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ダイエット日記(仮)

来年の子供の卒業式でスーツが爆散する恐れが出てきたので、慌ててダイエットを始めました。

心の師匠のライブを拝見

2025-08-16 05:55:44 | 日記
おはようございます。本日は代打でお仕事でございます。先月はうっかり働き過ぎて所得税取られました。しまったしまったシマクラチヨコ(さん)。

昨日はですね、地元の岡崎市に小島よしおさんがいらっしゃるということで、朝からショッピングモールに行って整理券をもらう為に並びましたよ。並ぶの苦手ですけれども。
子供は2人とも受験生なのでさすがに来ませんでした。「いってらっしゃ~い」と快く送り出してくれたので感謝です。

長女が私のお腹の中に居た2007年、高校の時からのお友達が私に観せたい芸人が居ると教えてくれたのが小島よしおさんでした。初産で臨月の状態で不安いっぱいの時期だったのですが、奇っ怪な動きに爆笑させてもらい、とても元気が出た記憶があります。
その後、とても頭が良い方なのに、敢えてアホなことをして世の中を明るくして下さっていると知り(芸人さんはほとんど皆さんそうですね)、さらに尊敬する気持ちが大きくなって心の師匠と呼ばせてもらうことにしました。
娘達が小さい時には「ダイジョブダイジョブー」とか「ピーヤ!」とか一緒にやっていた記憶があります。

イベントは子供から大人まで楽しめる内容になっていて、みんなで手を動かしたり声を出したり、楽しい時間を過ごしました。
子供にとって大事な「お腹から大きな声を出すこと」「ありがとうを言えること」「将来の夢について想像してみること」が組み込まれていて、素敵なイベントだなぁと思いました。

人生で一度は近くでよしお師匠の舞台を拝見する夢が叶ったのでとても満足です。もっとちびっ子に観てもらいたいので、今度からは2階席から応援したいなと思いました🥳

↓朝の散歩の時に買ってきました。もう1回、ハワイに行きたいなー🦁

いじめられっ子世に はばからない(6)

2025-08-15 06:02:36 | 日記
おはようございます。今朝も朝の散歩に行ってきたのですが、5時台でも段々と涼しくなってきましたね。

ポッポ先生が電線で鳴いていたり、ツバメ達の飛行訓練を観ながら歩いてきました。


さて、小学校で いじめられっ子を卒業して隙のない優等生の皮を被ることに邁進したわけですが、ここから思わぬ苦労が始まりました。
クラスの投票で風紀委員になってしまった訳です。近くにいる子に「何で投票したの(汗)」と訊いたら「なんか真面目そうだったから…」とのこと。
昔は学級委員とか風紀委員はクラスをまとめ切れないと先生から大目玉をくらう羽目になるので(何なら鉄拳制裁も)、あまりやりたくない役割でした。自分も中身が豆腐メンタルだったので焦りました。
まぁ、1回そういう立場に立ってしまうと、毎年学級委員やら最終的には生徒会が回ってくるのが定番でしたので、3年間ずっと胃痛持ちでした。

中1の時の先生はあだ名がデビルマンで、怖いことで有名とご自分で仰っていました。しかし「先生は今年でこの学校が最後なので怒りません」と宣言されていて、本当に怒らなかったのですが、目に厳しさが顕れていて本当にビームが出そうでした。
今思い返すと「愛のある厳しさ」だったなと思います。今同じ先生が居たら批判殺到しそうな迫力の先生でしたが、担任をしていただけて有り難いなと思います。

中2の時の先生は「このクラスの学級委員は立候補で決めます!」と仰ったあと、何故か私の方をガン見してきたので手を挙げる羽目になりました。中身はフニャフニャなんですけれども、末っ子なので期待されると120%頑張ってしまいました。
その先生が仰っていたことは「リーダーをやる者は嫌われる覚悟を持って事に当たれ」「不安があるときはそれが解消するまで寝るな」ということだったのですが(部分的に違っていたらすみません)、アホなのでその言葉通りに頑張りました。それ以前よりも内側が鍛えられ、自分の限界を突破できたと思います。

その先生がタージマハルに行って工事中の欠片を職人の方からもらったとみんなに見せて下さいました。私は憧れながらもイスラム圏に行かずじまいだったのですが、タージマハルの映像を見るとその先生を思い出します。

「頑張れば意外に変われるじゃないかー」と自分の中に強い心が育っていったのもその時期でした(元々嫌なことは強い子に強要されても言うことを聞かない頑固さは持っていました)。
自分にできることを100%頑張っている時は悪口を言われても平気になります。怠けると心がフニャフニャになります。
1つだけある反省点は睡眠時間を削り始めたことでした。中3の受験期に想定外があれこれ起こったのも重なり、自分の内側がガタガタと崩壊し始めました。

※見出しの写真は たこ焼きを作った時のものです。いつもお父さんが準備してくれます。

いじめられっ子は世に はばからない(5)

2025-08-11 06:28:42 | 日記
おはようございます。雨天ですね。散歩にも行けないので、本日は ついつい二度寝してしまいました。
昨日はお昼ごはんにパン屋さんの ごぼう明太パンを戴きました。ごぼう、明太子、ごま、どれも私の大好物なので「作ってくれてありがとう!」と思いながら頬張っています。

過去のいじめのお話を書いていて、苛められっ子を助ける側に回った良い人みたいに書いていましたが、実際はそんなことはなかったのです。
今ならしませんが、子供の頃、数回、面白半分で仲間はずれに参加してしまったことがあります。

華奢で声も背も小さい俯きがちな女の子が小3か小4の頃に転校してきました。Мちゃんとしておきます。今でも下の名前は覚えています。
どういう経緯でそうなったか覚えていないのですが、部活内で鬼ごっこをした時にМちゃんだけ毎回鬼になっているときがありました。自分も面白がって逃げました。
大人しかったので仲間はずれになっても、悲しそうに笑っているだけでした。

転校生によくあるパターンですが、「あの子を無視しよう」という雰囲気になり、みんなで無視しはじめました。
Мちゃんは私にだけ話しかけてくるようになり、さすがに自分は可哀想に思い普通に話していました。

しばらくすると、お父さんが転勤族だからか、またМちゃんは転校していくことになりました。最終日、元気のない顔だけど、笑顔を作りながら「バイバイ」と私に手を振ってくれました。
その時にМちゃんのお父さんが私にお手紙を渡してくれました。家に帰ってからこっそり封を開けると「◯◯ちゃん(私のことです)のおかげでМは学校に行くことができました。本当にありがとう」という内容だったと思います。

Мちゃんのお父さんは感謝してくれたけれども、私は苛めに参加したことがある。モヤモヤした心持ちになり、手紙をどこかにしまい込み、二度と読まなかったと思います。
一度しか読んでいないのに、今でもその手紙のことを思い出し、穴があったら入りたいような恥ずかしい気持ちになります。

もし今、苛められている子が居たら、一度も人を虐めたことのない子が居たら、大きな勲章をあげたいです。凄く立派なことなんですよ。そして、人にされて嫌だったことをこれからも出来ればして欲しくないなと思います。
大人になるにつれて、また自分の子供を育てる時間が長くなるにつれて、苛めに参加した罪悪感とか恥じ入る気持ちはどんどん大きくなります(そうでない人は人として終わっていると思います)。
弱いものいじめは自分の良心が許してくれないのだと思います。私は一生忘れられないです。

苛めを「だめだよ!」と止める勇気がなくても、主導している人を無視するという抵抗の仕方もあります。苛められっ子みんなで言うことを聞かないようにするのはどうでしょう。

何とか苛めがなくならないかなと、おばさんは悲しいニュースを目にする度に考えています。暴力沙汰とか誹謗中傷は犯罪なので、病院に行って診断書をもらうとか、毎回言われたこと、やられたことをメモをして親子で無料の弁護士の方や警察に相談に行く必要があると思います。

↓昨日は鳩の日だったので鳩サブレーをお取り寄せしました。





いじめられっ子は世に はばからない(4)

2025-08-09 18:08:54 | 日記
こんばんは!気圧の変化があるからか、ちょっと偏頭痛になっております。皆さんは大丈夫でしょうか。自分は珈琲で何とかなる程度なので助かります。

今朝は散歩中にポッポ先生方が会議中でした。写真をアップで撮れるようになりたいなぁ。

さて、昨日はうっかり題名を間違えておりました。適当で申し訳ないです(汗)
小学校3〜4年の頃に「このままでは負けっぱなしだ!しっかりせねば!」と思い、努力し始めたら、先生からも徐々に頼りにされる様になりました。

現代はどうか知りませんが、昔は しっかりしていて温和そうな子には 苛められている子を補佐する役が回ってきていました。小6の時に手助けさせてもらった友人が自分を少し変えてくれました。

美人でダンスも習っていて、音楽も体育も勉強も良くできる女の子が どういう訳か女子の間で仲間外れになったので、先生に頼まれて一緒に居ることになりました。
自分は見た目も中身も凡庸な人間だったので美人さんの横でドギマギしていたのですが、学校の朝のマラソンタイムとかダンスの発表会とか、「◯◯さんもどう?」と元気良く色んなことに誘ってくれました。

昔からマラソンが大嫌いで努力もしなかったので、それまではビリから1、2番目に居たのですが、友達につられて走る距離を増やしたら ほんのちょびっと脚が早くなりました。その子が誘ってくれたお陰で冬のマラソン大会でゴールした時には後ろに10人くらい居ました。
また、その子が習い事の発表会でソロでダンスをしているのを観て、いつもの友達との変身ぶりに良い意味で衝撃を受けました。自分がもし将来女の子を産んだらダンスを習わせてあげたいなぁと思いました(有り難いことにこの夢は叶いました)。
嫌なことを無理に頑張る必要はないけれど、駄目だと思い込まずにやってみて良かったなと思います。今では連絡先を知りませんが、思い出す度にその子に感謝しています。

あと、苛められている子に伝えたいのは、自分が駄目だから苛められると思い込まずに(どんなに美人で何でも出来る子でも苛められることがある)、誰も褒めてくれなくても、1つずつ やってみたいことや気になっていることを試してほしいと思います。

いつか誰でも平等に命が終わるので、慌てて向こうの世界に行くことはない。全部やりたいことを書き出して、出来ることから試してみても良いのではないかと、田舎の元苛められっ子の おばさんは思うのです。



見出しの写真はお昼に食べた味噌ラーメンです。夏でも意外に体やお腹が冷えるので、温まる食事は欠かせませんねぇ。

苛められっ子は世に はばからない(3)

2025-08-08 13:43:50 | 日記
こんにちは!クーラーの壊れたマイカーをやっとこさ修理に出しました。やっぱり電気系統の故障で部品交換が必要でした(ああ、お札が飛んでいくー)。
8月に冷房が使えないと命の危険があるので、原因が分かって直せるのは有り難いことですなぁ。

さて、小学生低学年の3学期終業式、反撃を開始した訳ですが、どうなったのでしょう。

腕を振り回しながら(相手に当たらないように)苛めっ子男子を追いかけ回したのですが、相手はそんなに強くなかったらしく驚いて泣いていました。自分も涙でベショベショの顔になっていました。
喧嘩を見た他の女子が慌てて先生を呼びに行き、教室に戻ってきた先生(新任の女性でした)は「◯◯ちゃん、そんな子じゃなかったでしょう」と驚いて諭してくださいました。
相手の男子はその後滅茶苦茶怒られたそうです。向こうも実は気弱だったので、だいぶ時間が経ってから悪いことをしたなと思いました。

ちなみにその新任の先生は私の絵を初めて褒めてくれた人です。頭がそんなに良くなくて、運動が出来るわけでもなく、それまであまり褒められることがなかった為、とても嬉しかった記憶があります。近所のお花の絵を一所懸命に写生していた記憶もあります。

さて、3年生の新学期、もう苛められないように強気で行こうと決意しました(毎日隙あらば休みたいとも思っていました)。
男子が蹴ってきたら、蹴り返しに行く(とはいえ徒手空拳状態)、嫌なことを言われたら、大きい声で言い返す。頑張ってみたのですが元々病弱だったので体力のある輩にはやっぱり敵いません。

ある時、同じく苛められっ子だった姉が学力を伸ばし始めたのを見て、自分も勉強なら嫌な輩に勝てるかもしれないと思い、家に溜まっていた進◯ゼミの問題を解き始めました(◯研ゼミ付録の漫画みたいですな)。
小3の頃は通知表が5段階評価の3〜4辺りだったのが、小6の頃には5がだいぶ増えました。人の3倍時間が掛かるなら(シャア専用の逆ですね)、3倍の時間を掛けて愉しみながら乗り越えれば良い、と作戦を切り替えました。
親からは末っ子だったこともあり、あまり勉強しろとも言われていなかったのも有り難かったですね(期待されてなかっただけかも?)。

そうそう、暗黒の小学生時代に合唱部があったのは救いでした。苛めっ子女子は所属しておらず、のほほんとした子が集まっていてみんなでモリモリ腹筋をしたり、歌を歌ったり、とても楽しい時間でした。
夏の合唱コンクールの帰りに夕立が降ってきてみんな白ブラウスがビショビショになって「スッケスケー!」と叫びゲラゲラ笑いながら帰ったことは今でも覚えています(変態が少ない時代で良かったー)。


いつもの神社に鮮やかな色のお花が咲いていました。