止され六大学リーグは五月十九日、東都リーグは六月一日から一回戦制で行われている。出席していなかった六大学側の三校が反対したのであろうか。

この年から昭和二十五年までの東都大学野球の試合結果は完全には残されていないようで、『東都大学野球七十年史』でもこの期間は判明している試合結果のみ掲載されている。
この頃は新聞各紙とも用紙が配給制の為朝刊のみ二ページ仕立で発行されており、当時の世相からいっても学生野球に割ける紙面は限られているのだが、新聞及び『東都大学七十年史』から東洋大の試合予定及び試合結果を中心に東都大学野球関連の出来事を以下に書き出してみる。

昭和21年
9月15日(朝日新聞・今日の運動欄:以下今日の運動は全て朝日新聞)
東洋大対慈恵大 上智大対工大(0時下高井戸)

9月21日
工  大9-8東洋大(二部) 於・日大

9月22日(今日の運動)
東洋大対工大 上智大対文理大(0時下高井戸)

9月26日(朝日新聞朝刊記事)
東都大学野球球場変更
秋季リーグ戦は大宮、下高井戸両球場を使用していたが、来る二十八日の試合から一部は上井草、二部は東大球場を使用する。

9月29日(今日の運動)
上智大対東洋大 文理大対慈恵大(0時東大)

10月5日(今日の運動)
慈恵大対工大 文理大対東洋大

10月13日(今日の運動)
工大対文理大 上智大対慈恵大

10月17日(今日の運動)
東都大学一部選抜対二部選抜(9時神宮)

全二部6-4全一部

10月19日(朝日新聞朝刊記事)
東都大学リーグ今季成績
一部①中大6勝1敗1分②日大6勝2敗③専大5勝2敗1分④農大2勝6敗⑤商大全敗
二部①慈恵大7勝2敗②東洋大6勝3敗③文理大・工大3勝5敗④上智大2勝6敗


昭和22年
3月19日(朝日新聞朝刊記事)
東都大学野球 来月十二日に開幕
東都大学野球春季リーグ戦は一部、二部とも来る四月十二日から二回戦総当たりで開幕する。一部は上井草球場で行うが上位チームの中大、日大、専大戦はプロ野球のない日を選んで後楽園球場を使用する予定。二部は下高井戸日大球場と決定。一部は専大、中大、日大、農大、商大、慈恵大の六チーム、二部は国大、東洋大、文理大、工大、上智大の五チームである。

5月3日(今日の運動)
国大対上智大 工大対文理大(0時30分下高井戸)

5月4日(今日の運動)
工大対文理大 国大対上智大(0時30分下高井戸)

5月17日(今日の運動)
文理大対国大 東洋大対工大(0時30分下高井戸)

5月18日(今日の運動)
文理大対国大 東洋大対工大(0時30分下高井戸)

6月11日(今日の運動)
日大対専大 商大対文理大一部二部入替試合(1時明大)

6月13日(今日の運動)

日大対専大 商大対文理大一部二部入替試合(12時明大)

9月27日
東洋大5-5工大

9月28日(今日の運動)
商大対上智大 工大対東洋大 0時工大

10月4日(今日の運動)
商大対東洋大 工大対国大 0時大岡山

10月5日(今日の運動)
国大対工大 商大対東洋大 0時工大

10月11日(今日の運動)
商大対工大 国大対上智大 0時工大

10月25日(今日の運動)
工大対上智大 国大対東洋大 0時工大

10月26日
国学院10-8東洋大(二部) 工大○不戦勝●上智大

10月27日
国学院4-3東洋大 工大○棄権●上智大

11月4日
工大○棄権●慈恵大 東都大学一部二部入替戦

昭和23年
10月30日
国学院(二部)4-1文理大(一部) 東都大学一部二部入替戦
この結果国學院が一部に入った。

昭和24年
6月2日
国学院5-4駒澤大 東都大学一部二部入替戦 於・吉祥寺

11月4日
工大8-6国学院 国学院16-1工大 東都大学一部二部入替戦一、二回戦 於・中大

11月7日 東都大学一部二部入替戦 於・吉祥寺
工  大506 200 000  13
国学院022 032 010  10

(『東都大学野球70年史』では入替戦に関しても昭和24年11月7日の工大対国学院戦しか掲載されてないので、他校の結果なども併せて記しておきました。
尚、同書によると昭和26年秋の時点での加盟校は以下のようになっています。)

一部:専大・日大・駒大・農大・中大・国学院
二部:学習院・青学大・一橋大(旧商大)・成蹊大・東工大・上智大
三部:芝工大・東洋大・大正大・明学大・武工大・教育大(旧文理大)


昭和27年秋:二部・三部入替戦
日時不明:一回戦
一橋大000 343 102  13
東洋大200 000 005  7
(一)錦部-深沢
(東)野中-飯野

11月10日:二回戦
東洋大300 010 000  4
一橋大000 000 203x  5
(東洋大二敗:三部残留)

昭和二十九年春:二部・三部入替戦
6月8日:一回戦
東工大520 000 552  19
東洋大100 000 130  5
(工)君島-桑田
(東)野中・伊藤-野崎・高柳

6月9日:二回戦
東洋大032 030 000  8
東工大000 000 000  0
(東)野中-野崎
(工)君島・吉田・田中-桑田

6月10日:三回戦
東工大000 000 000  0
東洋大100 012 00X  4
(工)田中-桑田
(東)野中-野崎
東工33
   失策
東洋30
二塁打:倉田・深沢(洋)桑田(工)
(東洋大二勝一敗:二部昇格)
東都大学野球後記
東都大学野球リーグは一部、二部、三部よりなり各部六校で十八校により組織されている。春期リーグ戦の結果は既報のように一部は専修、二部は芝浦工大、三部は東洋大がそれぞれ優勝した。ここで興味を呼ぶのは各部入替戦(三回戦)が行われることで、一部の最下位校と二部の優勝校、二部の最下位校と三部の優勝校が対戦する。これが八、九、十の三日間行われ、一部の農大は芝工大に決勝戦で勝ち現状維持、二部の東京工大は三部の東洋大に決勝で敗れ三部に転落、東洋大が一階級上がった。・・・中略・・・二部に昇格した東洋大は三部のリーグ戦で、九勝二敗の好成績で優勝に導いた野中投手(若松商工)の活躍と首位打者倉田遊撃手(平商工、三割七分四厘)の健棒によるものであった。三分に落ちた東京工大はリーグ戦にわずか三勝したのみで勝点がなく、投、打ともに貧弱でいたし方ない。
一部昇進を逸した芝工大は一応まとまったチームではあるが、たよるは投手力で、攻撃力が乏しい。チーム打率も青山学大の二割三分六厘が一位で、芝工大は三位で一割九分四厘にすぎない。このように二部は全般的に低率で、一部への食い込みは、現在一部の投手陣と対比してははなはだむずかしい。
また二部の個人打撃成績一位八亀(兄)(成蹊)三割九分六厘、二位大野(国学大)三割三分三厘、三位浅田(青山大)三割四厘で三割打者はわずかに三人、十位が堀田(成蹊)二割五分五厘である。こんな状態だからこの秋から二部リーグに加わる東洋大は小粒ながらBクラスでは同等の試合が出来そうだ。(『讀賣新聞』昭和二十九年六月十一日付朝刊)


昭和29年秋:二部リーグ
9月19日
東洋大 3- 1国学院

9月20日
東洋大100 000 000  1
国学院700 010 00X  8
(東)久保井・野崎・野中-鈴木
(国)小沢-島井

10月9日
東洋大 9- 8芝工大

10月10日
芝工大10x- 6東洋大

10月13日
成蹊大100 241 309  20
東洋大000 010 011  3
(成)佐藤・八亀-多辺田・有沢
(東)野中・伊藤-鈴木

10月17日
青学大 4- 2東洋大

10月30日
東洋大 6- 3明学大

0月31日
明学大 4- 4東洋大

11月2日
明学大 8- 3東洋大

(他の結果は不明)

1位青学大10勝0敗2分
2位芝工大9勝3敗1分
3位国学院7勝6敗
4位成蹊大6勝6敗
5位明学大2勝9敗2分
6位東洋大3勝10敗1分
首位打者:堀内(青学大)55打数19安打 .345

二部・三部入替戦

日時不明:一回戦
東洋大000 000 010  1
東教大010 000 20X  3
(洋)野中-鈴木
(教)坂井-三村

日時不明:二回戦
東教大010 000 000  1
東洋大000 032 01X  6
(教)福原・渡辺-三村
(洋)野中-鈴木

日時不明:三回戦
東洋大313 001 000  8
東教大001 000 500  6
(洋)野中-鈴木
(教)渡辺・坂井-三村
(東洋大2勝1敗:二部残留)


昭和30年春:二部リーグ

(試合結果は不明。4月17・24日の「今日の運動」欄に試合告知あり。)
1位:国学院
6位:明学大

昭和30年秋:二部リーグ

9月10日:於・青学大G
国学院000 004 000  4
東洋大000 000 010  1

9月11日:於・青学大G
東洋大 6- 4国学院

9月12日:於・青学大G
国学院010 000 000  1
東洋大220 000 00X  4
(国)田中・中村・小沢-大野
(東)野中-武田

9月20日:於・成蹊大G
成蹊大000 020 010  3
東洋大014 000 00X  5

10月25日於・成蹊大G
芝工大200 200 000  4
東洋大000 000 001  1

11月5日:於・青学大G
明学大 2- 1東洋大

(上記以外は不明)


1位芝工大10勝2敗1分
2位青学大8勝4敗1分
3位明学大5勝7敗1分
4位東洋大5勝8敗
5位成蹊大4勝8敗2分
6位国学院5勝8敗1分
首位打者:佐藤博巳(国学院)54打数18安打 .333


参 考
戦時中、東洋大学の校舎も昭和二十年四月十四日の空襲で講堂と当時の三号館以外は焼失してしまう。昭和二十二年の朝日新聞には次のような記事が見られる。
東洋大学 埼玉県へ
川越発)戦災を受けた東洋大学は今度埼玉県入間郡福岡村元海軍川越製造所跡(十六万坪)に移転することになり、26日●下申請を行った。
移転すれば現在の文学部のほかに宗教学、法政学、経済学、農学、の四学部を新設し、さらに高等学校、中等学校、初等学校も含んだ総合学園にする計画だという。(●部分判読できず。『朝日新聞』昭和二十二年八月二十七日付朝刊)

この計画は実現せずに終わってしまったが、戦災復興には資金面や校地の問題などで様々な苦労があったようである。このことは別の機会にまとめてみたいと思う。


*各年度の試合結果は
 こちらから
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「熱球譜」:戦前・戦後の歴史のうちスコア中心の記事
「全試合結果」 : 戦前から現在までの試合結果(「熱球譜」完成までの繋ぎ版)



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