資料の分析による日本の台湾留学生の実態
交流協会奨学生の場合
一九七二年九月、日華の国交が断絶した後、これまでの中華民国の日本留学の「国費生」制度が撤廃されることになった。日本側の対台湾の窓口は財団法人交流協会に改称され、双方の経済、教育、学術、文化の交流業務を引き継いだ。交流協会は台日文化交流を促進するため、七三年から台湾の大卒者(十六年以上の教育を受け、三十五歳未満の者に限る)でしかも日本の大学の大学院で研究したい志願者に対し、「交流協会奨学生」(日本留学の私費奨学生)の選考制度を導入した。その選考の方法として、交流協会台北事務所が教育部(文部省)の留学試験に合格した日本留学の志願者に書類審査及び第一次試験を行い、その合格者を交流協会東京本部に推薦し、同本部は推薦された候補者の中からさらに選考し、日本の国立大学の入学許可書を取得する候補者の中から最終的に選定する仕組みとなっている。
交流協会台北事務所文化室から提供を受けた資料によれば、七三年から九七年まで、採用者は延べ九百五十名(うち男性五百名、女性四百五十名)に達した。その各年度の人数および男女別、専攻別の内訳は下記の通りである。
当初は、毎年十七名前後(期間は二年、一部は三年目の延長が認められる。九六年現在、三年目の延長認定者は計二百三十七名)の予定であったが、最初の五年間(七三~七七年)は、毎年十名か十一名しか採用しなかった。以後、八三年まで年に約二十名、八四年に三十一名、八八年に五十名、九二年に七十名、九四年に八十名、九六年に九十一名と漸増している。その専攻分野から見ると、トップは文科系(語学、文学、史学、哲学、社会学を含む)が二百八十九名で三〇%(うち男性八十三名、女性二百六名)、次に経済学が一七%、工学が一六%、法学が一〇%、農学が八%、教育学が七%、医学が六%、地域研究が三%、理学が二%などとなっている。
台湾からの交流協会奨学生のなかで、文科系の分野を専攻する女子留学生が圧倒的に多い現象が見受けられる。その専攻を見てみると、日本文学(比較文学を含む)、日本語学、日本語教育、歴史学(主として中日関係史)、哲学思想、中国文学などに及んでいる。しかも、これらの留学生はほとんど台湾の大学では日本語学科出身であったことを付け加えたい。これは、六〇年代から台湾の大学における日本語教育が認められ、八〇年代から飛躍的に普及されたところに係わっているものと言えよう。これからも日本語能力を生かして人文社会科学の分野で学ぶ台湾留学生の比率は高まっていく傾向が見込まれる。
次に日本の大学に留学した交流協会奨学生九百五十名を大学別に人数を統計してみると、上位の十大学は東京大学の百九十五名(二〇・七%)が第一位で、次に筑波大学の九十名(九・五%)、九州大学の八十名(八・五%)、東北大学の七十二名(七・六%)、一橋大学の五十二名(五・五%)、京都大学の四十八名(五・一%)、神戸大学の四十二名(四・四%)、名古屋大学の四十一名(四・三%)、大阪大学の四十名(四・二%)、東京工業大学の三十五名(三・七%)などの順となっている。また地域別から見ると、関東地方の四百七十五名(五〇・四%)が最も多い。その次は関西地方が百九十一名(二〇%)、東北地方が九十六名(一〇%)、九州地方が九十四名(一〇%)、中国地方が六十五名(七%)、その他(北海道・四国・沖縄)が二十五名(二・六%)などの割合で分布している。つまり、交流協会の奨学生は約半分が関東地方、二割が関西地方の大学に集中していることがわかる。
交流協会奨学生の場合
一九七二年九月、日華の国交が断絶した後、これまでの中華民国の日本留学の「国費生」制度が撤廃されることになった。日本側の対台湾の窓口は財団法人交流協会に改称され、双方の経済、教育、学術、文化の交流業務を引き継いだ。交流協会は台日文化交流を促進するため、七三年から台湾の大卒者(十六年以上の教育を受け、三十五歳未満の者に限る)でしかも日本の大学の大学院で研究したい志願者に対し、「交流協会奨学生」(日本留学の私費奨学生)の選考制度を導入した。その選考の方法として、交流協会台北事務所が教育部(文部省)の留学試験に合格した日本留学の志願者に書類審査及び第一次試験を行い、その合格者を交流協会東京本部に推薦し、同本部は推薦された候補者の中からさらに選考し、日本の国立大学の入学許可書を取得する候補者の中から最終的に選定する仕組みとなっている。
交流協会台北事務所文化室から提供を受けた資料によれば、七三年から九七年まで、採用者は延べ九百五十名(うち男性五百名、女性四百五十名)に達した。その各年度の人数および男女別、専攻別の内訳は下記の通りである。
当初は、毎年十七名前後(期間は二年、一部は三年目の延長が認められる。九六年現在、三年目の延長認定者は計二百三十七名)の予定であったが、最初の五年間(七三~七七年)は、毎年十名か十一名しか採用しなかった。以後、八三年まで年に約二十名、八四年に三十一名、八八年に五十名、九二年に七十名、九四年に八十名、九六年に九十一名と漸増している。その専攻分野から見ると、トップは文科系(語学、文学、史学、哲学、社会学を含む)が二百八十九名で三〇%(うち男性八十三名、女性二百六名)、次に経済学が一七%、工学が一六%、法学が一〇%、農学が八%、教育学が七%、医学が六%、地域研究が三%、理学が二%などとなっている。
台湾からの交流協会奨学生のなかで、文科系の分野を専攻する女子留学生が圧倒的に多い現象が見受けられる。その専攻を見てみると、日本文学(比較文学を含む)、日本語学、日本語教育、歴史学(主として中日関係史)、哲学思想、中国文学などに及んでいる。しかも、これらの留学生はほとんど台湾の大学では日本語学科出身であったことを付け加えたい。これは、六〇年代から台湾の大学における日本語教育が認められ、八〇年代から飛躍的に普及されたところに係わっているものと言えよう。これからも日本語能力を生かして人文社会科学の分野で学ぶ台湾留学生の比率は高まっていく傾向が見込まれる。
次に日本の大学に留学した交流協会奨学生九百五十名を大学別に人数を統計してみると、上位の十大学は東京大学の百九十五名(二〇・七%)が第一位で、次に筑波大学の九十名(九・五%)、九州大学の八十名(八・五%)、東北大学の七十二名(七・六%)、一橋大学の五十二名(五・五%)、京都大学の四十八名(五・一%)、神戸大学の四十二名(四・四%)、名古屋大学の四十一名(四・三%)、大阪大学の四十名(四・二%)、東京工業大学の三十五名(三・七%)などの順となっている。また地域別から見ると、関東地方の四百七十五名(五〇・四%)が最も多い。その次は関西地方が百九十一名(二〇%)、東北地方が九十六名(一〇%)、九州地方が九十四名(一〇%)、中国地方が六十五名(七%)、その他(北海道・四国・沖縄)が二十五名(二・六%)などの割合で分布している。つまり、交流協会の奨学生は約半分が関東地方、二割が関西地方の大学に集中していることがわかる。